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第四章

第四章 


「三人はこの後どうするんだい? 時間があるなら甘い物でも食べに行かないかい? お姉さん達が奢るよ」

 

本日最後の四限目の授業終わり。九十分授業なので午後四時も過ぎた時刻だ。


「お姉さんって、一つ先輩なだけじゃん」

「いやいや、実力ではもう劣ってるんだから、年上振るぐらいしか出来ないからね」

「あ、もしかしてこれからまた特訓するのかな?」


 屋外に幾つもある演習場の一つ。隅で固まる俺達三人に話し掛けてくれたのは、青の短パンに白いシャツを纏った二年生の先輩方。


「はい、今日の放課後は演習室に行きますので、また次の機会に是非お願いします」


 俺達が先ほど破ったトリオである三人へと、慧さんは全く物怖じしてない笑顔で答えている。


「まあ、そうだよね。君達は本気でトライデントを目指してるんだもんね」


「はい、アオイさんが在学していられるこの一年生の内に絶対になってみせます」


「ふふ、凄い意気込みだね。君達なら本当にそうなれるような気がするよ」


 年下なのに生意気だとか、自分達を破ったことに対しても嫌な顔一つせず笑顔でロッカールームへと向かった先輩達。堂上の一年生エーストリオにあっさりと勝ったことから、俺達を特別視する生徒は一年生のみならず広がっている。今日のこの四限目なんかまさしくそうだ。

 一週間ほどの前に行われた外山達との戦い。姉さんの目論見は見事にはまり、スポンサーからの新たな資金提供獲得に成功。その上で俺達が特区対抗戦で活躍すれば優勝奪還も夢じゃないと、生徒の方から――特に冬の大会に出ることが出来ない三年生――の要望により、俺達のクラスが実技授業をする時には、時間が重なっている二年生の授業へと参加することになったのだ。

 言わば英才教育。実力だけでなく、高校での一年間を経て連携が高い先輩トリオとの戦いで、俺達を夏の戦いまでにもっと強化しようとしているのだ。

 さすがは二年生とあって、クラスメート相手に無敗の俺達でもそう簡単には勝てない。しかも、俺達の戦う様は全て録画されるようになり、俺達の授業参加の事前に対策、分析もしているという。

 もう、完全に俺達を潰す気満々。対抗戦のような他校と試合をする前みたいだ。それでも俺達には一切の不満はない。


「今日もすっごい楽しめましたね」


 先輩に見せていたように、校舎へと向かいながらに俺達にも満面の笑みを見せてくれる慧さん。歯応えのある戦いの連続に、俺同様楽しんでいるのが伝わって来る。


「でも、やっぱり悔しいですね。もっと安定して勝ち切れたら良いんですけど」


「二年生の連携やスピードに慣れてきたから、あとはこちらの連携スピードを上げるだけ」


「うん、まあ、あとはこっちのスキルアップ次第だね」


 慧さんを中心に左右に並んで歩く俺と惺さん。表情を一切変えることなく妹に答えた惺さんに続き俺もまた答える。

 今日の成績は五勝三敗。二年生相手に勝ち越してはいるものの喜びは少ない。この忙しない一週間は日々成長していると実感出来て楽しいが、自力では決して劣っていない相手への敗北は胸に悔しさばかりを残している。


「今日の特訓はもっとスピードを上げた時の連携を課題にやって行きましょうか」


「うん、そうだね。二段階ぐらいギアを上げたスピードでの連携が出来たら、二年生にも安定して勝てそうな気がするね」


「はい」


 放課後の特訓での課題を決めた俺達はロッカールームに向かうのではなく、そのまま教室へと向かう。

 一部の優秀な生徒にのみ使用を許された幾つかの室内専用演習場。事前予約や時間制限なく俺達は利用出来るようになったので、帰りのホームルームを終えたら下校時刻までそこでずっと特訓するつもり。いちいち着替えるのは時間の無駄でしかない。

 その道中、実技授業終わりで訓練着姿の佐々木さん、高辻さん、剄さん達トリオと合流すると、俺達は彼女達と一緒に教室へと向かった。


     ◇


 五月も終わりに近付き、二年生の先輩達との実技授業にもだいぶ慣れた頃。人形の俺は大丈夫だが、日中の特訓だと汗が大量に流れ出るような時節。


「ごめん、自分はこれから久世博士の所に行くから、二人は先に帰ってても大丈夫だよ」


 半袖カッターシャツの夏服に着替え終えたロッカールームでのこと。


「ああ、そう言えば、体の検査を受けるんでしたよね?」


 帰りのホームルームで姉さんが口にした言葉を思い出した慧さんは俺を見上げる。


「うん、初めてだからいつ終わるか分からないんだよね。自分はまだしも二人は下校時間を過ぎたらチェックされるから、待ってる必要もないよ」


 正面で佇む笑顔の慧さん、そして無機質な表情の惺さんへと俺は敢えて強く言う。そこまで言わなければ慧さんが待ってると言い出しそうだからだ。


「そうですか、分かりました。私達は先に帰って寮で待ってますね」


 俺の狙い通り、慧さんは済まなそうにだが頷いてくれた。


「ありがと。二人きりでの久し振りの下校を楽しむと良いよ」


「あ、そう言えば、いつもアオイさんと一緒でしたからホントに久し振りですね」


 笑顔が似合う彼女は、俺の言葉に一転して優しい笑みを浮かべてくれると、


「それならアオイさんも一人での下校は初めてですよね?」


「うん、初日からいつも三人一緒だったからね、何か新鮮な気持ちがするよ」


「ふふ、実はアオイさんが転入して来るまでは私もずっとお姉ちゃんと二人で寮に帰ってたんで、一人で帰ったことはないんですよね」


「一緒に居ることが多いし、わざわざ別々に帰る必要もないから」


 ずっと黙っていた惺さんは、無感情とも取れる無機質な表情で補足した。その声音にも感情が全く籠っていない。ただ、自分の考えを口にしただけという感じだ。


「それじゃあ時間も時間だし自分は今から博士の所に行って来るね。二人とも気を付けて帰ってね」


「大丈夫ですよ。もし暴漢が襲って来たとしても、私達なら簡単に撃退しますよ」


「はは、そうだね。それじゃあ、また後で」


「はい、また後でお会いしましょう」


 各生徒に渡されたICチップ内臓のカード型学生証で施錠すると、俺達はお互いに笑顔で一旦別れる。学校に居る時はトイレにでも行く時以外はほぼほぼ一緒に行動しているので、一人きりで居ること自体も新鮮だ。



 広大な敷地を持つ水瀬魔術女学院の門を出てから真っ直ぐに続くアスファルト。車が擦れ違う――そんなことはほぼ有り得ないが――ことが出来るほどの道の左右に等間隔に並ぶのは幾つもの桜の木。とうに満開の時期を過ぎ去った木を彩るのは、この空に広がる夕陽の朱色。

 いつもはその日の特訓での課題や他愛無い会話をするだけで周りを見ることはないが、こんな綺麗な世界を毎日歩いていたんだと今さらながらに気が付いた。桃色の花弁がなくとも充分に輝きを持っている。

 ちょっと前に一人で帰る機会があっても、この光景に目にして何も想うこともなく、ただ通り過ぎたことだろう。

 慧さん惺さんとの買い物、そして翌日の外山達との戦い。俺にとっては大き過ぎるイベントを越えたと安心してからの二年生クラスへの授業参加。それにもだいぶ慣れ落ち着いた今だからこそ、この日常に表れていた変化に心を傾けることが出来ている。


