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黄桜亭の日常  作者: 紫乃緒
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四品目:パンケーキ

 桜が咲いている。黄金に近い黄色の花弁をひらりひらりと舞い散らせて。その花吹雪のただなかに、ひとり立つ人物がいる。

 黒い着流しをさらりと着こなし、髪を短く切りそろえたやや長身な男性。着流しの裾には桜の染め抜きがされており、帯は淡い灰色でところどころに金糸で刺繍が縫い取られている。

 黒い番傘をくるりと回して、彼―黄桜は振り返った。近づいてくる足音に気付いたからだ。


 ばさりと法衣に似たローブをはためかせ、冥王ハーデスはいつものように芝居がかった仕草で手を挙げた。ハーデスも黄桜の姿に気付き、のしのしと近づいてくる。


「おお、黄桜よ!大変なのだ!」


 冥王たるハーデスが『大変』などと言う事態が起こりうるのだろうか。世界が反転したかはたまた混沌の海が枯渇したか。

 しかし、黄桜は浮かべていた笑みを崩さず己の思考を否定した。

《この》冥王がいる限り、《そんなこと》は起こり得ないだろう。

 理由はわからないが、なんとなくそう思った。


「左様でございますか、今回はどういったご用件で?」


 近づいてきたハーデスをそのまま店内に促しながら、いつものように笑みと同時に尋ねる。と、ハーデスは待ってました!と言わんばかりに頷いてみせた。


「それがだな! タナトスに『パンケーキも知らないの?』と鼻で笑われたのだ!

 まったく酷いやつめ! あやつは人界にも魔女王のところにも好き勝手行けるからといって私に嫌がらせをしておるのだ!」


 どうやらタナトスのセリフを真似たようだが、どう大きく見積もっても全然、全く似ていない。それも含めていまのハーデスの言葉は笑うところなのだが、黄桜はそうですか、とやわらかく頷いただけだった。


「それで、今回はパンケーキをご所望ですか?」

「そうだ!タナトスはハ、はわいあん?パンケーキとやらを食べたというのだ! 私はもっとこう……すごいものを食べてみたい!」

「左様でございますか」


 ふむ、と黄桜は考え込む。が、カウンターについたハーデスにいつものお冷とおしぼりを渡す動作は流れるように滞らない。


「ハワイアンパンケーキとは……また甘いものを食べられたのですね、死神さんは」

「む、そんなに甘いものか?」

「パンケーキと一口に言っても色々ございまして。

 小麦粉に砂糖、卵、牛乳などを混ぜて平鍋で焼いたものを言います。死神さんがお食べになられたのは人界でここ数年流行のクリームやフルーツが山盛り乗せられたものですね。

 昔ながらのパンケーキになりますと、ガレットやパラチンタ、ブリヌイなどがございますが……すごいもの、という冥王様のご希望にかなうものとなると、やはりスタンダードで誰もに愛されるものがよろしいかと」

「そうだな、私は人気者だからな!」

「左様でございますね」


 にっこり、黄桜は笑んだ。いま此処にタナトスが居たら『なに馬鹿なこと言ってるの、頭沸いたの?』と氷点下より冷たい視線と言葉がハーデスに向けられただろうと容易に想像できる場面だ。


「では、こちらをどうぞ」


 ことり、カウンターに平皿が置かれた。白磁の表面はつるりとしており、その皿のうえに円盤状のものが乗っている。

 ふんわりとした表面はきつね色よりやや濃い目の焼き色がついており、どうやら何かを挟んでいるらしい。少しだけ縁をめくってみると、艶のある小豆が見える。うっすらと黄色いものが混ざっているようだが、栗だろうか。

 手に取り、ぱくりと一口。


「む……!」


 しっとりとした生地、挟み込まれた粒あん、あんこに混ざった栗の触感が舌上に楽しい。そう、それは全く持って《スタンダード》な『どらやき』だった。


「美味い!」

「そうですか、お口に合って何よりです」


 ぱくぱくと『どらやき』をハーデスが食べつくすのを、黄桜は微笑ましく見守る。

 もう少しで食べ終わる、というところでやや濃いめの緑茶をサーブすると、流れるように湯呑に手を伸ばし、ハーデスはそれを飲み干す。


「やはりスタンダードなものは老若男女に愛されるのだな! 素晴らしい!」

「そうですね、昔ながらのものは時間の経過にかかわらず愛されるものですね」

「流行物も良いが、普遍的な魅力があるのだろうな」

「それにしても、先日から甘味ばかりお召し上がりになっておりますよ。

 此処は甘味処ではないのですけれどね」


 苦笑。黄桜はうっすらとそれを微笑ににじませる。


「む、仕方なかろう!アラストルは甘味が好きらしいのだ。

 タナトスも先日ぷでんぐを食べたらしいが、それも貴様の仕業か?」

「嗚呼、そういえばそうでしたねぇ」

「興味があるものを食べるから愉しいのだ、まぁ許せ」

「……冥王様にそこまで言われてしまうと、拒めませんねぇ」


 更に苦笑を深くして、黄桜はくつくつと笑む。


「……そういえば、先日の褒美は《役に立った》か?」


 ハーデスの月色の瞳が悪戯のように弧を描く。黄桜はこの眼前にいる冥王がどこまで見透かしているのだろうかとふと疑問に思ったが、疑問に思うだけ無駄だと理解していた。

 だからこそ、素直にここは謝意を述べておくべきだろう。


「ええ、もちろんですとも。大変《助かりました》」

「そうか、それならば良い」



 満足げに、ハーデスは笑んだ。








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