元婚約者は、王立図書館の閲覧室で謝罪文を綴る
「侯爵令嬢エルファリア・ローゼンベルク。王太子殿下との婚約は、これをもって破棄とする」
公的な儀礼の場とは思えぬほどの冷たさで読み上げられた断罪文に、私はただ一礼してその場を去った。
涙はもう、とっくに枯れていた。
愛されていなかったことなど、とうに知っていた。だが、形式を重んじる王家がこうもあっさり婚約を破棄するとは――いや、むしろ王太子殿下の恋人と噂される平民の令嬢が、にやついた顔で傍らにいた時点で、すべては出来レースだったのだろう。
私は侯爵家の令嬢。だが今や、名ばかりだ。実家も領地も、兄の代になってからというもの徐々に没落している。
政略にすら使えない私を、王太子殿下は捨てた。
それで、いい。
私は王都から姿を消し、ひっそりと王立図書館に職を得た。名を伏せ、身分も伏せ、ただ静かに、知識の中で生きる日々。
そしてそれから一年。
「閲覧希望書類を……三十冊?」
「はい。すべて『謝罪と和解に関する王国事例集』になります」
無言で申請書を差し出してきた男の顔を、私は見なかった。見なくても、声で分かる。どれだけ抑えていようと、低く響くその声だけは、忘れられなかった。
「……こちら、該当書庫に在庫がございます。閲覧室の奥へご案内します」
感情のない声でそう答え、私は立ち上がる。図書館職員としての礼儀を守り、淡々と仕事をこなす。それが私にとっての、唯一の防壁だった。
「すまなかった、エルファリア」
書棚の陰で、不意にかけられたその言葉に、私は振り返らなかった。
「私には、謝られる筋合いなどありません」
そう返すと、彼は静かに頷いたようだった。そしてその日から、彼は毎日のように図書館へ現れた。
閲覧するのはいつも、謝罪と和解、贖罪に関する資料ばかり。
私は思う。
――この人は、馬鹿なのだろうか?
だが不思議なことに、閲覧室の誰もが彼を咎めなかった。王立図書館は、知を求める者に門を開く。そして私は、どれほど腹が立っても、職務上、彼を拒めなかった。
机の上に積み上がっていく本たちは、もはや塔のようだった。
「……いつまで、通うつもりなのですか」
「謝罪の方法が見つかるまで」
「ならば永遠に見つからないでしょうね。私にとっては、あなたの存在そのものが、もう――」
そこまで言って、私は口を噤んだ。
彼は黙って、本を開いた。贖罪についての、古い聖典だった。
沈黙が、図書館を満たす。
その静けさこそが、私の心をかき乱す一番の要因だった。
それからの日々は、奇妙な均衡の上に成り立っていた。
彼は毎朝、開館と同時に来館し、黙々と謝罪や償い、過去の王族による失策とそれに伴う赦しについての書物を読み漁った。王立図書館の閲覧記録には、「謝罪文案構築の参考資料」として無数の記録が刻まれていく。
私はその度に、カウンターで彼に対応する。
「参考資料の追加申請ですか」
「はい、今日は“許されざる王子たち”シリーズを」
「第三巻だけは修復中です。第二巻と第四巻は、そちらの棚にございます」
やり取りは極めて機械的。けれど、なぜだろう。目を合わせるたびに、胸の奥がひりつくように痛んだ。
私は彼に問うたことがある。
「……あなたは、なぜ私に謝り続けるのですか」
彼は答えた。
「許してもらうことが、目的ではない。ただ、過去をなかったことにしないためだ」
その瞬間、何かが胸の奥でかすかに揺れた。だが、それでも私は彼を許す気になれなかった。
私の人生を、あの日、あの瞬間に台無しにしたのは――
「図書館は、感情を置いてくる場所です。お気をつけください、王太子殿下」
皮肉のつもりで告げた一言に、彼はかすかに笑った。
「王太子ではない。もう、その称号は返上した」
「……なんですって?」
「すべての役職と称号を、自ら手放した。君と向き合うために」
愚かしい、と思った。思ったはずだった。
だがその言葉が、胸に突き刺さって抜けなかった。
翌日から、彼は閲覧者名簿に「セドリック・レノワール」とだけ記した。貴族の称号も、王族の印章も、そこにはない。
ただの、一人の男として。
そしてある日、彼はとうとう、本を閉じて、私に一冊の厚い書類を手渡した。
「これは?」
「過去一年分の謝罪文案だ。君へのものだ。……内容は、公にはしていない。だが、もし許されるなら」
その手が、震えていた。
