エピローグ
エピローグ
深矢理さんとの一件などなかったように戻った平穏な日常。特区対抗戦の学内選抜トーナメントまで一週間と迫ったある放課後のこと。
「それじゃあ私達も帰りましょうか。契さんを待たせちゃうといけませんし」
屋外演習場と違い、空調設備が整った俺達専用の屋内演習場。動かなければ涼しいものの、特訓後とあって半袖のシャツを汗で濡らした慧さん。下校時間に近付き、本日最後の対戦相手を見送った後で早速と穏やかな笑顔で口を開いた。
「何をご馳走して貰えるのか楽しみ」
相も変わらずの無機質な表情で妹に頷いた惺さん。その冷たいほどの雰囲気は顔だけではない。佐々木さん達――実力を隠した剄さんも含む――などとの勝負で激しく前線で戦っていたにも関わらず、全く汗を掻いていない。人形の俺同様、彼女に汗腺は存在しないのだろうか?
「先日の一件のお詫びだから、うんと美味しい所に姉さんは連れて行ってくれると思うよ」
そんなことを考えながら俺は笑顔で話に加わる。最近の日々はこれまで以上に楽しく、ホントに充実している。色々とあったが、改めて姉さんと深矢理さんとの確執に巻き込まれて良かったと思える。
「あ、じゃあ、自分は先に姉さんの所に寄ってから着替えることにするよ」
慧さんを先頭に惺さんに続き演習場を出た所で、俺は思い出したように彼女達の背中に話し掛ける。
「ん、それなら先に着替えた方が効率良くないですか?」
惺さんと並んで廊下を歩く慧さんは、肩越しに振り返りながらに問い掛けて来るのだが、
「あ、いや、ほら、自分は一緒には着替えられないから、どうせ外で二人が着替え終わるのを待ってるんなら、ね?」
俺は苦い笑みを浮かべながらにその理由を告げる。アオイの正体が彼女達の中学時代の同級生〝久世葵〟と知られて以降、俺はそういう場に居合わせないことにしている。寮での着替えは勿論のこと学校での着替えも。
これまでも一応、制服の下にシャツを常に着込んで居れば、後はスカートを履いたままに短パンを履けるので極力教室でそうしていたが、放課後の特訓後は別だ。荷物は一旦ロッカールームに預けに行くので、わざわざ他の場所で着替える方が不自然。
だから正体が知られてからは、堂々と時間をズラして着替えていた訳なのだが……。
「ああ、えっと、それはそうですけど、今日は急いでるんで一緒に着替えても良いんじゃないですかね」
姉さんを待たせる方が駄目だと慧さんは隣を歩く惺さんを見る。
「私は別にどっちでも良い。アオイになら肌を晒しても気にならない」
惺さんも同じ意見、というかいつも通りの調子で異論はない。頷きもせず妹に答え、次いで肩越しに俺を見ている。
「え、いや、それは……」
「大丈夫ですよ。私達はアオイさんを信頼してますので」
困っている俺へと追い討ちをかける慧さんの笑顔。そして〝信頼〟という言葉。
「あ、ああ、うん、そ、それなら、そうしよう、かな……」
優しく可愛い笑顔は見慣れたはずなのに、俺の素性を知られているからか、その笑顔での言葉はむしろ怖く感じる。俺が口籠ってしまうのも仕方ないだろう。
それでも、その言葉が嘘ではないと俺は心から分かる。
深矢理さん達との戦いを経て、俺達は本当に〝信頼〟し合うこと出来ている。表面上だけならこれまでもだったが、俺の心の面で今は違う。騙しているという罪悪感なしで彼女達の厚意や笑顔、そして信頼という言葉に頷くことが出来る。もうそれだけで、あの一件は俺にとって悪くなかったと思えてしまう。
――姉さんに説得され戦闘型ドールの〝アオイ〟として生きてホントに良かった。
しみじみとそんなことを想う俺の顔から自然と笑みが漏れる。
姉さんに対するコンプレックス。
魔術が思ったように使えない葛藤。
外山に対する嫉妬。
中学時代、そして浪人生活中は多くの悩みを抱えていたが、それは懐かしいものに変わった。今なら姉さんにもまた純粋な笑顔で感謝を伝えられることだろう。
俺がそんな気持ちを抱けたのはやっぱり、前を並んで歩く中学時代からの同級生であり、今は仲間でもある二人のおかげだ。
いつも優しく温かさを与えてくれる慧さん。
無機質な表情ながらもとても仲間想いで頼りになる惺さん。
惺さんのことを何も知らない中学時代は慧さんに好意――思い返せば、ただの憧れに過ぎなかった――を抱いていたが、二人と深く関わった今は、同じぐらいの好意を二人に抱いている。
それが異性としての明確な〝好き〟なのかは分からないが、水女での日々が終わる頃にはその気持ちもハッキリしていることだろう。
どんな結果になるのか、水女での生活が終わってからも彼女達との日々が続くかは分からないが、その時になって後悔がないように生きよう。
頑張っても報われないことは沢山あるが、頑張らなければ何も生まれないこと、頑張ることの大切さをこの一カ月余りの日々で知ることが出来たから。
終わり