 ――これも姉さんの検査が早く終わってくれたからかな。


 慧さん達と別れ一人で姉さんの私室へと訪れた俺の検査は十分も掛からない内に終わった。ただ姉さんが俺の全身に触れるだけだった。俺にとってはくすぐった過ぎるただそれだけで体の異常が分かるようで、何の問題もなかった俺はすぐに解放してもらえた。

 暗闇に染まった中を帰ることを覚悟していたが、まだ少しは余裕がありそうだ。今にも完全に沈みそうな太陽は、視界の奥で頭を覗かせている。

 屋外演習場とを隔てる高い白壁を包むように三百メートル以上も伸びた桜並木。その先の大通りに出るとようやくと地下鉄の駅がある。水女の学生寮は地下鉄に乗った二駅隣。距離にしたら一キロ程度なのでいつも歩いて帰っているのだが、今日は久し振りに電車に乗ろうか。一人きりで黙々と歩いて帰る必要もない。


 ――ホント、綺麗な世界だな。いつもこんな所を歩いていたのか……。


 仄かに夕陽に染まった木々をまた見上げながらに、街灯の落ちた並木道を進む。物語の主人公であれば、いつもと違う日常に何かしらのイベントが起こるのだろうが、現実はそんなに夢で溢れたものではない。というのも、この道には俺以外に誰も居ないのだ。

 腕時計に視線を落とせば六時二十五分。下校時刻からだいぶ過ぎている。俺が門を出たのも下校時刻を過ぎていたが、特に何のお咎めもない。専用の室内演習場の使用を許された一部の生徒は、六時半までに帰れば良いことになっている。

 それは単なる優遇ではない。一般生徒から模擬戦を申し込まれたら極力受けるようにと言われているので、少しでも時間の融通を利かせようと下校時刻を遅くしてくれているのだ。必然的に俺達が帰る頃にここを歩いている者はほとんど居なくなる。

 第二アリーナでの戦いが中継された当初は俺達を一目見ようと、他校の生徒がここに集まったりもしたが今はそれもない。校内を簡単に覗くことが出来ない左右にそびえる五メートルはあるだろう白壁。そして、優秀な生徒のデータが漏れないようにと学校側が専用の室内演習場へと俺達を囲っているので、感情が昂ったままに来た所で徒労に終わるしかないのだ。

 そう、だから、俺達に逢おうと思えば、単にこの時間に学校前に来れば良いだけ。


「ん……?」


 果たして、〝あの者〟は何の目的でここに来たのだろうか。視界の百メートルほど先、大通りからこちらへと歩いて来る一つの黒い陰に俺は眼を凝らした。

 ギャラリーが居なくなったこの時期なら俺達に接触出来ると思ったのか。いや、それは単なる自惚れで、俺達とは全く無関係の人物か。

 次第に大きくなって来るかの者の陰。それはずっと陰でしかない。その者が纏っているのは目深のフード付きの漆黒のローブ。全く情報を与えない姿は不審者その者。決して俺達と関わりがあるようには思えない。

 しかし、何事もなく擦れ違おうとする俺の前で奴は足を止めた。


「ふふ、はは……はははははははは……」


 距離にしたら二十メートル。突然と不気味に高笑いを上げた不審者。


「ようやく……ようやくこの時が来た……」


 小柄な体型に、女性と思わせる高い声。


「お前は……」


 確実に俺に用事があると思しき意味あり気な言葉。これ以上近付くべきでないと足を止めた俺は、全く見当の付かない人物に困惑してしまう。

 普段の授業で俺達に敗れた二年生の逆恨み。

 外山達との模擬戦で堂上の名を貶めたことへの報復。

 特区対抗戦での危険因子を排除する為の他校からの刺客。

 戦闘型ドールの復興を阻止する考えを持つ者。

 はたまた俺達と戦いたいだけの部外者。

 今さら俺達にただ会いに来ただけというのは考えられない。それならわざわざその姿を隠す必要性は皆無。戦うことは必然的だろう。


「私の手でお前を壊す機会がようやく訪れた……」


 身構えた俺の考えが間違っていなかったように、そんな物騒な言葉を口にした不審者。


「関係ない奴等が居ない内に決着をつける」


 俺にこそ用事があると言わんばかりに口を閉ざしアスファルトを蹴った。瞬く間に距離を詰めたスピードは桁違いに速い。慧さんや外山、惺さんをも越える速さでその手に生み出した氷の刃を両手で振り上げた。


「ぐっ……!」


 避けることが出来ず、手提げの鞄を投げ捨て咄嗟に強化した右腕で受け止めた刃。魔術により生み出された重く鋭い氷の魔刀は、ただ触れているだけの俺の右腕を凍らし始める。

 これが〝生の魔術〟なのか。魔術干渉のリストバンドを着けていない俺がこの人形の身に感じる奴の魔刀。それは強化した腕を超越した魔力を有している。

 一撃だけで分かる危険過ぎる相手。力量を全く量ることが出来ない相手との近接戦はヤバいと俺はすぐさま左脚を蹴り上げる。


「ふん……」


 狙い通り、五メートルほど飛び退き難なく避けた不審者。しかし、俺の蹴りは目的を果たすには不十分だった。奴は着地したその足で地を蹴り、再び氷の刃を振り上げた。

 数秒程度の間にさらに両腕を強化し凍った右腕を融かすと、俺もまた両手で握った炎の刃で迎え撃つ。

 邂逅する二つの魔剣。振り上げられる氷の刃と振り下ろした炎の刃。相性で勝る炎の刃はしかし、競り合うことすらなく花火のようにパッと弾けた。純粋な魔力で勝る奴の氷刀はその勢いのままに最後まで振り上げられる。

 全身に走った衝撃。並木道に漏れた俺の苦い嗚咽。鎖骨を砕いた刃は俺の肩を鋭く抉った。人間であれば意識を失いかねない激痛。痛覚を抑えられた人形の体でなければ俺はそこでもう終わりだっただろう。


「はん、弱い、弱過ぎる。結局お前は一人では何も出来ないゴミクズか……」


 咄嗟に転がり一気に十メートルも距離を取った俺へと向けられた、見下し憐れむような言葉。人形とは言え、魔術干渉のリストバンドを着けていない俺に向ける魔術は全て殺意が籠ったもの。奴は本気で俺を殺しに掛かっている。


「あの二人の助けがなければお前は何も出来ない。興醒めだな、これが天才久世契の造った戦闘型ドールか。私を楽しませるどころか、足元にも及ばないとはな」


「う、うる……さいっ!」


 奴の言葉が事実だからこそ、肉体だけでなく俺の胸をも抉ったその言葉。人形故に一時的な痛みのみで回復した俺は、立ち上がりながらに幾つもの雷弾を放つ。奴に先手を取られ気圧されたが、今度はこちらの戦い方で攻める。

 だが、その考えは余りにも浅はかだった。

 放ちながらに距離を詰めようとした俺を襲う氷の斬撃。軽く振るうだけで現れ全ての雷弾をも呑み込んだ斬撃に、俺は飛び退き避けることしか出来ない。


 ――駄目だっ! ここは逃げるべきだっ!


