(七)決意
(七)決意
「ご家老っ…、ご家老っ…。大学様が…」
吉田忠左衛門が血相を変えて駆けこんで来た。
知らせを受けた大石は路地に飛び出して走った。袴の股立ちをとって、太刀の鞘を握りしめながら、飛ぶように駆けた。町人たちがいつもと変わらぬ日常を続ける都大路の真ん中を、狂人のように目を吊り上げて、大石は走り続けた。
浅野大学の首は、高札とともに晒されていた。
その歪んだ表情は、この世に強烈な念を残して死んでいったことを物語っていた。長い逃避行の末、ふとした油断から柳沢の忍びに居場所を知られ、捕らえられた。
(大学様に、いったい何の罪がある…)
大石は拳を握りしめた。内匠頭の死後、浅野家再興の核となるべき浅野大学は、もうこの世にいない。
(これで浅野家再興は潰えた)
大石は思う。今の自分に、いったい何ができるというのだろうか。理不尽、あまりに理不尽。自分たちの思いを、いったい何処へ持って行けばよいのだろうか。浅野の旧臣が理不尽に対して憤激している。
この気持ちを、我々の気持ちを、世間に、幕府に、そして吉良上野介その人に、痛いほど分からせてやらねば、内匠頭も大学も阿久里も浮かばれないだろう。死んでも死にきれないとはこの事をいうのかもしれない。
死者は阿弥陀如来のお導きで極楽浄土へ行けるというが、お屋形様もお方様も大学様も、魂魄はこの世に留まって漂い続けているのに違いない。大石にはそうとしか思えなかった。
残された家臣たちが亡主の怨念を晴らすことなしには、たとえ阿弥陀様でも三人を極楽往生させることは出来ないだろう。
(我らは武人だ。赤穂の浅野家の誇りを持って生きてきた。これからも誇りを持ち続ける。屈辱をそのままにしているわけにはいかない)
大石の胸に静かに闘志が燃えている。だが彼は決して表には出さない。本心を軽々しく他人に見せてしまえば、出来る事も出来なくなってしまう。長年かぶり続けた昼行燈の仮面を、これからもしっかりかぶり続けながら、やるべき事を確実にやり続けるつもりであった。
三条河原に晒された浅野大学の首を目の前にして、大石内蔵助は、今まさにこの時この場で、吉良邸への討ち入りを決意したのであった。
秋が終わり、都には底冷えのする冬が訪れようとしていた。