29 『徹夜明けの紅衣』
「……寄生、履行の抑制、意識ならびに自我の剥奪、そして苦刑……この四つがこの魔道具の権能だ」
イストリトの医療処置が終わると、ウィスハイドが唐突につぶやいた。
女医が訓練の中止を告げた後、俺たちは彼の寝室にオドを運び込んだ。
紅衣を展開したまま机に突っ伏していたウィスハイドは、目をこすりながらも所見を述べてくれた。
「昏倒したということだが、既に痛苦の刻印は履行を終えている。彼が目覚めないのは、一時的に腕輪の抑制が強まっているからだ。じき目覚めよう」
オドは意識を一時的に封じられているだけで、命に別条はないとのことだ。
それにしても、この腕輪は魔法使いを操るだけじゃなく、苦しめることまでできるのか?
「魔法が封じられてるときに無理に使おうとすると、痛い目に遭うってことか?」
「ああ。痛苦の刻印を見つけた時点で警告すべきだった。彼には悪いことをした……」
「刻印……なんて、どこにあったんだ?」
昨晩から姿を見なかったのは、この腕輪のことを調べてくれていたからなのだろうか。
けれど記憶では、何の装飾もない金の輪だったはずだ。
「見たまえ」
ウィスハイドが腕を振ると、香油で満たされた瓶がひとりでに棚から飛び来、目の前にとどまった。
それは、昨日までユークを悩ませていた腕輪が入ったものだった。
彼が気だるげな様子で瓶に触れる。
すると、瓶の中身が泡立ち腕輪が小さく震えた。かと思うと、腕輪は四つの断片に分かたれる。
それぞれは立体パズルのピースのような形をしていた。
「……金属加工技術は、やはり甫国に一日の長があるな」
「どうしてこんな風になってるんだ?」
感心するイストリトをよそに、俺の頭は単純な疑問でいっぱいになった。
こんな風にバラバラになってしまうんじゃ、手錠の意味がないんじゃないか。
「風追祐。陣術は分かるな」
「ユークが描いたのしか見たことない。……あ、刻印って陣の模様と同じなのか?」
「そんなところだ。では、法具の構成部品が増えることの利点も察せるな?」
この家に飛んだ陣を描いた時にイストリトが言っていたことから考えれば、陣術は大きく複雑なほど上位の魔術になるはずだ。
だから……それを描く部分が増やせるなら、強力な法具になるってことか?
「ええと……表面積が増えて、描ける刻印の数とか大きさも増える?」
「面倒が少なくていい。その通りだ」
「私を陥れることだけはある。院でも上手くやれるな、君は」
褒められてんだか責められてんだかわかんないな!
話の矛先が自分に向いてはたまらないので、聞こえなかったふりをして腕輪についての話を続ける。
「で、さ、刻印ってどこにあるんだ?」
「それを君に見せるのは手間だが……優秀な生徒には見返りがあるべきか」
ウィスハイドが、瓶に触れている右手の中指でトントンと音を立てた。
すると叩いた瓶の内側に青い炎のような光が灯る。
それが琥珀色の香油を泳ぎ、四つの腕輪の部品それぞれへと吸い込まれていく。
そして表面に輝く糸が走ったかと思うと、ぼやっと光るいくつもの紋様が浮かび上がった。
「うわ、細かい」
「うむ、恐るべき精巧さだ……。この法具が複数存在する事実そのものが我ら厘国にとって脅威だ」
「甫国はディーラーの活動に相当な注力をしているらしい。これの作り手が個人だとは到底――」
「オド!! だいじょうぶ!?」
大声とともに部屋に飛び込んできたのはユークだった。
その目にオドが横たわるベッドを捉えると、俺たちが反応する暇もなく駆け寄っていく。
続いて開いた扉からラトが顔を出した。
「や! みんなおはよ。オドはどう? エフィーから無理して倒れたって聞いたけど」
「ああ。ウィスハイドも先生も診てくれたし、心配ない。あの腕輪のせいだったんだ。魔法が使えなくなってる時、無理に使おうとすると痛い思いするっていう……」
「え、やだな! あたしも着けられちゃってるのに……。ねえ先生、腕輪のアレ早く戻してよう」
ラトはイストリトに飛びついて懇願する。それは心配ないんだけどな。
気付いてないってことは、先生の言葉を信じて昨日から魔法を使っていないらしい。
「……ラト、一階から封書を持ってきてもらえるか。食卓の上にある」
「へ? なんで今」
「急ぎでだ」
「ん、もう!」
いきなりの言葉にラトは首をかしげていたが、イストリトが凄むと素直に姿を消した。
それからひと呼吸もしないうちに再び緋色の髪が視界に表れる。
赤い封蝋が目立つ便箋を指にはさんでこちらに示していた。
彼女の得意技を使ったのだ。ユークと同じく、切羽詰まると無意識で発動してしまうのだろう。
「はい、これでいいの……って、あれ?」
自分が魔法を使えることに気付いたのか、首をかしげるラト。
「きのう、その腕輪に唱えた秘号は解放を示すものだ。その様子だと、私を信じてくれていたのかな」
「いっ、いじわる!!」
その手から封書を取り、からかうようにネタばらしをするのはイストリト。
「師弟喧嘩は外でやってくれ……」
「あ、二度寝するのは待ってくれ。腕輪の話の続きを……」
再び机に突っ伏そうとするウィスハイドに、それを慌てて止めようとする俺。
俺たちはみんな、ベッドで誰が眠っているかも忘れていた。
「ねぇ、みんな!」
鋭く上がった声に一同が振り向く。ウィスハイドさえもだ。
ベッドにかしづいていたユークが、怒っていますといわんばかりに腰に両手をあてて立っていた。
「オド、疲れて眠ってるんだよ! ウィズの言う通り、お話するなら『出ていって』よっ!」
その言葉の力で、俺たち四人は押し合いへし合い退室するハメになった。
「……ここは僕の部屋のはずなんだが」
俺とラトの間でもみくちゃにされたウィスハイドは立っている気力もないのか、文句は言うものの壁によりかかって動こうとしない。
ラトもイストリトも俺も似たようなもので、呆然としたまま突っ立っていた。
するとふいに、食欲をそそる香りが鼻をくすぐる。
「あら? こんなところにみんな揃って……」
スープを二つ乗せた盆を持って階段から現れたのはエフィーだった。
「エフィー! あはは、あたしらユークに追い出されちゃって。病人の部屋で騒ぐなって」
「……彼女が正論だ。全く、締まりのない姿ばかり見せてしまうな……」
「ちょうどいいわよ。ウィズの部屋じゃ、みんなでご飯にするには狭すぎるもの。これ、部屋に置いてきちゃうから待ってて。朝ご飯にしましょ」
ぱたぱたと駆けて、ウィスハイドの部屋にエフィーが消えていった。
当の部屋の主は寝息を立てはじめている。
「……腹、減ったあぁ」
そして俺はといえば、活性化した胃袋の促すままひどく情けない声を上げるのだった。