40 『オルミス急撃さる』
どん、どんという音で目が覚めた。
どこか遠くで誰かが太鼓でも鳴らしているのだろうか、なんてぼんやり考えた頭を振り、体を起こす。
視界が揺らぐのは寝ぼけているせいかと思ったけれど違う。
これは地揺れだ。
雨音はしないが、雷か何かだろうか。
「緊急事態です」
窓を覗こうとした背中に張り詰めた声が刺さる。
「当地が襲撃を受けています。城壁は持ちこたえていますが、魔術師による攻撃と思われます」
コルトだった。昨日あんな別れ方をしたばかりに、顔を合わせづらい。
どうやって返事をしたものか……いや、今なんて言った?
襲撃だとか聞こえたぞ!?
「いえ、ご心配はありません。すでに配下の者が対応しております」
よほど唖然とした顔を見せてしまったのだろう。
振り向いた俺に、コルトはいくばくか声をやわらげた。
「いったい、どこから? 数はどのくらいなんだ?」
「まだ不明です。予断はできませんが、多数ではないでしょう。オルガナクロスを大軍で通り抜けることは不可能です」
「そ、そうか……」
動揺したところを見せたくなくて、思いついたことをそのまま喋ってしまった。
……指揮官気取りでこんなことを聞いて、俺はいったいどうするつもりだったんだ。
緊急事態で、まず考えるべきなのは……ユークの安全、次に自分たちの安全だ。
「ユークにはもう知らせてくれたのか? 俺たちにできることは?」
「既にお伝えしております。事態の収束までどうか外出なさらないよう、みなさまにお願いにまいりました」
「……わかった。オドには俺から伝えとく、ありがとう」
この会話の間にもどんどんという音は鳴り響き続け、そのたび屋敷も身震いする。
ノックを省いた非礼を詫びてコルトが出て行った後も鳴り止むことはなかった。
このありさまじゃ、たとえノックをしていたって聞こえなかっただろう。
……ちがう、こんなくだらないことを考えてる場合じゃない。
外出するな、とは言われたけど……ともかくみんなと話して、方針を決めないと。
まずはこんな状況でもまだ寝こけていたオドを叩き起こし、状況を伝えた。
「城壁が攻撃されている……なら」
するとオドは窓へと駆け寄り、ためらいなく両開きの戸を開いた。
それと同時に腹の底まで響く大音声が屋敷を揺るがし、思わず身をすくめる。
「聞こえましたか、ユウさん!」
「聞こえてないはずないだろ、早く窓閉めろ! 鼓膜破れるっての」
「違います! よく聞いてください」
こんな音に耳すませたらその分痛くなるだけだろが!
そう返したかったが、オドの目は本気だった。
しぶしぶ、彼に倣って窓の外に耳を澄ませる。
『……炎・帝』
どがああん!
かすかな呪声に次いで巻き起こった爆発音に、思わず耳をふさいでしまった。
だが、たしかに聞こえた。
体全体を苛む空気の振動ではなく、頭の奥に浸み込むように詠じられる少女の声。
「敵は、ぼくと同じディーラーに操られた魔術師です」
「そう……みたいだな」
ディアマンドになり焼かれた夢で聞いた……爆炎の魔術の詠唱。
そう思いいたると、皮膚を焦がされる感覚がよみがえり血の気が引いてしまう。
けれど、すぐに呆然としている場合ではなくなった。
「ユウ、オド! ねえ、どうしよう、どうしよう!」
パニックになったユークが俺たちの寝室へとやってきたからだ。
「貴人が蒼惶めされるな。童どもに頼らずとも、吾輩がおりましょうに」
「こいつ、ひどいの! 君子あやうきに近寄らず、大人しくしておればよろしい……なんて言うんだよ!」
グーで乱暴に握られたニクスが目の間に突き出される。
憤懣やるかたなし、という表情で鼻息も荒い。
とはいえ正直なところ……その言い分が正しいように思える。
「でも、ニクスも間違ってはない。ユークだってそれが分かってるから、俺たちのところへ来てくれたんだろ」
目の前に自分より慌てた人間がいてくれると落ち着く。
ユークたちと行動するようになってそれを実感することばかりだ。
おかげで、多少は気の利いたことが言えた……と思う。
「うー……。だって、勝手に出て行ったら、きっとコルトが困るもの」
