シグナークという冒険者
宿屋に来ると部屋を二日ほど借りることにして二階の部屋へ向かう。荷袋を手に部屋に入ると、それをテーブルの上に置いて──硬貨と、買って来た道具や旅用の保存食などに分け、荷袋と冒険用の旅鞄にそれらを分けて入れる。
硬貨の多くは金貨と銀貨に替えて嵩張るのを抑えた。彼自身は冒険と旅に出てばかりなので、旅費と装備品をそろえることなどにしか金を使わないのだ。彼が拠点としている──実家、と言った方が早いのだが──その場所には、ほとんど帰っていないのが現状だ。
シグナークは実家が嫌いだとか、家族に疎まれているとか言うわけでもなく。ただ単に、安全で平穏な街中の暮らしが苦手な性分なのだ。それは彼には、退屈で退屈で仕方のない世界にすぎなかった。
もちろん実家近くにも冒険のできる場所やギルドも存在していたが、彼の住んでいたその場所は、領主が計画する「亜人や魔物のいない地域」を目指す取り組みのために、厳重な兵士による警戒。各場所に物見櫓のある砦の建築などに多くの資金が注ぎ込まれ、亜人が領地に侵入しようものなら速攻で排除されるほどの、安全が確保された場所として知られ。物流の拠点や文化の流入先として発展しており──観光地や、冒険者の保養施設のような場所まで作られているのだ。
シグナークはいわば、その平穏な世界から逃げ出して来たのである。
彼自身も冒険者としてその領地の防衛にあたり、森や洞窟に潜む亜人や魔獣と戦って、領地の安全を確保していた人間の一人だったのだが。彼はその土地を出て、平穏な世界を捨てて──危険と、冒険に心踊る世界に旅だったのである。
しかし彼は、その旅先で出会った冒険者パーティと行動を共にする機会があり、そこから彼の人生は再び、大きな転換期を迎えることとなった。
彼は冒険を愛する旅人ではなく、強さを追い求める冒険者、あるいは戦士へと生まれ変わることとなったのである。
その転換期を与えてくれた人物こそが、彼に戦士ギルドを介して、貴重な──魔法のかかった剣を与えてくれた人なのだ。彼にとって恩義のある人であり、彼の目指す目標であると言える。
実のところ、その人物と冒険をしたいとか、仲間に加えて欲しいだとか考えているのではなく。彼らのパーティが目指している事柄に対処できる人間になりたいと、志すことに決めたのだ。
──それは夢物語だとか非現実だとか言われかねない事柄なので、彼はその目標については一切誰にも語ったことはない。ゆえにここでも具体的なことについて触れるつもりはない。ただその理由ゆえに彼は、力を求めているということだけは確かなのである。
* * * * *
彼はその日もいつもどおり夕食を済ませ、簡単な身支度を済ませると早々に眠りにつき、翌朝早朝に目を覚ますのであった。
窓の外は薄暗く、遠くの空が白みはじめているころに彼の一日がはじまる。筋肉をほぐす柔軟から──剣を手に馴染ませる一連の動作をおこない、宿屋近くに空地があればそこで剣を振り回して、あらゆる動作の確認をする。
彼は魔法を使えないため、数多くの戦技を身につけることで、その不利を補おうとしていた。彼は長剣のほかにも大剣や、槍や、斧槍、打撃武器に至るまで、各種接近戦闘用の戦技を多く身につけ、中でも剣を扱う戦技は多くの技を学んでいた。
彼はおもに一人で行動することが多いため、あらゆる局面を一人で打破するだけの実力が求められているのである。彼は未だ鋼階級の冒険者であるが、彼をよく知る者からすれば、彼はすでに銀階級であってもおかしくはない実力を身につけている、と言うだろう。
彼自身にも、その自覚はあったが──あえて急ぐことはしなかった。一つ一つの階級の仕事をじっくりとこなして、確実に自分の実力のみで階級を上がろうと考えているのだ。勇み足をするつもりはない反面、自ら危険な場所へ赴き、それを乗り越える実力を持つことは、彼にとって必定のことであった。
彼は慎重に事を進めるほうを選択するよう注意しているだけであり、本当は早めに階級を上げて銀階級になり、さまざまな依頼を受けれる立場になりたいと望んでもいるのだ。そうしないのは、彼個人の力をより深めるためであり、危険を知ることと、それを越えうる地力を身につけるためにあえて着実に、戦績を積み上げようとしているのである。
ー 第一章「二人の冒険者」 完 ー
読んで頂けると嬉しいです。
主人公の目標としている人物は、別に勇者とかそういう類いの人ではありません。
あしからず。(間接的には……どうでしょう)