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第二章

第二章


「ん、んん……ここは……?」

 

 柔らかなベッドの上で身を起こした俺は、いつもと違う光景に一瞬ここがどこなのかと混乱してしまう。

 

 ――そうか、昨日からここで暮らすことになったんだっけ……。

 

 ホテルの部屋のように片方の壁に並んだ三つのシングルベッド。その中央で真っ白の天井を見上げていた俺は、頭だけを動かし窓際のベッドに視線を移す。


「すぅ……すぅ……」


 胸まで掛かった乱れのない布団。おとぎ話の白雪姫のように綺麗で穏やかな顔で眠るのは中学時代からの想い人。結局想いを告げられないままにお別れとなった明日香井慧さんと同じ部屋で俺はこの一年間を暮らすことになったのだ。

 寮での同居相手は彼女だけではない。俺は彼女に向けていた頭をそのまま通路側にあるベッドへと向け、


「えっ……」


 あまりの驚きに呆けた声を漏らしてしまった。


「おはよ」


 俺を驚かせた相手が居たのは同じベッドの上。シングルベッドの端に横たわった彼女は、わずか数十センチの超至近距離からぽつりと呟いた。


「あ、う、うん、おはよ」


 驚きと緊張で一気に胸が高鳴りながらに俺も挨拶で返す。

 慧さんの年子の姉である惺さんはこのやり取りを経ても、その無機質な表情で真っ直ぐに俺を見つめている。

 いや、彼女が見ているのは厳密には俺ではない。姉さんにその体を作られ、体内に植え込まれたお札に仮初の魂を生み出されたことになっている戦闘型人形――アオイを観察しているのだ。


「えっと……いつからそこに居たの?」


 観察を止めない彼女へと、俺はどうにか言葉を紡ぎ出して尋ねる。最初は気付かなかったが、俺の右腕には黒いパジャマを纏った彼女のその大きな胸が押し付けられている。意図的ではないのだろうが、この狭いシングルベッドだと嫌でも体が接触するのだ。しかも、生々し過ぎる柔らかさ。どうしてだろうか、彼女がノーブラなんだと分かってしまい、俺の顔は急激に熱くなった。

 男としては決して悪い気がするものではないが、相手もそれを気付いているんであればこの状態のままというのはいけない――と思うのだが、


「一時間ぐらいかな。仮初の魂でも睡眠が必要なのかと、じっくりと観察させてもらった」


「あ、うん、そうなんだ……」


 彼女のそのポーカーフェイスを向けられれば、まともな会話なんて出来ない。彼女とも中学時代からの同級生であるが、話したことなんて一度もなかった。

 これからどうするべきか、どうすれば良いのかと俺が考え始めた時だった。


「――二人とも何してるの?」


「えっ……」


 唐突に背後から掛けられた言葉。俺は惺さんの胸から逃れるようにベッドから上半身を起こした。声がした窓際を見れば、そこには勿論この部屋のもう一人のルームメイトである慧さん。布団の中の彼女は枕に頭を付けたまま、俺達の方をジッーと見つめていた。


「あ、いや、これは、えっと……


 さながら浮気現場を恋人に見られたかのように俺は動揺し舌が回らなくなるのだが、


「ただ私が観察してただけ」


「ああ、お姉ちゃんのいつものクセか」


 姉の言葉にそうかそうかと慧さんはあっさりと頷いている。


「アオイさんすみません。姉さんが迷惑ならハッキリと言ってくれれば良いんで」


「あ、ああ、うん、分かったよ」


 俺は二人のやり取り、そして自分へと掛けられたアオイという名前に、自分の今の立場を思い出した。やっぱり昨日の今日では咄嗟の瞬間に〝葵〟に戻ってしまうのだ。


「ちょっと早いですけどもう起きましょうか、食堂も開いてる時間ですし、私は朝シャワーを浴びたい派なんで」


 起き上がりスリッパを履いた白いパジャマ姿の慧さん。ベッド下の収納から着替えを取り出した彼女は優しく明るい笑みを浮かべている。俺が学校でいつも見ていた彼女は胸に掛かる綺麗な黒髪をポニーテールにしていたので、解いている姿はとても新鮮だ。


「アオイさんもご一緒しますか?」


 湯船はなく、本当にシャワーを浴びるだけのシャワールーム。扉のすぐ脇にあるそこへと彼女は真っ直ぐに向かうかと思いきや、足を止め再び笑顔を俺へと向けた。


「あ、いや、自分は大丈夫だからっ」


 落ち着きを取り戻した俺はそのまま彼女を見送りたかったのだが、彼女の言葉で急激に鼓動が速くなる。まだ二日目でこの生活に慣れていない俺は想い人の一挙手一投足にずっと緊張しっ放しだ。


「ほら、お姉ちゃんもそんな所にずっと居ないで一緒にシャワー浴びるよー。いつまでもダラダラしてたら朝ごはんを食べる時間が無くなっちゃう」


「むっ、そうか、仕方ない。観察は一旦休止にする」


 そう言って俺のベッドから起き上がった惺さんも着替えを取り出すと、改めて俺をジッと見つめた後で妹と一緒にシャワールームの中へと消えて行った。


 ――はぁ……疲れた……。


 しっかりと扉が閉まった所でようやくと気を抜くことが出来た俺は、強張った全身から力を抜くように大きな息を吐いた。


 ――これが一年も続くのか……慣れる日なんて来るのだろうか……?