私は書類を受け取ることもなく、こう言った。
「閲覧室では、私語はご遠慮ください」
彼は少しだけ微笑み、深く頭を下げた。
謝罪とは、贖罪とは、償いとは。
私は彼の残した分厚い書類の山の横を通り過ぎ、静かにカウンターへ戻った。
でも、心の奥底では、確かに――何かが変わり始めていた。
王立図書館の午前は、静寂と規律に満ちている。
今日も閲覧室には常連の学者や貴族、魔法理論を研究する初老の修道士が散在している。エルファリアは分厚い書物の返却を終え、カウンターに戻った。
そこには、やはり彼――セドリックの姿があった。
もはや驚きも、動揺もない。彼が来ない日の方が稀なのだ。だが、彼はただ閲覧に来るのではない。必ず、一冊の手紙を残していく。
今日の封筒は、深緋の封蝋で留められていた。
内容を読む義務はない。そう思いながらも、私はつい手に取ってしまう。
『──第三十二回。今日も謝罪の糸口は見つからなかった。だが、君が目を細めた瞬間を、ほんのわずかに目撃できた。それは奇跡だと思う』
私はため息をつき、封筒をそっと棚に戻した。
あれは私信ではない。ただの独白だ。
私を取り戻すためのものではなく、自分を律するための懺悔録に過ぎない。
だから、読む必要なんてないのだ。
「……エルファリア様」
控えめな呼びかけに顔を上げると、同僚の司書であるルネが立っていた。年の近い彼女は、図書館で数少ない私の理解者だった。
「今日もまた……あの方が?」
「ええ。もう日課のようなものね」
ルネは視線を落とし、そっと言った。
「……あなたは、どう思っているの?」
その問いに、私は答えられなかった。
心の中では、何度も問い直している。私が本当に望んでいるのは、彼の後悔か、それとも――
「まだ、何も」
そう言って、私は閲覧記録にペンを走らせた。
だがその日、セドリックは少し違った。
彼は書庫ではなく、閲覧室中央の開架コーナーで一冊の本を広げていた。そしてその隣には、見慣れない少女がいた。
栗毛の髪に、小さな外套。見るからに平民の娘。だがその目は利発で、セドリックと対等に何かを話している。
私は気づかぬふりをしていた。だが内心では、心がざらついていた。
彼が他の誰かと笑い合っていることが、こんなにも胸を刺すとは。
そうして閉館間際、少女が一人でカウンターにやってきた。
「すみません、さっきの王子様……いえ、セドリックさんの本、返しに来ました」
彼女は礼儀正しく頭を下げ、革表紙の本を差し出した。
「彼と……どういう関係ですか?」
思わず訊ねてしまった自分に驚いた。職務を逸脱することは本来あってはならない。だが、少女は微笑んで答えた。
「ただの相談相手です。私、今、身分証明を失ってて……手紙の書き方を教わってたんです。謝るべき人がいるからって」
その瞬間、何かが胸に落ちた。
彼は誰かに謝る方法を、今度は誰かに教えている。
──かつて、私にできなかったことを。
私は無言で本を受け取り、微笑みを返した。
その夜、私は初めて封を切った。セドリックの手紙を、一字一句、最後まで読んだ。
そして、棚の奥に積み重ねられた三十二通の手紙にそっと触れた。
まだ、許せない。
けれども。
私は、少しだけ前に進めるかもしれない――そんな気がした。
翌朝、私はいつものように開館準備を終えた。入り口の扉を開けたと同時に、彼がそこに立っていた。
今日は手紙を持っていなかった。その代わりに、片手に小さな冊子を抱えていた。
「これは……?」
「僕がまとめた、“正しい謝罪の手順と実例”の入門書だ。初学者向けに書いてみた。図書館に寄贈してもいいか?」
困惑する私に、彼は言葉を続けた。
「書きながら分かったんだ。自分がどれほど傲慢だったか。許されたいと思うこと自体、傲慢だった」
私の中で、何かがまた揺れた。
その冊子を手に取ると、装丁は拙いながらも、内容は丁寧に構成されていた。
そして巻末に、手書きの一文が添えられていた。
『──この一冊が、かつて失われた誰かの心を、再び灯せますように』
私は息を呑み、冊子を受け取った。
「閲覧資料として受理します。分類コードは……S-922、謝罪論の項にて管理します」
事務的に告げながらも、指がわずかに震えていた。
その日、彼は一日中閲覧室にいたが、一言も話しかけてこなかった。ただ静かに本を読み、夕刻には深く礼をして帰っていった。
