最後の帰宅部員
ようこそおいでくださいました。どうぞ、お座りください。
こんな片田舎の小学校までわざわざ……外も暑かったでしょう。エアコンは効いてますかね、最近取り換えたばかりなんですよ。
ええ、あの子の事はよく覚えてます。高学年の時わたしが担任でした。この時期はあの子も特に忙しいでしょうね。テレビで霊とか、怪奇現象とかの話になると、オカルト研究家としてよく解説をしていますからね。
恩師としては、有名になってくれて素直に嬉しいんですけどね、ふふっ。
え? ……ああ、そうですね。私もあの子の能力、霊感ってやつですか、それに関しては本物だと思っています。
わたしには霊感なんて、これっぽっちも無いんですがね。あの子の担任をしていた二年間……一度だけ、そういう体験をしたことがあります。もしかしたら、あの子から分けてもらっていたのかもしれません。
ちょうど、これぐらいの猛暑日の時でした。
あの子は確かに独特の雰囲気があって、周囲からは孤立しがちだったんですが、いじめられるとか、不登校とか、そんなトラブルの話は無かったですね。そうそう、体育もちゃんと出席してましたよ。今のイメージだとちょっと想像がつきませんけどね。あはは。
でも、部活には入っていませんでした。私も勧めてみたんですけれど、『みんなの迷惑になるからいいよ』って、だいたいそんな事を言って断わりましたね。うーん、気がかりでしたけど、これもあの子の個性かなって、見守っていたんです。
ですが夏休み前のある日の放課後、学校の敷地内にあるイチョウの木の下で、あの子を見つけたんです。誰かを待っているかのように佇んでいました。その時の彼は六年生でしたね。
私は気になって、何をしているのか訪ねてみたんです。最初は口をつぐんでいましたが、やがて小さな声で話してくれました。
「……部員を待っているんだ。もう少しすれば誰かやってくると思う」
意外でした。これまでどこの部活にも所属していないものだと思っていましたからね。
「部活に入ったんだ。先生知らなかったわ」
「ぼくは部長をやってて、他の学校の生徒も何人か来るんだ」
「部長? それに他の学校の子もいるの? すごいじゃない! それで、何をしているの?」
「家に帰るだけだよ」
「えっ」
「帰宅部っていうの。……いや、正確には部活じゃないから、帰宅サークルかな」
「……みんなで集まって、ただ帰るだけなの?」
「そのまま家に帰るんじゃなくて、みんなで通りたい道を選んでから帰るんだ。毎回違う道を帰ることになるから、ちょっとした冒険みたいなものだね」
そこまで聞いて、私はようやく腑に落ちました。要するに帰り道を利用した、小さな遠足のような部活動なのです。あの子にそんな集団活動を計画する力があったなんて。
「そっかあ、素敵な部活ねえ。でも、お父さんやお母さんが心配するから、あまり遅くなっちゃダメよ。危険な道には行かないようにしてね」
「うん、わかってる」
そう言ってあの子とはいったん別れたのですが……私自身も心配性なところがあって、だんだん不安になってきたんです。
他校の子どもたちも来ていると言ってたけど、上手く部長としてリーダーシップを取れているのかな。本当は危ない道ばかりを選んでいて、帰りも遅くなったりしてないかしら。
結局私はあの子に内緒で、帰宅部の部活動を遠巻きに観察することにしたんです。
もう一度イチョウの木に行ってみると、あの子の言ったとおり、十数人の生徒がその場に集まっていたのです。何人かは他校の制服を着ていました。完全に私服の子もいましたね。
「よし、今回は北に向かって、それから山沿いをぐるっと回って帰ろう。達川くん、前半の道案内よろしくね」
達川くんという子どもに、あの子はハキハキと指示を出していました。ええ、その時は少し感動しちゃいました。ちゃんと部長やってるって。
帰宅部の集団が学校を出始めたので、私も見つからないように付いていきました。
そこからが本番でした。彼らの帰宅ルートだったんですが、私の想像を超えていましたね。けっこう危なかったんです。
まず校舎から北側にある山へ行く道のりなんですが――
(こんな雑草が生い茂ってる場所を進むなんて……)
大人の私でも、腰が隠れるぐらいに草が伸びてましたね。子どもたちに至っては、頭だけが辛うじて出てくるという具合でした。そんな状態でも、全く怖がることなく前へ前へと進んでいきました。途中に小さな泥沼まであったんですよ。私は足をとられて転びそうになっちゃいました。
ようやく山の麓までたどり着いても、相変わらず危険な道ばかり通っていたのです。幅の広い川を石伝いに渡ったり、急な斜面を登ったり降りたり、木々の間を縫うように走ったり……大人の私ですらきつかったですよ、ホントに。
でも、帰宅部の集団は迷うことなく山沿いを通ってましたね。そこは安心したんですが、いくらか進んでいった所で、出たんですよ。
野犬が。
木陰から突然現れたのです。それは大きな野犬でした。驚きましたよ、ええ、こんな野犬がうちの学校の近くにいるなんて。
なだらかな砂利道を歩いていた帰宅部の子たちと野犬との距離は、10メートルにも満たなかったと思います。
(子どもたちが危ない、助けなきゃ!)