 アオイとしての生活二日目にして俺はもう参ってしまっている。姉さんや惺さんみたいな性格であれば異性としての生活にも気にせず、他人にそこまで気を遣うこともないんだろうが、やっぱり俺の心は罪悪感で支配されている。

 人形の体は汗を掻かなく、土埃なども浴びていないということで今のところは最大の懸念であるシャワーを浴びる必要もない。ただ屋外練習などで汚れれば遠慮はもう出来ないし、不意に彼女達の肌を見たり触れたりするような機会がこれから有るはずだ。その時のことを考えるだけで胃がキリキリと痛くなる。例えそれが不可抗力であったとしても、彼女達を騙していることには変わらない。


「はぁ……」


 ――これからどうしようか……。


 全体重を預けるようにベッドへと背中を落とした俺は、真っ白い天井を見つめながらにまた溜め息を漏らした。耳へと届き始めたシャワーの音に、彼女達が話している微かな声。落ち着いていた胸がまたドクンドクンと高鳴り、妙に耳が冴えてしまう。


 ――ホント、無事に一年間を終えることが出来るのだろうか?


     ◇


 魔術が公になったのは西暦一九四五年。アメリカが二度目の核兵器を使用したすぐ後のことだった。このままでは人間が有らぬ方向へ向かう可能性を危惧した魔術協会により全世界に公表されたのだ。

 協会はすぐにアメリカに対し核の放棄を求めるが、アメリカは従わないどころか核を盾に対抗して来た為に、公式に魔術が使われた最初の戦争――対米魔術戦争が起こることになった。

 その結果はあまりにも呆気なかった。国籍を持たない魔術師集団は一カ月にも満たない戦争でアメリカの保有していたほぼ全戦力を破壊。魔術がいかに強力なものかと世界に知らしめた。

 同年に魔術協会主導で発足した国際魔術連合。刃物を除く武器及び、非魔術戦力の保持を禁止する加入条件を呑めば魔術を提供するという対価に、いわゆる〝戦勝国〟を除く独立した国の多くが加入を申し出た。強くなるのにお金が掛からない魔術は貧乏国にはとても魅力的だったのだ。

 国際魔術連合――通称〝国連〟もその要望に応え、多くの国に魔術師を派遣した。迫害されてきた魔術師が必要とされる場を作るという設立の目的は無事達成。魔術が宗教の壁を越えて世界に認められたのだ。

 イギリスやソ連、フランスや中国、丸裸となったアメリカがその動向を静観する中でとりわけ支援の対象となったのは真っ先に加入を申し出た日本。

 アメリカの核研究の餌食となった日本を魔術導入国の象徴としようとする目論見に、その勤勉さで応えた日本人。信じられないスピードで復興した日本に遅れまいと、一九五六年までに全ての戦勝国が加入条件を呑み、国連が真に国際組織の最上位として確立した。

 魔術を越える科学的な力の発展に抑制を掛けた国連の管理による七十年。民族や宗教間の対立での衝突が幾つかあったものの、第一次大戦や対米魔術戦争に及ぶ戦争は起こっていない。国連による平和維持政策はとりあえず成功していると言っても良いのだろう。



 ――はぁ……。


 要約すればそんな内容の三津葉先生による近代魔術史の授業。新学期間もないとあって中学時代にも習ったおさらいを受けながらに、俺は声にもならない溜め息を吐いた。


 ――やっぱり何か問題が起こる前に彼女達だけにも自分から正体を明かした方が良いのかな……。


 廊下側最後尾の席に座る俺は授業に集中し切れず、そんな悩みと共に真反対の窓側最前列辺りに座る二人を何度も見ている。

 最前列の慧さんは真面目にノートを取っているが、惺さんはただ聞いているだけで手は全く動いていない。おまけに俺の様子を観察しようとこちらを見ていることも多く、俺にとっては初日であるこの九十分間の一限目の授業の終わりに差し掛かった頃には、もう両手の指では数え切れないほどに目が合っていた。

 その度に咄嗟に教科書に視線を落としているものの、気付いた時にはまたトリオのメンバーであり、同室でもある彼女達を見ている。それも全ては今朝のことがあるからだ。

 一年間この人形として生きていくのを止めることが出来ない前提において、俺が悩まずに生きて行く方法は彼女達だけでも共犯にするという方法。伝えるなら何も起こっていない今がベストなのだが……。

 いかんせん気乗りはしない。自分の正体を明かした時にどんな言葉で怒られるだろうか。そのことを考えるだけでまた今朝のように胃がキリキリと痛む。このリアルな人形の感覚が忌まわしいが、これが俺の罪を表しているようで、今の俺にとっては良い罰なのだろう。

 結局、一度も集中出来ないままに響いたチャイム。高校生として最初の授業の想い出は、悪い意味でいつまでも残りそうな気がする。


「アオイちゃん、どう? 分かった?」


 授業を締め括り三津葉先生が出て行った所で掛けられる声。


「今の段階でどれぐらいの知識があるのかな」


 俺の前席、そして隣に座る女子生徒が俺へと笑顔を向けている。それ以外にも斜め前や前の前の席の女子生徒だったりと、俺に話し掛ける様子に近くの席に座る生徒の視線が集まっている。


「あ、う、うん、大丈夫だよ。博士や桐霞さんから予め色々と知識を得てるから何の不自由もないよ」


 注目を浴びた俺は緊張しながらに笑顔で答えるのだが、ちゃんと笑えているのか分からない。人付き合いが苦手なだけに笑顔を浮かべる機会も少なく、顔が引き攣っているんじゃないかと嫌でも考えてしまう。


「へぇー、そうなんだー」


「……うぇ?」


 突然と背中に感じる柔らかな衝撃に漏れ出た呆けた声。鼻孔をくすぐる甘い匂いと共に、離れた席のクラスメートが胸を押し付けるように後ろから俺に抱き付いて来たのだ。


「転入してくる前にも色々とあったんだね」


 俺の肩からにゅっと顔を出して話を続ける、まだ名も知らない黒髪短髪のボーイッシュな女子生徒。俺を中心に集まる彼女達はそのまま変わりなく盛り上がっている。

 登校して来てから朝のホームルームまでもそうだったように、〝アオイ〟に興味津々の彼女達は特別な転入生と交流を持ちたいのだろう。それを造ったのが契姉さんであり桐霞さんだから。

