実演系幼馴染
大半が成立前の関係を描写する恋愛小説では、得てしてヒロイン達の告白は上手くいかないものである。付き合ってと言ったら買い物の付き合いかと勘違いされたり、好きと大声で言ったら友達として好きと返されたり、謎の騒音に告白そのものがかき消されたり、とそれはもう可哀想になるほど成功しない。
かといって、いわゆる鈍感系主人公だけがメジャーなのかと聞かれたら、勿論主人公の意思がそこに所在している場合もある。
あれは確か、渚が貸してくれた小説だったか。他の少女達との関係を壊したく無いが故に意図的に聞き流している──そんな奴が居たと記憶している。
どちらの系統にも言える事だが、一世一代の大舞台に出た彼女達を袖にするのは中々酷い話だろう。大抵は聞かれていなかった事に対してヒロインが怒るだけで話は終わるが、もし自分がそんな状況に遭ったのならば、決してそのような返事はしないだろうと、そんな確信めいた信条を抱いていた。
少なくとも、これまでは。
「……どう?」
大勢の前で永久を誓う人の様に大胆な想いを連ねた渚は、反応を伺ってきた。
それは効力の可否が不安というより、出方を様子見していると言ったほうが正しいか。
渚の一連の語りが、催眠術が、何を意味する物なのか。流石にそれが分からないほど鈍感では無い。直接的では無いが、愛の告白である事も分かっているし、渚の本心から出た嘘偽り無い物である事も理解している。
本来ならばはぐらかさずに明確な答えを出すのが、告白された側の誠意というやつだろう。
しかし、この場合は……。
渚が今しがた使っていた催眠術はとても強力で、絶対的なものである。この、絶対的というのが問題だ。催眠術にかかっているという建前なので、流れに身を任せて渚の告白を受け入れる事は簡単だろう。しかし、その強制力によって作られた告白は、誰の目にも意思が存在しない物言わぬ人形に対して行っている物と映るだろう。今は気づいていないかもしれないが、渚の視点から見てもそれは同じ事に違いない。
起こり得るかもしれない未来の思い出や、待ち焦がれてやっと昇華した情熱──そんなかけがえのないもの全てが、催眠術によってもたらされた作為的なものだとしたら。それはとても悲しくて空虚な話だ。
果たしてそこに愛は、あるのだろうか。
「どう?」
渚は催眠術を囁いた後、逃すまいと言わんばかりにずっと目を通わせ続けてきた。
それはもう、親愛や情愛、その他諸々の感情を目いっぱいにこめながら。
いや、愛はあったわ……。
「……あれ、反応が無いね。これもしかして手順、ちょっと間違えたかな? 固まっちゃってるけど……」
もはや疑いようが無い。渚の想いはもう純情な女の子のソレとまったく遜色なかった。手段はちょっとどころかかなりアレだが、想いを成就させる為にはどんな方法でも取りたくなるのは、まあ分からなくは無い。余りに渚の告白が衝撃的すぎて、声もあげられないほど混乱していたが。
一度でも渚の事を催眠術で世界を支配するような悪だと考えた自分は、なんて愚かしいのだろうか。
渚は催眠術を悪用せず、想いを伝える為だけにこんな遠回りをしていた……ただそれだけなのだから──。
……いや、よく考えたら授業を中止させてサボるという凶行も行っていた。
やっぱダメだ……催眠術は渚が使ってはいけないやつだ。
「これ試した事あんまりないし、残念だけど失敗しちゃったのね。加減がまだ上手くいってないのかな。やだ、すっごく恥ずかしい……」
「……」
「でもバレてないから大丈夫だよね。一応、念のため確かめておこっと」
「……」
「しょーちゃんのバーカ! 朴念仁! 分からずや! 私の気持ちにさっさと気づけ!」
「……」
「よし、大丈夫」
「……」
「でも、強制催眠は効果が無いんじゃどうしよっかな……」
全ては催眠術を使った渚が悪い。そんな風に思っているのに、どうしてこんなに胸が痛いんだろう?
