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いわゆるASMR

 学校とは謂わば社会の縮図である。


 特に高校ではそれが顕著だ。

 歯車に成った暁には辛酸をなめる事もあるだろうが、皆それを潤滑油として他のパーツに見合う歯を磨いていくのだ。


 しかし一度歯が欠け、使い物にならなくなった歯車に対する待遇は、それはもう情け容赦の無いものである。








 幼馴染の催眠術が本物であると否応なく気が付かされた時から、数日間。

 ある程度状況を整理してから、本能で理解してしまった。





 なんと自分だけが、渚の催眠術の影響を受けていない。

 全くもって意味が、分からない。











 渚の支配下に置かれたかつての友人達との会話に必死に合わせようと頑張ろうモノなら、壮絶極まりない注意力を必要とされるだろう。

 それをよくこの身で味わわせられた。


「お~い立花(たちばな)、放課後ボーリングいかね?」

「……! ごめん、バイトがあるから無理みたいだ」

「おいおい、今日は特別に四限で終わりだろ。午後すぐからバイトってなんだよ~。断るならもっとマシな嘘つけよな~」

「……あ、あぁ……ごめん」


 催眠術のせいで会話に矛盾がすぐに発生してしまうのだ。時系列に関する話の把握が余りにも辛い。警察の事情聴取などで、嘘を見破る為に過去の行動を遡って言わせるといった方法が有るが、心境はまさにその方法で追い詰められている犯人そのものだ。


 催眠で操られた人間は矛盾に対して、ただそれが正しい物だと信じて疑わない。たとえそれが、常軌を逸したものであったとしても、運命力によって強制的にレールへと軌道修正される。明け透けに異常を指摘しようものならこちらが異常者扱いされる事は間違いないだろう。

 至る所で発生するちぐはぐな会話。しかし、それでいて皆がある程度支配前の日常の流れを受け継いでいるのだから質が悪い。


 幼馴染の悪行により、もはや超能力の存在は疑いのようの無い程に白日の下へと晒されてしまっている。





 こういう能力には必ずやメタゲーム的な意思決定が有ると信じ、催眠術へと対抗できる存在が居るかもしれないと思っていた時も少なからずあった。しかしその期待を裏切るかの様に渚の催眠術の能力は、強度、拡散性共に計り知れないものだった。


 渚はおそらくまだ気がついていないだろうが、彼女の催眠術は五感通して伝わるどころか次元をも超越してしまう。

 効力から察するに、催眠を行使する時渚はわざわざ内容をご丁寧に声へと連ねているが、本来ならばその必要も無い筈だろう。




 それが大いに分かる例として、我が校にある非公式のSNSが挙げられる。


 在校生だけでは無く卒業生も利用しているようだが、どうにもフォロワーが少ないこの広報役は、数ヶ月に一回、校内行事に関連する投稿や返信があれば御の字といったほどの活動力を誇っている。毒にも薬にも成らない内容をただ垂れ流しているだけの存在だった。


 しかし、事件後に一度覗いてみればどうだろう。なんと卒業生達が皆集結して、現授業の根本的な改革を謳っているではないか。その活発さたるや、どこかの有名人のアカウントかと見紛うほどである。


 これはおかしい。


 視覚を通して催眠が伝わっているだけと仮定しても、明らかに広まり方がおかしい。誰もが催眠術に苛まれたことに気が付いてない。おかしすぎる。

 渚の催眠術はもはや電波の(たぐい)になるのではないだろうか。頭にアルミホイルを巻いていても防ぐ事は出来なさそうだ。



 いやはや、何とも恐ろしい。このままでは渚は催眠術で日本全域を……いや、世界を支配するまでの力を得てしまうだろう。

 己の意のままに全てが結果として添えられる、そんな否定の意が存在しない完全社会へと。


 そんな皆が統一された世界でただ一人だけ、噛み合わない行動をすればどうなってしまうか……想像に難くない。


「あ、そっか忘れてたわ。椎名さんと帰るんだろう?」

「……! い、いやそれは……」

「すまん、邪魔したな」


 そして、目下に存在する最も恐ろしい最大の問題。

 それは全ての元凶である幼馴染様である。




 渚が催眠で学校全域を支配してから月火水木と、四日間が経過した。

 しかし、その間に一度たりとも渚と直接接触した事は無い。お互い部活には参加していないのでこれといった用事が無い普段ならば、だいたいいつも二人で登下校しているのだが、渚はこの所何も言わずに一人で直帰してしまうのだ。にも関わらず、クラスメイト達の会話では普段どおり二人で一緒に帰っている事に成っている。現実改変というヤツを催眠で起こしているらしい。