 女性に囲まれて話す、中学時代の俺では決して有り得なかったチヤホヤされている状況。男が傍から見れば羨ましく思うだろうが、当事者である俺は戸惑うばかり。


「あ、うん……」


 次々と投げ掛けられる誰から飛んで来たかも分からない質問に、適当に頷くことしか出来ない。やっぱりこういう状況は女性との付き合いに慣れた人間にしか出来ない事なのだろう。今の俺はここから逃げたい気持ちしかない。

 中学時代と違って九十分の授業が一日四コマあるこの水瀬魔術女学院。休憩時間も十五分と少し長いのだが、その最初の休憩すらも悪い想い出として残ることになるのだろうか。諦めていた俺の予想はしかし外れることとなった。次の授業がそうはさせなかったのだ。


「ほら、皆早く行かないと次の授業に遅れるよー」


 俺を中心とした十人ほどの輪を掻き分けて現れたのは明日香井慧さん。


「二限目の実技訓練は契さんが担当してくれるのに」


 俺にとっても初耳であるその言葉は彼女達を散らすにはとても効果的だった。


「えっ、それホント!?」

「早く着替えて行かないと」

「契様の授業に遅れるなんて絶対に駄目だよ」

「契様の授業かぁ、すっごい楽しみだな」


 代わる代わる声を上げたかと思えば、


「それじゃあ、私達は急ぐね。アオイちゃんはその二人にロッカールームまで案内してもらってね」


 訓練着の入ったバッグを手にした彼女達は、掌返しをするように俺を慧さんと輪の外に居た惺さんに任せ、駆け足でロッカールームへと向かった。

 やっぱり彼女達の興味は姉さんが一番上。発明品である俺に構っているよりも、遅刻せず姉さんの評価を下げないことの方がずっと大事なのだ。


「はぁ……」


 助かったと俺が息を履いたのも束の間。


「それじゃあ私達も着替えに行きましょうか、あと十分しかないですね」


 胸を押し付けるほどの接触はないまでも俺の肩に両手を置き、横から俺の顔を覗き込む穏やかな笑みの慧さん。


「あ、うん、そうだ――」


 ぎこちないまでも笑顔で応えようかと思った俺の意思はしかし、最後まで言葉を紡ぎ出すことは出来なかった。


「き、着替え……」


「はい、クラス毎にロッカールームがあるんでそこで着替えたり、物理的な武器を持ってる子なんかは個別のロッカーに入れてたりするんですよ」


 思わず口へと出てしまった俺の言葉に優しく丁寧な口調で説明してくれた慧さんは、


「早く行きましょう。うちのロッカールームまで案内しますよ」


「あっ……」


 椅子に根を張ってしまいたい俺の想いを余所に、笑顔のまま手をしっかりと握り俺の手を引いた。

 柔らかい手の温もりにドキッと胸が高鳴る俺は導かれるままに彼女に引っ張られて行く。好意を寄せる相手との初めての接触に、頭が熱くなった俺は抱えていた不安を完全に忘れていた。


    ◇


「とりあえずは各トリオの実力や連携を見るのが良いだろう。各々のレベルを把握するにはそれが一番手っ取り早い」


 屋内に二十、屋外だと大小合わせて三十近くも演習場が有るという広大な敷地を誇る水瀬魔術女学院。地下にある設備のおかげでその上を一切の魔術を通さないという特殊なラインで区切られた屋外演習場の一つ。


「各トリオ七戦ずつの総当たり戦だな。同時進行でやればこの授業中にも終わるだろ」


 土のグラウンドに決まりなく集まった二十四人の生徒を見回しながらに、白衣姿の契姉さんは淡々と今日の授業内容を説明していく。


「制限時間五分でインターバルも五分だけ取って続けてやるから、途中で魔力切れにならないよう考えて戦えよ。それも含めてのお前達の実力チェックだからな」


 雲一つなく晴れ渡った気持ちの良い空の下。爽やかな空気に満たされた中でクラスメート達は元気良く一斉に「はいっ!」と答える。

 一様に輝いた同級生達の目。姉さんに認められたい一心なのだろう。黒の短パンに白い半袖シャツという訓練着は四月の中旬にしては少し肌寒いが、そんなことを気にして姉さんの話に集中出来てない者は居ない。

 俺もそのテンションに乗りたいのだが、今はまだ心が乱れていてそんな気にはなれない。つい先ほどのイベントが俺をそうさせているのだ。



 負の感情を打ち消した慧さんと接触の後に到着したロッカールーム。中学校の教室程の窓のない室内には、四方の壁を覆うように三十個近いロッカーが並んでいる。

 足を踏み入れた瞬間そこはもう男にとっては楽園。ここに居るのは女性だけだと、クラスメート達は当然周りの目に憚ることなく着替え中だった。

 極力彼女達の着替えを見ないようにと頑張るのだが、意識し過ぎるが故に却って視界に飛び込んで来る白い肌。彼女達が纏った赤、黒、水色、薄緑など色様々な下着。俺は危惧していた罪の一つを早速と犯してしまった。

 俯いた俺は空いているロッカーへと慧さんに案内され、俺のバッグを持って来てくれていた惺さんからそれを受け取ったのだが、やっぱり居たたまれなさはこの上ない。小学生の時に用事があって上級生のフロアを訪れた時の様な、それをも越える場違い感を抱いてしまう。

 最終手段と俺は目を閉じて着替えに励んだのだが、嫌でも耳に入る衣擦れ。しかも、近くにあるのは慧さんのロッカー。聞かないようにと意識するからこそ彼女が着替える生々しい音が耳に響いて、余計に俺の胸を高鳴らせていた。

 おまけに慧さんの奥隣の惺さんから向けられる観察するような目。人形である自分のスポーティーな黒の下着を纏ったスレンダーな体を見ることすら恥ずかしいのに、値踏みするような視線を浴びせられたら正気を保つのは難しい――そんな最悪のタイミングで悲劇は起こった。


