人の歴史と賢帝
扉を叩く音がしてすぐにシセリオンが部屋に入って来た。
「お待たせしました。調査費用をもらって来ましたよ」
彼──彼女はそう言いながら二つ分の皮袋をテーブルの上に置く。
「あらあらぁ~シセリオン様にこんなことをさせて申し訳ありません~」
「いいえ。私たちにとっても魔女アイラスは因縁のある宿敵ですから。それがまだ生きているなどとは考えていない人も居ますが……あっと、そのことでイズアルベラさんの耳に入れておきたいことがあって訪ねて来たのです」
彼女はそう言って、ある村で起きた行方不明事件について話した。──なんでも村人四名が森の中に出かけたまま帰って来なかったらしい。
危険な亜人種の出現もほとんどない地域での出来事らしく、シセリオンはその情報をくわしく知ろうと戦士ギルドに依頼し、情報を帝都にあるギルドに回してくれるよう頼んだという。
「帝国内の戦士ギルドでは失踪者の捜索などを積極的におこなっているので情報は集まりやすいはずですが、森の中に危険な何かがひそんでいると思われるので、念入りに調査をおこなうよう依頼を出しておきました」
どのあたりの村で起きたのかとシグナークが尋ねると、彼女は広げられた地図を指差し、帝国領内の北西に当たる場所を示した。そこからさらに北へいくつもの国境を越えた先に、イズアルベラが異質な魔力を感じたという場所がある。
帝国領土から遠く離れた場所にアイラスと関わりのあるものがあるとは考えにくい。そうレスティアはつぶやいたが、宮廷魔導師補佐は別の視点からその結論を否定した。
「そうとも言えないわよぉ。アイラスも元はと言えばルディアステートが各地から呼び集めた魔女の一人だったはず。アイラスが遠くにある場所から、魔女王の召集に応じた魔女の一人であった可能性もあるわぁ」
なるほどとシグナークも頷く。
大昔の魔女の一人が何を考えて行動するかなど彼には理解も想像もできないが──とりあえず、目的地に向かって調査をおこなうことを請け負うのだった。
「それではさっそく北へ向けて移動をはじめましょうか」
「そうだな、ブラスゴートからヴィンツァーバルド経由でガレンツァールに入る経路がいいだろう。その途中で四人の行方不明者が出たという村に立ち寄ってもいい」
二人は早くも旅の予定を立てると、すぐに帝都を離れるつもりでいるようだ。
「ああ、行方不明になった村人が居るという森は、戦士ギルドの調査班に任せて平気だと思いますよ。玄人の探索者に捜索を任せるとギルドのほうから返事をもらっています」
とはいえ古き魔女アイラスを探すための調査だとは知らずにその探索者たちは、危険かもしれない森を調査するのである。戦士ギルドが太鼓判を押す「玄人」の探索者ならば問題はないはずだが。
各分野に対応した人材を豊富に抱えているのがギルドの強みだ。調査・偵察に関する技能を持つ玄人は慎重で思慮深く、軽率な行動や判断をしないことが求められている。危険を感じたらすぐに撤退し、情報を持ち帰ることの重要性を理解しているのだ。
「了解した。それでは俺たちは、ガレンツァール側から三国にまたがる『岩壁山脈』に向かうことにしよう」
シグナークは席を立ち皮袋を手にするとシセリオンに礼を言い、イズアルベラには必ず調査に行って情報を持ち帰ると約束した。
「あぁ──まってまってぇ。これを……」
彼女はそう言うと、棚に置かれた小さな羅針盤を取り出した。その羅針盤は銀製の小さな槍の穂先に似た物が中央にあり、どちらに向けてもそれは微動だにしない。
「これは異質な魔力を関知する羅針盤よぉ。私たち荒れ地の魔女に反応しないよう苦労して作った物なんだからぁ。数百メートルくらい近づかないと反応しないけどアイラスのような半魔の力に反応するから、矢印の向いた方向にアイラスか、アイラスの痕跡が残っているはずよぉ」
そう話す魔女に、アイラスは吸血鬼になっていると考えているか? とシグナークは彼女に尋ねながらそれを受け取る。
「そうねぇ、その可能性は高いと現段階では考えられるわね。けれど……相手は魔女王ルディアステート。ただ単に吸血鬼化の呪術をかけただけとは思えない。きっと魔導師や魔女に簡単には見つけられないような何かをアイラスに施しているはずよぉ。──だから単純に不死者だと侮らないようにねぇ」
羅針盤を腰の小物入れにしまった彼は「覚えておく」と応え、レスティアと共に魔女の工房を出て行った。
* * * * *
「可愛らしい子でしたね。レスティアさんでしたか。なんだか人形のように可憐な子じゃないですか。あんな少女が魔物との戦いを生き抜いて来たとは……ちょっと、想像ができません」
シセリオンはそんな感想をのべて、荒れ地の魔女の住む過酷な土地での生活に思いを馳せる。
「ぅふふ、見た目では魔女の真価は問えませんよぉ。あの子は八歳のころには剣を振り回し、一年の訓練を経て狂暴な生き物や魔物と戦っていたんですからぁ」
魔物の出現が多い荒野のことは聞いていたが、そんな小さなころから戦いに参加していると聞かされて、シセリオンは我が身を振り返る。
「私も剣を手にして戦えるよう努力してきましたが、それでも十四をすぎてからです。まして魔物との戦いなどなかなか経験する機会もありませんから……」
皇帝の血族は強い魔力と共に、類いまれな戦いの才能を持っていることが多い。女子の場合は剣技を学ぶような決まりはないが、男子として生まれた皇族はたいていの場合剣の修行をしたり、各地を旅して回るようなことが習わしとしてある。
