26 『地獄の特訓 ・ その後』
「手加減ないんだぜ、イストリト先生。ちょっと怠けて足を遅らせたら、すぐに気付いてディアマンドをけしかけられんだ」
「あはは。それでへろへろなんだね。オドなんて、晩ご飯食べたらそのままテーブルに突っ伏して寝ちゃったもの」
ベッドに転がる俺の傍らでユークが笑っている。
その口を隠した左腕からは、右と同じく制御輪とやらが消えていた。
俺たちがイストリトに痛めつけられている間、ウィスハイドが外してくれたのだろう。
「でも、わたしもそのながーい階段見てみたかったな。ニクスの話が長いから、お出かけする時間なくなっちゃった」
オドと俺に請われ、イストリトはにわかに張り切りだしてしまった。
街の東端、街道へ続くという大階段に連れ出され、そこをひたすら走りこまされたのだ。
そのランニングコースはのたくった峠道をまっすぐに貫いていて、上からも下からも眺めはなかなかのものだった。
「見るぶんにはいいんだよ。何往復もさせられる身にもなってくれ。しかもあの大男がきっちり後ろからペース作ってくるんだぞ」
「足、ぱんぱんだったものね。もう痛くない?」
「……実は、寝転んでからまたジンジンしてきた」
下半身の薄っぺらい筋肉が悲鳴を上げだしていた。
女医謹製の湿布でごまかしているとはいえ、思わず声を上げそうになる。
魔法では疲労は抜けないし、トレーニング効果も薄まってしまうとのことらしい。
「ユウの痛いの、『飛んでけー』」
「……それ、こっちにもあるんだな」
話には聞くけど実際されたことはない。
貴重な体験をしたなと感慨にふけっていると、足の感覚が変わったことに気付く。
「……あれ? なんか、痛くない……」
「飛んでった?」
「ホントに飛ばせんのかよ」
驚き半分呆れ半分でため息が出そうになった。
言語魔法のとんでもなさにもいい加減慣れてきたと思っていたところにこれだ。
そういえばウィスハイドも使っていたが、ユークのものはやはり別格なのだろう。
「魔法使いだからね! マルカが怪我したときもよくこうやって……」
「待った、この部屋ってウィズの世界なんだろ。適当に捨ててあいつが代わりに筋肉痛になったりしないよな」
「……あっ」
ユークが何かに気付くと同時に、天井からガタンと音がした。
そして何者かが二階の床を転がるような振動が伝わってくる。
ここも上とつながってはいるんだな……じゃなくて、推測が当たってしまった。
「ど、どうしよう!」
「魔法で戻せない?」
「あ、そっか! 『戻ってきて』!」
その言葉とともに鈍痛が舞い戻ってくる。
腿をさすってごまかそうとするも、やっぱり痛いものは痛い。
「あだだだ」
「ごめんなさい! わたし、余計なことしちゃったみたい……」
「いいんだ。……それよりさ、話聞いてどうだった。ウィスハイドにもまた会ったんだろ?」
一生ぶん走って抜け殻で戻ってきたとき、この子はもうけろりとしていた。
もちろん、内心どう思っているかは分からない。
イストリトのように空元気なのかもしれない。
自然に振舞うものだからついつい触れるのを後回しにしてしまったけれど、やっぱり聞かずにはいられなかった。
「謝られちゃった。ウィスハイド、ほんとにいい人。……わたしね、マルカに恨まれて閉じ込められたのかな、って、ちょっと思ってたんだ」
「外が危険だったから、とかかもしれないだろ」
良くも悪くも責任感があるというか、背負い込みがちなユークがそう思うのは無理もない。