「すっごい綺麗な肌」


「っ!?」


 背後から忍び寄られた気配。剥き出しとなった俺の背中にスッと這う一本の指先。声にならない悲鳴を俺に上げさせたのは、教室での会話には居なかったクラスメート。既に訓練着に着替えた彼女は輝いた目で俺の体を凝視していた。


「ホントっ、肌艶だけでなく細身の理想的な体」

「うん、さすがは契様が造った体。胸は小さめだけど、こんなにも美しくスレンダーな体型ならモデルになることだって出来るよー」


 彼女に続いて寄って来たまた別の二人のクラスメート。一人は薄緑のブラを露出させたまだ着替え中で、もう一人はピンクのショーツすらも露出させている。

 見ちゃいけないと俺は咄嗟に視線を外し俯くのだが、その時にはもう悲劇の連鎖は始まっていた。


「あ、私にも触らせてー」


 興味津々に声を上げ、また新たに俺の腕に触れる温かく柔らかな感触。


「あ、私もー」


 そう言って続く他のクラスメート達。


「全然人形っぽくないね。本当の人間と区別が付かないよー」

「うん、体はちょっと冷たいけど柔らかいね」


 抵抗することも出来ず、背中を向けて縮こまる俺の体を好き放題に触りまくる彼女達。姉さんの授業というニンジンだけではやっぱり物足りないようで、目の色を変えてロッカールームへと急いでいたクラスメート達もまた押し寄せるように集まって来た。

 心をもむずむずとさせるくすぐったさ。そして何とも言えない居たたまれなさ。ここで慧さんが助けてくれないかと、すがるような想いでチラッと視線を横に向けるのだが、


「実は私も色々と触ってみたかったんですよねー」


 白く柔らかそうな胸を水色のブラで支え、黒の短パンを履いた彼女もまた姉さんに憧れ、その発明品に興味のある年相応な女の子。手を握るだけでは満足出来ないようで、俺の腕をその温かな手で包んだ。

 しかも、その隣にはいつの間にかもにゅもにゅと俺のお腹を触っていた、上下黒の下着姿の惺さん。危険過ぎる大きな膨らみを揺らす彼女はどことなく嬉しそうに、ただ俺の体だけに集中している。

 いつまで続くかも知れないお触り会。とても長いようで実際はほんの数分程度だったのだろう。授業開始まで残り三分となった所で誰かが授業に遅れるかもと言い始め、彼女達は解散した。

 実技授業前から既に疲れ切った俺がどうにか着替え終わったのは一番後。また誰かに視線を取られないようにと最後に退出するつもりだったが、わざわざ待つ必要もなかった。



「――それとアオイと明日香井姉妹のトリオだが」


 この乱れた心の原因を回想していた俺を現実に引き戻す姉さんの言葉。


「三人で戦うのは初めてだが、ちゃんと〝三人〟で戦えよ。まだアオイとの連携は難しいと思うが、明日香井姉妹だけで戦おうとはするなよ」


 それは隅で固まった俺達三人に向けられたものだが、真面目な顔の姉さんが見ているのは慧さんと惺さんだけ。主に彼女達に対する事前の注意なのだ。年子の姉妹である彼女達の実力は圧倒的。昨晩自室で確認したことに二人は間違いなく姉さんの弟子。俺が居なくともトリオの敵を倒すことは容易い。


「分かりました。トリオでの戦い方をします」


 自然と俺達の中心に居る慧さんはあっさりと頷いた。彼女自身もそれだと授業の趣旨に沿ってないと充分に分かっている。


「それじゃあ早速組み合わせを発表する」


 慧さんの言葉を受けた姉さんは時間が勿体ないと、各代表者の名前で第一戦目の組み合わせを告げていく。

 正直ロッカールームでの心のダメージがまだ深く残っているが、俺は無理矢理にでも気を引き締める。俺達が負けるようなことがあれば、俺が彼女達の足を引っ張っていることになる。それだけは駄目だ。


「初戦はとりあえずアオイさんを中心にして、私達がそれをサポートする感じで行きましょうか」


 サッカーコート一面ほどの広さで中規模クラスに位置する第七屋外演習場。四分割されたコートの一つに移動し、戦闘開始の合図が掛かるまでの作戦会議。


「それで良いと思う。仲間としてのアオイがどんなものか、観察しながら戦えるのは私としてもありがたい」


「アオイさんもそれで良いですか?」


 姉の無機質な言葉を軽く受け取った慧さんは改めて俺を見る。


「あ、うん、トリオ戦は初めてだから、そうしてもらえると自分もありがたいかな」


 特区の中学校であっても、高等魔術の授業は専門的な魔術高校から。世界大会での花形競技であるトリオ戦が行われるのも高校からなのだ。


「緊張してますか?」


 最低限の作戦会議が終わると、慧さんは俺の落ち付かない様子に気付いてか、優しく尋ねて来た。


「いや、まあ、少しはね」


 俺は苦笑交じりで正直に答える。惺さんを倒したことで少しは自信を持つことが出来たのだが、やっぱり初めてのトリオ戦に不安を抱いている。


「アオイさんは目の前の敵一人に集中して下さって大丈夫ですよ。契さんにはあんな注意を受けましたけど、高レベルでの戦いでなければトリオ戦は基本的にはタイマン勝負の延長線上です。連携がなくともそれぞれが目の前の敵を対処し切れれば、私達が負けることはありません。連携が必要なのは実力が五分の相手や各上の相手だけですよ」


