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料理の基本を知ることはやはり大事

 我が幼馴染が、催眠術にかかっているのは疑いようがなかった。今までとうってかわって、魂が抜けてしまったような様子の渚に対して、普段の彼女ならば間違いなく反応するに違いない罵倒に近い言葉をド直球ストレートにぶち当てても機械的な返答を返すだけだったし、思いつきで突然目の前で猫騙しをしてみても反射的に目を閉じるどころか何の反応も示さず、ただ何もない部屋のすみを眺めているだけだった。


 何か馬鹿な事をしているみたいで虚しくなった。



 渚も最初はこんな気分だったのだろうか。恐らく初の犠牲者であろう、親類を前にしてあれこれ実験をしていて、自らの意思を持たない人形のような姿に落胆していたのかもしれない。


 ……いや、それは無いか。

 渚のバカのことだから、間違いなくウッキウキだっただろう。




「……ともかく、どうしようこれ……」


 虚ろな目をしていながらそれでいて、いつもよりも赤みがかった頬が眩しい渚を横目にしながら、正直困り果てていた。

 超高拡散性の催眠術を操る渚を仲介者として操る事ができる立場が何を示しているか、言葉に表す事はとても簡単だ。今の自分ならば、世界征服だって一日足らず出来るかもしれない。いや、確実に可能だ。


 思わず、催眠術の本を握る手に力が入る。



 ……頭が痛くなってきた。


 渚の強大な催眠術に対する補完としてめぐり合わせのような形でコレが授けられたのか、それともただ単に催眠術の本を手にしたものならば誰でも良かったのか、どちらかが事実なのか知りようは無いが、この本がロクでもないヤツだというのは確かだ。


 催眠術は空を自由に飛びたいとか、不老不死になりたいとかといった物理的に無理なヤツ以外、願ったモノは何でも手に入ってしまう。それが意思に則ったモノかは別として。


 そんな催眠術を意図せず手に入れた暁には全能感に支配されてしまうだろう。何となくで買った一枚の宝くじが、突如として何億もの価値を持つ紙切れになる、そんな夢見がちな人の代名詞とでもいえよう事象が……いや、それ以上の奇跡が、ある日必然だったとでもいうかのように目の前に転がり込んできたら、その誘惑を振り切るのは至難の業だ。


 究極的に言えば、望む者は皆幸福に成りたいのだろう。自ら進んで苦行の道を辿る修行僧のような人は現代にはほとんど居ないのだ。

 誰だって生まれを選べるならば富と名声のある家を選ぶだろうし、目の前に金の生る木があるならば、その実をもぎりとったり切り倒したりと、干渉せずにはいられない。


 渚だって、それに従って行動したようなモノだろう。ただ、特段邪悪な心の持ち主だったとかそういうのでは無くて、大多数の人が歩む道をただ本能に従って選んだだけなのだ。多分……。




 今、催眠術の本を持っている自分にもそれを総括した意思が伝わってくる。おおよそ、全能感といっても差し障りのないほど強い意思が。


「はあ……絶対、コレのせいだよな」


 本が語り掛けてくるような気がするのだ。己の欲望を隠すことなく開放しろと。


 確かに、それに対して流れるままに身を委ねるのは簡単な話だ。


 正直なところ、催眠術というのはとても魅力的な物だ。あれこれ渚に対して心の中で道徳を説いた気もするが、完全にその引力に逆らえるかと言われれば、きっちりノーと答えは返せないかもしれない。

 催眠術で一生遊んで暮らせる程の金品が手に入るならそうしたいし、映画によく居るその日一日だけを楽しむ刹那的な豪遊だってしてみたい。渚がしようとしてた人を誑かすのは……まあ、うん……。


 そんな抗いがたい欲望だが、願った物何もかもが簡単に手に入ってしまう生活なんて──いつかは絶対飽きてしまうだろう。少なくとも自分はそうだ。

 こればかりはどうしても己の性格が譲ってくれない。

 

