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黄桜亭の日常  作者: 紫乃緒
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三品目:プリン

 黄桜亭の亭主である黄桜は珍しくキッチンの中でてきぱきと動いていた。常であれば悠然とカウンターの内側でグラスを磨いてみたり時にはオリジナルのカクテルを作っていたりするというのに、だ。


 まな板の上に乗せられていたのは見事な甘鯛だった。薄いピンク色の表面は艶に満ち溢れていてそれだけで新鮮なのがよくわかる。

 丁寧に鱗をそぎ落とし、慣れた手つきで下ろしていく。程よい抵抗感を感じるのは、やはり素材の新鮮さゆえだろう。


 三枚に下ろした甘鯛の身を用意しておいたバットに乗せる。四角くて銀色をしているそのバットの上にはなにかが敷かれていた。黒みの強いそれは、一般的に出汁をとる昆布だった。甘鯛の上から更に一枚、二枚と重ねられていく。


 作業が一区切りしたのか、黄桜はてきぱきと洗い物をこなす。最後に包丁を手に取ると、その銀色を見つめ、ほぅ、と息を漏らす。


「少し遠出をしてしまいましたが……わざわざ造ってもらった甲斐がありましたね」


 満足げに笑むと、中断してしまっていた片づけを再開する。

 何事もないように黄桜はつぶやいていたのだが、今回彼が使っていた包丁はわざわざ別の世界にまで赴いて鍛えたものだった。いつものようにふらりとやってきた冥王が、同じ『到達者』であるアラストルのことを聞いてもいないのにべらべらと喋ってくれた。内容はほとんど予想の範囲内であったのだが、その会話のなかに気になる単語が出てきたのだ。


 ドワーフ。もちろん黄桜自身も知らないわけではなかった。知識としては当然知っていたのだが、ふと興味がわいたのだ。

 ドワーフは鍛冶や細工が得意だという。黄桜自身、気が向けば鍛冶をすることもある。しかし、もしかしたら別世界の別の鉱石で鍛えられたものは自分が造るものとはまったく別物ができるかもしれない。

『到達者』はその前身ゆえか知識欲が高い。それゆえ、黄桜は珍しく黄桜亭を出てドワーフが居るという世界まで足を運んだのだ。


 そこまでして鍛えてもらった包丁は、黄桜の予想以上に手になじみ、切れ味もいい。愛用の包丁は幾振りもあれど、これはお気に入りに入れてしまおう。

思いのほか黄桜は手に入れた包丁に高揚していた。だからこそ気付くのが遅れたのだ。

 がらりと引き戸が引かれる音、カウンターの席に腰を下ろす音に。


「珍しいな、おらぬのか?」


 その声を認識して、嗚呼、来客だ、と黄桜は意識を切り替えた。

 たすきを外し、カウンターへ続く暖簾を手でよける。


「失礼いたしました、ちょっと仕込みをしておりまして」

「構わん、それよりもだ黄桜よ!」


 傲慢にも近い態度は相変わらず。浮かべられている笑みも、大仰に見える仕草もいつも通り。

 ここ最近よく訪ねてくる彼は、冥府の王である冥王。以前チョコレートパフェやショートケーキなどの甘味を求めてきたが、いずれもどこかずれた、いや、どう軽く見積もっても多大な知識のずれをもって注文してくる。


「ぷでんぐ、というものを知っているか?」

「ぷでんぐ……Pudding、でございますか?」


 質問に質問で返してしまったが、良い意味でおおらか、悪い意味で無神経な冥王は特に気にしなかったらしい。


「それだ、アラストルが絶賛しておったのだ。

 あやつめ、自分が好きに人界に行けるものだから私に嫌がらせをしてくるのだ!」

「左様でございますか」

「人界には美味いものが溢れているようでな、昨日はあれを食べた、今日はこれだった……と煩くてな」

「冥王様もお忙しいですからね」


 黄桜は苦笑し、いつものグラスをカウンターに置く。ただし中身は水ではなくやや薄めの緑茶だった。


「その《ぷでんぐ》とやらを食べたい。できるか?」

「もちろんございますが、冥王様、Puddingというものにも当然いろいろございまして。

 もとはフラン、もしくはクレーム・ランヴェルセ・カラメルとも申します。レチェ・フランというものもありますが、材料がございませんので和風にアレンジしたものでもよろしいですか?」