「はあ、そんなものなんだ?」


「はい。他の二人がアオイさんに仕掛ける攻撃は私達が食い止めますので、アオイさんは気楽に戦って下さい」


「私は意識のほとんどをアオイの観察に向けるけどそれなりに頑張るから心配しなくても良い」


 慧さんの言葉を受けて続いた惺さん。


「いや、お姉ちゃんそれ、何の励ましにもなってないから」


 姉の言葉に慧さんは呆れたように突っ込んでいる。


「ふふっ、ありがと、二人のおかげでだいぶ緊張が解れたよ」


 本当にそう思っている惺さんの素でズレた言葉だけに、あまりにも空気を読んで無さ過ぎて面白く、硬さが取れた気がする。


「そうですか? それなら良いんですけど……」


 姉が役に立ったのかと慧さんは首を傾げている。

 いつまでもこんな砕けたやり取りを続けていたいが、そう言う訳には当然いかない。


「準備は良いかー?」


 各グループが二十メートルほどの距離を隔てて対峙したのを確認した姉さんが大きな声を上げる。演習場のライン付近の姉さんは最初の位置から動いていない。一度に全部の試合を見るにはそこが一番良いのだろう。

 三十メートル以上離れた姉さんへと演習場手前側の端で軽く手を上げて応えた慧さん。その間にも俺を頂点とした一辺五メートルほどの三角形の陣形へと二人は移動していく。

 先頭のである俺の視線の先にまだ名前も憶えていない三人のクラスメート。横一列に並んだ中央に居るのは黒髪ロングの長身で、左右にはそれぞれ短い黒髪と、茶色のセミロングの眼鏡の少女。手ぶらの俺達とは違い、木刀のような物理的な模造刀を握っている。超攻撃的な近接戦闘のスタイルだろうか。

 彼女達だけでなく、俺達全員の腕には黒いリストバンドが巻かれている。それは魔術に干渉する魔器であり、魔術を放ったり受けたりする際に自然とある規定以内に威力を抑えてくれる。

 姉さんほどの強大過ぎる全力の魔術を受ければ壊れてしまうが、魔術の訓練では必須のアイテム。相手を傷付けないように各々で魔術を加減するのは相当に難しいことなのだ。

 じっくりと彼女達を分析しながらに、そんな余計なことを考えるのはそれまでだった。


「それじゃあ、今から五分間だ。始めてくれ」


 各トリオの合図を受け取った姉さんがあっさりと戦闘開始を告げた。

 先に動いたのは敵だった。開始と共に地を蹴った彼女達は魔術により強化した足で一気にスピードに乗ると、遅れて踏み出した俺へと一斉に向かって来た。

 長身の少女から振り下ろされた刃。軽く背後に飛び退き避けた俺はすぐさま右手を払い炎弾を撃ち出そうとする。だが、それは叶わなかった。短髪の少女が放った五本の氷柱を弾くことに咄嗟に切り替えた。


「くっ……」


 無事に氷柱を破壊することも束の間。その隙を突いて俺の懐へと接近した眼鏡の少女。体勢を崩した俺へと勢いのままに両手で強く握った刃を振り上げた。

 挌上である俺達へとまさしく連携攻撃で挑み、早々に俺を倒そうとした敵の作戦。そのトドメを担当する彼女の刃がぶつかる刹那、彼女は突然と地に伏した。

 攻撃を繰り出し無防備となった彼女を襲ったのは二筋の雷光。敢えて敵に突っ込ませたのか、惺さんのレールガンが見事にヒットした。

 俺へのサポートは惺さんだけではない。体勢を整える俺を包む大気が揺らいだ――と思ったその瞬間だった。新たに攻撃を仕掛けようとする二人の剣士が体勢を崩した。慧さんの生み出した突風が彼女達を煽ったのだ。

 眼前には隙だらけとなった二人のクラスメート。気付いた時にはもう俺の体は動いていた。強化した足で真っ直ぐに長髪の少女へと向かい、がら空きとなったその細い腹に加減した拳を叩き込む。

 すぐ横では刀を吹き飛ばされ、必死に手を翳し魔術を放とうとする短髪の少女。俺は足を止めず反転すると、流れるままに彼女の伸ばした腕を蹴り上げる。そして、再び隙だらけとなったその腹へと雷弾を撃ち込んだ。

 それで終わりだった。これ以上の戦闘続行は不可能と、姉さんがAコートと称したこのコートの戦闘終了を告げた。

 先に主導権を握られ後手に回ってしまったが、結果的には一分も掛からない圧倒的な勝利。不利な状況に俺が陥ってしまったからこそ、俺をサポートする為の彼女達との連携もあった。決して良い戦いとは言えないが、初戦としては良い経験過ぎる戦いだっただろう。


「やっぱり凄いですね」


 目の前で倒れたクラスメート達を介抱した俺が立ち上がったことで、慧さんが嬉々とした声と共に駆け寄って来た。


「あ、いや、二人のサポートがあったおかげだよ」


 それは嘘ではない。トドメこそ俺が刺したが、九割がた彼女達のサポートのおかげで勝てたと言っても過言ではない。


「その性能の高さ、やっぱり中身を切り刻んで見てみたい」


 自らがレールガンで倒した少女を介抱していた惺さんは、昨日も口にした言葉を呟いている。戦いながらの観察は順調に済んだようだ。何となくだが、その無機質な瞳はほんの少しだけ輝いている気がする。


「さすがにこの三人での初戦とあって修正点はいっぱい見つかりましたけど、アオイさんと一緒に戦えるのは楽しかったです。それに手応えも感じました。戦えば戦うほど強くなれるような気がします!」


 本当に心からそう思っているように、胸の前で拳を強く握り熱の籠った言葉を紡ぐ満面の笑みの慧さん。


「一年生で〝水女のトライデント〟の称号を得るのも不可能じゃないですよ!」


「え、トライデントって、さすがにそれは……」


 トライデントというのはギリシア神話でポセイドンが手にする三叉の槍。それを三人一組と掛けて、優秀なトリオのことをトライデントと呼んでいる。

 特にこの特区では各学校に一チームだけトライデントの称号を得ることが出来る。彼女の言っていることはつまり、新入生が三年生を差し置いて学校一の座を得ようというとても野心的なものなのだ。


