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白の魔女は湖畔にて待つ  作者: セネカ
1 彷徨と知遇
42/54

30 『朝食もそこそこに』

「風追祐。お前に渡すものがある」


 唐突にウィスハイドの右手が眼前に差し出される。

 エフィーの用意してくれた朝食に舌鼓を打っていたところへ遠慮なく、だ。

 ちょうど板のように薄いパンにほんの少しオリーブ油、そこに葉物野菜と魚の塩漬けを乗せたオープンサンドを一口かじったところだった。

 それを根菜と豆に少しの肉の欠片の入ったスープで流し込み、ようやく返事を返す。


「こ、これ……腕輪? ユークにつけられてたやつじゃ?」


 ウィスハイドは頷く。

 でも触っちゃマズいんじゃなかったか。

 ……いや。既にウィスハイドが素手で持ってよこしてるんだ。


「僕が手を加えた。もう安全で、いくらか使いようもある。受け取れ」


 言われるがままに、手にとって眺めまわしてみる。

 ラトが言っていた重さは感じず、見た目どおりの重量感だ。


「……では、僕は何もかも面倒になったので寝る。使い方はニクス殿に聞くがいい」


 手をひっこめると、ウィスハイドはそう言い残して食卓に突っ伏した。

 ごちんと音がするかと思えば、魔法で取り出したらしいクッションが彼の顔面を受け止める。

 窒息するぞ。


「あ、こら、ウィズ! テーブルで寝るんじゃないの! 片付かないじゃないぃー」

「あー……あたしが上連れてこっか?」

「……はぁ。ううん、いいの。だいぶお疲れみたいだし」

「院でもやっていたな。再会してからというもの、紅衣として器の差を思い知るばかりだったが……変わらんところもあるか」


 イストリトは笑うが、お茶を淹れてくれているエフィーとそれを手伝うラトはぼやいている。

 それを気にするそぶりもなく、食卓に立てかけられた杖が喋り出した。


「……約説は承った。しかし、しかしだ。祐、吾輩を手にとれ」

「何だよ、もったいぶって。……これでいいのか?」


 素直に言われた通りにする。手にちょっと魚の塩漬けついたままだけど。


「吾輩に向かって宣言せよ。ニクスライト・イウェルキ・クルヴァ・ミレート・ナ・クーマルソウは誓って、便利な伝言棒などではなく、偉大なる主君を持つ至上の名杖(アークワンド)であると」

「……ああ。ニクスはいい杖だしユークはいい子だよ……」


 最近伝言に使われてばっかだからってスネてんじゃねえよ。

 外で喋れないから最近静かだと思えばすぐにこれだ。

 ユークが疎ましがるのも分かる。


「立派なお名前ねー。私、いまだに杖がお喋りするのに慣れな……あ、いけない! 私ってば、ニクスさんのぶんのご飯を用意もしないで」

「や、お構いなく、ご婦人。我が身は道具、空腹とは無縁ゆえに」

「あらそう? それはお気の毒……いえ、ええと、便利?」


 対応に困るエフィーだが、ニクスは意に介さなかった。

 ……ご飯って、何を用意する気だったんだ?


「さて、この腕輪は貴様の頼りない戦力を補うため、吾輩が提案して作らせたものだ」

「……本当のところは?」

「ウィスハイドから、腕輪の一つを鋳直し法具として提供したいと申し出があった」


 穿った返しをしてみても、淀みなく返してくるところが憎たらしいな、こいつは……。

 にしても、腕輪をくれるだって?

 ウィスハイドが改造したといっても、もともとはディーラーの使う拘束具だぞ。

 しかもオドのことがあった後だ。

 自分でつけるなんてぞっとしない。

 