 何を考えているのか分からないが、しかし生殺与奪を握られかねない以上、不興を買わないようにしなければならない。

 渚が直接的な危害を加えたり、謀殺してきたりするとは考えにくいが、今の彼女の行動原理を知る事が出来ない以上、どうなるかは全く分からない。癇癪の一つでも起こさせてしまったら、たとえそれが幼馴染といえでも無事ではすまないだろう。意図して望んでいる事か知らずとも、催眠術によって突き動かされた人間が危害を加えて来ないとも限らないのだ。


 わりと……いや、結構本気で怖い。




「おう、そういえば雨降ってるけど傘持ってきたのか?」

「……いや、持ってきてないな。天気予報見てなかった」

「そうか、そりゃ良かった。まあ、持ってきてたとしても置いといたほうが良いけどな」

「……どういうことだ?」

「知らん、自分で考えろよ」


 いつも通りの噛み合わない会話。頑張って平常へと流そうとするが、上手くは行かず失敗する。

 だがどういう事か、食い違いを不審がられた訳ではなかった。









 そして、膠着状態のまま日が過ぎていく。









「またな」

「ああ……」


 週末の金曜日、一言で表すなら解放である。おかしくなってしまったクラスメイト達とも、挨拶は忘れない。それが、いつもの習慣だ。いつもの週間になってしまったようなモノだからだ。



 普通。やはり、普通が一番いい事だ。

 毎朝、毎晩、時計の歯車のようにいつも同じ刻を刻み続けて生きるのが一番なのだ。



「……」



 時たま、メンテナンスが必要な時もあるだろう。それが休日の役割だ。

 歯車は必要だ。しかし、時にはそれは枷でしか無い。

 折りたたまれた羽を伸ばし、自由へと羽ばたく事も必要となる。


 さあ、さて。

 帰る準備をしましょうか。






「じー……」





 しかし、時は残酷な運命を刻みはじめていた。



 強烈な視線を感じる。場所は、背中から。

 見なくても分かる。第六感で分かる。


 幼馴染が、渚がこっちを睨んでいる。


 何故だ。

 もしかして、催眠にかかっていないのがバレたのか?



 嘘だろう、馬鹿な。

 余りにも早すぎる。

 フリはそこそこ上手く行っていた筈なのに。



立花(たちばな) 翔也(しょうや)くん。三階の端にある空き部屋に一緒に来てください」



 あせあせとしていれば、渚に名前を呼ばれた。

 市販のノートを丸め、まるでメガホンのようにしながら喋っている。



 さいですか。







 気分はまるで、物語の佳境で探偵に罪を暴かれ弾劾されている犯人のようだった。

 無言のまま歩く渚に手を取られて、彼女がいう謎の場所へと連れていかれている。


 フルネームで呼ばれるのは久しいなあとか、冷え性だなあとか、そもそもなんで敬語なんだとか色々思っていたが……何よりも、有無を言わせない圧力にビビっていた。


 渚の雰囲気といつもと全く違うのである。ぽわぽわとしていて、何も考えていないように見えて本当に何も考えて無くて、好物のドーナツを食べている時にこれ以上無いというほどの幸せを感じているような表情をしていると思ったら、お腹に肉がついて減量中だった事を思い出して途端に絶望し始めて──彼女はそんな馬鹿で可愛い幼馴染だった筈だ。


 しかし、今の渚は違う。

 全ての生物の頂点に佇む者が如く、圧倒的なオーラを発している。こわい。




 彼女はもしかしたら、本気で全てを催眠術で支配するつもりなのかもしれない。創作で良くある割りとガチな方の征服を望んでいるのならば、その道を阻む異端の排除が必要だろう。


 だとしたら。

 自分は、排除される。




 全身が震えていた。産まれたての子鹿の比では無いほど震えていた。

 なんて、ことだ。本当に謀殺されてしまう。



「ついたね……」


 渚に連れられて入ったのは、おそらく授業等で使う教材が入ってるであろう、ダンボールがまばらに置かれているだけの空き部屋だった。そこに連れ込んだ渚は、扉の外を用心するかのように一度確認した後、催眠術で入手したであろう内鍵をかけた。

 何という周到さだろう。おそらく、抜かりは無い。


 抵抗は、するだけ無駄だろう。いくら催眠術が効かないとはいえ、対策をしていない筈が無い。銃刀法が厳格に制定されていて比較的平和な自国でさえも、催眠術師の手にかかればミステリーの犯人大歓喜であろう凶器のバーゲンセールのはじまりだ。


 もはやここまで、か。



「よいしょっと」


 渚は昼間にも関わらず、暗く彩られた灰色の光が差し込む窓を背にし手荷物である鞄を置いた後、こちらに向き直った。

 邪悪な笑みをしていて、それを隠そうともしない。


 ああ、一体これから自分はどんなひどい事をされるのだろうか。ピアノ線がぴょこぴょこ動き出したり、唐突に部屋が斜め45度分傾いたりするかもしれない。そんな風に脳裏にはこれから起こるであろう事象の変な推測がどんどん列挙されていく。


 ゆ、ゆるして。

 許して、くれませんか……?