「確かにそこまで上り詰めるのは難しいと思いますけど、目指す価値は充分にありますよ。目標は高く行きましょう。契さんや桐霞さん達に続く、水女二組目の一年生トライデントを目指しましょう!」


「目指すかどうかは各々の自由」


 戸惑う俺とは対照的に、妹の言葉を好意的に受け取った惺さん。


「確かに一年生でトライデントというのは楽しそうかも」


 また新たな好奇心の対象に、何を考えているのかまるで分からないポーカーフェイスながらも、やっぱりその目が輝いている気がする。

 いち早く戦闘を終わらせたことで手に入れたインターバルとは別の自由時間。倒した彼女達が距離を取り真剣な顔で作戦会議と思しきものをする中で語られる明日香井姉妹の野望。


「一年生でトライデント……」


 最初は不可能だろうと乗り気ではなかったが、慧さんのその自信に満ち溢れた顔を見ていると、本気で契姉さんの後を追うことも可能かもと思えてしまう。

 常に自信を持てなかったあの頃とは違う。一昨日までは姉の足元にも及ばず、高校受験にも失敗した浪人生に過ぎなかったが、今の俺は最高の体を得ている。そして、最高の仲間が居る。


「目指すのは各々の自由か……」


「はい、そうですよ!」


 惺さんの言葉を反芻するように口にした俺に慧さんは笑顔で頷く。


「アオイさんがこの学校に居られるのは一年間だけということなんで、この一年の間に是非なりましょう! 可能なら契さん達のように夏の対抗戦での学内選抜トーナメントで優勝しまして」


「そう、だね。なれるかどうかは分からないけど、目指せるなら自分も目指してみたいかな」


 彼女達の野望に俺も笑顔で応える。葵としてトライデントを目指すことは現実的ではない。この人形の体での生活を経験しても、葵としてアオイを上回ることも出来ないだろう。だったら、このチャンスを逃したくはない。


「本当に、この三人でならいけそうな気がする」


 まだ一度しか一緒に戦っていないが、慧さんの言うように手応えも感じたし楽しかった。どこまでも成長出来ると俺には漠然とだが断言出来る。


「ふふ、ですよね!」


 終始楽しそうに満面の笑みを保ち、顔が上気した慧さんの頷きに、


「その為にもこれから先は負けられない」


 惺さんの呟くような冷静な闘志。


「もちろんこんな所で負けるなんて許されないよ。負けることが良い経験になるかも知れないけど、勝ちながらにどんどんと修正点を見つけ、連携を高めて行く方が絶対に成長への近道だよ」


「うん、勝ちながらに成長出来るなら自分も勝ち続けて自信を付けたいかな。特に今日は連携を高め、最初から最後まで相手に主導権を渡さず圧倒して勝ちたい」


 慧さんと俺も彼女に続いて自らの意思を口にする。言魂とでも言うのか、口にすることでその想いは俄然強くなる。そして、三人の向かう方向が一緒なのだと心強くなった。

 トリオとしての目標が定まった数分後に行われた第二戦目。それに続く第三戦目から第七戦目。自分でも恐ろしいぐらいに俺達は圧倒的だった。

 系統に捉われずどんな魔術も高レベルで使える俺の近距離戦闘。華麗な舞いを見せるような惺さんの中近距離でのレールガン。風や氷系統魔術に特化した慧さんの強力な遠距離魔術。

 俺を中心に二人がサポートするという作戦は初戦だけ。特に作戦を決めず、流れで対処し、課題を見つけそれを修正するというスタンスで挑んだ二戦目以降。同級生達と俺が真っ先にぶつかることもあり、気付いた時には俺を中心とした連携が出来ていた。

 俺が頑張らないといけないというプレッシャーや、トライデントを目指すという気負いはなかった。中学時代は憧れでしかなかった二人と組めるのは本当に楽しく、緊張も忘れるほどに熱中し、全ての試合を一分以内に終わらせた。


 八チームによる総当たりのリーグ戦が終了し、姉さんの下へと再び集まった二十四人の生徒達。運動後とあってこれが男だけなら汗臭くて仕方ないだろうが、全員が女性ということもあり爽やかな香りで溢れている。


「――そして、アオイ明日香井組だが、さすがに同級生相手だと実力差が有り過ぎたか」


 本当に教員免許を持っているのかも怪しい契姉さん。教師らしく下位チームから順に良い点と伸ばすべき点、そして修正点と課題点を冷静かつ率直に伝えていたのだが、俺達に対しての切り出し方は違った。


「連携にも何の問題もなかったし、特区対抗戦の一年代表はお前達で決まりみたいなものだろう。お前達がこのまま連携を高め、他校の――特に堂上や壬生高のトライデントを倒せるほどになれば水女の優勝も夢じゃない。もしかしたら十年前に私達が作った歴代最高ポイント更新も可能かもな」


 特に問題点を挙げることなく称賛にも似た言葉。姉さん自身も俺達なら一年生ながらにトライデントになることも不可能ではないと考えているのだろう。昨年優勝の堂上や、水女に勝る準優勝の壬生のトライデントを引き合いに出しているぐらいだ。

 この魔術特区にのみ設置を許された専門的な魔術を教えることの出来る八校による、七月と十二月に行われる特区対抗戦。前回大会の結果により、個人戦とトリオ戦の各校の参加チーム数が決まるトーナメント戦において、優勝争いをしているのはほぼ毎年この三校だけ。