私は閉館後、その冊子を自分の机の引き出しにしまった。
公には、まだ出せない。だが私にとって、それはかけがえのない――彼の“変化”そのものだった。
翌日、ルネがぽつりと言った。
「ねえ、エルファリア……あの方、変わったよね」
「……ええ、変わったわ」
私は答えた。
「問題は、私が変われるかどうか、よ」
静かな図書館の中で、私は初めて、彼に少しだけ視線を向けた。
まだ遠い。けれど、その距離は、もう絶望的なほどではなかった。
それは、いつもと変わらない一日の始まりだった。
エルファリアは開館前に館内を巡回し、書架の乱れを整えていた。朝の光が高窓から射し込み、埃の粒が金色に浮かび上がる。図書館は今日も静かで、落ち着いていた。少なくとも、開館までは。
扉が開いた瞬間、いつものようにセドリックが現れた。だが、今日は彼の手に本も手紙もない。
「本日は、閲覧希望ではありません」
そう言って、彼は閲覧室には向かわず、カウンターの前に立ったままだった。
「申請書も……?」
「今日は、話をしに来ました。許されるなら、君と一対一で」
私語厳禁の図書館で、それは最大の禁忌だ。だが彼は、それを承知の上で申し出てきた。
エルファリアはため息をひとつ吐き、受付の札を裏返して「対応中」に変えた。
「控室なら使って構わないわ」
小さな応接室に、二人きりで入るのは初めてだった。机を挟んで、セドリックはゆっくりと口を開いた。
「君のことを、理解したつもりでいた。けれど、まったく見えていなかった。立場も、痛みも」
彼の言葉は淡々としていた。だがその瞳は、どこまでもまっすぐだった。
「私には、もう王家の後ろ盾もない。名誉も、称号も、地位も。だが、それでも……君に向き合いたい」
「なぜ今さら」
エルファリアは静かに言った。
「私の人生を、あなたは壊したのよ。あの断罪の場で、私の立場と信頼と心をすべて奪った。……それを、どんな言葉で償えると思っているの?」
セドリックは即答しなかった。ただ、深く頭を下げた。
「言葉では、償えない。だから、行動で示す。私は今、君の側に立ち続けることしかできない。それが、君にできる唯一のことだから」
それは、潔さというよりも、ただの愚直さだった。
だが――その愚直さこそが、彼を少しずつ変えてきたのだと、エルファリアは知っていた。
それでも、答えは簡単には出せない。
「……これからも、通うつもりなの?」
「はい。許されようと、許されまいと。私は、知りたいんです。君がどれほど強く生きてきたかを」
その言葉が、心に刺さった。
今まで誰にも――家族にすら認められなかった強さを、彼は見ようとしている。
それが、救いになるかはわからない。
けれど。
「……なら、ルールは守って」
「もちろん」
それだけ告げると、エルファリアは席を立った。
彼の視線を背に受けながら、扉を閉じたその時、心のどこかがふっと軽くなったような気がした。
図書館に戻ると、ルネが心配そうにこちらを見ていた。
「……喧嘩は、してないよね?」
「いいえ。おかしな話を、少しだけ」
そう言って笑うと、ルネは目を見張ったように驚いた。
「エルファリアが、笑った……!」
「失礼ね。私だって、たまには笑うわよ」
そう言いながらも、エルファリア自身がその変化に一番驚いていた。
ずっと閉ざしていた心の扉が、ほんの少しだけ、軋みをあげて動いたのだ。
その日の閉館後、エルファリアは一人、司書用の記録室に残っていた。
閲覧記録を整え、未返却資料の確認を終えると、机の隅に置いていた封筒が目に入った。見慣れた筆跡。セドリックのものだった。
手紙ではない。ただのメモだった。
『明日は休館日ですね。ゆっくりお休みください。私はまた翌日に、謝罪と読書に参ります』
内容は他愛のないもの。だが、その一言に、妙に胸が温かくなる。
「……馬鹿ね」
呟きながらも、エルファリアはその紙を破ることはできなかった。
翌日は静かな休日だった。
久々に外に出たエルファリアは、市場の外れにある古書店を訪れた。目当ての本はなかったが、店主と短く言葉を交わし、手に入れたのは一冊の薄い詩集。
帰り道、ふと足を止めたのは、かつて通っていた音楽堂の前だった。
あの頃、私は何を夢見ていたのだろう。
王妃としての未来? 愛されること?
それとも、誰かの“必要な存在”であること?