 続け様に何度も振るわれては現れる氷の斬撃。地面で弾けたそれはアスファルトを砕き、触れた周囲一メートルを一瞬で凍らす。

 氷魔術のスペシャリストと思しき奴のその魔術は、どの系統も高レベルで使える俺を完全に凌駕している。相性の良い炎系統の魔術に俺の全神経を注いだところで、それに勝ることは不可能だろう。試すことすら危険だ。


 ――一か八か、やるしかない……。


 強化した足で逃げ回ることしか出来ない俺はさらにスピードを上げ奴の側面に回ると、ガムシャラに雷弾を放つ。絶対的な優位に立つ奴の隙を突くことが出来たのか、不意な反撃に奴は斬撃ではなく氷刀で斬り壊した。

 攻撃を終えた奴に出来たちょっとした隙。戦う気を完全に放棄した俺は決してその隙を逃さない。ただ、決して奴へと向かうことはしない。雷弾を放った俺は奴から視線を外さないままに高く跳び上がった。

 戦う為ではなく逃げる為の跳躍。葉桜の木を跳び越えた俺はその勢いのままに校内へと向かう。黒いマントで正体を隠している奴だ。さすがに校内まで追って来ることは出来ないだろう。


 肩越しに見つめる奴の姿。俺の動きをただ見上げる奴は、それですんなりと諦めるはずもなかった。両手で握った氷刀を三回、空中で今まさに隙だらけの俺へとその刀の分身である斬撃を放った。

 真後ろとまでは言わないまでも背後から向けられた強力な攻撃。この状態で避けるのは風魔術を以ってしても急に避けるのは不可能。背を丸めた俺は補助魔術の肉体強化で体を硬化する。

 触れた物を凍らす斬撃がぶつかった刹那、全身に響いた衝撃と鋭く刺すような痛み。それでも二回目の衝撃まではどうにか無事だった俺は、三度目の衝撃に一瞬何が起こったのか分からなかった。

 右腕に走った激痛。体で受け切れずに貫通し、空へと飛んで行く氷の斬撃。落下し始めた俺の視界に現れ地面に落ちた、肘から先だけの右腕。

 奴の攻撃により、人形の体は片腕を切断されたのだ。


 般若の面のように、誰だか分からないほどに顔を歪ませ着地した俺が右肘を抑えても、そこからの流血はない。痛みもやっぱり徐々に薄れて行く。

 日々の生活でリアルな感覚を覚え、トレイにこそ行かないまでもシャワーを浴びたり食事をしたりと人間らしい生活を送っていたが、やっぱりこの体は人形の体。これが人間の肉体であればここで死んでいてもおかしくない。大怪我を負い出血多量で意識の薄れる俺のトドメを刺しに奴は白壁を越えたはずだろう。

 しかし、腕を拾って校舎の方へと屋外演習場を駆ける俺を追う者は居ない。この時間帯にここに足を踏み入れると、例え白壁を跳び越えずとも地下に埋められた感知器が反応し、警備室にデータが送られることになっている。まだ抵抗を続けられる俺を一瞬で壊すのは不可能だと奴は諦めたのだ。


 俺はそのまま足を緩めず、契姉さんの発明品である腕時計を操作する。デジタルの文字盤が消え、代わりに現れたのは姉さんの顔。映像通話の機能がある時計により、俺は現在の状況を話すと同時に、姉さんの下へと向かうことを告げた。

 もちろん、グラウンドに侵入したのは俺だと警備に伝えるように言って。


     ◇


「で、敵の手掛かりは全くないと?」


 大きな校舎の中にある契姉さんの私室。とんぼ返りした俺をソファーに座らせ腕を縫合しながらに説明を最後まで黙って聞いていた姉さん。俺が話を纏めたことでようやくと顔を上げた。


「まあ、マントで顔を隠していたからね」


 製作者である姉さんの手付きは凄まじく、五分も経たない内に俺の腕はほぼ元通り。最後に姉さんが軽く摩っただけで、マジシャンの如く縫合痕も消えた。もう完全に直っている。


「姉さんの方は誰かに恨みを持たれてる心当たりとかはないの?」


「ん? そんなの有りまくるに決まってるだろ?」


 濃紺のジーンズに黒のシャツ、その上に白衣を纏った眼鏡姿の姉さん。修理を終えコロコロの付いた椅子を滑らせデスクに戻ると、


「まあ、私に嫉妬する者など余りにも多過ぎていちいち覚えてもないし、相手にもしてないがな」


 足を組みながらに鼻で笑った。


「いや、まあ、そうだよね……」


 明らかに俺をターゲットとしていた襲撃者。明確な心当たりが俺にない以上、製作者である姉さんや桐霞さんに恨みがあるのかと考えたのだが、少なくとも姉さんの線から犯人を絞るのは無理そうだ。

 日本史上最高と評される天才魔術師の契姉さん。その才能を目の当たりにすれば、競う立場の者であれば嫉妬しない方がおかしい。本人にその気がなくとも、多くの者に憧れられる一方で恨まれてもいるだろう。

 逆に姉さんほどともなれば端から張り合うことを諦め、別次元の生き物と自分に言い聞かせる者も少なくないのかも知れない。姉さんを羨み嫉妬した所で無意味だと。

 決して割り切ることなど出来ず、ずっとコンプレックスを抱き続けて来たからこそ断言出来る。不毛なストレスほど不健康なものはなかったと。

 でも、俺の場合は仕方ない。血を分けた実の弟である。割り切ろうとしても、嫌でも周りがそうさせてくれない。契姉さんの弟だという期待と失望を、息をするかのようにぶつけられて来た。


「今のところで分かってる犯人の手掛かりは女ということだけか」


 色々と頭の中で考えている俺を余所に話を進める姉さん。


「うん、小柄な女性だね。あと、中近接戦闘に長け、氷魔術に特化してるというのは?」「いや、それは参考程度に留めておくべきだろう。葵と軽く戦っただけ充分に圧倒出来ると考え、敢えて隠した可能性も有り得るからな」


「あ、うん、そうか、そうだよね」


 数少ない犯人の特徴だと思い、説明してる時も強く口にしていたが、確かに姉さんの言う通りだ。最初から最後まで結局奴に主導権を握られたまま。奴の力を引き出すことが出来ないまま一方的にやられるだけだった。


「とりあえず今のところは何もせず、向こうからまた接触して来るのを待つしかないだろうな」


 これ以上話しても無駄と姉さんは話を締め括る。


「慧さんと惺さんにはこのことは伏せた方が良いよね? 奴は俺だけを狙ってるみたいだし、これ以上の接触もないかも知れないし」


「そうだな、葵――というかアオイを標的にしてる可能性が高い今は不用意な心配を掛ける必要もないだろう。来月には選抜トーナメントも始まるし、それだけに集中して欲しいしな」


「うん、今は純粋に選抜トーナメントでより高みに行きたいから、そういう余計なことに邪魔されたくないかな。二年生相手にも絶対に勝てる訳じゃないしかなり難しいはずだけど、それでも優勝を狙ってる訳だし」