「うむ、かまわん」


 冥王が鷹揚にうなずくと、黄桜は笑みを深くしてカウンターにことり、とあるものを置いた。

 木製の小さな皿の上に、小ぶりの陶器が乗っている。白地の表面には桜の模様が描かれていて、同じ模様が蓋にも描かれていた。

 同じく木製の匙が添えられており、どうやら掬って食べるもののようだった。


 手を伸ばすと、ほんのりとした熱が伝わってくる。蓋を外すと、ふんわりとやわらかな香りが鼻をくすぐった。淡い黄色の表面には彩りのためか三つ葉が乗っている。

 恐る恐る匙を掬い入れると、何の抵抗もなく、す、と入っていく。持ち上げるとぷるりと震えたそれはかすかに湯気が立ち上っている。

 不格好に抉れたようになったのが気になり、中を覗いてみるとどうやら具が入っているようだ。

 つるりとした表面の黄色味が強い銀杏、紅いのは海老だろうか。

 そう、それは間違いなく《茶碗蒸し》だった。


 ためらいもなくぱくり、と口に運び、そのなめらかな触感と口の中に広がる風味に冥王は目を見開いた。



「美味い! 出汁の風味と柔らかな触感、具のアクセントが素晴らしいな!」

「左様でございますか、お口に合ってなによりです」


 あっという間に完食し、冥王は満足したように頷いた。


「これでアラストルに負けはせぬぞ」


 ふふふ、と笑むその姿は幼子のようにも見えて、黄桜はほほえましさを感じた。理由はわからないが、冥王が《この》冥王で良かった、となんとなく思ったのだ。



「む、そろそろ帰らねばまたタナトスが臍を曲げるな」

「おや、今日はお早いお帰りですね」

「あやつにも困ったものだ……私の城に招いただけだというのに先日は斬りかかってきおった」

「……左様でございますか、それは災難でしたね」


《どちら》が災難だったのかは明言せず、黄桜は笑みを崩さない。


「おお、そういえばこれを忘れていた」


 冥王は不意に懐を探りだす。目当てのものを見つけたのか、黄桜の前に手を突き出した。

 そしてまた芝居がかった仕草でゆっくりを手を開いていく。

 手の上には小さな半球体のものがあった。大きさにして1センチにも満たない。時折揺れる表面が、固体ではないように見える。


「……冥王様、これは?」

「褒美、と言いたいところだが、貴様たちの流儀に合わせて言うならば《対価》であろう」


 受け取れ、と言わんばかりに差し出される手に、黄桜は柄にもなく困惑した。

 黄桜は解る。解ってしまうのだ。冥王が差し出しているこれ、が、《なに》なのか。


「しかし……《これ》は……」


 困惑の色彩を表情にありありと浮かべる黄桜に、冥王は笑った。彼が記憶している限り、この黄桜の表情が大きな変化を浮かべることはなかった。優し気に見える笑みを崩さない黄桜の表情を変えられた、という事実に達成感に近いものを感じる。


「錬金術は範疇外かもしれぬが、いずれは役に立つこともあるだろう。

 受け取るがいい、相応な対価だ」


 受け取ったそれは、黄桜の手の上でまたふるりと揺れる。


「せいぜい使えるのは1度か2度ほどであろうが、まぁ……十分だろう」


 ではな、といつもの調子で冥王は席を立ち去っていく。

 常であれば丁寧な挨拶を忘れない黄桜だったが、その視線は自らの手の上に固定されている。

 数十秒、そうしていただろうか。


「……仕方ありませんね、いただいてしまったからには活用させていただきましょう」


 自分を納得させるかのようにつぶやき、黄桜はためらいもなく手の上にあった《それ》を口に放り込んだ。


















「ちょっとぉ! ハーデス! 私の研究室から勝手に持って行ったでしょ!!」

「なんのことだ、私にはさっぱりわからぬ」

「しらを切ろうとしてもそうはいかないわ!

 私の研究室に入れるのはあんたくらいでしょうが!

 隠してたのに、せっかく造ったのにー!

 私の《賢者の石》!!!」




そんなやりとりが冥府の執務室で繰り広げられたが、それはまた別の話。






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