……いや、分かっている。
一旦冷静になって気がついてしまった。
この状況で幼馴染の言の葉を黙って聞いてるだけの自分はもしかしたら……いや、もしかしなくても最低の人間なのでは無いだろうかと。真摯な対応を出来ない人物を唾棄すべき奴だと考えていたが、これではそんな奴と大差ない、と心が、本心が叫んでいるのだ。
「……あっ! ふふ、良いこと思いついちゃった♪ とりあえず次の強制の催眠を開発してと……」
誰か、誰でもいい。早く、この幼馴染の想いを踏みにじっている大馬鹿者を断罪してくれ……!
……そういえば、皆催眠にかかっているんだった。
◇
渾身の告白を無視という最低の形で終わらせられたのにも関わらず、渚の切り替えは早かった。
強制の効力が強い催眠は効果が期待出来なかったということで、ひとまず本人の意思がまばらに存在する普段の催眠を受けている……という事になっている。
「もっと近寄らないと雨に降られちゃうよ~」
「ああ、そうだな……」
終日雨降りである。その後空き教室からすぐ解放されると、帰宅する流れへとなったのだが、傘を持っていないので、渚と相合傘でお供する事になった。渚が語った物語と同じ進み具合である。あの内容の語りは一応失敗していて、聞いてないという建前になっているので、誘われ方も同じだった。
「ほら……もっと近づいて?」
「そ、そうだな……」
身長の関係から自分が傘を持つ形となっているので、雨に濡れる可能性があるのは渚の方だ。とはいえ、傘が一つしかないとパーソナルスペースを考慮しなければならなく、合わせるのは難しい。
「もう、そっちから近づかないなら……えいっ!」
「お、おい」
渚は身をこちらに寄せ、自由になっている片手を己の胸へと抱いた。腕組みというやつだった。
「こうしないと、濡れちゃうでしょ?」
「まあ、そうだが……腕を組む必要はあったのか……?」
「もしかして、恥ずかしい?」
「……ああ。こういう事は、その、経験が無くてな……」
「……! 大丈夫だよ。幼馴染なら当然だから♪」
一緒に帰ったりというくらいならおかしくないが、いくら幼馴染でもそれは違うだろ……という声は心の中へ仕舞われる。しかし、これも催眠術の一環とも言うべきなのか、渚はそれを隠そうともしない。
なかなかの雨なので町往く人が少ないのだが、この格好は結構目立つ。店じまいの準備をしている商店の人とかに微笑ましいものを見るような目を向けられていた。
「……そう、幼馴染なら当然だよね♪」
「……」
一体、渚の中では幼馴染の定義はどんな物になっているのだろうか。もはや幼馴染を越えて恋人と言ってもおかしくない程になっている。それも結構進んでいる方の。
「ふふ……私の歩幅に合わせてくれて、しょーちゃんありがとうね」
「……いつものことだろ。気にしてないって」
「傘差しながらだと大変だったでしょ。少し疲れてない?」
しばらく帰路を辿ると渚がこちらを案じてきた。立地の問題があって、学校から家まではギリギリ自転車通学が許されるほどそこそこ距離が開いている。慣れない相合傘で色々と疲れたのかと心配したのだろう。それについては大丈夫だ。別に疲れてはいない。
「大丈夫だよ」
「本当?」
「大丈夫だって」
「本当にぃ?」
まるで悪人を問い詰めるがごとく、やたらと疲労状態かどうか追及する我が幼馴染。その目はどういうわけか強い意志を持っていた。
「大丈夫」
「いやいや、私には疲れているように見えるねッ!」
「そんな事は……」
「よし、ちょっと休んでいこう! そのほうがしょーちゃんも良いよね!」
「お、おい……。いいけど、だいたい休むってどこで休むんだよ……」
「あっ、あんな所に私たちが出会った思い出の公園が!」
知ってた。
まさに説明口調というものを体現したような渚が、普段は通らない通学路から離れた場所にある寂れた公園を指差す。渚が言っていた思い出の公園というのは、勿論ここの事だ。
当然、天気が悪いので普段遊んでいる子供たちも見られない。
「丁度いいね! あそこで休んでいこう!」
「ま、まあそれで気が済むなら……」
