22 『紅衣の男の素顔』
「ごめんなさい、ウィスハイドさん」
謝罪の言葉とともにユークが頭を下げた。
その先にはこんもりとふくらんだベッドがある。
襲ってきた紅衣の魔術師がその毛布の殻の中に閉じこもってしまっているのだ。
はたから見れば彼を見舞いにでも来た格好だ。
どうしてこうなった。
「わたし、ユークレートっていいます。お友達のところに飛ぶつもりで間違えてお邪魔してしまったの。お詫びに何か、願いを聞かせてくれませんか」
「ならば、一刻も早くここを立ち去ってくれ。お友達とやらを迎えに行くがいい」
「……お言葉に甘えておいとましよう、ユーク」
毛布の隙間から返ってきたのはふてくされたような声だった。
ダメ元で提案してみるが、ユークは首をぶんぶん振って食い下がってくる。
「ううん、せめてウィスハイドに元気になってもらわなきゃ! ねえおねがい、機嫌なおして……」
早々におつとめモードを投げ出し、ウィスハイドの篭るベッドにすがって懇願するユーク。
「君がユークレートだろうとヨルムンガンドだろうと、僕の手に負えない相手だ。それに君の落ち度は無警戒であったことだけだ。魔門を捻じ曲げた僕の責が勝つ。だから詫びをもらう筋合いもない。それでこの話は終わりだ」
「そんな! それじゃ気がすまないよ!」
ウィスハイドは有無を言わせない勢いで言葉を切ってしまう。
痺れを切らして毛布の山をぽこぽこやりだした少女をベッドからひきはがすはめになった。
謝りたいんじゃなかったのかおまえは。
「ごめんなさいね。ウィズはお客にはだいたいこうだから、気にしないで」
そう言ったのは、そばに控えていたエプロンドレス姿の女性だ。
エフィーと名乗ったメイドは、気絶したウィスハイドを運ぶ俺たちに駆け寄ってきてこの部屋へ通してくれたのだ。
ベッドに寝かせると男はすぐに正気づいた。
けれど言葉も発することなくうつぶせになると、クローゼットから大量の毛布が這いずってきて彼を包んでしまった。
それがこれまでの顛末だ。
俺たちがユークの陣術で飛んできたのはこの家の地下室だったようだ。
そこから階段を上った地階はごくふつうの人家で、魔術師の居室だとは思えなかった。
だがもう一つ上った二階、つまりこの部屋は違う。
ベッド周りこそきれいに掃除されているが、奥の作業机のある地帯には殴り書きされた紙片や羽ペン、空のインク瓶、何かの鉱石やらが散乱していた。
ウィスハイドの普段の生活がうかがえる。
「それにしてもエフィー、君がまだ彼の世話をしているとは驚いた」
「何度か他の人に任せてみたんだけどね。でもどっちかが耐えられなくて、すぐ私が呼び戻されるってわけ。でトリト、今日はこの人お医者様に任せていいわけ?」
「ああ。お互い様とはいえ、彼を傷つけてしまった。放っておくわけにはいかん」
「相変わらずねえ。やっぱり貴女、ウィズに似てる。マジメなところがそっくり」
ベッドからもイストリトからも抗議の声が上がり、エフィーはからからと笑う。
二人と親しいことから青歴院の出なのだろう。
俺やラトよりも年上に見えるが、明るいオレンジの髪と表情にどこか少女らしさがある女の人だった。
お世辞にも紅衣の男と相性がいいようには見えない。
そもそも魔術師なのだろうに、なぜメイドの格好などしているのだろう。
「それで、ユークちゃんだったかな。捜してるお友達ってどんな子なの? 名前は?」
「ラトって子。エフィーは知ってる?」
「もしかしてビケルウィルのラトちゃん? 知ってるもなにも、ときどき届けものを頼んでるのよ」
「ほんとに!? ねえ、それじゃあ――」
「それ以上話を続けるなら、下でやってくれ!」
全員がベッドに振り向く。そのくらいの大声だった。
同時に、部屋中の羽ペンが宙に浮き、俺たちへと向かってくる!
