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白の魔女は湖畔にて待つ  作者: セネカ
1 彷徨と知遇
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37 『仕事の時間』



「ユウさま、首尾はいかがでしょうか?」


 薪の束を降ろして一息ついているところに声をかけられた。

 振り向いた先には、今や上司となったコルトがいる。


「教えてもらったことは一通り済んだよ。薪と粉が目減りしてたから、外の倉から持ってきたけどよかったか?」


 こんな仕事をするのは中学校のキャンプ以来だったけど、ビケルウィルでのひと宿が役に立った。

 宿を借りるついでに物珍しさで家主たちの生活を眺めていなければ、こう手際よくはいかなかっただろう。

 薪の一本一本は乾いていて軽くても、束ねられるとずしりとくる。

 コルトがユークとそう変わらない小さな身体でこの仕事を日々こなしていたのだと思うと頭の下がる思いだった。


「とても助かります。このままこちらで夕食の準備をいたしますので、ユウさまはお休みください」

「いや、そっちも手伝うよ。掃除だけが仕事ってわけじゃないもんな」

「お気持ちはありがたく存じますが……掃除衣のまま調理をしていただくわけにはまいりません」

「……そりゃそうだ、ごめん」


 思った以上に掃除に夢中になっていたようで、渡された頭巾や前掛けを脱いでみると目立つホコリやシミがいくつかついていた。

 汚れ物は汚れ物でまとめ、日が空けたら最寄りの公衆洗濯場に持っていって洗うのだそうだ。

 いまいちどんなものか想像がつかないけど……コインランドリーじゃないことは確かだ。


「さて、エプロン借りて戻ってみたはいいけど……俺、下手に手出さない方がよさそうだな」


 台所に戻ってくると、てきぱきと調理を進めるコルトの後ろで鍋が二つ湯気を上げていた。

 積まれた食材が姿を変えていく様はともすれば二人いるのかな? と思ってしまうほどの手際だ。

 手伝おうにもかえって邪魔になってしまうだろう。

 

