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(十)いざ、討ち入り

(十)いざ、討ち入り

 寒い。雪が舞っている。十二月十四日、吉良邸で連歌の会があった。都の風流人たちが、花鳥風月を嘆じ、人生の悲哀と生きることの喜びと悲しみを噛みしめつつ、吉良上野介という美に造詣が深く風流を解する人との楽しい時を過ごした。

 夜半からの寒気は厳しく、底冷えのする都ではあったが、連歌の後は酒を楽しみ、人生を楽しみ、古今の美を語り合った。

 床についたのは丑の刻を過ぎたころだった。ふうっと息をつき、心地よい疲労が眠りへと誘った。

 吉良は深い眠りに落ちた。そして夢を見た。夢の中ではさきほどの現の酒席が続いていた。どこまでが夢で、どこからが現か分からない。

「御屋形様、御屋形様」

 突然、強い力で肩をゆすられた。耳元で近習が大声を出している。

 吉良は眠りから醒めると同時に、近習の狼狽ぶりを見て一瞬で異変を覚った。何が起こりつつあるのかも察した。

「赤穂の軍勢が攻めて来ました」

「平八郎を呼べ」

 小林平八郎が血相を変えて駆け付けて来た。鎧をつける暇もなく、平服で襷をかけた姿だ。手には自慢の強弓を持っている。

「赤穂の馬鹿どもを返り討ちにせよ。一人も生かして帰すでないぞ」

「はっ」

 

 吉良邸に討ち入った赤穂浪士は、鎧兜に身を固め、箙を背負い弓を手にしたり、大薙刀を持ったりと、完全武装の戦支度で臨んでいる。一方、不意を突かれた吉良勢は鎧はおろか脛当てや籠手といった小具足さえも着けていない。裸足の者も多かった。

 戦闘は浅野勢優位で進んで行く。浅野勢の矢が夜空を切り裂いて、鎧を着ていない吉良侍の身体に突き刺さっていく。厳しい寒さで体がいつものように動かない。手が冷たくなって矢の狙いも定まらない。太刀を持つ手に雪が触れて皮膚を冷やして感覚が鈍くなっていく。

 闇夜の中、吉良勢は敵勢の規模も、布陣状況も皆目わからない。敵情を正確に把握することが出来ず、手探り状態で、ただ迫りくる敵を防ぐしかなかった。

「おのれ、浅野め」

 小林平八郎は憤怒の表情で真っ赤に顔を上気させて矢を放った。しかし暗闇で暗躍する敵を射抜くことが出来ない。怒りが焦りへと変わっていくのに、そう時間はかからなかった。

 矢をつがえようとした瞬間、小林の左肩に敵の矢が突き刺さった。矢を落として膝を付いた首筋を、次の矢が貫いた。切断された頸動脈から大量の血液が勢いよく噴き出して庭を赤く染めた。がっくり膝をついた瞬間、駆け寄った赤穂勢に首を獲られた。

 今一人の吉良勢の豪傑といえば、言うまでもなく清水一学である。清水の傍に女が倒れている。赤穂勢は女を狙うつもりはなかったが、不幸にも流れ矢にあたった若い女官の骸だった。

 清水は女の抜け殻から衣を乱暴に剥ぎ取ると、頭からかぶって身を覆った。

(こんな所で死んでたまるか)

 清水ほどの弓の達人なら、他の守護大名から仕官の口はあるだろう。こんな爺さんを護るために命を落とすなど、まっぴら御免である。

 清水一学は女官たちの群に紛れて、邸外をめざした。

「女か。行け」

 堀部安兵衛は、目の前を横切って逃げる女どもを通過させた。

 ふと見ると、足が太い女が一人いる。肥満による太さではなく、鍛え上げられた筋肉が、ふくらはぎに縦筋をくっきりと示しているのを堀部は見逃さなかった。

 足の太い女に、薙刀を振り下ろすと、俊敏な動きで清水は飛びのいた。赤い錦の打掛を投げ捨てると同時に太刀を抜いて安兵衛を睨み付けた。

 清水の周りに三人の赤穂勢が立ちはだかる。

 清水一学一生の不覚であろう。彼は太刀よりも弓を得意とする。が、女に化けて逃げるために弓を捨てた。太刀ならば隠し持てるが弓はそうはいかない。大弓を持って逃げる女などいない。

 が、清水は不敵な笑みを浮かべた。

 赤穂浪士の薙刀が三方向から袈裟斬りに襲ってくる。一の太刀をかわし、二の太刀を受け止めた瞬間、背中を三の太刀が斬り裂いた。

「ううっ」

 一言唸り声をあげると、傷口から激しく血を噴き出しながら清水一学は息絶えた。


「清水殿、お討ち死に」

「小林殿、お討ち死に」

 報告を受けた吉良は唇を噛みしめた。

「不甲斐ないやつらめ。それでも三河武士か」

 吉良は扇を手にすると、立ち上がって床を大きく踏み鳴らした。

「人間五十年、化天のうちを、くらぶれば、夢まぼろしの如くなり」

 名作、敦盛である。

「一度生を享け、滅せぬものの、あるべきか」

 張りのある声で最後の一節まで朗々と謡い終えると、扇を放り捨てた。

「弓と薙刀を持てっ」

 吉良も高齢なれど武士である。たとえ死はまぬがれないとしても、戦って戦い抜いて、吉良家の武勇を世に知らしめて、少しでも憎っつき浅野を苦しめてからでないと死んでも死にきれない。