けれど、仲の良かった妹に裏切られ、逆恨みまでされて何年も……そうか、千年と分かったんだったか。
そんなにも長い間ひとりぼっちにされたなんて、あまりにも悲しい話だ。
「うん。ニクスからもお話聞いて、わたしもそう思えたよ。きっと、わたしがいない間にマルカに何かあったんだ。だって、本に書いてあることはウソだもの。あの子にお父様を殺せるはずない。だって、お父様は……一年前に帰ってこなくて、それっきりなんだから。ううん、生きていたって絶対そんなことしない!」
ユークは強い口調で言い切った。
ウィスハイドから告げられた史実は、結局のところ彼女を勇気付けたらしい。
「俺もそう思う。だから青歴ってやつを調べなきゃな」
「うん! でもエッカードって人、わたしたちのときにいたのかな?」
「我輩も疑問ですな。それほど優れた魔法使いであれば、名が知れておるはず。お嬢はともかく我輩の知るところでないのは不自然。当時から世を観測していたとは思えん」
「そこだよなあ……」
割り込んできたニクスの疑問ももっともだった。
青歴が千年前までカバーしてくれていることを祈るしかない。
腕組みしてうなっていると、ユークが突然ぱんと手を叩いて声をあげた。
「あ! 青歴院に行ったら、もう一つ調べなきゃいけないことがあるよ!」
「何かあったっけ?」
「ユウのお願いを叶える方法。だって、腕輪は関係なかったんだもの。やり方が分かれば、きっとお家に帰してあげられるよ!」
屈託のない笑顔に、俺はどう答えたらいいのか分からなかった。
体を起こして口を開こうとするも、言葉はなかなか出てこない。
ユークが覗き込むように首をかしげている。
「……ありがとう。俺の願い、忘れないでくれるのは嬉しい。でも、まだ叶えないで欲しいんだ」
「どうして? 帰りたくなくなったの? お父様やお母様が心配してるはずだよ!」
「そうかもな。でも、いま一番心配なのはユークなんだ。だから置いて帰れない」
正直な気持ちというにはちょっと格好をつけすぎていた。
ユークにはもう俺以外にも味方ができた。
だから俺はこの子に……必要なわけじゃない。
それでも、何も返せないまま別れられるはずがなかった。
「でも、いつかは帰らなきゃ」
「ああ。でも今じゃない。その時になったら、また改めてお願いする。いいだろ?」
ユークは困惑した表情で、両手を浮かせたまま説得してくる。
安心させてやろうと笑顔で答えたが、腕を抱きこんでうつむいてしまった。
まずいことを言ってしまっただろうか。
「……困っちゃうよ。わたし、わがままだから……これ以上ユウと一緒にいたら、お願い聞けなくなっちゃう」
「それ、どういう意味……」
「なんでもないっ! わたしもう寝るね。おやすみなさい!」
拒むように両手を前に突き出したかと思うと、部屋の外に駆け出していってしまった。
その言葉の意味は……良いほうに取っていいのだろうか。
ユークも離れがたく思っているけれど、願いを叶えるのならそうはいかない。
だからこれ以上辛くなる前に、早く別れを済ませてしまおうとした。
つまり、あの子も俺と一緒にいたいのだ。
そうだといい。そう思おう。
顔から体が熱くなっていくのがわかる。
体はひどく疲れているのに気分が高ぶって仕方なかった。
だから眠りが浅くなって、夢を見たのかもしれない。
目を開けると、そこに立ちはだかる何かに圧倒される。
昼間走りに走らされた大階段かとはじめは思った。
