3 『願いの魔法使い』
「ご……ごちそうさま。ありがとう。その……助けてくれて」
「どういたしまして」
まずはお礼だ。目の前の女の子に感謝しなくては。
血に乾いた喉を潤してもらったこと。
どうやってか分からないけど、命を救われたこと。
「どうしたの?」
本物かどうか確かめるように、しげしげと眺めてしまう。
大きな瞳をさらに丸めて、首をかしげ微笑む少女。
カウンターの向こう以外から女の子に笑顔を向けられたことなんて、何年ぶりだろう。
おかげでお礼もどもりまくりだ。
白い髪の、そして金色の瞳の美少女。そんな子はもちろん、これまで観た事がない。
首にはチョーカー、白一色の裾がフリルになったタンクトップのような上衣、同じく真っ白な膝丈のスカート。
ほっそりした腕には金の輪、脚には銀の輪がはまっている。
中学生くらいの体格に見えるけど、喋りはちょっと幼く聞こえた。
「……それで、きみはわたしに何をお願いしに来たの?」
ぷいっと顔を背けられてしまった。いくらなんでも見すぎたか。それとも沈黙が長過ぎたのか。
謝らなければ、と思いながら言われた言葉を反芻する。お願い?一体何の話だろう。
「お願いって、どういうこと? 君はこの湖の女神様か何かで、願いを叶えてくれるとか」
首をぶんぶんと振られた。あんまり勢いよく首を振るので、彼女の髪が少し頬に触れる。
「わたし、神様なんかじゃない」
「ご、ごめん。ぼくはただここに迷い込んだだけなんだ」
「じゃあ、きみも魔法使いなの?」
「どうしてそうなるの!?」
「そうじゃなきゃ、どうしてここへ来られるの? ここへは魔法使いしか入れないの。わたしが決めたの」
「……落ちてきたんだ、どっか高いところから」
傾けた首をさらに曲げて口角を下げ、よくわからないという顔を見せる。
自分でも分かっていないのだから、どう説明したものか。
「それよりさ、さっきの二人はなんだったんだ?」
「ひどい人たちだった。いきなり殺そうとするなんて」
「うん……すっげえ痛かった。でも、君のおかげで助かったよ」
痛みはとっくに引いているし、痛かったのもほんの少しの間だけだ。
よくわからないけど、死ななくなる魔法とやらに助けられたらしい。
それでも、首に隙間を空けられたことは体が覚えている。今はタートルネックのシャツが着たくて仕方が無い。
「最低限、自分の身を守れなきゃ魔法使いとは名乗れない。お父様がよくそう言ってたわ。こわい人にかかわっちゃダメって、教えてもらえなかったの?」
「ぼくは魔法なんて使えないよ。それに、君が危なかったから……」
「なーんだ。そうよね。きみが魔法使いなら、わたしに用なんてないものね」
彼女はふてくされたように腕を組んで枕にすると、後ろにふわりと倒れた。
地面から足を離し、そこにビーチチェアでもあるがごとく寝転ぶ。
ありていに言えば、彼女は横になって浮いていた。
「ぼくは本当に迷い込んだだけなんだ。気を悪くしたらすまないけど、ぼくは君にお願いをしにきたわけじゃない」
「そんな人はじめて。誰かがわたしのところに来るのは、男の人も、女の人も、おじいさんもおばあさんもみんな何かをお願いするためなの。わたしが魔法使いだから」
「なんだか大変そうだ」
魔法を使うのにどんな苦労があるかは知らないけれど、素直にそう思った。
こんな女の子にかける願いとは一体なんだろう。
とんでもない力を持っているのは分かる。けれど、大人がそれでいいんだろうか?
「べつに。お父様がしていたことだし、むずかしいお願いは妹がやってくれたし。本当に嫌なら、聞かなくてもよかったもの。でも……」
でも、と言ったまま彼女は口をつぐんでしまった。まずい話題だったのかもしれない。
「妹がいるの?」
「あ、うん! すっごくいい子で、わたしよりずっと器用で、お父様の言うこともよく聞いてたから、わたしよりずっとむずかしい魔法が使えるのよ。それでね、髪の色もわたしと違って太陽の色なの!」
妹のことを話し始めると、曇っていた顔が輝いた。
気を遣って話題を変えてみた甲斐があったというものだ。
この子の素直さもあるけれど、ぼくの対人能力も捨てたものではなかったらしい。
「あの子は今わたしたちのお城にいるの。さっきみたいな人たちがまた来たら困るから、わたしもすぐ帰らないと……」
「帰るって、それも魔法でひとっとびとか?」
「魔法使いはね、自分が楽をするために魔法を使ってはいけないの。自分や誰かを守るときか、誰かのお願いを聞くためにだけ、使うのよ」
見えないビーチチェアから起き上がり、右人差し指をぴんと立てて得意げに言ってのけた。
だったらそのふよふよ浮いてんのはなんなんだ、と突っ込みたくなるのをぐっとこらえて、一番聞きたいことをたずねてみる。
「じゃあ、お願いしたらぼくを家に帰してくれるのか?」
「それがお願いなの? 簡単だよ。さっきの二人みたいに、わたしが命令するだけ」
「……土的なものに還りたくないんだけど」
「ちがうわよ! あの人たちはおうちに帰っただけ。それぞれのところにね。あなたも、あなたのおうちへ帰れる」
魔法バンザイ。
わけのわからない場所で殺されかけた甲斐があった。
「じゃあ、お願いだ!ぼくを家に帰してくれ」
思った以上に大きな声が出てしまった。
結局のところ傷が治ったのもこの子のおかげであって、ぼくに不思議な力が宿ったわけでもない。
だったら、さっきみたいな奴らがのさばる世界に居続けるなんてごめんだ。
日本語が通じたのだけは救いかもしれない。おかげでこの子にお願いができた。
彼女はあわてて立ち上がると、居住まいを正してなんだかかしこまった調子でこうのたまった。
「はい。慧国筆頭魔法使いユークレート、あなたの願いを確かに聞き入れました」
柔和な顔や子供っぽい顔ばかり見せてくれたこの子がきりっとすると、なんだか本当に女神様みたいに見えてしまう。
けいこくがなんだか分からないけど、ユークレートというのか。
「それが、君の名前?」
「わたし、きみが名乗るのをずっと待ってたんだけど」
今度はふくれっ面で答えられた。恥ずかしさで顔が少し熱くなるのを感じる。
ユークレートにつられたのか、気をつけの姿勢で自己紹介をしてしまう。
「ぼ、ぼくは風追祐!ユウでいいよ」
「……じゃあわたしはユークでいいよ。ユウとちょっと似てるね」
ユークはそう言って笑った。お互い変な緊張が解けたのか、ぼくもつられて笑ってしまった。