「でも、僕は敵を知っています。力になれると思います」
「そうかもしれない。だけどさ、それを誰に伝えればいいかもわかんないだろ?」
ユークもオドも俺も傷つく心配なく、少しでもコルトたちの力になる方法はある。
外に情報を伝えればいいんだ。
「ラトのところに行こう。ユークにまた転移を頼みたいんだけど、いいかな」
「えっ……、ど、どうしていまラト姉なの?」
「あいつはまだオルガナクロスにいるはずだ。そうでなくても、今こっちに戻ってくるのは危ない」
「でも、それじゃコルトさんを助けられません」
「これが助けることになるんだよ。壁の外から攻撃されてるんじゃ、危なくて誰も出ていけないだろ? 魔術師が何人いるかだってわからないんだ」
俺たちが今正面から出向いてもたいした力になれない。それどころか、ただユークの身を危険にさらすだけ、なんてことになりかねない。
そう説いても、二人は納得しかねる様子だった。
「成程、遁走とは妙案だ。戦地において、魔術師の価値は万軍に値する。木っ端とはいえ、我々は魔術師三名を擁するのだ。このような古港捨て置いても、我が身を案ずるべきであろうな。たとえ、目指すべき地への道を閉ざす愚を冒さんとも」
「ニクス、お前な……」
思わぬ反駁に一瞬うろたえてしまった。
でも違う、分かりにくいけどこれは援護射撃だ。
「オルミスを見捨てるなんて言ってない。確かにここを離れはするけど逃げやしない、むしろ攻勢に出るためなんだ」
「どうするのですか? オルガナクロスからじゃ何もできないのは同じです」
「ラトの足を借りるんだ。俺やオドはともかく、ユーク一人ならあいつの重荷にはならない」
作戦はこうだ。
ユーク一人がラトのところへ飛ぶ。
二人は敵の後ろをついて、頃合いを見てユークが雨を降らせて合図をする。
そして俺が囮になって敵を引き付ける……とまでは、今は言えなかった。
「オルミスの人らだって、反撃を考えてるはずだ。どうにかして頼み込んで、雨が降りだした時が勝機だって伝えてくる」
「……ぼくはどうしたら?」
「オドは敵を一番よく知ってる。俺と一緒に来て、コルトたちに知ってる限りのことを教えるんだ」
……一人で話させるのはまだ不安あるしな。
俺の内心はともかく、オド本人は乗り気になってくれたらしい。
「わたしも……うん、やってみる」
「ありがとう、ユーク。でも無理だけはしちゃダメだ。雨を降らせてくれるだけだって、十分ありがたいんだ。前みたく相手の動きを止めてくれればそりゃありがたいけど、ラルドみたく対策をしてるかもしれない。困った時は?」
「ラト姉に頼るっ!」
「そうそう。絶対に側から離れちゃダメだ。二人が一番危険なんだからな」
ラト姉ごめん。
この場にいないのにめちゃくちゃ大事なこと押し付けてごめん。
でも、頼り頼られる関係でいてほしい、ってイストリト先生も言ってた。
ちょっとはいいよな?
「やれやれ。得意満面で作戦がある、などと宣いながら、蓋を開けてみれば上から下まで人任せか。前回頬を打たれたのがよほど堪えたとみえる」
「……ああ。今回は青アザじゃすまないかもしれないからな。それに俺が痛い目見るだけで済む状況じゃない」
「ふん……いい気になるなよ、小僧。臆病者は臆病者らしく、素直に壁に閉じ籠っておればよい」
もちろん、それで終わるつもりはない。
この罵声こそがニクスなりの激励なのだと受け取って、俺から言い返すのはやめた。
……かわりにユークが杖振り回して報復してくれてるしな。
「ユウさん、早く行きましょう。コルトさんたちに先を越されてしまうかもしれません」
「わたし、行ってくるね! ユウもオドも気を付けて!」
「ラトのこと頼んだ、ユーク!」
オドに急かされつつ最低限の身支度を済ませ、 即席の魔方陣へ消えるユークとニクスを見送った。
そうして俺たちは屋敷の外への道を走りだす。
頭を下げて視界からピアノを消し、エントランスまで駆け抜ける……が、そのままの勢いで飛び出していくことは叶わなかった。
「うあっ!?」
先を走っていたオドが何かにぶつかって跳ね返り、俺をまきこんで倒れる。
扉の先には、鉄塊が立ちふさがっていた。