けれどそれは、山のふもとに築かれた砦と、その背後にそびえる巨峰。
そして鎧姿の兵士が隊列をなす姿だった。
彼らはずいぶん背が低い。首一つぶん下に顔があるものだから気付くのが遅れた。
……いや、違う。俺が大男になっているんだ。
「屍小隊が先行する。まだ動くな」
逸る兵たちをいさめ、敵味方の動きを静観する。
この戦いはおれたちの勝ちだ。
首都からイストリトが戻り屍たちが参戦した以上、もはや紛れはない。
それは砦の中のやつらも分かっているはずだ。
屍小隊はもはや外壁に肉薄しつつある。
何を考えて未だに閉じこもっているのか。
援軍も望めないのにどうして抵抗をやめないのか。
そう考えかけてやめた。
わかってやる必要がない。
おれはやつらをすべて殺すからだ。
あいつらは友軍がガントロウデの向こうに引っ込んでから、ずっとここにかじり付いている。
魔術師が最低でも一人。その護衛が数十から百。
ただそれだけの数でも、カスバでもあるマハ山の古砦を押えられているとあれば小軍では落とせない。
放置すれば村々や復旧中の街道が魔術で爆撃される。
だが、それに怯える日々も今日で終わりだ。
これ以上妻を戦場に立たせるつもりはない。
『ングラ・ストゥラティア・エルド』
「耳を塞げ!!」
雷声の呪文の響き。
こちらを狙ったものでないことを祈りながら指示を飛ばし、自分もまた両手で頭を抱え、片目を閉じる。
閃光を合図に突撃するためだ。
雷光に世界は白く染まり、雷鳴は塞いだ耳をも聾した。
だが体は動く。熱も感じない。
狙い通り、囮の屍小隊を狙った攻撃だったらしい。
「抜剣せよ! 突撃!」
おれについてこれた兵は四割程度だ。
雷声の呪文の脅威はその殺傷力ではない。
この雷撃から生じる響きは呪われており、聞いた者を恐怖させ身をすくませるのだ。
その音から身を守るのは対魔術師戦の基本だが、耳をふさいだところで耐えられる者は多くない。
もっとも屍小隊に効果はほぼない。戦端が爆撃の呪文でなかったのは幸いだ。
「出遅れた者! 動けぬ者を連れて後退しろ!」
身を縮込めてしまった兵に最低限の指示を飛ばし、砦へと歩を進める。
敵の歩哨がこちらに気付く。それを切り捨てながらさらに肉薄する。
止めを後続に任せ、おれはただ砦の内部の魔術師だけを狙うことにする。
「おおおおお!」
もはや奇襲は悟られている。隠密の必要はない。
雄叫びを上げ気勢を昂ぶらせる。
どれほど殺しに慣れても、それをやりきるには一定の手順が必要だった。
砦に押し入り、目に入った者の頭に剣を振り下ろす。または突き刺す。そうでなければ薙ぐ。
それを繰り返せば、ことはすぐに済んだ。
『ノスト・フィンフルフェ……』
詠唱を喉元から絶ってやる。
それで砦の中はすっかり静かになった。
だが、この魔術師を含めてまだ十六人しか倒していない。
「……少な過ぎる」
「何べん死ぬつもりだてめぇは! フォローする身にもなりやがれ、ディアマンド!」
「ジャンか。砦にもう敵はいないか」
「探させてる。恐らくはもぬけの空だろうが。どこへ逃げたのやら」
逃げ場などないはずだ。
おれたち対魔術作戦鼠隊が南方から、屍小隊が西方から仕掛け、北と東には切り立った崖がそびえている。
西側に魔術師の攻撃を引き付け、篭城する敵をおれたちが殲滅するはずだった。
やつらはどこへ行った?
お互いが黙ると、外からは屍小隊のものと思われる剣戟の音が響いてくる――外で戦闘が続いている?