そう思って私が飛び出そうとする直前に、奇妙なことが起こったのです。
野犬のほうが、子どもたちを避けるように自ら離れていったんですよ。表情もなんだか、怯えているようでした。
一方で子どもたちは怯えるどころか、野犬の方を指差して笑いながら歩いていたのです。しばらくして野犬は森の中へと引っ込みました。
その野犬ですか? 今はいませんよ。私がすぐに保健所へ連絡を入れたので、数日後に捕獲されたと聞きました。
それよりも、なぜ野犬が逃げていったのだろうと不思議に思って子どもたちを見たとき、明らかな違和感があったのです。
出発の時と比べて、子どもの数が少ないように感じました。3人か4人ぐらいでしょうか。あの子はちゃんといましたが、そのことに気が付いていない様子でした。
子どもたちのうち何人かが、途中で帰宅したのではないかって? いえいえ、それはありえません。子どもたちが通ってきたルートには、どこをどう見渡しても家らしい家が無かったんですもの。
さっきの野犬の件もありましたし、遭難や怪我の可能性が頭をよぎりました。
さすがに見かねて、私が代わって帰宅部を引率しようと考えたのです。いなくなった子どもがいないか、部長であるあの子にも確認を取ろうと思いました。
だけど結局、その後は帰宅部に追いつけなかったんです。まるで何度も通ったことがあるかのように、獣道を止まることなく、迷うことなく進み続けている帰宅部に対し、私は草木にたびたび足を取られ、道に迷い、とうとう見失ってしまったのです。
疲れ果てながらも、子どもたちの通った痕跡をたどって、ようやく山を抜けて、開けた場所に出てきたと思った、その時でした。
ブオン、って、目の前スレスレをトラックが通っていったんですよ。獣道を抜けたすぐ先が、高速道路だったんです。そうです、すぐそこの、山を縦断する高速道路です。
私は腰を抜かしちゃって、その場に座り込んでしまいました。そしてその隣に、色とりどりの花束が積んであるのに気づいたのです。花束には写真が添えてありました。その写真の人物は……あの子が出発する前に話していた達川くんという子とそっくりだったんですよ。
私は気味が悪くなって、とにかく安全な場所まで行こうと考えました。路肩と森林の境目をたどって、何とか高速道路の出口にたどり着くことができたのです。
とりあえずは一安心ですが、私はそのまま帰宅するという訳には行きませんでした。帰宅部の行方がわからないままなのです。あの子たちは今どんな道を通っているのかと心配でしたが、当時はGPSもなく、手がかりも何もありませんでした。
仕方なく私は、あの子の自宅まで行ってみることにしたのです。無事に帰宅していることを信じて。
結局その心配は杞憂に終わりました。到着した時、あの子がちょうど家に入ろうとしていたのですから。
「よかった。帰ってたのね」
「あっ、先生。そんなボロボロになって……どうしたの?」
「こ、これは、ちょっと転んじゃってね……」
あの子は傷一つなく、むしろ余裕さえ感じられました。それと、他の子たちはもういなくなっていて、彼一人だったのです。
「それより、帰宅部の活動は終わったの? みんなちゃんと家に帰れた?」
「うん、みんな帰ったよ。ぼくが一番最後に帰宅するんだ。いつもね」
「そ、そうなの。……ちょっと先生気になったんだけどね。わざと危ない所とか、道に迷いそうな所を選んで帰宅してないかしら? 冒険するのはいいけど、もし途中で大怪我をしたり、事故にあっちゃったら、大変だわ。部員の子たちがもう少し安全に帰れるようなルートにしてあげたほうが、いいんじゃないかな?」
私はできるだけ柔らかい物言いで、あの子を諭そうとしました。そしたらあの子は、平然とこう言ったのです。
「心配ないよ。ぼく以外は幽霊部員だから」
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