 他の選手の結果もあるので水女を即優勝に導くことにはならないが、トリオ戦のトーナメントで優勝することは日本最高の高校生トリオだと認められると言っても良い。


「だが、他の連中が実力差から、初めからお前達には敵わないと諦めるのも面白くない。ここは世の中そんなに甘くないことをお前達に知らしめてやらないといけないな」


 俺達に対する姉さんの評価にクラスメート達がざわつき、そしてどこか納得しているような中で再び口を開いた姉さん。


「時間も残ってるしトリオ戦とはどんなものか、私がそれを見せてやるか」


 どういう意味なのかと「えっ?」とクラスメート達が顔を顰めていると、


「佐々木、高辻たかつじ


 姉さんは俺達の反応を余所に、二人のクラスメートの名を呼んだ。


「お前達と私とでこいつ等に格の違いというものを見せてやるぞ」


 声を掛けられた本人達だけでなく、その衝撃的な発言に充満する驚き。しかし、それはすぐに俺達の評価に対する以上のざわめき――いや、色めきへと変わった。


「契様の戦い……」

「人前で戦うなんて何年振りかしら」


 と、嬉々とした表情で隣の者同士で喜びを分かち合っている。昨日姉さんがこのクラスの担任を担当すると告げた時のように、姉さんの久し振りの実戦が見られることが皆心から嬉しいのだ。それはただの傍観者のクラスメート達だけではない。


「契さんとの久し振りの戦い。トリオ戦は初めてだから楽しみ」


「うん。負ける可能性は高いですけど、私達の力を出し切りましょう」


 当事者である姉さんの弟子達もまたこの良い機会を心から喜んでいる。


「う、うん、全力で戦って、少しでも認めてもらいたいな」


 そして、実の弟である俺も姉との初対決に胸が高鳴っている。慧さんに答えた言葉も、葵としての純粋な想いなのだ。



「――敢えて作戦を立てる必要もないですよね」


 大きな演習場に佇むのは俺達三人と、五十メートルほど隔てた先で真剣な様子で作戦会議を行う姉さん達三人だけ。魔術を通さないラインの外にクラスメートは移動させている。どうやら姉さんは現実が甘くないことを本気で俺達に教え込みたいようだ。


「作戦を立てても通用しそうにないし、これまで通り戦えば良いと思う」


「うん、自分もそれで良いと思うよ」


 慧さんと惺さんの言葉に俺もあっさりと頷く。天才魔術師久世契を相手に下手な作戦を立てても無駄。むしろ作戦を破られた時に戸惑うぐらいなら、初めから作戦なんてない方が良いだろう。さっきまでもそれでやれてたんだし。


「――準備は良いかー?」


 わずか数分余りの作戦会議も終わり、姉さんは俺達へと大きな声を上げた。


「あ、はい。こちらも準備は出来ています」


 代表して慧さんが答えてくれたことで俺達も位置に着く。


 ――あの娘が先方か……。


 姉さん達の陣形は――どこかとのハーフだろうか――クラスでも目立つ金髪セミロングに蒼い瞳の、幼さの残る気品溢れる小柄な少女を先頭に置いている。

 俺達の次の成績を残したトリオに居た高辻さんという彼女は、自らの身長をも越える縦百五十センチ、横も五十センチはあるだろうか、大きな盾を軽々と左手で握っている。

 彼女の背後には俺達と初戦で戦った黒髪ロングヘアで長身の佐々木さんという少女。模造刀を握った彼女の後ろにようやくと契姉さん。水女在学時は中近接戦闘で多彩な魔術を扱っていたが、今回は遠距離戦闘を担当するのだろうか。


「それじゃあ、今からスタートだ」


 姉さんの味気ない合図により始まった戦闘。三角陣の頂点に立つ俺はすぐさま地を蹴った。この胸に緊張はない。自分達の全力をぶつけたい気持ちでいっぱい。それを表すように体は軽い。

 三十メートルほど先で盾を地に突きしっかりと構える高辻さん。走りながらに放った俺の雷弾は、盾にぶつかると同時に吸い込まれるように消えた。対魔術師用に作られた物だろう。さっきもそうだったように、あの盾は正面からの魔術には滅法強い。即ちそれは、側面からの攻撃には弱いということでもある。

 対処法を知っている俺は彼女を中心に円を描くように側面へと回り込む。盾をそのまま俺へと向けた彼女の死角へと入る惺さん。彼女のレールガンはしかし、放つことすら出来なかった。最奥に構える姉さんの放ったレールガンを咄嗟に避けるしかなかったのだ。

 今でこそレールガンを使う者は少なくないが、それを普及させたのは姉さんと言っても過言ではない。姉さんの数ある魔術の中でもレールガンは一際人気が高かった。ギャラリーはこの攻撃に歓喜を上げているに違いない。

 だが、向けられた者は堪ったものではない。遠距離から放たれる雷の魔銃。演習場の端から端まで突っ切る様に、鋭い雷の弾丸は慧さんの動きをも制限する。


「――余所見をしてる余裕はあるのか?」


 姉さん一人で明日香井姉妹を相手にする間に俺へと迫っていた佐々木さん。肉体強化により素早く接近した彼女は勢いのままに模造刀を振り上げた。

 自分の感覚をも凌駕する人形の体。俺の意思に応えるように寸前の所で地面を転がり避けたのだが、俺の敵は決して一人ではない。起き上がろうとする俺へと振り回された盾という名の鈍器。


「くっ……!」


 防御から転じた高辻さんの攻撃を防ごうと、眼前へと構えた両腕にドシンと響く重く鈍い衝撃。反射的に蹴りを繰り出し追撃は許さなかったが、空を切った蹴りは俺に余裕を与えない。


「ぐぁっ……」


 高辻さんを警戒するが余りに失った佐々木さんへの警戒。背中に猛烈な熱さと痛みを覚えた時にはもう俺は膝を地面に落としていた。鋭利な痛みは彼女の模造刀による攻撃だったのか。

 サポートなく孤立した中でも俺は諦めず立ち上がろうとするのだが、それ以上の抵抗は不可能だった。視界の端から現れた雷撃に俺は完全に倒れ伏した。

 人形の体のおかげか、リアルな痛みを覚えるのに意識が薄れることはない。痛みにしても、一瞬の激痛はあっても長引くことはない。こんな時にこそ自分が改めて人形の体に魂を移されただけの存在なのだと痛感する。