 姉さんのクールな瞳を見つめながらに、慧さん惺さん達と話していることをそのまま口にする。あくまで目標は高い方が良いと、常にトライデントを念頭に置いている。


「ふふ、それは心強いな。高みを見るばかりで足を掬われ、他の一年生に代表を奪われるのだけは気を付けろよ」


「大丈夫だよ。その為に日々色んな人と模擬戦を行ってるんだから」


 口元だけを緩めた軽い笑みで釘を刺した姉さんに、俺もまた笑顔で答える。例え勝ったことがある相手とはいえ、毎回初めて見える気持ちで戦っている。最初の実技授業で姉さんから叩き込まれたように、トリオ戦は作戦次第でどんな強敵にも化けることが出来るのだと。

 と、そんなことを考えながらに、俺はこの状況を不思議に思う。俺の肉体こそ人形であれ、互いに笑顔での姉弟の会話。普通の家庭であれば普通のことかも知れないが、うちは決して普通ではない。

 六つ歳の離れた姉さんは小さい頃はその頭脳で天才と呼ばれ、魔術の才能があることも分かってからは天才魔術師と呼ばれ始めた。周囲は姉さんに期待し、姉さんもその期待に応えどんどんと成長していった。

 子供とは思えないほどに忙しい姉さんが家でゆっくりしてる時などほとんどなく、俺と顔を合わせるのは週に一度あるかないか。売れっ子芸能人並に予定が詰まった姉さんとは、その当時から住んでる世界がまるで違っていた。

 大学を卒業して実家に戻って来た姉さんは時間に余裕も出来ていたが、その時には俺の方が姉さんと距離を取っていた。憧れであると同時に、目の上のたんこぶと。

 その時のことを思えば、ホントにこの状況が信じられない。自分の為だけに了承したこの戦闘型ドール――アオイとしての生活だが、今さらながらに改めて間違っていなかったと思う。

 まだ完全に姉さんへのコンプレックスを捨て切れてないし、葵に戻ってないから結論は出せないが、少しずつでも姉さんに対するわだかまりが消えているのは確か。一年後にはもっと良くなって欲しいと、自分でもそう願っている。


「修理も話も済んだし、私が寮までバイクで送ってやる。お前を一人にするとまた襲われるかも知れないからな」


「あ、うん、お願いするよ」


 姉さんの運転するバイクの後ろに乗るのは純粋に遠慮したいが、指摘された通り俺が一人で帰るのは危険。真っ暗な中で襲われれば今度こそ命が危ない。人形ではありながらも、俺の魂を宿した御札が破られれば簡単に死んでしまう。

 俺は帰り支度を済ませた姉さんに従い大型バイクの後ろに跨ると、学校関係者により既に修復された並木道を通り、何事もなく無事に寮へと戻った。


     ◇


 バイクに乗ること十分足らず。姉さんと別れた俺の眼前にそびえるのは、地上十二階地下三階を誇る水瀬魔術女学院の学生寮。太平洋を一望出来る立地と、決して学生寮とは思えない綺麗な建物は豪華ホテルそのもの。

 おまけに地上五階地下三階の別棟には大量の屋内演習場を設けており、事前の予約は要るものの下校時間という制限がないこちらの方が演習場としては人気だったりもする。


 午後八時という門限にどうにか間に合った俺は、館内も綺麗で本当にホテルみたいな廊下を進んでいく。擦れ違う多くの生徒――まだ制服の者や既にラフな私服に着替えた者も居る――は俺を見つける度に笑顔で挨拶してくれ、俺もまた極力笑みで答えている。

 天才魔術師久世契と水無瀬桐霞に造られた戦闘型ドールとあって、初日から集まっていた好奇的で懐疑的な多くの視線。俺と関わりたいと思う一方で、戦闘型ドールがジェノサイドを起こした授業の知識。

 万が一の暴走を止める為にと姉さんが傍に居ることと、俺の人間的な部分を見る機会があったのでクラスメートとはすぐに打ち解けられたが、それ以外の生徒とはずっと距離があった。


 それが大きく変わったのは第二アリーナでの一件以降。人間と成立する連携に安心感を覚えたのか、学校でも寮でもよく声を掛けられるようになった。簡単な挨拶を交わしただけでも俺を普通の人間と変わらないと伝わるさらなる安心感。自然と俺を危険視する目はなくなった。

 クラスメートから水女の生徒へと広がった俺を認める流れ。だが、やっぱり校外にはまだ及んでいない。犯人も俺を危険視するそんな一人か。それとも、俺に笑顔を向ける生徒の中に犯人は居るのか。

 一カ月以上の生活で慣れたはずの廊下。擦れ違う者全てが得体の知れない者に見えてしまい、初めてこの廊下を通った時ほどに俺の胸に靄が掛かっている。あの時は緊張と不安でだったが、今は不審と危機感。寮内だからと言って決して安心出来ないと、コテンパンにやられたからこそ嫌でも意識してしまう。


「あ、アオイさん、おかえりなさい」


 玄関ロビーに入ってから十分以上の後に到着した慧さん惺さんと共に住む部屋。


「遅かったですね。契さんの検査は結構時間が掛かるんですね」


 いつも以上に疲れた俺を出迎えてくれたのは、白いワンピースに黒いレギンスを合わせた、満面の笑みを浮かべた慧さん。


「うん、ただい――あ」


 ドアまで来てくれた慧さんに答えた俺は、いつもと違う光景に声を漏らした。


「アオイ、待ちくたびれたぞー」


 壁に三つ並んだベッドの中央――俺のベッドで横になっているのは、細身の長身で長い黒髪が印象的な制服姿の佐々木さん。


「おかえりなさい」


 奥側の慧さんのベッドの端に腰を下ろし、フリル付きの青いワンピースを纏っているのは、上品な笑みを浮かべた金髪で小柄な高辻さん。

 そして口を開かないまでも、手前のベッドに座った本来の住人である惺さん。安心感を覚えるほどに変わらずの無機質な表情の彼女が纏うのは黒いシャツに黒い短パン。その服装にもまた安堵を覚える。


「四人で待っててくれたんだね」


 食堂は七時から空いているが、どうやら彼女達は俺が帰って来るのを一緒に待っててくれたみたいだ。言葉そのままにちょっと不機嫌な佐々木さんの表情が俺にそう思わせる。


「はい、明日は休みなんで久し振りに終日一緒に特訓しようという話をしてたら七時もだいぶ過ぎちゃってたんで、このままアオイさんを待つことにしたんですよ」


「ああ、最近は代わる代わる色んな人達と戦ってたから、佐々木さん達とは全然だったね」


 高辻さんの隣に腰を下ろした慧さんの言葉に頷くと、俺は自らのベッドに鞄を立て掛け、ベッドの対面の壁へと背を預けた。女子高での生活や慧さん達とのルームシェアにも慣れたとはいえ、やっぱり女子会的雰囲気の輪の中に入るのは気が退ける。


「そう言えば剄さんは一緒じゃないんだね」


「君等と違って私等は部屋まで同じじゃないからね、そうそう一緒に居ることもないよ。状況が状況だから仕方ないが、いつも一緒に居る君等の方がおかしい」


 俺のふとした言葉に対し、寝転がったまま呆れたように返す佐々木さん。


「入学前からトリオを組むことがほぼ既定路線であるあなた方以外で、同部屋でトリオを組んでる方が珍しいですわ」


 うんうんと頷いていた高辻さんも苦笑混じりでそれに続く。


「ワタクシと佐々木さんは部屋こそ違えどよく話したりはしますが、剄さんはああいう性格なのでほとんど会話はありませんわ。ワタクシ達の作戦にはちゃんと耳を傾けてくれますし、実力も高いので今のところは何も不満はありませんが」


