英雄になるということは
シグナークは目が覚めた。
寝台から上体を起こすと、身体の不調はないか確認し、簡単な柔軟体操をしてから立ち上がる。
ガラス窓から淡い日の光が差し、遠くまで見わたせる風景にまた驚きをもって、その街並みを見つめていた。
身体の違和感はないが、新たな感覚が彼の中に生まれているのを感じている。──それはたぶん魔力回路の存在なのだ。魔法を使うのに必要な新たな霊的な体。それが彼の魂に奇妙な高揚感や、存在の変化を感じさせているのだ。
「魔法を習得してみるか」
彼はそうつぶやきながら、顔を洗いに部屋を出て行く。
朝食を食べに食堂へ行き、席について目を閉じて考えごとをしていると、レスティアたち姉妹もやって来て彼の前の椅子に座った。
「何を考えていたのですか?」
少女はシグナークの顔を見て、その赤く変化した瞳をじっと見つめた。
「いや、魔法を習得できるようになったのだから、魔法を覚えにいこうかと考えてな」
彼がそう言うと、レイラは「あら」と声を上げる。
「それなら荒れ地──魔女の領域に行きませんか? 魔術師ギルドで魔法を覚えるとなると、けっこうなお金がかかるでしょう? 私たちのところなら、無料で魔法の習得をおこなえますよ」
「けれど姉さん、あの魔法陣は剣の魔女の──あっ」
「そうよ。いまのシグナークさんは魔女王の力によって魔法の体──魔力回路を作られた存在。なら私たちと同じように、あの魔法陣を利用できるはず」
二人が話を進めていくのを前に、シグナークは運ばれてきた食事に手をつけた。
皿の上に美しく調えられた料理の数々を味わいながら、魔女の領域で魔法を習得する方法について話を聞き、彼は決断する。
「そうだな。では魔女の領域に向かうことにしようか。それに──魔女の長ヴェルカーリムにもことの報告をしておいたほうがいいだろ?」
「そうですね」と言いながらパンのおかわりをするレスティア。
三人は豪勢な朝食を堪能し部屋に戻ると、武器や荷物を持って高級宿を出ることにした。
「少しなごり惜しいですね」
などと口にするレスティアだったが、三人はまずは戦士ギルドに行って、帝都を離れることを受付に報告しようということになる。
その道の先──戦士ギルドの前で、シグナークにとってよく知る人物たちと出会った。
その男は三十代くらいの男に見えた。水色の印象的な瞳をしており、金色に近い薄茶色の髪。少し日焼けして赤みを帯びた肌をした──長身の、鍛えられた身体を持つ男だった。
「ツァークさん」
「やあ、ひさしぶり」
シグナークが呼びかけた男の後ろには見知らぬ冒険者が数名立ち、その中には二人の剣の魔女にも見覚えのある男がいた。──それはドーファ・グライツロットだった。
「よぉ」とシグナークとレスティアに声をかけ、ドーファは次にレイラを見た。
「おぉ、おぉ。あんたは以前参加した一団にいた女戦士。──やはり二人は血縁関係にあったのかぁ」
そう言ってレスティアとレイラの二人を交互に見くらべる。
ドーファとレイラは、シグナークたちがグラナシャウド大迷宮に来る前に、迷宮の探索を一緒におこなっていたのだ。
レイラはぺこりと頭を下げ、不思議な再会に小首をかしげている。
ギルドの前で二組の冒険者たちが話し合っていたが、ひとまずギルドの中に入ることになった。
「少し二人にしてくれるかい?」
ツァークと呼ばれた男に促され、二人の魔女はドーファたちと共に受付に声をかけたのち、裏手にある訓練場へと姿を消した。
ぞろぞろと離れて行く少女たちを見送ると、ツァークは受付の横にある待合室へ行こうと言って歩き出す。
二人はかなり久しぶりに顔を合わせたというのに、あまり感激した様子もなく自然とテーブル席に腰かけた。
「聞いてはいたが、ずいぶんと印象が変わったな」