今の私は、誰のものでもない。けれど、私は確かにここにいる。
翌朝、図書館に戻ると、カウンターにはすでに冊子が一冊置かれていた。
『贈呈品:詩集「冬の静謐」――感謝と沈黙について』
寄贈者の名はなかったが、筆跡で分かる。セドリックだ。
「……選ぶ本まで、変わってきたのね」
エルファリアはその本を受理し、そっと書棚へ収めた。
その日の午後、彼は何も言わず、ただひとつ小さな箱を手にやってきた。
「これは?」
「手作りの栞です。閲覧記録帳に使ってくれたらと思って」
箱の中には、色とりどりの布を編んだ栞が十数本入っていた。
不器用な縫い目。だが、丁寧に作られている。
無言で栞を手に取り、エルファリアはひとつを選んだ。
「これだけ、使わせていただきます」
それは、確かな一歩だった。
そしてその晩、彼女は机に向かい、初めて自らの手でペンを取った。
『──返答ではありません。ただ、ひとつの記録です。私はまだあなたを許せない。けれど、あなたの言葉と行動が、かつての私の孤独を少しずつ塗り替えているのは確かです。』
手紙を書き終えた時、エルファリアは深く息を吐いた。
これはまだ終わりではない。けれど始まりでもある。
図書館という沈黙の空間に、確かに二人の物語が芽吹き始めていた。
図書館の春は遅く、王都の花々が咲き誇る頃になってようやく、建物の周囲にも小さな芽吹きが見られるようになる。
エルファリアはその日、いつものように朝の整理を終えてから、机に差し出された閲覧希望書を見て、思わず目を細めた。
セドリックの筆跡で記された閲覧希望書には、たった一行こう書かれていた。
『未来についての本を、何冊か教えてください』
「未来、ね……」
苦笑しながらも、彼女は心当たりの棚へと向かった。
国家戦略論、魔法理論の未来展望、都市計画書――重たく、分厚い本ばかり。だが最後に、ふと一冊だけ、彼女の手が止まった。
『小さな灯火たちへ――個人の選択が社会を変えるという仮説』
それは、かつて彼女自身が密かに愛読していた書だった。
彼に渡すか、一瞬迷った。だが、今の彼なら読める。そう思い、そっと机に置いた。
「これが、私の知っている“未来”です」
彼は本を見て、静かに頷いた。
そしてその午後、セドリックはもう一冊の本をカウンターに持ってきた。
『図書館と愛の距離――手紙で紡がれた七つの物語』
彼は控えめに、けれど真っ直ぐな目で言った。
「……これを、君に読んでほしい」
エルファリアは受け取らなかった。だが、彼のその態度には、もうあの頃の驕りも見下しもなかった。
ただ、差し出すだけの覚悟。
「今は、まだ読む時じゃないと思うの」
「わかってる。ただ、預けておきたくて」
その本は、彼女の机の脇にそっと置かれたままになった。
そんなやり取りが何度か続いたある日、セドリックがふと、彼女に問いかけた。
「エルファリア。君にとって、“赦す”って、どういうことだと思う?」
それは、単なる疑問ではなかった。ずっと自問し続けてきたことを、彼女にもぶつけたのだろう。
エルファリアは考え、そして答えた。
「過去を消すことじゃない。受け入れたうえで、前を向くこと。……たぶんね」
「そうか……君は強いな」
「違うわ。ただ、図書館という“後戻りできない時間”の中で生きてきただけ」
書物は過去を記録する。けれど、人は未来を記す。
それに気づいたのは、最近のことだった。
閉館間際、エルファリアはひとつの封筒を取り出した。
それは、彼女自身が書いた初めての返答だった。
『──私もまた、貴方を“記録”する覚悟を決めました。まだ感情は追いついていません。けれど、過去の貴方に怯えるよりも、今の貴方に問いかけてみたい。私は、貴方という“本”を、これからも読み続けるかもしれません』
次の日、彼女はその封筒をカウンターにそっと置いた。
いつもとは逆の構図。渡すのは彼女、受け取るのはセドリック。
彼が封筒を手に取った時、その目がわずかに潤んでいたことを、彼女は見なかったふりをした。
それが、彼女なりの優しさだった。
図書館の時間は静かに流れていく。
だがその中に、確かに新しい“物語”が生まれていた。
かつて断罪され、打ち捨てられた侯爵令嬢と。
全てを捨て、書物と沈黙の中で贖罪を続けた元王太子と。
二人の未来は、まだ何も約束されていない。
だが、重ねられた紙片の中に、確かな信頼の文字が芽吹いていた。
その日の閉館後、ルネがぽつりと口にした。
「……で、そろそろ“進展”とか、あるの?」
「進展?」
エルファリアは書架整理の手を止めて聞き返した。
「いや、だってさ。毎日毎日、あんなに通ってきて、謝って、本読んで、それで終わりって……そのうち“彼のことが気になります”って言い出すんじゃないかと思って」