「大丈夫なのか? つけたら外せなくなった、なんてのは勘弁してほしいけど」

「この法具馬鹿が請け負ったのなら、信用には十分値するよ」


 イストリトのフォローは褒めているのかけなしているのか分からない。

 それでもいくらか抵抗は薄れた。

 俺にできることが増えるなんて、願ってもないことだし。

 ただ、気になることは他にもある。


「腕を疑うわけじゃないけど……気分的にさ。それに、この腕輪ってウィスハイドにしても研究材料にしたいんじゃないのか?」

「何を言うか。もとはお嬢の持ち物だ。一つは宿代としても、二つとも渡す道理はない」


 縛るつもりで着けさせられた腕輪を持ち物と呼ぶかどうかはともかく、こっちのものにしていいのは分かった。

 となれば、聞きたいのはこれだ。


「どうやって使えばいい?」

「まずは着けてみよ」


 言われるまま、右手に受け取った腕輪を左腕に近づける。

 すると、輪は四つのパーツに分かれて開き、左手首に噛みつくように閉じた。


「うわっ! ホントに大丈夫かこれ、手錠かけられた気分なんだけど」

「つど騒ぐな。手を法具に触れさせ、拘縛の王が(アラステッド)言ノ一(オード・ネイ)|と唱えよ」

拘縛の王が(アラステッド)……」


 そう唱えた瞬間、がくんと左腕が重くなった。

 右手で支えていたので体勢を崩すことはなかったが、腕輪が力を吸い上げている証だろうか。


言ノ一(オード・ネイ)」」


 そして呪文を全て唱えてしまうと、手品か何かのように腕の先から薄絹が広がった。

 ちがう。ぼやけた姿から、すぐに像が形作られる。

 左腕の先から出てきた何かは、走り出すヒトの幻像だ。


「わ、何これ!? ユウくんがもう一人出てきて走ってったよ!」

「見ての通り、これが第一の権能だ。小知恵が回る貴様向きであろう」

「そりゃ応用は効きそうだけど……タネがバレたらおしまいだよ。他にないのか?」


 俺はハッタリ専門かよ。

 てっきり、オドみたいに雷落とせるようになるかと思った。

 ……もっとも、そんな力貰ったところで人間相手にブッぱなす度胸はないけどさ。


「上で寝こけておる小僧のごとき術でも行使できると思うたか? 今の貴様にそれほどの器があるとでも」

「わーかったって、あんまりはっきり言ってくれるなよヘコむから」

「今は、だ、風追。腐るな。これから向かう青歴院で然るべき経験を積めば、いくらでも力を伸ばせる」


 見透かされた上に追い打ちまでされれば腐りもするさ。

 悔しさを紛らわすため、もう一度呪文を試してみる。

 ふたたび幻の俺が走っていって、ダイニングの壁に突き当たり足音だけを残して消えた。

 それをしげしげと眺めながらラトが口を開く。


「あたしもこういうの使いたい! ウィズに言ったら作ってくれるかな?」

「……ラト、きさまは自分の才能にもっと真摯に向き合え」

「先生、あたしとユウくん相手で態度違いすぎでしょ!?」


 また始まってしまった。その騒がしさに少し元気付けられる。


「他には何かできるのか?」

「もう一つは対象に直接害を与えるものゆえ、試し打ちは勧めん」

「んじゃ一旦外した方がいいか」


 そう言ったはいいが、身に着けた時のようにするりと外れてはくれない。

 窮屈には感じないのに、まるで貼りついているようだった。


拘縛の王よ(アラステッド)眠れ(デルフ)だ。そう唱えよ」

「先に言えって。ええと……拘縛の王よ(アラステッド)眠れ(デルフ)?」


 ニクスの呪文を繰り返すと、カシャと音を立てて腕輪が四つの部品に分かれ、そのまま崩れ落ちる。

 床の上で再び組みあがった腕輪を拾うはめになった。

 外せるって分かったのはありがたいけど、こう呪文が多いとラトたちの腕輪の秘号とごっちゃになりそうで怖い。

 

「では、法具を手放せ。……よろしい。拘縛の王が(アラステッド)言ノ二(オード・タウ)。これがもう一つの術を呼び起こす呪文だ」

拘縛の王が(アラステッド)言ノ二(オード・タウ)……拘縛の王が(アラステッド)言ノ二(オード・タウ)ね」


 最初のとごっちゃにならなきゃいいんだが。


「完全に成功すれば、法具を着けた腕で示した者を昏睡させる。もっとも、貴様がそうできる相手は多くはなかろう」

「……中途半端に成功すれば?」

「集中力は奪えよう。無力化できるかどうかは貴様次第となる」


 さっきから俺に丸投げじゃないか!