「剄はいつも独りで居ることが多いし、気が付いたらどっかに姿を眩ましてるんだよな」


「ああ、そう言えば、剄さんが佐々木さんや高辻さん以外と話してる所はほとんど見たことがないな」


 同じトリオのメンバーに対する二人の言葉を聞き、慧さんも思い出したように相槌を入れる。


「ふーん、それなら寮に居る時はどうしてるんだろ。ルームメイトとは打ち解けてるのかな?」


「いや、寝る時以外はずっとどこかに行ってるみたいだ。用事があって尋ねた時に、同部屋の奴に言われたよ」


 何の気なしに呟いた俺の疑問に答えてくれたのは佐々木さん。


「下校時も私達とは別に帰るし、ホントにアイツの同行は不明だよ。門限ギリギリに帰って来てるみたいだから、いつもどっかに寄ってんだろうけど」


「どこか、にか……」


 もしかしたら今日の襲撃者は剄さんだったのではないか。俺の頭の中にそんな考えが過ぎる。何度も戦って分かったことに、スピード重視で戦う彼女の得意系統は氷。それに体型も似ている。

 いや、しかし、剄さんの実力が高いとはいえ、俺達三人には決して及ばない。しかも、あんな氷の斬撃、一度も見せたことがない。

 ただ、姉さんが指摘していた通り、本来の実力を隠している可能性だって有り得る。


 ――とりあえずは、これから注視しておくことに留めておくべきか。


 考えを巡らした末に、俺は一先ずの結論を出す。怪しいと言い出せば全てが怪しいと思ってしまう現段階。下手に個人を疑い出せば、それこそ真犯人の思う壺。俺が一人にならなければ襲われる心配もないし、これからじっくりと見極めて行こう。剄さん以上に怪しい人物も出てくるかも知れない。


「――アオイさん」


「あ、え……?」


 自分の世界に入っていた俺へと掛けられた声。意識を戻せば、既にベッドから立ち上がり部屋から出て行こうとする四人全員の視線が俺に集まっていた。


「晩ご飯はまだ食べてないんですよね?」


 俺が固まっていることを不審に思い、一メートル足らずの正面に立ち首を傾げた慧さん。どうやらこれから食堂に行こうとしていたみたいだ。


「あ、うん、ごめん、自分も一緒するよ」


 場の空気を読んですぐさま話を合わせると、食事を取る必要もない俺も扉へと向かう。

 変に勘繰られて心配されたら駄目だ。関係ない二人には目の前のことだけに集中しててもらいたい。自分が蒔いた種ではないが、これは俺と姉さん達の問題。彼女達に知られる前に解決しよう。

 まずは明日だ。終日佐々木さん達と訓練することになったので、剄さんの実力を見極めてみよう。しっかりと見れば、隠しているかどうかは分かるはずだ。

 俺は心にそう決めると、また視界に入る人々を不審に思いながらに食堂へと向かった。


     ◇


「待たせたな」

 

 今は無人の隣の部屋をも含む、強化ガラスの窓に覆われた教室四つ分ほどに広い屋内専用演習場。俺達専用の演習場へと姿を現したのは、シャツに短パンという訓練着姿の佐々木さんと高辻さん。その手にはそれぞれ物理的な剣と盾を握っている。


「三人共お早いですわね」


「あ、私達は自主練をするつもりで朝から来てて、今はお昼休憩中だったんだよ」


 中央付近で佇む俺達を見て呟いた高辻さんの言葉に、慧さんは柔らかな笑顔のままに答える。


「邪魔者ばっかりで全然自主練は出来なかったけど」


 年子の妹の言葉に、顔色を変えることなく横槍を入れる惺さん。


「邪魔者なんて、私達の良い練習になったから良かったじゃん」


 当人達は既にどこかに行きここには居ないのだが、その形容は悪いと慧さんは注意する。その表情が苦笑いである所を見ると、優しい彼女自身も少しは自分達――特に俺や惺さんを気遣って欲しいと考えているのだろう。

 昨晩決まった佐々木さん達との終日の特訓。剄さんが朝からは都合が悪いということで、昼の一時からとなったのだ。

 当然それまでの時間を無為に過ごすようなことはしない。朝から俺達だけでも特訓し待っていようと考えていたのだが、そんな俺達を他の生徒もまた放っておくはずがない。平日と変わらず、多くの生徒が朝からここに詰め寄せた。

 日曜日や祝日などの休日は一般生徒との模擬戦に応じなくても良いと、一応学校側から事前に言われている。もちろん皆それを知っている。知った上で願わくばと、予約した演習場までの空き時間にここを訪れたのだ。

 襲撃者に一方的にやられた経験から、授業以外ではあまりしてこなかった個人戦――トリオに対してシングルと呼ぶ――の特訓をしようという俺のプランは見事に霧散した。

 訪問者達――心理的には邪魔者達――を無下に追い返すことも出来ない。それに、わざわざトリオで来ている彼女達とシングルでならと言えるはずもない。結局、朝九時の段階で集まっていた約三十組だけと特別に戦った朝の時間。俺達の自由時間はなく、終えた時にはもうお昼となっていた。


「剄さんはまだ来てないんだね」


 朝のことを思い出し溜め息を漏らしそうになっている俺を余所に続く会話。


「ん、ああ、アイツはどっかに出掛けるみたいで、直接ここに来るという話だったんだが――」


 慧さんの言葉に首を捻り、扉の上の時計を見上げながらに佐々木さんが答えていると、強化ガラスの壁の端からタイミング良く剄さんが現れた。

 廊下の端から淡々と進んで来るショートカットの黒髪。百五十センチ余りと小柄ながらも、よく鍛えられたしなやかな体躯。そして、感情を押し殺したような無表情。その存在感故に周囲から浮いた惺さんとは違い、自ら周囲と距離を置き、常に纏った人を寄せ付けない殺伐としたオーラ。


「…………」


 扉を抜けて演習場へと入って来てもそれは変わらない。口をへの字に結んだ彼女は扉の前で動かず鋭い目つきでこちらを見ている。一時という集合時間にギリギリ間に合っている以上、敢えて口を開く必要性がないと考えているのだろう。


「それじゃあ、メンツも揃ったことだし早速始めるか」


 態度が悪いようにも見える剄さんの姿も、トリオのメンバーである佐々木さんには慣れたもの。特に咎めることもなく明るく話を進める。それが剄さんの個性だと認めているのだ。それは高辻さんも同じ。


「久し振りの模擬戦ですし、ワタクシ達の成長を見せつけたいですわ」


 お嬢様オーラ溢れる彼女は礼儀にうるさそうだが、剄さんを悪く言うことはない。トリオとして上手くやって行く為にも、仲間の性格にまで触れるのはいけないと分かっているのだろう。俺達のようにルームメイトでもあれば別だが、戦うだけの仲間であれば性格が連携の乱れを生むこともないはずだ。


 ――剄さんが昨日の襲撃者の可能性か……。


 慧さんが彼女達と笑顔で話すのを横目に、俺はじっくりと剄さんを見つめる。

 今朝戦った学年、体型問わず多くの者を観察したが、襲撃者に匹敵するほどの者はいなかった。魔術干渉のリストバンドを着けてるとはいえ、一つ、いや二つも三つも劣る者ばかり。キレがまるで違った。