それに気付くが早いか、足はもう動き出していた。
「おいディアマンド! まだ制圧できちゃいないんだ、傷の手当でもしてろ!」
「敵は逃げてない! やつら、イストリトのほうへ突撃したんだ!」
「なんだって――」
返事は途切れて聞こえなかった。置いてけぼりにしたらしい。
砦の西門を蹴破り、その向こうにあるものを確かめる。
やはりだ。屍小隊と敵兵がぶつかりあうのが見える。
数は拮抗していた。錬度や士気の差はあれど、生身の兵と屍兵では持久力が違う。
敵兵が全滅するのは時間の問題だ。
そう胸をなでおろしかけたとき、朗々とした呪文の響きが耳に届いた。
『エール・アラマンディア・エンバール』
イストリトの声ではなかった。
その意味するところ――敵に魔術師は二人いたのだ。
頭の中ですべてがつながる。
おれたちは謀られた。
なぜ事ここに至るまで抵抗をやめなかったのか。
なぜ屍小隊が砦に肉薄するまで初撃を行わなかったのか。
そしてなぜ屍に効果のうすい雷声の呪文を使ったのか。
その答えは――イストリトを始末するためだ。
抵抗をやめなければこちらは屍小隊という切り札を出すほかない。
屍小隊が砦に近づくと言うことは、操るイストリトもそれだけ近づかねばならない。
雷声の呪文は屍を生身の兵の隊だと思っている、というメッセージだ。
おれと同じように、イストリトも詠唱を聞いてしめたと思ったかもしれない。
あるいはおれたちの負担を減らすために砦に突撃をかけるかもしれない。
あいつはそういう奴だ。
彼女が危うい。
「うおおおおおおあああ!!」
屍の焼かれる臭いが返り血のそれを上書きする。
甫兵の背後へ踊りかかり、やつらの魔術師への道を作るため獲物を振り回した。
その間にも爆音が耳を撃ち、その度生あたたかい何かが降りかかる。
『エール・アラマンディア・エンバール』
呪声はもう近い。
やつの呪文は屍兵も甫兵も無関係に空へ巻き上げ、飛び散らせていた。
雷声とは異なり、純粋に破壊のみを追及し対軍殲滅に特化した魔術。
その炸裂は一度では収まらず、広所においては直撃でなくとも安心はできない。
「ぐっ!」
案の定、左方から爆炎が襲い来て身を包む。
だが体はまだ万全に動く。やることは変わらない。
魔術師を殺す。それでこの戦いは終わる。
「があっ!!」
雄たけびとともに、立ちはだかった甫兵の側頭を二度打つ。
佩剣の刃はもはや用を成していない。投げ捨て、倒れてきた男の手から剣を抜き取る。
死体を振り払うと、目標はもう目の前だった。
白い飾り円の式陣に立つ青年。手にはそれを描くための石灰棒。
だが、おれよりも彼のほうが先に敵に気付いていたらしい。
『アラマンディア!』
放たれたのは修辞を取り払った呪文だった。
目の前が焔色に染まる。
喉元に突きつけようとした剣が熱に捻じ曲げられ、右腕がそれを握ったまま動かなくなる。
だが、それでも切っ先は彼の胸を突いた。
青年魔術師は血を吐いて膝をつく。
『『エール……アラマンディア……』
その口から再び呪声がこぼれだした。
彼が睨んでいるのはもはやおれではない。
再び西方を向き、その向こうにいるイストリトを灼かんとしている。
呪文を完成させるわけにはいかない。
右腕はどうなった?と聞きたがる生存本能を押し殺し、ただ目の前の男に左拳をぶつけることだけに集中した。
『……エンバール』
男の頭蓋は潰れた。だが、呪文は完成してしまった。
何かに促されるようにおれは駆け出した。
すぐ近くに彼女がいるような気がした。
そしてその感覚は正しかった。
視界にイストリトを捉えたのだ。
「逃げてくれ!」
そう叫ぼうとした。だが、出たのは鳥の出すような奇声だった。
喉も既に焼かれていたらしい。
瞬きで左目が効いていないと気付く。
それでも、妻の姿を見まごうはずはなかった。
そして一度目の爆発が起きた。
「くっ……!」
彼女を守っていた屍兵たちが散り散りになった。
イストリトは周囲の屍兵たちを呼び寄せようとする。
だが、次の爆発には間に合わない。
できることは一つしかなかった。
「ディアマンド! 何故ここに……」
妻のもとに転がり込み、彼女に背を向けて壁を作った。
眼前が白く染まり炎熱が襲い来る。
二度目の爆発が起ころうとしていた。