皇帝の後継者は有能な者が皇帝から推挙される形で選ばれるので、皇族の子供たちは大切に守り育てられるだけでなく、さまざまなことを知るために外国に赴くなどして、見識を深めることが推奨されているのだ。
賢帝としても名高い初代皇帝が残した言葉に、「権力者側の視点のみを持つ者は皇帝の器にあらず」と言ったと伝えられている。
民衆にも配慮をすると同時に、民衆も国全体の利益について考えるようにと、早くから学問を市井に普及する取り組みをおこなっていた皇帝。
大帝国と言われた帝国が徐々に版図を狭め、支配領域をもともとの国の権力者の子孫に返還するに当たって、帝国と共に安定的な友好的、平和的な関係を築けるようにと帝国式の教育を広め、民心を帝国に融和的なものになるよう取り組んでから、独立した国としての権限を復旧させた。
結局のところ武力行使を振りかざすだけの政治体制が蔓延すれば、国同士が争い合い、互いに疲弊するのだ。──そうではなく互いが互いの国を認め合う、そのような知性が育まれた市民同士の交流のおかげで──帝国と、その周辺の国家は長いあいだ平和的で良好な関係を築いている。
初代皇帝が魔女王ルディアステートから取り戻した国は、すでに諸外国の敵対的な国王たちに侵略され、戦争への舵を大きく切らざるを得なかったのだ。
権力者たちの強欲さが争いを生んでいた時代。
あるいはそれ以外に生き残る術を見い出せなかった愚かな時代。
戦乱の世を勝ち抜き、それでいて敗者に圧制をしいることなく、あくまで一つの帝国として共に生きよと布告した皇帝。
あらゆる国の民から畏怖と尊敬を集めていた初代皇帝の英知がいまも息づいている。だからこそ彼の子孫である皇族たちも、公正公平であることを重んじるよう自らを戒めているのだ。
シセリオンにとっても学問と武芸に打ち込むことは皇族としての勤めであると感じているが、それ以上に彼女は──自身の兄を目標とした強い意志と決断力で、己を変えることに取り組んでいた。
彼女は皇帝の権力にはまったくと言って良いほど興味はなかったが、自分が所属する領地や国民を守りたいという気持ちはおそらく、彼女の両親よりも大きなものだったろう。
若者とは強い刺激を与えてくれる者に影響を受け、あらゆる不安や逡巡を飛び越し──ときに利害や危険すらも忘れて──自らを開拓するのだ。その先にある希望だけを見すえて。
* * * * *
宮廷魔導師の研究施設を出た二人は次なる目的地に向かう前に、少しだけ帝都を見て回ることにしたらしい。せっかく大きな街までやって来て素通りして行くこともないだろう。シグナークのその言葉に少女も頷き、城門で武器を受け取ると城下街へ向かった。
何しろとても大きな街だ。大通りからつづく道は人の数も多く、表通りにある観光客向けの土産物を売り出す店や、裏手にある地元の人間を相手にしている店舗で大きな違いがある。
前者の看板は派手で、後者の看板は地味な感じだ。店の作りも人目を引くように作られた店舗に──店の前には商品がぎっしりと並び、色鮮やかな見た目の店が建ち並ぶ表通り。
路地裏にある日用品を扱う店は地味で、ひっそりとした佇まい店が多く、商品を路面に置いていたりはしない。さらに別の通りには、貴族たちがこぞって訪れるような、きらびやかな装飾品を売り物にした店が軒を連ねる通りもあった。
さまざまな生活様式に見合う店があり、見て回るだけで時間がすぎていく。
シグナークとレスティアの興味を引く店はなかなか見つからなかった。商店街らしい場所を見つけ、パンを焼く香ばしい匂いがする通りを見つけると、レスティアはさっそくそちらへ向かおうとシグナークに声をかけた。
甘い物が大好きな彼女は、目当ての物を目ではなく鼻でみつけたようだ。
その店の前には数人の若い女たちが並んでいた。中には貴族の侍女らしい格好をした女の姿もある。
少女はその列の後ろに並びながらカウンターの上に置かれ、硝子容器に包まれたいくつかの皿に乗ったお菓子を確認する。
その様子を離れた位置で見守っているシグナーク。少女の番が訪れ、紙に包まれた小さな生菓子や、瓶詰めの焼き菓子などを選んで買っていると、シグナークの近くで悲鳴が上がった。
先ほどレスティアの前に並んでいた侍女が財布を奪われたのだ。
すばやく盗みを働いた男のあとを追い駆けようとしたが、道の先から現れた屈強な男が──走って来る盗人を、腹部に放った一撃で地面にひざまずかせる。
その後ろから現れた少年は落ちた財布を拾うと、盗まれた侍女の手にそれを返してやり、品の良い笑みを浮かべながら、礼を言って頭を下げる侍女と親しげに会話をし侍女を送り出した。
人が呼んで来た衛兵に盗人を引き渡すころには、レスティアもシグナークの元に戻って来ていて「何かあったのですか?」と、少女はお菓子に夢中で気づかなかった様子を見せるのだった。
色々な展開について書きましたが、シセリオンの兄について明確なことは今のところ書かれていませんね。ご想像にお任せする、ということで。
初代皇帝ザッハレーグは名君だったようです。六百年近い年月語り継がれるほど人気を博しているのは聖人君子としてのイメージが膨れ上がった結果なのか、それとも事実なのか……それも今のところは伏せておきましょうか(笑)