 例えるならば、推理小説を逆から読めと言われているようなモノである。結末が最初から全て分かっているなんて、どれほど味気のないものなのだろうか。


 もし、こんな事を命令されたら間違いなく自分は死ぬ。

 文字通り死ぬ。

 この世のありとあらゆる全てを恨んで死ぬだろう。勘弁してくれ。



「ともかく、これはもうこの世から抹消しよう……」


 渚が催眠術に関わる事になった原因は少なからず自分にもある。落とし前をつけるべきだろう。

 町を覆いつくしている催眠術を強制的に解除し、全てを終わらせる。どうなるかは分からないが、解除したとしても催眠術にかかった時の記憶を持っている人間がいるかもしれないので、催眠術を用いて記憶も一緒に消してしまう。催眠術に関わった人間全ての記憶だ。勿論、渚もこれには含まれている。催眠術の痕跡を消すために、催眠術を用いなければならないのは癪だが、仕方のないことだろう。記憶が無い事に皆が気が付けば、集団失踪事件ならぬ集団痴呆事件が起きてしまうが、消さないよりはマシだ。

 もし、渚が行った悪業が世にしれれば謗りを免れない。犯罪の片棒を担いでいるようだが、なんだかんだ幼馴染の方が大事だ。


 全てが終わり次第、催眠術は封じる。

 元凶の本は燃やして灰にでもしてしまおう。


「すぐにでも、町に蔓延している催眠を解除しにいくか……渚、行くぞ」


 自分の催眠術が渚以外の人物に聞くかどうかは試していない以上、効果があるかは分からない。故に、確実に効くと分かっている渚を連れて行ったほうがいいだろう。一週間しかその雄姿は確認していないものの、渚がその道のエキスパートであるのは間違いない。自分と渚を媒介して町中の催眠術を解除する、というのが計画の流れである。

 勿論、媒介に使われる渚はその間は意思を催眠術で強制的に操らせてもらう。自業自得だ諦めろ。




「……」

「ほら、とりあえず『戻れ』。催眠術の使用は『禁止』だ。」


 渚を連れていくために、意思を奪う催眠術を解除する。当然、それは制限付きだ。


「……あ、しょーちゃん……」


 適当に意思を浮かべていれば、催眠術が同調した。そして、渚の目に光が戻る。

 催眠術にかけられた事実を認識しているのかどうかは知ったことでは無いが、渚が抵抗出来ないのは確かである。このまま否応がでも付き合ってもらおう。


「今、お前に催眠術をかけた。これから学校、町に居る催眠術に掛かってしまった人を解除しに来てもらう。勿論、拒否権は無い」

「……あれ、なんで……わたしは確かしょーちゃんを家に招いて、それで……?」

「いいか、これは命令だ」

「ううん? そっか……命令なら仕方ないかぁ……」


 強制的に認識していた事象を変化させる。渚が行っていたモノの見よう見まねだが、上手くいった。

 今しがた渚に使ったのは、現実改変というものに近い催眠術である。




「……それよりも、なんだかしょーちゃん、積極的だね……。もしかして、その気になってくれたの……? 私、もう我慢出来ないよぉ……」

「ん?」


 意思の催眠解除直後なので意識が混濁しないようにある程度自由意志を残すようにした。しかし、何だか様子がかける前と変わっていないような気がする……。


「お前、まさか……まだ続いてるのか……?」

「……しょーちゃんの、いけずぅ……焦らさないでぇ……」

「こいつ、一体どれだけ強い薬を使ったんだ……?」


 渚が薬を摂取してから結構な時間が経つが、普通効果が弱まっててもおかしくは無い頃。なのに、催眠をかける前と同じ様に、顔を上気させながらもじもじしている。


「嘘だろ……」

「嘘じゃないよ~……♪」


 ……とにかく、渚の体調が不十分な以上、これでは碌に催眠術の行使もままならないだろう。催眠術で意思は操れても、本調子までは操れない。


「はぁ……とりあえず、その変な薬が抜けきるまで待つか……」

「……体が、熱くて、堪らないよぉ……」

「水でも飲んどけ。希釈させられるし、何よりすぐに外に出るだろう」

「……しょーちゃんが、手伝ってくれたほうがっ、一番、早い……かも……」

「2リットル入りの水でも買ってきて全部飲ませようか?」




 結局、渚の体調が落ち着くまで一日かかった。

 