「よし、決まりっ!」
なかば無理やり……というほどでも無いが、鬼気迫る表情をした渚の凄みに負け、彼女の言う思い出の公園へと連れていかれるのだった。
◇
「ここも変わっちゃったね。昔はこんなの無かったはずなのに」
「ああ、本当だな」
公園の片隅にぽつりとあるトタン屋根の下で渚と共に雨宿りをする事になった。ここは確か、植物の蔦が張り巡って出来たパーゴラの東屋が有った覚えがあるが、どうやら最近改修されてしまったようだった。雨を凌ぐという目的で使うならば草木の屋根は力不足なので、ここではそれに感謝すべきなのだろうが、移り行きにもの悲しさを感じてどうにもむずがゆい。
「あっ……でも、あの砂場は変わらず残ってるね」
渚が前方から横に外れた場所に位置する木の淵で囲まれた砂場を指した。雨に打たれてぐずぐずの泥場になってしまっているが、懐かしい場所だ。渚が言う思い出の場所であり……初めて出会った場所でもある。
そう、あれは幼稚園の頃だったか。渚はその頃、両親の都合で転入してきた園児だった。二年制の年少の園児として入ってきた渚は、どうも新天地に上手く馴染めなかったようでいつも外れて過ごしていた。その時は確か、ヘンな奴だなとしか思っていなかった記憶がある。もしくはどうでも良かったか。
本格的に渚と関わり始めたのは少し後になる。それは園児たちの親、いわゆるママ友が園児の交流機会を設ける為に公園で遊ぶイベントを作った時だった。一応任意だが、ある程度の強制力は持っていたのだろう。渚もそれに繰り出されていた。
しかし、渚は転入したばかりで知り合いもおらず一人明け暮れていた。すでに園児たちの輪が出来ていてみな無関心だったのだろう。その様子をからかうといった園児も存在せず、ただぽつんと砂場に居たのを覚えている。その時、自分はかくれんぼをしていたのだったか。鬼をやっていて最後の一人がなかなか見つからない状況だった。そんな中、辺りを見渡していたら一人ぼっちでいた渚が目に入ったのだ。
『お前、何作ってんの』
『……えっ、えっと……』
『もしかしてお城か?』
『う、うん……』
『クッソ下手だな』
『は、はぁ!?』
『作り直してやるよ』
かわいそうとかじゃなくてなんとなく、そんな感じで声をかけた気がする。その後、渚と共に日が暮れるまで砂場でお城を作り続けた。あまり褒められた出来では無かったが、誰の妨害も入らず納得したものが作れたのだった。ちなみに、かくれんぼは最後の一人をずっと放置し続けたせいで泣かれた。正直、これは本当に申し訳なかったと思う。
それからというもの、渚とはほぼ毎日といってもいい頻度でつるむようになった。聞くところによると、誰も知り合いのいない所に来てずっと不安だったとか。前はどうやら快活な子だったようで、徐々に持ち前の明るさを取り戻した渚は社交的な子へと変化していった。
「あの砂場が無ければ、しょーちゃんとも出会わなかったと思うと感慨深いね」
「ああ。懐かしいな、本当に」
それは恐らくきっかけに過ぎないのだろう。にも関わらず、渚とはずっと今に至るまで幼馴染の関係を続けてきた。そんな腐れ縁とでも言おう幼馴染の思いの丈を意図せず、聞いてしまった。
意識していなかったといえば噓になる。
しかし、どこか遠くの物を眺めるような感じだった。
幼馴染の気持ちへ向き合わなければならない時が来たのかもしれない。
「それよりもさ、ちょっと濡れちゃったかも。制服透けてないかな? ……どう?」
「えっ」
「どう? どうかな?」
「……湿気はだいぶ吸ってるだろうけど、透けてないから大丈夫だ」
「そっそんな……せっかく気合入れてきたのに……」
そんな逡巡を振り切り決意したなか、渚は何を血迷ったのか、さも見てくださいと言わんばかりの姿勢でくねくねしてきた。
なんてことだ。雰囲気ブチ壊しである。
前言撤回、やっぱり先に渚の催眠術をどうにかしなければならない。
渚は馬鹿だ。底知れないバカだ。
コレを放っておいたら催眠術で世界が先にバカになってしまう。
どうにかして渚の催眠術を無力化しなければ。
そう、心に誓った。