 久し振りに戦う剄さんの力。彼女は本当に実力を隠しているのだろうか。

 俺を襲い右腕を切断した襲撃者なのだろうか。

 ふと彼女を見つめる俺の視線と彼女のそれとが重なった。睨み合う状況を避けようと俺は視線を逸らし、


「あ……」


 一メートル足らずの近距離から俺を見つめる、惺さんのどこまでも澄んだ黒い瞳と今度は重なる。俺が剄さんを観察しているように、惺さんもまた俺をずっと観察し続けていたのだろう。


「いや、えっと……」


 その視線には慣れたつもりだったが、自分が悪いことをしてる所を見られていたみたいで、急に恥ずかしくなってしまう。


「ん、アオイさん、どうかしたんですか?」


 傍からすれば突然と俺が喘いだようにも見える状況に、口を開いた慧さんだけでなく、佐々木さんと高辻さんも不思議そうに俺を見ている。


「あ、えっと、な、何でもないよ。それよりも早く始めようか」


 取り繕うことしか出来ない俺は顔が熱くなりながらもそれだけを言うと、すぐさま自陣の立ち位置へと向かう。


「お、やる気満々だな」


 背後から聞こえる佐々木さんの呑気な勘違い。それは俺にとっては良い助け舟となった。他の皆も俺に続き、それぞれの位置に着いてくれた。

 俺を先頭に惺さん、慧さんと後ろに続く縦に長い陣形の俺達。最前線で俺と対峙するのは物理的な盾を持った高辻さん。彼女を頂点とした正三角形の底辺には、物理的な刀を両手で握った佐々木さんと手ぶらの剄さん。

 戦闘開始時こそ先頭で盾を持ちながらも、高辻さんが魔術で二人をサポートするスタイルは変わってないみたいだ。いや、初期位置が同じだけで、戦術如何ではもっと別のスタイルへと変貌するのだろうか。

 俺にとっては見極めるつもりで火蓋を切った模擬戦。最初こそ彼女達の戦術を確かめることに精一杯だったが、段々と剄さんにも意識を向けられるようになった。

 そして一時間以上もぶっ続けで特訓し、再び休憩時間となった所で俺は口を開いた。


「トリオは一旦ここで止めにして、シングルの特訓もやってみない? シングルの選抜トーナメントもあるんだし」


 魔術で生み出した二本の氷の刃で攻める剄さんの戦い方。どこまでもミステリアスな彼女は俺に圧されていてもどこか余裕があるようで、決して底を見せない。現在の実力は襲撃者よりも二つは劣るが、彼女が違うとは見極め切れてない。だからこそ、タイマン勝負でより深くまで見極めようと考えた。


「シングルですか? そう言えばその特訓は全くして無かったですね。私はオーケイですよー」


「私も大歓迎だよ。可能性はかなり低いけど、トリオとシングル共に本気で対抗戦に出場するつもりだからな」


「ワタクシも賛成ですわ。シングルの授業が始まった頃にはアオイさん達はもう先輩方の授業に参加していらっしゃいましたし、ちゃんと戦ったことも有りませんので」


 演習場の中央に円を描くように座った俺達五人。会話に混ざらないだけならまだしも、剄さんは十メートル近くも距離を取り一人ポツンと休んでいる。俺達に背を向けた彼女の表情は見えず、何を考えているのかもまるで分からない。


「私も、アオイや慧や剄と戦いたいから良いよ」


 俺の提案に慧さん、佐々木さん、高辻さんと笑顔で快諾し、惺さんは表情を変えず彼女らしい素直な言葉で頷いた。


「お姉ちゃん、その言い方だと二人に失礼だよっ!」


「じゃあ、他の二人ともシングルでちょっとは戦ってみたい」


 妹の注意を受けて付け加えた言葉は全く取り繕おうとしていなくて、失礼の上塗りをしてるだけ。だが、その正直さが惺さんっぽくて良いのだろう。


「はは、私達はまだ惺のお眼鏡には適わないということか。その正直な言葉は逆に励みになって嬉しいぐらいだな」


「ええ、その考えを改めて頂けるよう、より精進する気持ちを抱きましたわ」


 言い換えれば興味無いと言われた当人達は怒るどころか、笑み混じりに強い意思を示す。冗談ではなくそれが惺さんの本心だとしても、それを寛容出来るほどの関係を俺達は築けている。


「剄もそれで良いだろ?」


 五人の意見が纏まった所で、代表して佐々木さんが彼女の背中に声を掛ける。俺達の視線が一気に集まった中で彼女は肩越しにチラッと振り返り、ただ右手を上げるだけで了承を示す。

 もし剄さんが本当に襲撃者であれば俺に声を聞かれないようにとも捉えられるが、敢えてそれを不審には思わない。彼女の声を聞くことはこれまでもほとんどなかったので、喋らないことの方が普通になっている。

 それに何よりも、彼女の実力をこの手で確かめたいと思うことで頭はいっぱいになっていて、いちいち気にするほどの余裕はない。


「えっと、それじゃあ、自分が最初に剄さんと戦っても良いかな?」


 俺は早速とその頭の中を軽くする為に真っ先に声を上げる。


「剄さんと一度タイマンで戦ってみたかったんだよね」


「良いんじゃないか」


 俺の言葉に無反応な剄さんを見てオーケイと認識したのだろう。


「それじゃあ私は惺と戦いたいな。学年主席と現段階でどれだけ差があるかシングルで確かめたい」


「では、ワタクシの相手は慧さんですわね」


「分かりました。戦う順番もそれにして、戦わない人は念の為に外で待つことにしましょうか」


 佐々木さんは流れるように自分の希望を口にすると高辻さんもそれに続き、俺の要望はまたしてもあっさりと認められた。

 纏め役の慧さんが最後こそ口を出すものの、我が強い二人のおかげで自然と話は進むので、彼女にしたら楽で良いだろう。


「戦闘時間は選抜トーナメントと同じ五分間で、相手を先に降参させた方が勝ちというルールでいきましょう」


 慧さんの簡単なルール説明も終了し、演習場内に残されたのは俺と剄さんの二人だけ。昨日の今日で早速と俺は彼女の実力を見極める最高の機会を手に入れることが出来た。

 二十メートルほど離れ対峙する俺達二人。互いに言葉はなく、どちらかが動いた時が勝負の相図。先に主導権を握った方が絶対的に優位なはずなのに、剄さんはまるで動く気配がない。

 公式ルールに則っているからか、まだ魔術的な武器を生み出さず、ただ突っ立っているだけのその姿。構えすら取っていないのに、鋭い目で俺を睨み付ける剄さんに隙はまるでない。漫画の世界みたいだが、彼女を見極めようと考えているからこそ俺にはそう感じてしまう。


「くっ……」


 慧さん達ギャラリーが居ることも忘れての長いようで短いような睨み合い。耐え切れなくなり先に動いたのは俺だった。このまま睨み合えばむしろ俺の方が底を見られてしまいそうで怖くなったのだ。

 俺を迎え撃とうと彼女が生み出したのはやはり二本の氷のナイフ。近接格闘を挑もうと足を強化しながらも、いまいちスピードに乗り切れない俺をその場で待ち受けている。

 このままでは返り討ち遭う。トリオ戦で幾度となく倒して来た相手への恐れに、俺は咄嗟に雷弾を放つ。隙を作ろうとした五発の雷弾はしかし、彼女の刃で簡単に斬り捨てられる。隙は生み出せないまでも走り出した勢いのままに繰り出した右足でのミドルキック。