「言いません」
エルファリアは即答したが、その頬はほんのり赤かった。
「そっかー……でも、表情、やわらかくなったよ?」
「……うるさいわね」
ルネはにっこりと笑って肩をすくめた。
翌日、図書館の窓辺に小さな鉢植えが置かれていた。誰が置いたのかは分からないが、タグにはこう書かれていた。
『この草は“時忘れ草”と呼ばれます。強い光を浴びても萎れず、静かに季節を越えて咲き続けます。贈り主より』
贈り主の名はない。だが、エルファリアには分かっていた。
「……図書館に、勝手に植物を持ち込まないでって言ったのに」
そう言いながらも、彼女はその鉢を自分の机の端に移動させた。
その草は、静かに葉を揺らしていた。
春の陽射しは、少しずつ強さを増していく。
手紙は減り、代わりに短い会話が増えた。
返事を交わすたびに、エルファリアは自分の中で何かが変わっていくのを感じていた。
それは、恋と言えるほど甘くはない。けれど、信頼と敬意に似た何かが、日々の中に積み重なっていった。
ある日の帰り際、セドリックがふと立ち止まり、言った。
「……いつか、“君が笑ってくれた日”を、書き記したい」
それは、彼なりの告白だったのかもしれない。
けれど彼女は、ただ静かに言った。
「図書館内では、記録物の持ち出しは禁止です」
「……なら、君の中に残るよう願うよ」
その日、夜の図書館はひときわ静かだった。
その静けさの中に、未来の気配があった。
それは図書館に、一冊の古書が持ち込まれたことから始まった。
「寄贈希望書? ……これは」
ルネが差し出してきたのは、年代不詳の重厚な革装丁本だった。背表紙には金の箔押しで『王家御用歴史録・特別附録』と記されている。
エルファリアは思わず息を呑んだ。
それは、王族に関する極秘記録を含む禁書指定文書であり、通常は閲覧すら許可されない。ましてや寄贈など前代未聞だった。
「持ち主は?」
「……あの方です」
ルネの視線の先には、やはりセドリックの姿があった。
彼は静かに頭を下げた。
「君のことを、誤解していた多くの者たちに、記録を通して真実を伝えたかった。正式な手続きを経て、開示許可を得た」
「王家の記録を、庶民に開放するなんて……前代未聞よ」
「それでも。君が、黙って耐えていた日々を、なかったことにはしたくなかった」
その瞳は、もう嘘を映していなかった。
エルファリアは震える手で、その本を受け取った。
中には、断罪の舞台裏を記した書簡、誤認と誤報の証拠、そして――王太子の関与に関する内部記録があった。
それは彼自身の名誉を、二度と取り戻せなくなるほどの告白だった。
「……ここまで、するの?」
「君の名誉のために、できる限りのことをしたかった。あのとき、君を守れなかった分を」
書架の一角に、その本は分類コード“R-107”として登録された。
閲覧申請には審査が必要となるが、確かに“記録された”のだ。
沈黙していた過去が、紙の上で形を持った。
それは、図書館という場所でしか叶えられない救済だった。
その夜、エルファリアは一人でその本を読み返した。
涙は出なかった。ただ、確かな実感が胸に灯っていた。
誰にも言えなかった痛みが、ようやく歴史の中に刻まれたのだと。
翌朝、彼女はセドリックに一通の手紙を手渡した。
『──ありがとう。記録する勇気を、あなたが先に持ってくれたことに』
彼は何も言わず、それを受け取った。
そして午後、エルファリアは閲覧者の一人――少年から声をかけられる。
「あの、新しい本、読ませてもらいました。あんなことがあったなんて……自分も、もっと知ろうと思いました」
それは、初めての“第三者からの声”だった。
彼女の過去は、ようやく個人のものではなく、学びの題材となった。
数日後、王都の小さな新聞に短い記事が載った。
『王立図書館、旧王族関係文書を一部公開――新たな歴史教育資料として注目』
名前こそ伏せられていたが、関係者にはすぐに分かる内容だった。
「これで、私の過去が誰かの学びになるなら……それも、悪くないわね」
図書館という時間の中で、過去が未来に継がれるという実感が、静かに芽生えていた。
ある日、ルネが少し困った顔で言った。
「ねえエルファリア。セドリック様の資料申請、また特例申請だらけなの。……“王族関係者による謝罪形式と民衆意識の相関”とか、“王妃教育における共感倫理学の位置付け”とか」
「……それ、完全に私向けね」
エルファリアは溜息をついたが、頬がわずかに緩む。
もはや彼の行動が奇行とは思えなくなっていた。
その代わりに、彼女の中ではある種の問いが芽生えていた。
――私たちは、このまま「図書館の中」だけの関係でいていいのか?