 吉良上野介は鬼と化した。生きながらにして鬼になった。寝間着姿のまま、大弓を抱えて敵の充満している庭へと向かった。

 屋形は寝殿造りで庭に面して回廊がある。そこへ吉良が現れた。

「いたぞ。吉良だ。いたぞ、いたぞ」

 ピー、ピー、と甲高い笛の音が響き渡った。

 邸内各所に散らばっていた赤穂衆は、笛の音を耳にすると、目の前の敵を置き捨てて笛の聞こえる方へと走った。

 吉良は、白い寝間着姿で、欄干に裸足の片足を乗せ、矢を射た。回廊の上から眼前の庭にいる敵兵を射殺しようとした。赤穂衆の目には、その顔は夜叉に見えた。

 次々と矢を放った。が、老人の筋力では鎧を貫通することができない。浅野武者は鎧に矢が刺さったまま動き回っている。

 やがて矢が尽きた。弓を投げ捨てた吉良は、三国志の関羽の偃月刀のような長大な薙刀を振り回した。偃月刀が旋回するたび、赤穂衆は血相を変えて逃げまわった。

 屋形に火の手があがった。夜空に紅蓮の炎があっという間に回り、黒煙が立ち上り、熱風が邸内を覆い尽くした。

「わしは、生きて、生きて、生き抜いてやる。絶対に死なんぞ。生きてこの屈辱を何倍にもして返してやる」

 吉良は薙刀を振り回しながら庭へと降りた。薄っすらと雪が積もっている。ぶんぶん唸りをあげる大ぶりの薙刀を避けるため、赤穂浪士は距離を置いて見守るだけだ。そのまま門に向かって突っ走って行く。薙刀の旋回は止まらない。吉良の逃げ足も止まらない。

 その時、不破数右衛門が自慢を大弓に矢をつがえた。じっくりと狙いを定めている暇はない。十分に引き絞るとすぐに矢を放った。

 矢は背中に突き刺さり、逃げ足を止めた。地に膝を着いてしゃがみ込んだところへ、二の矢が刺さる。横倒しに倒れた所へ赤穂浪士が駆け付ける。たちまち輪ができ、主君の仇を取り囲んだ。致命傷を負った吉良は立ち上げれない。

 赤穂浪士が集まって来た。すぐ目の前に吉良上野介がいる。夢にまで見た憎っつき吉良が今、目の前にいる。手の届く所にいる。

 大石もその場に現れた。大石はゆっくりと近づくと、全くの無表情のまま、左手で吉良の頭髪をつかみ、右手で短刀を抜いて喉を刺し貫いた。鮮血が流れ落ちて、積もった雪と大石の袖を赤く染めた。


 大石内蔵助は、吉良上野介の首を薙刀の先に結びつけた。

「引き上げじゃぁ」

「えい、えい、おうっ」

「えい、えい、おうっ」

 期せずして鬨の声が沸き上がった。

「凱旋じゃ」

 と、大石は意気揚々と言い放った。だが、いったい何処へ凱旋するというのだろうか。赤穂の地はすでに脇坂が居座っている。これを追い払うのは今の兵力では不可能だ。都にもすでに居場所はない。

 四十七士は、死ぬつもりは全くなかった。幕府の手勢に捕まるつもりもなかった。

 吉良の首が三条河原に晒されたのは、この日の明け方ごろだった。傍らの高札には吉良上野介がいかに腹黒い極悪非道の悪人であったかが激烈な文体で書かれていた。書いたのはもちろん大石である。亡主の恨みを晴らし名誉を回復するのは赤穂浪士の悲願だった。今、やっと実現することができた。

 この時すでに、首を晒して高札を立てた大石は姿をくらましていた。大石だけではない、吉良邸討ち入りをはたした赤穂浪士四十七士は、一人の残らず姿を消した。


 後日談になるが、吉良上野介の所領、三河の国の吉良郷では、他国から流れて来た正体不明の夜盗によって地頭が追い出されてしまったという。その夜盗の頭目は、あたかも自分が正規の地頭であるかのようにふるまい、その地に居座ってしまったという。下剋上の萌芽ともいえるかもしれない。そして、まさに室町時代を生き抜く人々の執念だろう。

 その夜盗の頭目、いや新しい地頭は、「大石内蔵助に似ている」と噂された。

 あくまで噂にすぎないが、真偽のほどは分からない。

                       (了)

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