「そうでしょうね」
ツァークが自身の変容について知っていてもシグナークは驚かなかった。ツァークには謎の情報網があるのは理解していた。
二人はにこやかに言葉を交わし、話はすぐに魔女王との戦いについての話になった。
「大変だったらしいな。私たちもゼルセイスの町で亜人種の襲撃から町を守る戦いに参加していたが、シグナークは魔人アイラスや魔女王ルディアステートと戦うことになっていたとは」
「望んでしたことです」
そうかとツァークは言って、複雑な笑みを浮かべた。危うく失いかけた仲間の姿にとりあえずほっとし、その変わってしまった見た目に──不安と安堵の混じり合う、不思議な表情をして見せた。
「ともかくおまえが死なずにすんでよかったよ」
こんなところで死んでは英雄にはなれないからな。彼がそんなことを口にして、シグナークはきょとんとしてしまう。
「英雄……ですか。俺は別に英雄になりたいなんて思ったことはありませんが」
「そうだろうな」
またしてもツァークは意味ありげな笑みを浮かべ、ふぅ──っと長いため息を吐いた。
「英雄というのは、英雄になろうとしてなるものじゃない、と私は思う。──私の知りえた英雄の本当の姿とは、多くの仲間の屍を背にして戦い、それでもなお生き残った者のことだ」
彼は水色の瞳を細め、遠くを見るような目で受付のほうを見つめる。
「さらにそうした苦難を乗り越え、危険な戦いの中に身を投じる覚悟を決め、おのれの弱さに立ち向かいつづける者。それこそ英雄になる資質を持った者だと──私は知っている」
彼の言葉は抽象的だったが、何か具体的なものを想像しながらしゃべっているのだとシグナークは感じた。
「『戦士ならば死を後にして勝利せよ』──こう兵士たちに呼びかけたバルティオン国の将軍は、自らの命よりも後裔にとっての勝利を獲得することが、何よりも戦士の生き様だと説いたわけだが、冒険者には彼の言葉はあまりにも重く、軍に属さない戦士にとってはその勝利の意義が──」
そこまで言ってツァークは苦笑いする。
「あ──すまない。わからなかったかな」
「いえ──なんとなく、わかります。俺も今回の戦いで、自分の中にある覚悟や、迷いというものを知った気がするんです。……英雄になる資格があるかはわかりませんが、強くなりたいと──以前よりも強く想いはじめているんです」
そう言ったシグナークに、ツァークは重々しく頷く。
「おまえはいつか英雄と呼ばれるにふさわしい男になる、と私は思っているよ。まあそれは私の一方的な『期待』だから──気にしなくていい」
そう言われた彼は「ははは……」と照れたように頭をかく。
「英雄になれるかはさておいて、この剣にふさわしい戦士になれるようがんばります」
シグナークは皇帝から下賜された剣──つまり、ツァークたちが発見した魔法のかかった剣の鞘を叩く。
魔女王の「呪い」のせいで魔法も使えるようになったようですし、そんなふうに笑いながら言う未来の英雄に、ツァークは苦笑いでこたえる。
「そうか魔女王の──。そうした悪運の強さも、おまえが一風変わった英雄になる兆しかもしれないな」
その魔法の剣がおまえの力になれるといいな。
そう口にしながら彼は立ち上がる。
「そろそろ訓練場に行こうか。ドーファの奴がおまえの連れに打ちのめされる前にな」
「ドーファさんはそんなやわじゃありませんよ」
そう軽口を叩いたシグナークに笑いかけ、「違いない」と微笑んだツァーク。
二人は拳を合わせ、あらためて互いの壮健ぶりをよろこび合った。
次話で最後です。
ツァークの言葉にある「バルティオン国の将軍」とはかなり昔の将軍。
今回の話で「英雄」というものが「なりたくてなる」ものじゃない、ということが示せたでしょうか。