それは、恋というよりも、長く続いた対話の果てに現れた自然な疑問だった。
ある日の閉館後、セドリックが珍しく迷ったように言った。
「……もし、君がよければ。図書館の外で、一冊の本を読みに行かないか」
「外で?」
「君のことをもっと知りたいんだ。図書館のカウンター越しではなく、一人の人間として」
エルファリアは一瞬だけ沈黙し、それからゆっくりと言った。
「……“返却期限付き”でなら、考えてあげてもいいわ」
「その本、ずっと貸出延長できたら嬉しいな」
「延滞料金は高いわよ?」
初めて、二人の間に笑いが生まれた。
それは静かな図書館には少しだけ不釣り合いで、けれどとても温かかった。
エルファリアはふと思う。
謝罪も、贖罪も、赦しも、記録するだけでは終われない。
それを“読み返す”者がいて、初めて意味を持つのだと。
そして私は――きっと彼を、何度でも読み返してしまうのだろう。
静かに灯る読書灯の下、彼女は一冊の新しい記録を開いた。
題名はまだない。けれど、それは確かに“未来”と呼べる章だった。
その日の記録帳の余白に、ルネが小さくこう書き添えていた。
『人は本を閉じても、物語は終わらない。あなたたちの関係も、たぶんそうなのでしょう』
それを見たエルファリアは、ふとペンを取り、返すように一行だけ書いた。
『ならば私も、もう少しページをめくってみます』
図書館の中、静かなその一幕が、また一つ物語として綴られていくのだった。
それは、約束された日曜の午後だった。
図書館の外に出ることなど滅多になかったエルファリアは、戸惑いと共に薄紅の外套を羽織っていた。春風が柔らかく髪を揺らし、通りには小さな露店と笑い声が溢れている。
待ち合わせ場所は、王都の古書市。年に一度、王立図書館の蔵書とは異なる民間コレクションが並ぶ、知識好きの祭典だ。
彼――セドリックは、少し早めに到着していた。
王族であった面影は、もう彼のどこにもない。素朴な装いに、読み込まれた地図と筆記具を手にしているだけだ。
「来てくれて、ありがとう」
「……あなたの誘いを断っても、きっと図書館にまで押しかけてきたでしょう?」
「さすがにそこまでは」
そんな軽いやりとりのあと、二人は並んで露店を巡った。
書物に囲まれての会話は、どこか安心できた。内容は自然と、互いの好みに触れていく。
「こういう戦記ものが好きなの?」
「若い頃はね。今は、もう少し“後悔しない選択”に関するものばかり」
「……真面目すぎるのよ、あなたは」
エルファリアの言葉に、セドリックは微笑む。
「だから、君に惹かれたんだろうな。君の、真っすぐで厳しくて、それでいて――とても優しいところに」
その言葉に、エルファリアは一瞬言葉を失った。
だが、怒る気にはなれなかった。
むしろ、その正直さが、心に少し沁みた。
小さな屋台で、ミントティーを二つ頼んだ。
「昔は、誰かとこうして外を歩くことが許されなかった。あなたもそうだったでしょう?」
「そうだね。王族として、誰かの視線を意識する生き方だった。でも今は違う。君の隣で、ただ歩けることが……心地いい」
カップを傾ける静けさが、言葉より多くを語っていた。
やがて夕暮れが近づき、二人は川沿いの小道に出た。
風に揺れる柳の葉が、水面に影を落としている。
「……図書館は、変わらず静かで、安心できる場所よ」
「でも、その中に閉じ込められたままでは、君の時間は動かない」
その言葉に、彼女は足を止めた。
そして、ゆっくりと振り向いた。
「あなたは、私を動かしたいの?」
「いや。君が、自分で歩き出すときの隣に、居られたらと思ってる」
その返答に、エルファリアは小さく笑った。
「ずいぶん遠回りな言い方をするのね」
「学者崩れの癖だよ。言葉を慎重に選びすぎる」
「でも、悪くないわ。……とても」
二人の間に、春の風が吹き抜けた。
エルファリアの外套が揺れ、セドリックの書類袋が風に煽られて軽く舞った。
その中から一枚、紙が地面に滑り落ちた。
彼女が拾い上げて目を通すと、そこには見慣れた筆跡で、こう記されていた。
『——いつか、君と読むための本を、書いてみようと思う』
驚いて顔を上げると、セドリックは少し照れたように笑った。
「……まだ、構想だけだけどね」
「まさか、私をモデルに?」
「それは、読んでみてから判断してほしいな」
その場でエルファリアは答えなかった。けれど、紙をそっと折りたたみ、胸元に仕舞った。
日が沈み始める頃、二人は再び並んで歩き出した。
その足取りは、いつもの閲覧室よりも、少しだけ軽やかだった。
帰路につく途中、エルファリアはふと足を止めた。
「……あなた、本当に私を許させようとしてるわけじゃないのね」
「え?」
「最初は、そう思ってた。許しが欲しくて、毎日通ってるんだって。でも今は……」
彼女は空を見上げた。茜色に染まる雲が、ゆっくりと流れていく。
「たぶんあなた自身が、私という存在をちゃんと“理解し直したい”だけなんだって、分かってきたの」
「……そうかもしれない。謝罪というより、対話を求めていたのかもしれない」
「それなら、少しだけ……歩幅を合わせてあげる」
