28 『ちょっとした不正』
「だぁーーっ!!」
地面に叩きつけられ、そのまま俺はごろごろと転がっていくはめになった。
力強くもしなやかに伸びたディアマンドの右腕に巻き取られ、ボウリングでもするかのように放られたのだ。
このやられ方も、もう何度目かわからない。
しばらく土の味を堪能させられた後、やっとの思いでよろよろと立ち上がった。
「あぅっ!」
そのときぼふ、と音がして、紅色のハンモックにオドが沈み込む。
あいつも同じようなものだった。
金髪は汗に垂れ下がり、仰向けのまま必死に胸を上下させて空気を取り込んでいる。
「さて、ここまでだな。そろそろ限界だろう、君たち」
「おっしゃる通りで」
「まだ、やれます……」
オドは強がるが、俺は心の底からヘトヘトだった。
背筋を伸ばそうとしてみるものの、膝に手をついて肩で息をする姿勢から脱せない。
「悔しいだろうが、格上の相手に正面から立ち向かうことの愚かしさが身をもって理解できたことと思う」
「なっ……それを言いたいから、こんな組手をやらせたのかよ」
「君たちは危う過ぎる。自らを守る力すらない者にユークレートを守れると?」
それを言われると耳が痛い。
実際のところ、ユークは俺たちよりよほど格上の相手に立ち回ることができる。
ウィスハイドを退けるなんて、到底俺にできることじゃない。
「だから攻めることより守ることを覚えて、まずは自分を守れるようになれってか」
「本来なら、一から自衛の術を伝えたかった。だが、時間が許してくれない。せめて君たちが今のまま戦うことがいかに危険か知ってほしいんだ」
「そりゃ、大成功だよ」
本心から出た言葉ではなかった。むしろ真逆だ、皮肉ってしまった。
イストリトの言う通り、俺は悔しくてたまらない。
この人の言っていることは正しい。俺たちはどうしようもなく弱い。
でも、せめてこのやり口に一矢報いてやりたい。
「だから、もう一度だっ!」
疲れも痛みも振り切って、バネのように体を起こす。そのままの勢いで、俺はディアマンドに突撃していった。
不意を突けたのか、拳はこれまでにない距離まで大男の腹に迫る。
もちろんその距離はゼロではなく、俺の拳を包んだディアマンドの掌ぶんだった。
最後の不意打ちも成果を挙げることはなかった。
「敢闘賞はオドかと思ったが、君もなかなかどうしてだ」
再びディアマンドに腕から引き倒され、土を舐める羽目になった俺の背中にイストリトの追い打ちの言葉が降ってくる。
「くそう! 結局モノが違うってことかよ」
「それは違う。修練に注いだ時間が異なるだけだ。君たちはまだこれからいくらでも望めるさ」
「……これから、じゃ、ダメなんです」
絶え絶えの息で答えながら、オドも立ち上がっていた。
再びイストリトに向かって駆けだそうとする。
しかしその足取りはひどく弱々しく、遠目にはスローモーションのようにすら見えた。
「もう休め、オド。焦るばかりでは何も得られないよ」
「休んでいちゃ……ユークさんを……守れない……です」
オドの右拳が振りかぶられる。そのままイストリトに倒れこんでいくのかと思うほど覚束ない構えだったが、腕の先は間違いなく女医の顔前をとらえていた。
もちろん、それはイストリトの左掌に受け止められる。
「君は勘違いをしているな、オド。休息の間に肉体はより強く造り直される。過剰な修練はむしろ、結果を遠ざけてしまう」
「でも、僕は……強く……そうか……」
オドの様子がおかしい。肩先からを女医に預け、うつろに首を垂らし、なにやら呟いている。
イストリトもそれを訝しんだのか、オドの両肩を掴んで姿勢を正させようとした。
「オド?」
「これなら……紅衣にも……雷!!」
「ッ?!」
オドの口から発せられたのは――いつか聞いた呪文だった。
イストリトは彼を弾き飛ばすと同時に自身も飛びずさる。
何やってんだオド、と叫びかけ、ふと思い出した。
あいつは今、制御輪だかいう腕輪の制御下にあったはずじゃないか。
最後に腕輪を操作したのは俺だ。
ベルナードと別れた後、オドを起こすのに唱えたのは冠をの呪文。
身体の自由は取り戻していても、魔術の行使は抑制されているはず。
「風追、私たちから離れろ!」
だから、イストリトが危惧しているようなことは起こらない。
そして……この状況が利用できることに気付いてしまった。
もしかしたら、あいつは正攻法では二人を突破できないと悟って、俺にチャンスを握らせるつもりなんじゃないか。
ならば、その意は組んでやらなければならない。
「……雷!憤怒せし・雷・公!」
「オド、やめろ!」
何も起こらないことに動揺したのか、はたまた俺への合図なのか、オドはなりふり構わず呪声を連発しはじめた。
イストリトは意を決した様子でふたたび距離を詰めようとする。
「先生、俺がディーラーのナイフでオドを止める! 魔術師を封じる毒なんだろ!?」
右手にサファドのナイフを喚びだし、思い切り振りかぶる。
もちろん本当にオドに当てるつもりはないし、たぶん当てようとしても無理な話だ。
「風追、よせ! 手を出すな!」
投げてすぐ、手の内に喚び戻す。
もちろんイストリトはオドを傷つけまいと動くはずだ。
「馬鹿者ッ!」
女医はオドにラリアットをかけるような姿勢から彼を腕に巻き取り、自分を下にして紅衣のハンモックに沈んだ。
すぐに少年を転がして起き上がり、こちらを睨みつけてくる。
「オド、無事か!? 風追、きさま……」
イストリトの目に映ったのは、左拳でディアマンドの腹をノックし、右手にナイフを見せびらかす俺の姿だったはずだ。
怒りの声を上げていた彼女の口はきつく結ばれ、嫌悪の色をにじませていく。
「いや、ちょっと待った! 今のオドは腕輪のせいで魔法を使えない、心配することないって!」
手ぶりをまじえて必死で弁解する。そりゃあこんなことされたら怒るよな。
でも、俺たちだってそのくらい悔しかったんだ。
いくら本当のことだとしても、戦えない子供扱いのままでいるのは御免だった。
イストリトは一瞬呆けたような顔をしたが、すぐに大声で笑いだす。
「フッ……はははは。どうやら、愚かだったのは私らしいな。腕輪のことを忘れているとは、まったく……。文字通りに、一本取られたよ」
かぶりを振り、少し自嘲的な笑みを見せるイストリト。
だが、足元のオドを見て再び顔色を変えた。
「う……あっ……はぁっ……。ぐ……う……」
「オド? 疲労だけではない、これは、腕輪が……? オド、応えろ!」
背後のディアマンドが素早く二人に駆け寄っていく。
どういうことなんだ? 何が起きた? 投げたナイフは確かに右手に戻ってきている。
オドがこれで傷ついたはずはない。
ならどうして、あいつは苦しんでいるんだ?