「ふふ……ついに、この時がっ……来たんだね……!」


 渚がいつの間にか、右手に分厚い本を持っていた。持ちながら、笑っていた。


 それが何なのか一目見て理解できる。




 催眠術のやり方を幼馴染に説いた諸悪の元凶。催眠術の本である。


 これか。

 これの所為か。

 やはりこれで渚は催眠術を覚えたんだな?




 くっ……。あの日、あの時、あのタイミングで渚がそれを見つけていなければ、こんな事にはならなかったはずなのに……!




「ふふん、じゃあ行くよ~」


 どこか間延びした声をあげれば、渚の周りを暗黒のオーラが纏い始める。

 発動するのはおそらく催眠術だろう。






『それは、金曜日の昼下がりのことです。あなたは家へ帰宅する為に学校を出る準備をしていました。しかし、大切な事を忘れていたのです』


 渚はまるで、ここに居ない()()に話聞かせるかのように語りだした。にも関わらず、彼女のぱっちりとした目はこちらを確実に捉えている。



 これが何なのか、自分は知っていた。

 この四日間の間に、渚が一回だけこれを使った事があるからだ。



『あなたは傘を持ってきていませんでした。外は生憎の大雨。傘なしで飛び出そうものならきっと風邪を引いてしまうでしょう』



 強化型催眠術。


 それは物語の語り手とでも言うのだろうか。渚が三人称の語りをする事によって、彼女の扱う催眠術はより強制的な物となる。


 確か、最初に使われたのは火曜日だったか。まだ催眠術の扱いになれていなかったのか、時系列の整合性が取れないことに焦っていた彼女が死にもの狂いで編み出した技だった。本来の普通の催眠術であれば、ある程度かけられた人物の人となりが残ったままとなるらしいが、この語りによる催眠術は違っていた。


 かけられた者は皆、ただ命令に従うだけの意思を持たない操り人形のようになってしまったのである。

 そして、物語に書かれた筋書きをそのまま辿るかのように時間が過ぎていった。あてもない予言なのにも関わらず、ただ言われた通りに。


 しかし、一応これもどういう訳か自分には効かなかった覚えがある。



『しかし救世主がそこには居ました。なんと、あなたの幼馴染が傘を差してあげると言っているじゃありませんか。あなたは藁にも縋る思いで、彼女の提案に乗る事にしたのです』



 その事実は彼女も知っているハズ。

 なのに、どうして。



『あなたは幼馴染の提案に乗り、幼馴染と相合い傘をしようとしましたが、彼女の傘はちょっと小さめでした。きっと二人では、詰めて入らないと濡れてしまうことでしょう』



 渚は室内にいるにも関わらず、まるで実際に役者が動いているかのように振る舞いはじめた。

 催眠術にかかっていないが、どんな場面かが頭の中で想起される。



『あなたと幼馴染は雨に濡れないようにぎゅっと近付きました。ぎゅっと……』

『すると、二人の距離が縮まりました。幼馴染の吐息が、あなたのうなじをくすぐるほどに』

『途端に、あなたはっ……幼馴染の事が、気になりはじめました』

『女の子のいい匂いが、あなたを気遣う面持ちが、押し付けられる柔らかい身体が、そしてちょっと雨で濡れて透けた制服が……全てがあなたを意識させます』



 渚はそのまま捲し立てるように話を続ける。

 それはまるで、これから未来で起こり得る実体験のように。



『それから、あなたと幼馴染は帰路の途中で歩みを止めました』

『そこにはちっちゃな公園がありました。この公園はあなたと幼馴染が、小さい頃によ~く一緒に遊んだ公園でした。ここには当然、雨をしのげる場所があります』

『だけれどもあなたと幼馴染は相合い傘中。本来ならば、公園に留まる必要はありません。しかし、その時だけは、ずっと居てもいいとあなたは思っていたのでした』

『あなたと幼馴染は向かい合い、思い出話に花を咲かせます。幼稚園の頃、小学生の頃、中学生の頃、そして今』


『あなたの隣にはいつも幼馴染が居ました』


『しかし、これから先は分かりません。お互いが別の道を歩む……そんな可能性が未来にはあるからです……』

『あなたは心の中で燻る物がある事を知りました。そしてそれが何か、やっと理解したのです。ふふっ……』



 渚が近づき、背伸びをする。



『あなたは目の前にいる女の子の事が好きで、好きで……堪らなくなってしまいました。今まで出会ったどの女の子よりも可愛く……そして魅力的に見えてしまうのです……。絶対に手放したくないと思ってしまえるほど、彼女の事が愛おしくなってしまって……。好き……大好き……』



 ちょうど彼女の唇が耳元へと届いた。







「……これで、私のもの」

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