 それからというもの。

 催眠術を使って全ての催眠を解除する事に成功した。本気(強制)の渚の催眠術があまりにも強すぎて、数日で地球全土に効果をもたらす事が可能だったのは驚いた。催眠術が実際に強く影響していたのは学校及び住んでいる全域だけだったが、催眠術にかかっている者が常にその地に定住しているとは限らないので、解除漏れを無くす為にも人間が住んでいる地全域にかける必要があった。実際、両親共々まだ旅行にいってて居ないし。


 催眠術が本当に解除されたかどうかは、学校内で確かめた。


「おい、今年の夏休み九月の初めまであるらしいぞ。最高だよな~」

「バカかお前、その代わりに全体的な日数減ってるんだぞ」

「マジかよ。やっぱ最悪だわ~」


 クラスメイト達の不平の声が聞こえてくる。

 渚が行った授業の強制休講(サボタージュ)は、学校側が組み立てていたカリキュラムへ甚大な被害を与えた。その埋め合わせとして、補習を行う為に夏休み前の学期終了日が後に伸びたのだった。そのせいで、学生達の夏は大幅減少した。一応、学生達の不満を抑える為に九月の初めまで延長されたが、差し引きでみればマイナスだ。何もかんも渚が悪い。

 休講の原因は渚の催眠術のせいだが、記憶を消したことにより何やら別の理由に据え変わっていた。詳しく言うと教師と生徒が突然、全員体調不良に陥ったのが原因という事になっていた。これ、本当に催眠術解けてるんだろうかとだいぶ心配になったが、辻褄合わせとして必要な事だったとして深く考えないようにしている。


「やっと終わったんだな……」


 今、自分は言いしれないほどの歓喜の念に震えていた。催眠術による爪痕はあれど、もう催眠術が跋扈する事は無いのだから。

 全ての事が済んだ後、催眠術の本を町のゴミ捨て場にある焼却炉で存分に焼いて貰った所、なんと催眠術が使えなくなったのだ。あの本が全ての始まりで、全ての終わりだったと言うのだろう。本の灰はそのまま地深くに埋め立てられ、もはや誰も手に取る事は叶わないのだ。


 催眠術に掛かってしまった人間も、催眠術を扱う事が出来る人間ももう居ない。

 全てが終わったんだ。


 これで、いつもの日常が戻ってくる。ずっと待ち望んでいた日常が。





「しょーちゃん、一緒に帰ろ~!」


 渚が横からひょっこりと現れた。今の渚は催眠術が使えない……いや、使うことが一切無い綺麗な渚だ。彼女はいつも通りでいつもの様に、一緒に下校する為に誘ってくる。


「ああ、わかった」

「相変わらず仲が良いね、渚っち~」

「さすが幼馴染ってやつだねぇ」

「もう、からかわないでよ~!」


 渚の友人達がそんな様子を見て、囃し立ててくる。彼女達がこの関係をどのように思っているか、今なら想像に難くない。渚はそんな友人達の追及に対して、何でもないといった事を言いながら躱していた。



 渚の渾身の思い──その告白は、記憶ともども無かった事となっている。あの後、催眠術で全てを忘れさせたのだ。だから、渚は告白した事にすら気づいていないだろう。


「そんなんじゃ無いって~」

「どうだか」


 もしそうでなければ、普段のような付き合いをする事は出来ないのだから。






「邪魔しちゃったねぇ」

「またね、渚っち~」

「優ちゃんも美咲ちゃんもまた明日~!」


 渚の友人達に解放される。


 催眠術は完全に抹消されていた。もはや、催眠術に縛られている者は居ない。

 何者たりとも自由意志以外の他の存在に操られる事も無い。



 誰一人として、その思いを妨げられる者は居ないのだ。


 