 けど、いよいよ俺もゲームに出てくるような魔法が使えるようになったわけだ。

 ニクスはこう言うが、早く試してみたい。


「だが、力ある者へは欠片も通用せんことだろう。無駄に敵愾心を煽ることになろうな」

「ここにいる面子だと、誰まで通る?」

「さてな……そこな小娘を転がすのは容易そうだが」

「あっ! 聞こえたぞぉこのイヤミ杖!」

「祐、吾輩からは以上だ。ありがたく使いこなすがよい」

「こらぁ無視すんなっ!」


 イストリトの小言を聞き流していたかと思えば、悪口にはすかさず反応するラト。

 俺から杖を奪って、いつかのユークのように折らんばかりの抗議をはじめる。

 彼女の師はあきれ果てていた。


「全く、今日くらいは神妙にできんものか……」

「……そうか、今日でしばらくお別れなんだ」


 唐突に気づかされる。

 俺たちは今日、青歴院へと渡るためオルミスの港へ出発する。

 イストリトは彼女を仇とする元ディーラーのラルドの元へ行かねばならない。

 思えば、彼女とはまだ出会って五日も経っていないのだ。


「風追、せわしなくてすまないが、オドもじき目覚める。荷物の確認や諸々の準備を終えたら、ユークレートと共に外へ来てくれ」

「ああ。このまま出発になるし、ここの二人に挨拶してからでいいよな?」

「もちろんだ。私からも渡すものと話すことがある」


 けれど、ウィスハイドは食卓に突っ伏したまま起きそうにない。

 エフィーは申し訳なさそうにしながらも食後のお茶を供してくれる。


「ごめんね、ユウ君。また会った時にその腕輪の使い心地聞かせたげて。きっと喜ぶから」

「うん。急に押しかけて騒がしくしたのに、エフィーさんにはずいぶん世話になっちゃったな……」


 エフィーは机に突っ伏したままのウィスハイドの陰に隠れたかと思うと、顔だけをこちらに覗かせる。


「あら、それはこの人のせいでしょ? ふだんはお客さんなんて上げないもの、私も楽しかったからいいの。ね?」


 そしてウィスハイドに同意を求めるように首をかしげるのだった。

 イストリトと同じくらいなはずなのに、少女らしさを隠さない人だ。

 ……彼氏にくっつきながらじゃなければ、もっと素直にかわいいと思えたろう。


「はいはいご馳走様、ごはん美味しかったよ。昨日の晩ごはんも、今日のも」

「また食べに来て! 今度はもっと準備して美味しく作るから」


 彼女の言葉にうなずき、出されたお茶を口に運ぶ。

 すると、階段からどたどたと足音がした。


「みんな! オド、起きたよー!」

「ユークさん、大丈夫です、ひとりで歩けます」

「オドか。よかった、早かったな」


 ユークは片手でオドの腰を抱え、もう片方でこちらに手を振っている。

 オドは主人に辟易しきっている様子で、一挙手一投足を補助されながらやっとのことでダイニングへやってきた。

 ユークの心配とは裏腹に口調も足取りもしっかりしているし、もう不調があるようには見えない。

 ……ああ、そういえば俺がぶっ倒れた時もあんな感じだったな、ユーク。


「オドくんおはよ。昨日はユーくんと一緒に先生にとられちゃったから、今朝はお話できるかと思ったら倒れてるんだもん。びっくりした! ね、お腹すいてない?」

「そうそう! わたしがご飯食べちゃったから、オドの分がなくて……」

「それならあたしが給仕するする! エフィーはゆっくりしてなよー」

「あら、お言葉に甘えようかしら」


 にわかに部屋が騒がしくなり、その中心のオドは目をぱちくりさせるばかりだ。

 これからこいつが飯食うなら、また出発まで少し時間ができたな。


「あの、僕一人で食べられます、ユークさん」

「ユーク、ちょっと」

「んう? どうしたの、ユウ」


 ユークはまだオドの世話を焼くのに忙しかった。

 席にも着かずに食器を渡したり、料理を勧めてみたりして彼を困惑させている。


「先生が俺たちに話があるってさ。ほら、今日から別行動だろ?」

「そうそう先生呼んでたよ。オドくんのことはあたしに任せて、準備してきなよ。ね?」


 姉ぶるチャンスとみたのか、ここぞとばかりにラトが援護射撃してくれた。

 ユークは俺とオド、ラトを繰り返し見回し続けている。


「……えっと、わたしたち、エフィーとウィズの二人と今日でお別れ……? 先生も……?」

「……まあ、濃い一泊だったもんな」


 ユークの目が泳ぐ。混乱しているようだった。

 ラトをユークの魔法で追いかけてきてみればウィスハイドに捕まり、彼を退けてエフィーと出会い、昼飯をご馳走になったところでラトと再会。

 そしたらユークの妹魔王疑惑が降って湧いてきて、ようやくベッドに入って起きたらオドがぶっ倒れてるんだ。

 次にするべきことが吹っ飛んでしまっても無理はない。

 むしろ、目の前のオドのことに全力を注ぐことで落ち着こうとしてたのかも。


「あっ、あの、エフィー! お家に勝手に入っちゃってごめんなさい! えっと、それとっ、ご飯おいしかったっ!」

「ふふふ……。ユウ君と同じこと言うのね」


 ユークはいきなりエフィーの手をとってまくし立てる。

 そうされて驚くでもなく、くすくす笑って答えるのは真似できそうにない。


「でも、もうちょっと落ち着いた方がいいわ。飲んで飲んで」


 そう言って、エフィーは自分に淹れたお茶をユークによこした。 

 彼女は促されるままカップを口に運ぶ。


「んくっ、ぷは! それにウィズも色々教えてくれて……あれ、ねてるの?」


 が、ウィスハイドは突っ伏したままだ。

 それをしげしげと見つめ、指で小突いてみるユーク。


「ああ、いいのよ。この人こうなったら起きないから。続けて続けて」

「わかった! ううんと……腕輪、外してくれて……それと、マルカのこと教えてくれて、ありがとう。いつか知らなきゃいけないことだから、あなたに教えてもらえてよかった」


 ウィスハイドの隣に腰かけ彼の背をさするエフィーの手に、傍に立つユークも倣う。

 マイペースなエフィーのおかげで、ユークもすっかり落ち着いたようだ。


 ……しかし、撫でられっぱなしで犬みたいな扱いだなウィスハイド。

 ちょっと代わってみたいと思ったのは秘密だ。

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