「お戻りでしたか、ユウさま。よろしければ、しばらくおくつろぎになっていてください」


 と言いながら、手早く飲み物を用意してくれる。

 熱いお茶は慣れないことをした疲れにしみるけど、仕事を増やしてしまったばつの悪さで後味はよくない。

 せめて少しでも慇懃さを崩してくれないだろうか。


「俺たち今は家事見習いなんだからさ、様付けもていねい語も抜きでよくないかな?」

「申し訳……いえ、ごめんなさい、性分でし……なの」

「……ごめんわかった、無理にとは言わない」


 ラト相手には普通に毒づいていたように見えたけど……長い付き合いらしいものな。

 俺がちょっと寂しいってだけだ。

 そうだ、ラトとオドはどうしてるかな。

 二人の様子を見ようと席を立ちかけたけれど、二人の仕事場に行くにはあの大広間を通らねばならないことを思い出した。

 できるだけあれの話はしたくない。

 けど、知っておかなきゃいけないことがあった。


「一つ……聞いていいかな。大広間にあったピアノ……あれって、君が弾くのか?」

「ピアノ……でございますか?」

「あー……ハープシコード、それともチェンバロ? とにかく、隅に置いてあった大きな楽器のことなんだけど」

「それでしたら、わたくしどもはクラヴィーアと呼んでおります。甫国ではチェンバロと呼ばれるようですが」

「そのクラヴィーアさ、誰が弾くんだ?」


 鍵盤はいつもここへ座れとぼくに訴えてくる。

 でも身体はそれに抵抗する。

 その斥力と引力の板挟みになって、ぼくは身動きがとれなくなってしまう。

 ただ一つ対抗する手段は、そこで演奏する人を思い浮かべることだ。

 だから、なんとしてでも誰かを座らせる必要がある。

 しつこいと思いながらも、質問を繰り返さずにはいられなかった。


(おも)にはわたくしが演奏いたしております。(あるじ)のご厚意で、たまの手習いをお許しいただいています」

「わかった、ありがとう。変なこと聞いてごめん、気になっただけなんだ」

「ユウさまも嗜まれるのですか?」

「……いや、俺は弾かないよ」


 適当な返事がいぶかしがられないことを祈る。正直に話してもよけいに混乱させるだけだ。

 ともかく、これで大広間を通るたび石にならなくて済む。

 知りたいことは知れたのだから、こんな話は打ちきりだ。


「ん! いい匂いしてきたな」


 俺と話す間も、コルトは夕食を作る手を止めていなかった。

 漂ってくる香りはしだいに食欲をそそるものに変わり、質問している最中に腹が鳴らないか心配だったくらいだ。


「皆さまのお口に合えばよろしいのですが」

「俺は好き嫌いないよ。さてそれじゃ、ちょっとみんなの様子見てくる。お茶、ご馳走様」

「お待ちしております。皆さまがお戻り次第、すぐご夕食にいたしましょう」




 大広間に入ってすぐ、オドと鉢合わせた。

 掃除をするとはいったけれど、普段からコルトがきれいにしているのだから特に片付けるべきものも目立った汚れもない。

 オドが妙なやりかたをして余計に汚したりしないかと心配していたけれど、その様子はないようだった。


「お疲れ。コルトが晩飯作ってくれてるから、着替えて台所に行っててくれ」

「はい、わかりました」


 返事をして行き過ぎたオドの後ろに、件のピアノ……コルトの言うところのクラヴィーアが見える。

 一瞬胸がざわつき身体がこわばるけれど、動けなくなるほどじゃない。

 ただ、つい口が動いてしまった。

 

「なあオド、あれ、何だか知ってるか?」

「チェンバロという楽器です。カゼオイさん、それも知らなかったのですか?」

「……そうなんだ、知らなかった」


 俺が怒りも咎めもせず素直に認めたせいか、振り向いたオドは一瞬顔をしかめる。

 でも、それ以上は何も言うこともなくふたたび踵を返して歩いていった。

 こっちにそこまで興味がないのか、含むところがあると察したのか。

 前者であることを祈りながら、俺もユークの仕事場へと向かうことにする。



 いくつか部屋を回ったけれどユークの姿が見えない。

 それぞれの棚にはホコリを落とした跡が残っているので、掃除は終わっているようだ。

 仕事ぶりは……まあ、これからコルトに教えてもらっていけばいいだろう。


「あ、ユウ! 台所はもう終わったの?」


 突き当たりの扉を開けたところでユークの声がした。

 けれど、部屋に姿が見えない。


「こっち、上だよ!」


 見上げると、本棚と天井の隙間で猫のように身をかがめるユークがいた。

 ハタキを手にホコリを落としていたようだけれど、当然服にも盛大にからめてしまっている。

 前かけをしてくれていてよかった。

 ……いろんな意味で。


「ユーク、なにやってんだ?」

「もちろん、お掃除! ここ、ホコリがたまってるなぁって」

「そりゃそうだろうけど……やる気出し過ぎだよ」


 頼まれたのは見えるところのホコリ落としだけなんだから、もっと早く戻ってこれたろうに。

 肩に力が入り過ぎだ。俺の願いを請け負ったときだってそうだった。

 この子に一人で何か始めさせるのは危うかった。

 コルトから次の仕事が入ったら、ユークと共同作業にできないか頼んでみよう。


「もうすぐ夕飯だぞ。上から全部ホコリ落としてちゃ終わらないから降りてきなって」

「じゃ、じゃあここの棚だけっ」


 いそいそとホコリを落とし始めたので、俺は部屋の反対に逃げるハメになった。

 そこにはおあつらえ向きに小さなほうきとちりとりが立てかけられている。

 

「じゃあ、床に落ちたのをキレイにしとくよ。終わったら俺に任せて着替えてくるんだぞ」

「えっ!? 悪いよ、だって、ここはわたしが任されたんだから……」

「待ってるより早く飯が食えそうだからな。腹減ったんだ」


 へんに保護者ぶるよりもこういう言い方をしたほうが、ユークには効くかもしれない。

 もっとも、半分くらいは本気だ。

 それくらいコルトの料理の香りはすきっ腹に刺さっていた。


「それなら……わかった。おねがいするね」


 ユークはするりと身軽に床まで降り、ぺこりと頭を下げて部屋を出て行った。

 ああいう姿を見ていると、かつて先生に言われたことを思い出す。

 何でも自分ひとりでやらなくちゃいけない、なんて思わなくていいんだよ。

 そういえば、イストリトからも似たようなことを言われたな。

 

「でも……」

 

 反駁する言葉が自然と口を突いて出た。

 掃除みたいなことなら、いくらでも手伝ってやれるし代わってもやれる。

 けれど、どうやったって代わりの利かないことや手伝いようのないこともあるじゃないか。

 俺にとってのピアノ――いや、そんなのは小さすぎる、その気になれば忘れてしまっておけるような悩みだ。命にかかわったりもしない。

 でもこの世界のみんなは違う。

 

 ユークの持つ力、妹のこと、彼女が生きていた時代のこと。

 オドの悩み。ラトが抱えている何か。

 どれもこれもが深刻で、俺はそれらを解決する力も知識も何も持ち合わせていない。

 なら、自分にできることはなんだろう。

 能力もないなら、何の義務を負っているわけでもない俺がこんなことを考えても、おこがましいばかりか――。


「……馬鹿の考え休むに似たり、か」


 いつだかニクスに言われたことを思い出して、そこで考えるのをやめた。

 これまでと同じだ。目の前の、今できることをやる。

 ほうきとちりとりを手にとった。

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