(六)潜伏
(六)潜伏
松の廊下の刃傷事件からすでに半年が過ぎた。時は移ろい、京の都に錦秋の季節が来ていた。山城盆地を囲む山々、鞍馬、嵐山、東山の紅葉は色づき、一年で最も都が美しい姿を見せている。
室町御所では、その後何件かの喧嘩騒ぎが起こり、浅野の事件への世間の関心は薄れていった。
都は華やいでいる。都では誰が死のうが誰が栄達しようが、庶民たちはそんな事には関係なく、それぞれの生活に忙しく、苦しい日常の中にも楽しみを見つけて日々を過ごしている。旅芸人が来れば見物に出かけ、祭りがあれば街に繰り出した。
この日も三条河原に黒山の人だかりができていた。都の庶民たちは物見高い。この河原では時折処刑や晒首が行われるが、その都度見物人が群がり出る。
この日は盗賊の首が晒されるという。罪人や落ち武者の首を見るのが都人の娯楽であるらしい。
群衆の中に、やりきれない思いで首を見つめている武士がいた。浅野家の旧臣、堀部安兵衛であった。堀部はつい半年前に、同じ場所で同じように晒されていた主君と奥方の首を見た。
内匠頭も阿久里も穏やかな表情というには程遠かった。二人とも目を見開いたまま虚空を睨み付け、口はへの字に結ばれ、眉はつり上がっていた。怨念を強くこの世に残したまま三途の川を渡らざるえなかった無念が、血に汚れた首から滲み出ていた。阿久里の首は矢傷が痛々しく、しかるべき地位にあった気位の高い美しい女性が、惨めな首になって衆目に晒されていた。
(許されることではない)
堀部の全身から汗が噴き出した。女の首を晒すなど、人として到底許されることではない。
あれから半年、さまざまな事が起こった。浅野の件は忘れられ、将軍も管領も吉良も、そして都の庶民たちも、今までと何も変わりなく過ごしている。今日も新たな晒首があったが、半年前の浅野夫妻の首を思い出している者が、この中にどれほどいるのだろうか。それを思うと堀部はやりきれなかった。
堀部安兵衛は多情な男だ。主君の首を見た衝撃を今も忘れることができない。一日たりとも心から離れることはなかった。
そんな心情とは別に、毎日の生活も苦しい。明日の飯にも事欠く毎日だ。蓄えも徐々に減ってきている。盗賊でもするしかない。だが失敗すれば、あのように首になって三条河原に晒されることになるだろう。
赤穂城はすでに敵の手に落ちた。大学様も大石殿も行方知れずだ。
(吉良を殺したい)
そう思い続けることだけが、今の堀部の心を支えていた。
そのころ、大石内蔵助は秘かに都に潜伏していた。そして捲土重来を期している。どうすれば浅野家再興を果たせるか、大石の頭にはそれしかない。
一つの方法は、謝罪して幕府に赦してもらうことだ。だがここまでの柳沢のやり方を見れば、赦される可能性は低いと言わざるえない。
もう一つの方法は、どこかの守護大名の所領を武力で奪い取って、そこに割拠することだ。これには戦をするか、しなくても相応の武力で脅す必要がある。すでにちりじりになってしまった家臣たちが、武具兵糧を蓄えて再び集結できるであろうか。
(大学様の旗印で、果たしてどれほどの旧臣がその気になるのか。読めない)
現実は厳しい。実際のところ浅野家再興どころか毎日普通に生活をすることすらままならない。住む所がない。食う物がない。銭がない。そして幕府の「おたずね者」である。いつ捕縛されるか分からない。命懸けの逃避行であった。
ある者は行商人に身をやつし、またある者は乞食となり果て、別の者は僧形になりながらも寺に所属できない乞食坊主となり托鉢の真似事をして辛うじて露命を繋いだ。
闇夜に物音がすれば、幕府の捕り方か?と不安になり、昼間街中で町人とすれ違う時に目が合えば、幕府の密偵では?と疑心暗鬼になる。生き残っているだけで奇跡といえるかもしれなかった。
そんな中、大石の十五歳の息子、松之丞が元服した。筆頭家老の息子である。本来ならば華々しく大勢で祝ってやるべき息子の成人は、逃避行の中、ひっそりと人目を忍んで行われた。真新しい直垂に身を包み、烏帽子を頭にいただいた息子の晴れ姿を目にしても、大石は手放しで喜ぶことは出来なかった。
大石主税良金というのが武士としての名乗りとなった。主税は赤穂を出て以来ずっと行動を共にしている。これからも離れるつもりはなかった。
赤穂の浪人たちが人目を忍んで続々と都に潜伏し始めている。小野寺十内、不破数右衛門、寺坂吉右衛門、吉田忠左衛門、堀部安兵衛ら血気盛んな者どもも多い。
その中でも堀部安兵衛は、強硬派の急先鋒であり大石と顔を合わせるたびに決起を迫っている。
浅野家再興への願い、主君内匠頭そして正室阿久里への敬慕と無念を思う心、それらが浪士たちの心の奥底で複雑に混じり合い、怨念となって渦巻いていた
「吉良を討つ」そして「浅野家を再興する」それを思わぬ日々はなかった。