「あ、しょーちゃん今日ね、家私一人だけなんだ。……えっと、あれ? どうしてだっけ?」

「……そうか、奇遇だな。実は……」

「しょーちゃんも一緒なの? 珍しいね」

「そ、そうだな……珍しいな……」


 帰路についているなか、ちぐはぐな会話が投げ掛けられた。やはり、催眠術の後始末は完全に済んでいないようで、どこかしらにおかしな矛盾が発生している。だが今は、そんな事を気にしていられる訳もない。


「う~ん。あ、そうだ! せっかくだからさ、一緒に家でご飯食べない?」

「渚と、か?」

「そうそう。ふふ~ん、実はねぇ、私結構お料理得意なんだ! 私が作ってあげようではないか」

「そ、そうか。それは凄いな……」

「むっ。もしかして信じてないね?」


 渚にしてみれば驚きの反応が無かった分、冗談に思われていると感じたのだろう。渚が料理が得意なのは存分にこの身で体験したので、もう既知の事実だ。


 しかし、それは催眠術で無くなってしまった記憶。


「私の料理スキルをお披露目してあげるよ~! ほら、入った入った!」







 


 渚に促されるまま、家へと連れ込まれた後。

 奇しくもあの時と同じ様に、渚の部屋で応対されていた。リビングルームが有る筈なのにどうしてここに案内したのかは分からない。


 が、今はそんな事はどうでもいい。

 大切なのは、これからどうするべきかという事である。



 一連の騒動を経て、自分は渚の思いを知ってしまった。

 たとえそれが催眠術という負の産物を使った結果、引き起こされてしまった事故だとしても、あくまでそれは切っ掛けに過ぎない。

 そこに至るまでの思いは、催眠術によるモノでは断じて無いのだから。



 だから。

 きっと渚は今も、同じくらいに──




 どうしたものか……。






「あっ、しょーちゃんちょっといい?」

「な、渚……?」


 そんな事を考えていれば意中の人物がぬっと後ろから現れた。

 思わずびくりとしてしまったが、どうやら気がついてはいない。


「どうした?」

「え、えっとね。ごめ~ん、しょーちゃん。料理を作るのに時間がかかっちゃうみたい~」

「そうなのか?」

「うん……。そ、そうだ。お肉を冷蔵庫から出しておく必要があってね。完全に常温になるまで時間がかかるの」

「ああそうか……色々大変だもんな」

「その間何もできないや。ごめんね」

「いや……食べさせて貰う身だからな……文句は言わないぞ」

「ありがとね~」


 果たして何を言われるのだろうかと身構えて居れば、普通の定期報告が返されただけだった。

 なんか、今すぐにでも告白されそうな感じがして気が気ではない……。




 いわゆる一般的な幼馴染。その枠に渚との関係を当てはめてみようとすると、どうやらはみ出してしまうほど親密過ぎるらしい。

 お前ら、本当にただの幼馴染なの?という、級友たちの声が容易に想起される。少し前まではそれが普通だと思っていたが、一歩引いて客観視して見ると確かにおかしい。


 



「それでね。少し時間が空いてるんだけど……」

「ん?」

「この前のテストで分からなかった所、詳しく教えて欲しくて……」

「ああ、それならお安い御用だ」

「良かった~。先生の説明でもよく分からなくてね……」


 渚に教えを請われる。

 年頃の異性の家で勉強会を開く、というのも普通の幼馴染の関係では有り得ないものだと言われている。部屋に招かれる事以外は別に何とも思っていなかったが、それでも一般的な間柄からは逸脱しているというわけだ。


 どうしてこんな簡単な事に気がつかなかったのだろう。

 当たり前過ぎて何も違和感を抱いていなかったのか、それとも……。


「分からない所を見せてみろ」



 分からない。この関係が何なのかは分からないが。

 近いうちに必ず、取り繕われていない答えを出して見せる。

 それが渚への義理というものだろう。


 目の前にいる彼女へと、そう誓った。







「それで、分からないのはここなんだけど……」


 渚が、分厚そうな見開き本を持ってくる。




 中には、幾何学的な紋様が描かれていた。

 美術の教科書でも見ない、変な絵面と共に。


















「かかったなアホが! オラッ、催眠!」

「え?」






 渚が変な事を呟いた。

お肉は常温解凍してはいけない

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