 瞬間的に横へと一歩ずれ避けた彼女は、カウンターパンチを撃つように隙だらけの俺に右手の氷のナイフを振り上げた。

 昨日奴の初撃を受けたように、俺は強化した左腕で防ぐ。衝撃に体を揺らされるものの、リストバンド越しの魔術に昨日の片鱗すらない。その代わりに続け様に振るわれる左手のナイフ。武器こそ違えどそのスタイルは惺さんと通じる。手数とスピードで敵を圧倒するスタイルだ。

 力を隠しているからか、それともミステリアス故に余裕に見えるだけか、威力をも兼ね備えた惺さんのレールガンには到底及ばない剣撃。避けることこそ難しいが、防ぐことは難しくない。威力に怯むことなく追撃を止めることが出来る。仕掛けようと思えば幾らでも仕掛けられる。

 

 押し出されるような形で始まった戦闘。最初こそ焦ってしまっていたが、戦う内に心も穏やかに。奴の動きをじっくりと見極めることが出来る。

 二刀流での攻撃では無理だと分かり、剄さんは五メートルほどの距離を取り、氷のナイフを振るう。剣先から現れたのは五本の氷柱。放つと同時に床を蹴った彼女はまたナイフを振り上げる。

 距離を一旦取ったことで俺にも生まれた余裕。多くの先輩とのトリオ戦でも受けたことがある奴の変化を強化した腕で受け流した俺は、右手に生み出した炎のナイフで奴のそれを受け止める。

 片手に握られるナイフという点で違うが、昨日と同じような二本の刃のぶつかり合い。

 いつまでも余裕溢れるミステリアスな彼女の顔色が変わる様を見たかったが、それは無駄に終わった。魔力差で氷のナイフが無力化されようとも、マネキンのように決められた表情を貫く剄さん。


 ――駄目だな。彼女は俺みたいな者が見極められるほどの人物ではない。相当な役者だ。それとも単に俺の邪推なだけで、あくまでそれが素なのだろうか……。


 これ以上戦っても無駄だと悟った俺は、抑えていた力を僅かに開放し彼女の側面に一気に回ると、がら空きとなった脇腹へと蹴りを打ち込んだ。


 ――んっ?


 傍から見ればクリーンヒットした攻撃に剄さんは大きく飛ばされ床へと転がる。しかし、蹴り飛ばした張本人である俺の頭の上には疑問符が大量に浮かんでいた。

 強化されたように蹴り応えのない堅い感触にも関わらず、不自然に飛んで行った剄さん。ハンマーで岩を叩いたら、それがただのでかい軽石で簡単に砕けてしまったような、そんな違和感を覚えてしまった。

 そのまま剄さんとの戦闘は終了に。彼女を見極めるという成果は全く上げられず、さらに彼女に不審を抱くような結果に終わった。

 次の対決である惺さんと佐々木さんと入れ替わろうと扉へと向かう途中――立ち上がりトボトボと歩く剄さんの横を抜けた時だった。


「――回り出した歯車はもう止まらない」


「え……?」


 剄さんのものでしかない低くくぐもった声に、俺は思わず足を止め振り返った。


「…………」


 しかし、既に口を結んだ彼女は俺と目を合わせることなく、今度は彼女が俺の横を抜けて演習場から出て行った。廊下の端に座り込んだ彼女は相変わらずの殺伐としたオーラを纏っていて、話し掛けても応えてくれないのは明白。

 その言葉は一体何を意味しているのだろうか? 

 どんな目的で発し、どんな結果へと繋がる言葉なのだろうか?

 彼女の意味深過ぎる言葉は何を意味するのか――それが明らかになったのは数日後のことだった。


     ◇


「あれ、慧さんは?」


 本日の特訓も終わり、一般生徒の下校時間が過ぎた頃。ロッカールームに戻って来た訓練着姿の俺を出迎えてくれたのは惺さん一人だった。


「急いでるとかで先に帰った」


 制服に着替え奥のロッカーに背を預けた惺さんは、僅かに首を傾げながらもその表情に変化はない。何を考えているのかまるで読めないお馴染みの無機質な表情だ。


「急いでる……」


 彼女とは対照的に、その言葉を聞いた俺は不安で表情を曇らせる。


『午後六時に校舎裏で待つ。誰にも言わず一人で来い』


 特訓が終了し彼女達と別れた俺は〝何者〟かに手紙で呼び出され、校舎裏へと行っていた。襲撃された一件から戻りつつある平和な日常を脅かす差出人不明の手紙。襲撃者が接触を図ろうとしているのかと、姉さんに用事があると偽り二人には内緒で訪れたが、五分ほど待っても誰も現れなかった。

 ただのイタズラだったのか、そう思いロッカールームに戻って来た俺に話してくれた惺さんの言葉。俺が居ない間に起こった慧さん単独での下校は果たして偶然なのか。それとも黒いローブに身を通した奴が絡んでいるのか。

 唯一の救いは今がまだ六時を過ぎて十分ほどしか経ってないこと。早めに特訓を終わらしたことも有り、まだ校門前の並木道にはちらほらと生徒が残っているだろう。寮までで彼女が完全に一人になることはないはずだ。


「自分達も早く帰ろうか」


 そう自分に言い聞かせ心を落ち着かせようとしながらも、俺の不安と危機感が消えることは決してない。早く帰って彼女の無事を確認し、これがただの杞憂なんだと知りたい。

 訓練着に手を掛けた俺は、至近距離から俺の着替えを凝視する惺さんの視線も気にせず黙々と着替えを済ませると、すぐさま校門へと向かった。


「ふふっ初めての二人での下校……」


 事情を知らない惺さんは不気味な笑みで俺の腕を取り、豊かでとても柔らかい胸を押し付けるように体を寄せて来たが、ラッキーな状況を素直に堪能することも出来ない。ただ慧さんことが心配で仕方なかった。

 心から完全に消し去りたい俺の不安と危機感。しかし、それが杞憂に終わることはなかった。


「遅いな……」


 数日前には俺を佐々木さん達と一緒に待っていたように、門限である八時を越えても帰って来ない慧さん。不安は消えないどころか、どんどんと増して行くばかり。襲撃者の餌食となっているのではないか、そうでない方が有り得ないと俺はもう確信し始めている。


「連絡も全然取れないし、こんなこと初めて……」


 黒いシャツに黒の短パンという部屋着に着替えた惺さん。ベッドの端に腰を下ろした彼女は表情を変えないまでも、俯くようにその手に持った携帯電話に視線を落としている。


「はぁ……」


 ――これ以上待つことは出来ないな。


 青いシャツと黒のショートパンツに着替え、落着き無く部屋を歩き回っていた俺は――姉さんの発明品である――腕時計を口元に寄せると、現在の状況について全て姉さんに伝えた。


『――事情は分かった。今からそっちに向かうからロビーで待っててくれ』


 数日前の襲撃者が関わっているのではないかという俺の推測も入った説明。黙って最後まで聞いていた姉さんは冷静にそう告げると通話を切った。


「襲撃者?」


 姉さんと同じように俺の通話を黙って聞いていた惺さんは、当然のようにそれを聞いて来る。彼女達に無駄な心配を掛けたくないと黙っているつもりだったが、もうそんな状況ではない。