 最後の攻撃は姉さんの放ったレールガンだったのだろう。うつ伏せのままに視線を上げた俺が見たものは、近接戦闘で惺さんを今まさに殴り倒した姉さん。いつの間にか最前線へと移動していた姉さんは慧さんの放つ幾本もの氷の刃を弾くと、一気に距離を詰め、そして慧さんの脇腹を蹴り上げた。

 俺達にとっては不本意極まりないが、姉さん達との戦いはそこまでだった。姉さんの圧倒的な個人技によって分断され、俺達は為す術なく敗れてしまった。



「トリオ戦であっても個人技が戦局を大きく左右することを忘れるな。他の二人が自分達より幾分も格下とは言え、残りの一人が幾分も挌上なら決して有利とは言えない。それを良く理解した上で様々な作戦や戦い方を覚えて行くんだな」


 最後に再び生徒を集め授業を締め括った契姉さん。少し早く終わったこともあり生まれたチャイムが鳴るまでの自由時間に、個別の評価や課題を聞きたい者へと姉さんは対応している。


「早速と敗れてしまいましたね」


 姉さんを中心とした二十人ほどの塊から二十メートル近く離れた地点。横一列に足を崩して並んで座るその中央、常に率先して話し始める慧さんが姉さん達を見据えながらに声を漏らした。


「うん、まあ、かなり酷い負け方だったね」


 彼女達の様子を窺いながらも、再び姉さん達に視線を戻した俺は頷く。惺さんは当然と言えば当然だが、チラッと見た彼女達は声にも表情にもショックはなく、ただ真面目な顔を保っている。俺と同じように、惨敗過ぎた故に却って落ち込むまでには至っていないのだろう。


「たくさんの課題、というか、まず何をすれば良いのか分かったのは良い収穫でしたね」


「うん、どんな相手に対しても作戦は立てないと駄目だね。あと、その作戦が通用しなかった時に戸惑わないよう、どんな事態に陥っても対処出来るようにね」


 油断しているつもりはなかったが、俺達は完全に調子に乗っていた。最大の敗因は作戦なんかなくても連携が取れると過信したことだろう。


「はい、契さん達にコテンパンにしてもらって良かったです。やっぱり勝ちたかったですけど……」


「うん……」


 掠れるように口を閉ざした慧さんの言葉に、俺もまた感傷的になってしまう。さながらキャンプファイヤーの火を臨む林間学校最終夜のようだ。

 チャイムが鳴るまで黙ってしまいそうなノスタルジーな雰囲気。残り僅かばかりの自由時間で口を開いたのは、それまでずっと黙っていた惺さんだった。


「――何も出来ずに負けたけど、楽しかった」


 ぽつりと一言。誰に向けるでもなく姉さん達を見つめての言葉。言い終え再び黙った表情はいつもと変わらないが、その言葉はとても感情的なものに聞こえた。

 惺さんの言葉を咀嚼するように流れた一瞬の沈黙。それは本当に一瞬でしかなかった。


「うん……勝った七試合よりも、負けた一試合の方がずっと楽しかったな……」


 俺もまた戦闘に対する自分の素直な想いを口にし、


「実は私も、契さん達との戦いが一番楽しかったです。結果は決して面白くはないですけど一番ドキドキしました」


 慧さんも穏やかな笑顔でぶっちゃけた。


「一年生でトライデントになる為にも、リベンジの機会があるなら今度は勝ちたいですね」


「うん。自分達の成長を見せつけたいね」


 トライデントを目指すと決意した矢先の一方的な敗北。それでも俺達の心は決して折れていない。むしろ俄然やる気が増した。

 姉さんに与えられた課題。それを克服し、トリオとしてもっと成長していけば、俺達はもっともっと成長出来る。そうなった時にどんなことが起こせるのか――つい先日までどんなに頑張っても姉さんの足元にも及ばなかったので、この強力な人形の体で成長していくことは――今から楽しみで仕方ない。


「戦闘型ドールがどれだけ成長出来るのか、対抗戦に出て強い相手と戦う所を観察したいからもっとがんばろ」


 俺を見ることなく、やっぱり呟くように口にした惺さん。


「お姉ちゃんはホント相変わらずだね」


 そう言ってふふっと笑みを浮かべ、惺さんと俺とを順に見る慧さん。一メートルもない僅かな距離で見る彼女の優しく可愛い笑顔に、思いがけず俺の胸はドキっと高鳴った。

 この実技訓練のおかげで接することに少しは慣れたが、授業とは違うプライベートの話題になるとやっぱりまだ駄目みたいだ。ただ、人形の体でも感じるドキドキは決して悪いものではない。

 自分が男性であることを隠して彼女達と一緒に暮らしていくことに対する罪悪感はやっぱり消えない。それでも彼女達と共に頑張って行く為に、この生活を続ける気持ちは高鳴った胸の後押しもあり強くなった。

 そして、いつも優しく接し、笑顔を振り撒いてくれる慧さんへの好意を俺は改めて自覚した。いや、今思えば遠くから見るだけで憧れでしかなかった想いが好意なんだと理解した。

 この状態で彼女に気持ちを伝えることは出来ないし、もちろんこの立場を利用していやらしいことを意図的にしようとも思わない。一年後、俺が葵としてこの特区にある魔術学校に入学出来た時にこそこの想いに向き合おう。

 トライデントになれなかったとしても、水女よりも挌上の堂上に受からなかったとしても良い。彼女への想いをずっと持っていられればそれで良い。その時までは女性型の戦闘人形アオイとして頑張ろう。

 魔術の扱い方を覚え葵として成長する為に。

 そして、彼女達と共にトライデントになる為に。

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