その言葉に、セドリックは一瞬目を見開き、それから静かに微笑んだ。
「じゃあ、少しだけ遠回りして帰ろうか」
そうして二人は、いつもとは違う路地を選び、少し遠い道を歩いていった。
石畳の続く通りには、夕刻の光が柔らかく差し込んでいた。
誰もいないその路地で、セドリックはふと足を止め、言った。
「……君が許してくれる日が来なかったとしても、僕はきっと後悔しない」
「なぜ?」
「君が、僕の言葉を読んでくれたこと。少しでも、向き合おうとしてくれたこと。……それだけで十分だから」
その声は、決して強くなかった。けれど、どこまでも誠実だった。
エルファリアは小さく頷き、そっと言葉を重ねた。
「私も、あなたが謝罪を“やめなかった”ことだけは、忘れないわ」
図書館では決して交わせなかった、短くて確かな言葉だった。
ようやく、ようやく一歩。
過去から、未来へ続く、道の第一歩。
それを踏み出せたのは、図書館の外だった。
そしてその日、エルファリアは初めて、“また会いたい”という気持ちを、心の中で明確に言葉にした。
春の終わり、図書館の開館前。
エルファリアは、館内の空気に静かに手を触れるように深呼吸をした。書架の並ぶ風景。インクの匂い。朝日を受けてきらめく床。全てが、彼女の居場所だった。
だが、今の彼女にはもう一つ、“戻って来る場所”があることを、知っていた。
セドリックとの外でのひとときは、彼女にとって大きな転機だった。
あれから、彼は以前のようには来館しなくなった。代わりに、ときどき封筒一つだけが受付に置かれている。
筆跡も変わっていた。かつての“謝罪”の書ではなく、淡い語り口で綴られる、日常の記録。
『今日は、書きかけの原稿に猫の足跡がついた。可愛いけれど、消すのが惜しい』
『市場で見つけた詩集に、君が言ってた一節があったよ』
そうした文に、彼女は少しずつ返事を書くようになっていた。
『原稿の猫の足跡は、むしろ残すべきだと思います』
『その詩集、今度は図書館にも入れましょうか』
これはもう、赦しのためのやり取りではない。人と人との、ごく自然な交流。
ある日、彼の封筒に小さなメモが添えられていた。
『来月、書きかけの本の初稿が完成しそうです。最後の数章、君の“目”で見てもらえると嬉しい』
その申し出に、彼女はすぐに答えを出せなかった。
だが、図書館という空間に身を置くことで、彼女はようやく気づいた。
自分は、彼の歩みをただ見守る側ではなく、共に読み進める“共同読者”であると。
そして迎えた日曜日。
セドリックが久々に図書館を訪れた。
彼は何も言わず、一冊の原稿用紙の束を差し出した。タイトルはまだ白紙。
エルファリアは受け取り、それを黙って読み始めた。
ページの中には、彼が歩いてきた軌跡、彼女との出会い、そして沈黙と赦しの記録が、静かに綴られていた。
そして終章のページには、こう書かれていた。
『──この物語はまだ終わらない。君がページをめくる限り、私は語り続けよう』
読了したエルファリアは、原稿を閉じて、こう言った。
「図書館でなら、出版申請の手続き、すぐできます」
それは、彼の言葉に対する最高の返答だった。
セドリックは笑い、深く頷いた。
「では、この“物語”を本にしましょう。君と一緒に」
そして、その午後。
館内の掲示板には一枚の新しいお知らせが貼り出された。
『来月、図書館後援による小規模出版会を開催します。テーマ:記録と赦しの物語』
その下に、控えめにこう記されていた。
『出展予定作品「題未定」──著者:S・L/監修:E・R』
閲覧者たちは興味深げにその掲示を眺め、やがて書架へと散っていった。
エルファリアは静かにカウンターに座り、ふと、空になった封筒入れに目をやる。
もう、謝罪の手紙は来ない。
けれどそれは、すでに多くの言葉が交わされてきた証だった。
図書館は静かに時を刻む。
だがその中で、彼女の世界は確かに動いている。
書物と沈黙だけだった彼女の世界に、今は誰かの息遣いと、未来の気配がある。
そして今日もまた、ページが一枚、そっとめくられていく。
閉館間際、ルネがカウンターにやってきた。
「エルファリア、あの出版会の告知、見たよ。……監修者って、やっぱりあなたなんだね」
「肩書きだけよ。実際に直したのは句読点くらいだもの」
「でも、あなたがそれを認めたってことよね。あの人の物語を“正しいもの”として」
エルファリアは少しだけ頷いた。
「正しいかどうかは分からない。けれど、“終わらせない物語”として受け止めようとは思ったの」
「ふふ、やっぱり素敵な関係だね。私も誰かとそんな風に手紙をやりとりしたいなあ」
「ルネにそんな繊細な相手が現れるのかしら」
「ひどいっ!」
そんな冗談を交わせることさえ、かつての自分には想像できなかった。
笑いが、こんなにも自然に出るとは思わなかった。
その夜、エルファリアは久々に“個人的な手紙”をしたためた。
それは図書館職員としてではなく、一人の女性としての手紙だった。
『──あなたの言葉を、私はもう“赦し”ではなく、“共に歩む提案”として受け止めています。たぶん、あなたも私もまだ不器用で、うまく伝えきれないこともあるでしょう。でも、だからこそ一緒に記録を重ねる意味があるのだと、今は思えるのです』
