うつ未遂、視界と死界
なにも判りませんでした。ただ突然の雷鳴と豪雨、渦を巻くような強く激しい風に打たれながら、全力で逃げている、それしか感じていなかった。そのなかをとにかく慌てて、急いで、必死に逃げる。なぜそうなったのかなんて判りません。とにかくこの場から逃げなければならない、それしか考えられず、走りました。走ったのだと思います。
豪雨と強風のなかですから当然、視界は限りなく狭くなり、元の自分より狭くなり、道を選ぶ余裕なんてない。焦点は一つになる。
一本の狭い道を全力で走ったのだと思います。端から見たら可笑しかったでしょうし、滑稽でもあったでしょう。しかしぼくにはそれしかできなかった。その理由は自分でも判らない。いまでも知らない。
世界に響き渡る雷の音と恐ろしい光、世界を叩き続ける痛い雨。それしか見えないし感じない。他の音も物も一切ない。そこで世界と僕が、ご丁寧にも一つになってもはや死界でしたね。死界を走り回っていたのでしょう。
「塩が多い海というのがあるらしいじゃないですか。死海とかいう。あれみんな浮くんですよね。でもここではみな沈むんです」
いまでも雨は怖いですよ。
(つづく)