6 『魔法の杖の話』
パチパチと薪がはじける音が耳に心地いい。
ぼくとユークは、白いあずま屋のとなりで焚き火を囲んでいた。
煌々と燃える生木は、ユークがどこからともなく取り出したものだ。
いったいどこから取り出しているのか見てやろうとしたら、あの細長い杖ではたかれた。
聞けば薪は魔法使いの秘密の倉庫に入っていたもので、散らかっていて恥ずかしいから見るなとのことらしい。
はじめて会ったときに差し出されたゴブレットも先ほどもらったナイフの鞘も、無から作り出したのではなくそこから魔法で切り出したものであるとか。
なるほど取り出された木材にはそれらしい彫り跡が見える。
「我輩は権杖かつ王笏、そして至上の杖であり、決して教鞭でも棍棒でもないのですが」
「よく焚き火の前でそんな生意気言えるわね。くべるわよ」
「はっは。我が杖身は炎などでは例え火蜥蜴の呼気であれど焦げ一つつきますまい」
「……なあ、この杖一体何なんだ? そろそろ教えてくれよ」
泣き咽ぶユークをどうにかなだめすかして落ち着かせたとき、あたりはもう真っ暗だった。
湖まで戻っての野営を提案したのはこの杖。倒れたぼくを助けるための案を出したのもこの杖らしい。
会話が途切れると決まってこいつがしゃべりだし、正直なところ結構うっとおしい。
「あなたの名前、教えてあげたら?」
「自ら名乗ってもおらん者に名乗る名など、我輩は持ち合わせておりませんな」
「……俺は風追祐。これでいいか?っていうか、さっきから何度もユウって聞いてるだろ」
「これは礼儀の問題だ。先だって自分が何者かを明らかにすることで、相手への最低限の信頼を示す。それすら出来ん者はそもそも相手にする価値がない」
「もう! それ以上お説教を続けるつもりなら、また黙らせるわよ!」
そう言われ、ユークに名乗ることをすっかり忘れて怒らせてしまったことを思い出した。
ぼくは世間知らずだ。こうして見知らぬ場所で一人になって、はじめて分かった。
「おお、お嬢、こうして弁ずることしか出来ぬ身を黙らせるなどと。そんな冷酷な娘に育てた覚えはございませんぞ。……しかし最低限といえどおまえは礼儀を果たしたのだ、名乗ってやらんでもない。二度は言わんぞ。必ず一度で頭に刻み込め」
はよ言え。
「謹んで記憶するがいい! 我こそはマハ山に大竜ありと恐れられたニクスライト・イウェルキ・クルヴァ・ミレート・ナ・クーマルソウである!」
「今は慧国二等法具ニクスでしょ、見栄張るんじゃないわよ」
「その名は言わん約束でしょう! 二等と呼ばれる道具の気持、察せない御身ではありますまい!」
「……ようはニクスでいいんだな? 竜って?」
まさか元々はドラゴンだったとでも言うのだろうか。
そんな存在がただのしゃべって伸縮する杖に?
「竜っていうのは……魔法使いの決まりを守らなかったひとのことよ。いくつか話したあれ。ユウが真似したやつ」
「まだそのような御伽噺を信じておられるか。ここはひとつ我輩が主人の蒙を啓いて差し上げることにいたしま――」
あ、くべられた。
「この話、させると長いの。竜だったときのニクスをお父様がこらしめて、今の形にしたんだ。それをわたしにくれたの」
「それって……危なくない?」
「ぜんぜん。だって、魔法の力はほとんどお父様が持っていってしまったもの。いまこいつにできるのは、しゃべることと大きくなったり小さくなったりすることだけよ。それだって、持ち主のわたしから離れたらできないんだから。だから二等なの。いろいろ知ってて便利なときもあるけど、うるさいし」
ニクスは火勢から逃れようと伸縮を繰り返して、イモムシのように移動している。
焦げ目がつかなくとも熱いものは熱いらしい。ひどく哀れみを誘う光景だった。
「もうニクスのことはいいでしょ? それより、これをどうにかしないと。ユウのお願い叶えられないもの」
ユークは両腕を手術前の医者のように立てて、手首にはまった金の腕輪を見せてくる。
彼女が言うには、帰還の魔法が上手くいかないのはそれに力が封じられているせいらしい。
「それ、痛かったりするのか?」
「そういうのはないけど……だって、他に上手くいかない理由が思いつかないもの」
「継ぎ目とか……ないよな。そもそもどうやってつけたのかもさっぱりだ」
「わたしじゃ分からない魔法がかかってる。やっぱり、マルカに頼むしかないかな……」
また聞かない名前が出てきた。
そういえば、お城に妹がいるとか言ってたっけか。
「マルカって、妹? 器用だっていう」
「あ、うん! それに、魔法のことはわたしよりずっと詳しいのよ。あの子に話せば、きっとどうにかしてくれると思う」
「それじゃ、朝になったらお城を目指すってことか」
「お嬢の足では丸一日かけてようやくといったところでしょう。今夜はお早く休まれるがよろしかろう」
ニクスがいつの間にか復活していた。
どこに行ったのかと見回すと湖に杖が浮かんでおり、そこから湯気が立っている。
声もどこか疲れた感じだった。なんだか少し気の毒になる。
ともあれ、ぼくとユークは杖の忠告に素直に従うことにした。
彼女が取り出してくれた厚い麻の布にくるまりながら、ぼうっと空を見上げる。
さすがにまんじりともできない。普段寝入る時間よりずっと早いはずだし、羽毛布団に慣れきった肌には麻のゴワゴワシャリシャリした感触がいまいち受け入れられなかった。
きっと同じ空の下に父や母はいない。家出か何かだと思われているのだろうか。
どう捉えられていようとかまわないが、必要以上に大騒ぎするのは勘弁してほしいものだ。
もっとも、放任主義と言えば聞こえはいいがその実自分の仕事や趣味やらで手一杯なだけの彼らだ。思い悩んでも帰ったときに拍子抜けするだけかもしれない。
「なんだ小僧、眠れんのか? 何を思い悩んでおるのか知らんが、けしからん。愚者の黙考ほど無意味な時間はない。何か考えたければ我輩のように口に出してするのだな。さもなくば凡夫らしく頭を空っぽにしてとっとと惰眠を貪るべきだ。おや、お嬢も未だ御静まりになられんか」
「……あんたの声で目が覚めたんだけど」
いかにも不機嫌そうな声が聞こえる。ユークがまぶたをこすりながら半身を起こしていた。
「これは無作法を致しました! 詫び代わりに、我輩から寝物語をひとつ。そうですな、焚き火を囲んでいることですし、火の寓話など如何でしょう」
「もしかしなくてもお前がしゃべくりたいだけだろ……。そういえば、火の始末ってしなくていいのか?」
「だいじょうぶ、炎はわたしが描いた陣から出られないから。わたしが決めたの」
「便利なもんだなあ」
そういえば、火をつける前に何やら陣を描いていた。
はじめて見るいかにも魔法使いらしい所作にひそかにテンションを上げたものだが、結局薪を杖でぽんぽんと叩くと火がついてしまったので一体何の陣なのかと思っていたのだった。
「今は昔、まだヒトが燃える火の恩恵をあずかり知らぬ頃……」
うわっ、始めた!