封筒には小さな栞を添えた。それは、かつてセドリックが贈ってくれた手作りの一つ。ずっと引き出しにしまっていた最後の一本。
彼に返すためではない。
“次の章”を、共にめくる印として。
次の朝、エルファリアは封筒をカウンターの一角に置き、いつものように「対応中」の札を裏返した。
今日もまた、物語がひとつ、静かに続いていく。
出版会当日、図書館の閲覧室は異例の賑わいを見せていた。
棚の間を縫うように、招かれた読者や司書、若い研究者たちが行き交い、小さな展示台に目を留めては、配られた小冊子を手に取る。
その中心に飾られていたのは、セドリック・レノワールの書いた一冊の本だった。
題名は、最後まで彼とエルファリアの間で何度もやり取りされた末に決まった。
『沈黙の中の手紙たち――図書館に咲いた赦しの記録』
著者名の横には、監修:E・Rの文字。
訪れた者たちは口々に「これはフィクションなのか?」「元王族が書いたという噂は本当か?」とささやき合っていた。
エルファリアは、それを黙って見ていた。
誤解も、憶測も、もう怖くはなかった。
むしろ、それが“記録が共有された”という何よりの証だったからだ。
「見事に……人が入ってますね」
背後から声をかけてきたのは、もちろんセドリックだった。
「図書館にしては、騒がしいくらいね」
「でも、僕はこの光景が好きだよ。言葉が、人と人を繋げているのが分かる」
彼の手には、完成した書籍の最終校正版が握られていた。装丁はシンプルだが、表紙には金箔で栞の模様が刻まれている。
「……この意匠、あなたのアイディア?」
「うん。最後に君がくれたあの栞を見て、決めた」
言葉を交わすたびに、かつての距離はもう存在しないのだと実感する。
エルファリアは、展示の一角に設けられた閲覧席に腰を下ろした。
ふと見ると、一人の少女が、真剣な眼差しで彼の本を読みふけっている。
「こんな小さな子にまで、何かが届いているのね」
「きっと彼女も、誰かの手紙を待っているのかもしれない」
展示会は夕刻まで続き、来館者たちは満足げに帰っていった。
片付けを終えた頃、図書館には再びいつもの静けさが戻っていた。
セドリックは静かに呟いた。
「君と出会ってから、言葉の意味が変わった気がする。沈黙すら、君となら共有できると思えた」
「私も。あの日あの場所で、すべてを失ったと思っていた。でも今は……すべてが始まった場所だと思える」
その言葉に、彼は微笑んで応えた。
「新しい物語を、そろそろ書き始めようか」
「ええ。そのための空白ページは、もう用意してあるわ」
二人は並んで、展示台の一冊にそっと触れた。
その重みは、ただの紙束ではない。時間と、沈黙と、赦しの積み重ねだった。
閉館の鐘が響く。
エルファリアは振り返ることなく、カウンターへと歩き出した。
その背後には、栞の模様が光る書籍と、それを見守る男の穏やかな視線があった。
彼女は扉を閉める前に、一度だけ振り返る。
「……また明日も、来るのでしょう?」
「もちろん」
短いやり取りが交わされ、扉が閉まる。
夜の図書館に静寂が戻る。
だが、その静けさの中には、確かに物語が息づいていた。
これは終わりではない。
まだ名もない記録たちが、これからも棚に積まれていく。
そして、そのすべてを読む人が、ここにはいるのだ。
その夜、エルファリアはひとり、閉館後の図書館に残っていた。
人影の消えた閲覧室で、一冊の本を開いたのだ。それは彼が初めて閲覧に来た日に読んでいた、謝罪に関する聖典。
当時はただの“皮肉”として彼の手にあったはずのその書が、今はこうして彼自身の選択の証として残っている。
「……まさか、こんな形で未来に残るなんてね」
彼女は独り言を呟き、ページを静かに閉じた。
本棚に収めるその手元は、かつてのような震えを伴わなかった。
そしてその横に、もう一冊、自ら監修した新刊を並べる。
異なる時代の二冊が、静かに肩を並べる――それは贖罪と再生の象徴だった。
部屋を出る直前、エルファリアはカウンターの上に小さなメモを残した。
『──明日は通常通り開館いたします。本日も、ご利用ありがとうございました』
それは、いつも通りの文面。けれど、今夜に限ってはまるで違って見えた。
なぜならそこにはもう一行、付け加えられていたのだから。
『──そして、次の物語も、お待ちしております』
灯りが消える。
だが、その静寂の中で、新しい“物語”は確かに息をし始めていた。
エルファリアとセドリックの旅は、終わりではなく、新たな記録の始まり。
そして図書館は、それを永遠に見届ける場所として、静かにその扉を開け続けていくのだった。
遠くで時計の針が、午前零時を告げる。
エルファリアは立ち止まり、背後に広がる書架を一望した。
あの日失ったと思っていたものは、確かにまだここにあった。
彼女は小さく微笑み、扉の鍵を閉めた。
その音が、静かに夜の図書館に響いた。
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