「実は――」


 惺さんの対面である自らのベッドに腰を下ろすと、彼女の足を見つめるように俺は口を開いた。姉さんとの相談の上ではあるが、彼女達に黙っていた後ろめたさから顔を直視することは出来ない。それでも数日前の訓練後に起こったことを包み隠さず全て話した。


「つまり、慧はアオイを圧倒したソイツに拉致された可能性が高いと?」


 数分ほど説明した俺が口を結んだことで、俺が姉さんに伝えた推論を惺さんもまた口にした。


「う、うん。絶対とは言えないけど、連絡も付かないならそれしか考えられない……」


「そう……」


 俺の言葉を受けて惺さんはまた口を閉ざした。

 何を考えているのだろうか……。

 黙っていたことに怒っているのだろうか……。

 俺をもう信用出来なくなったのだろうか……。

 ここでトリオの解消を告げられるのだろうか……。

 彼女の次の言葉を聞くのが怖い。でも、この胸を締め付けるような痛みがずっと続くのも辛い。

 全く手応えを感じなかった、堂上の合格者発表を見に行った時に似た感覚。絶対に落ちてるんだと思いながらもそこから逃げ出すことも出来ず掲示板を見上げたように、俺はゆっくりとだが顔を上げた。

 それを待っていたように重なった俺の視線と彼女の視線。その瞬間だった。


「私達のことを考えてのことだから、別にアオイを責めるつもりはない。でも、私達に黙ってたことは許せない」


 惺さんはいつもと全く表情の変わらないまま。それでもどことなく力強く俺を見つめている。


「私達のことをもっと信じて欲しい。私はこんなんだから役に立たないかも知れないけど、それでも出来ることは全力でやる。私達は仲間、最後まで持ちつ持たれつな関係。一人で悩みを抱え込む必要はない」


 強い感情の籠った言葉を一気に言い終えた彼女は立ち上がると、


「契さんと慧を助けに行くなら私も同行する」


 それだけを言って廊下へと向かう。


「惺さんっ!」


 俺もまた急いで立ち上がると、彼女の背中へと強く叫ぶ。


「なに?」


「ごめん、ありがと」


 足を止め肩越しに振り返った惺さん。俺は彼女の黒い瞳をしっかりと見つめ、矛盾した言葉を掛ける。それは考えて出たものではない。惺さんが慧さんのお姉さんなんだと初めて思える温かい言葉に、俺の口から自然と出たのがその言葉だった。


     ◇


「まあ、一旦ここに集まった訳だが」


 全寮制である水瀬魔術女学院の寮。幾つかの小さなシャンデリアが灯りを落とした、高級ホテルのような大きなロビーの端である。


「現段階で掴めてる情報は全くないんだよな」


 丸テーブルを囲うように、十字に配された一人掛けの四つのソファー。その一つに座る――ワイン色のワイシャツに濃紺のジーンズを合わせた――契姉さんは眼鏡の奥に見える冷静な瞳そのままに、正面の俺と隣の惺さんを見ながらに呟いた。

 最初こそ姉さんの登場に何人かの生徒が驚き色めき立っていたが、真剣な様子ですぐさま俺達と話し出したことで、近付いて来る者は誰も居ない。明らかに気を遣ってくれて、二十近くあるテーブルを隔離するように、半径十メートル以内のテーブルが全て空いている。


「はい、あれ以来自分を襲撃して来りもないので、小柄な女性という情報以上のものはないんですよね」


 惺さんの前ということで俺は姉さんに対して敬語で答える。すぐにでも慧さんを助けに行きたいと逸る気持ち。しかし、何の手掛かりもなければ動きようがない。むしろ焦って考えなしに動くことの方が危険。一度、じっくりと話し合った後で動いた方が絶対に良いはずだ。


「小柄な女性……」


 俺の言葉を聞き、惺さんは心当たりがないかと考えを巡らしているように見える。表情は変わらないので〝ように〟でしかないが、妹のことを心配している惺さんが何も考えていない訳がない。

 だからと言って、必ずしも良い考えが出て来る訳ではない。彼女はずっと口を閉じたままで開く気配がまるでない。

 それもそのはず。中学高校と俺の同級生である惺さん。俺か姉さん達に恨みを持つ犯人の心当たりが彼女にあれば、俺にも当然心当たりがあるはず。姉さんの弟子としてのそれだったとしても、それならそれで姉さんはが分かるはずだ。


「はぁ……やっぱり襲撃者に繋がる手掛かりはないか」


 俺達の反応を見て、改めて姉さんは溜め息を漏らす。


「身代金の要求でも何でも良いから、奴からの接触や犯行声明でもあれば良いんだがな」


「犯行声明ですか……」


 勿論それは俺達の下に届いてもないし姉さんにも届いていない。多分だが、学校にも届いていないだろう。もし届いていれば、慧さんが本当に拉致されたのかどうか、確認の為に桐霞さんが俺達に連絡するだろう。


 ――ん、そう言えば……。


「犯行声明かどうかは分からないんですけど、ちょっと気になることがあるんですよね……」


 今は何でも良いから犯人に繋がるかも知れない可能性を探っている中で、俺は数日前の意味深な言葉を思い出した。


「気になること?」


「はい。その特徴に当てはまるということで剄さんをチェックしてたんですよね。そうしたら襲撃翌日に『回り出した歯車は止まらない』とか、そんな意味あり気な言葉を言われたんですよ。それが何なのかは分からないんですけど、もしかしたら……」


 姉さんの瞳を真っ直ぐに見つめ伝えた俺はそこで言葉を区切ると、


「歯車……」


「剄夕歌か……」


 あくまで俺の主観でしかない説明に、惺さんと姉さんがそれぞれ言葉を漏らした。それは状況をさらに混乱させてしまう、全く関係ない情報かも知れない。だが、惺さんに対し姉さんの反応は――〝手掛かりがないこの状況を打開する可能性として当たってみよう〟というものでは決してなかった。


「アイツなら充分に有り得るな」


 続けた言葉は俺の推論に賛同するものだった。


「えっ、それは……?」


 俺は姉さんがすぐに頷いたことに戸惑いながらもその真意を尋ねる。一応は担任教師であるので、彼女について俺達に以上に何か知っているのだろう。


「剄がアオイを襲った襲撃者という可能性は低いだろうが、剄のその言葉が事実であれば襲撃者の本当の正体にも見当が付く」


 断言するような強気な口調で姉さんは俺を見つめ返すと、


「詳しい説明は向かいながらに話す。アイツが関わっているなら慧が乱暴に扱われていることはないだろうが、急いだ方が良いことに変わりはない」


 端的にそれだけを口にして立ち上がった。


「いや、えっと、その本当の襲撃者って言うのはっ?」


 俺もまたすぐに立ち上がり、早速と歩き出そうとする姉さんに早口で尋ねた。


「ああ、ソイツは深矢理だよ」


 二の足を踏んで振り返った姉さんの口から出た衝撃的な人物の名前。


「私の研究のスポンサーであり、私が水女に通っていた一年間、桐霞と三人でトリオを組んでいた――橘深矢理だよ。アイツなら私を恨んでいても何ら不思議ではない」


 姉さんは相変わらずの涼しい調子で、淡々と自らの推理を教えてくれた。



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