「きゃ、いたた、いたい!」
「つつくなって! やめてくれ!」
「あちゃー、おかんむりね。はいお三方、こちらへどーぞ」
エフィーがドアを開け外へと導いてくれた。
俺とユーク、オドは羽ペンたちにつつかれながら我先にと階下へ向かう。
広間に出て、一息つけたかと思ったところにまだ群れが追いかけてきた。
思わず身構えるが、彼らはこちらを無視してダイニングテーブルに降り立ち、そこに置かれた紙束にいっせいに何かを書き付けはじめた。
そして一斉に動きを止めると、また二階へと飛び去っていった。
「すっごい、すごい! お父様でもあんなに丁寧に動かせないよ!」
「……まさに魔法って感じだな」
「何か用事があるとね、いっつもああして飛ばしてくるのよ。どれどれ……」
俺たちが唖然とするのをよそに、エフィーはのんびりと書き付けを手に取った。
「ああ、キミたち宛ね。ほら。どこの子か分からないから、いろいろ書いてくれたみたい」
示されたメモは四枚あった。
どうやら同じ内容を四つの言語で記してくれたらしい。
ご丁寧なものだ。それにイストリトは追い出していないあたり、話はちゃんと聞いていたらしい。
メモから見知った文字を探すと……見つかった。
二枚目がほぼ完全な日本語、四枚目は英語のように見える。
くずし字らしきものもいくらかあるが、読むのに支障はない。
そこにはこう書かれていた。
『
ユークレート殿とその一行の方々へ
口下手ゆえ書面にて失礼いたします。
お伝えしたいことは三つございます。
まず、私が伏したことについて懸念される必要はありません。ただ力不足を恥じているまでです。
次に、問答を捨て貴女がたを襲ったことについて詫びさせていただきたい。
気が動転していたのです。
厘国へのお為ごかしに張った結界に貴女方がかかることも、己の敗北も想定の外でありました。
重ねて修行不足と慢心を痛感した次第であります。
最後となりますが、私の願いを聞きたいと仰られたことについて一言。
もしまだそのおつもりがあれば、私ではなくそこにいるエフィーに聞いて頂きたく存じます。
彼女の喜びは私の喜びでもあります。
数々のご無礼、大変失礼致しました。
再びこちらへいらっしゃる折はこちらに一筆頂き、返答をお待ち頂ければと思います。
魔術鍛冶士 紅衣のウィスハイド
』
なんだこれ。
これがあの男の書いた文なのか。
あれか、書面だと丁寧になるタイプなのか。だからってこれはギャップがありすぎるんじゃないか。
けれどそれを口に出すのもどうかと思ったので、とりあえず別のことを聞いてみることにした。
「魔術鍛冶? 魔導鍛冶とは違うんですか?」
「ユウ君あなた、甫国の人なの? ……そのこと、ウィズの前で聞かないでね。講義が止まらなくなるから」
そう肩に手を置いて言われた。笑顔は崩していないが、目は笑っていない。
今まででいちばん怖いぞエフィーさん。
ともかく、違うものではあるらしい。
ベルの奴が適当なことを言ったわけではないのだ。
「ねえエフィー、それよりお願いを聞かせて!」
ユークはいてもたってもいられないという様子だ。
メイドはくせっ毛を揺らしてわざとらしく考え込み、しばらくすると人差し指を立ててウィンクしてみせた。
「そうねえ……それじゃ、お昼おごって!」
エフィーに連れられて、俺たちは大通りに出た。
まず驚いたのは建物の多さと大きさだ。すれ違う人の数もビケルウィルとは比べ物にならない。
そう漏らすと、エフィーは笑って言った。
「ラトちゃんとこは開拓村みたいなもんだもの。昔の家はほっとんど焼けちゃって、みんな最近建てなおしてようやく集落らしくなったところよね」
「ラト姉、どこにいるんだろ……」
「ウチに飛んできたってことは、この町にいるのは間違いないよ」
転移術が失敗したのではなくウィスハイドが行き先を変えた。そう聞いている。
「中継結界……でしたっけ」
「そ。この町につながる魔門を全部ウチに吸い込んじゃうの。それにしても貴女すっごいのね、ひとりで遠くに転移できるなんて! トリトが目をかけるだけある。変な噂が立ってると思ったら、ちゃーんと仕事してたんじゃない、あの子」
「そうだ。ここってオルミスとは近いんですか?」
ラトを探すのも大事だけど、俺たちの目的地は海の向こうの青歴院だ。
港街オルミスから遠ざかってしまったのか、はたまた近づいたのか知っておかねばならない。
「となり街。ビケルウィルから来たなら、ずいぶん近回りをしたことになるわね」
「そりゃいいや! このままラトがオルミスに走ってってくれれば、ずいぶん楽ができるぞ」
「ちょっとユウ! ラト姉見つけて、先生と仲直りさせるんじゃなかったの!」
「冗談だって。……いやごめん、ちょっとタチ悪かった」
ラトを一人にしたままでは、ディーラーに狙われる、もっと悪ければ操られる可能性だってあるのだ。
捨ててはおけない。
そう思い直していると、ユークがなにやら騒ぎ始めた。
「あ、ユウ見て! すごいすごい、あそこのお店、看板がだんだん変わってく!」
「……マジだ。え、電光掲示板……?」
彼女が指差した看板には点で描かれた『PHARMACY』の文字と座る犬の絵があった。
見ていると、犬が吼えるたび一文字ずつ浮かんではもとに戻るアニメーションが繰り返されていく。
まさかだろと釘付けになっていると、エフィーがそちらに駆け寄って自慢げに解説しはじめた。
「これね、ウィズが作ったのよ! 必要な薬剤を卸してもらってるからそのお礼にって」
「本当に!? 素敵! わたしもこういうの、作れるようになりたいな……」
「……なんで薬局に犬なんだ?」
看板が魔法の産物だと分かると、疑問はそっちへシフトした。
英語が平気で使われてるのはもう突っ込まない。日本語の看板も見たし。
「もう、犬じゃなくてオオカミだよ! エウクリテス。地上に最後まで残った神様なの」
「……ユークちゃん、よくそんなふっるいこと知ってるわね。こっちに来てからはじめて聞いたわ」
「え!? だって、慧国じゃ……あ」
「か、神様なのに? みんな信じてないってことですか?」
「神だから、よ。厘国じゃはじめからいなかったってことになってるしね」
あやうくユークが素性をばらしかけた。どうにか事なきを得ていてくれ!
それにしても、話すことからしてエフィーは厘国出身ではなさそうだ。
「もしかして、エフィーさんって甫国から青歴院に行ったんですか?」
「ご明察。ま、もう縁は切ったようなもんだけどね。あー、おなかすいちゃった! お話は食べながらにしましょ。もう一軒、ウィズが看板を贈ったところがあるのよ」
「もしかしたら、ラト姉もお腹がすいてるかも! 行こう行こう!」
二人は駆け出し、俺とオドの男二人が残された。
ついてはきているが、この少年は先ほどからずっと押し黙っている。
「俺たちも行こうぜ。にしても、どしたんだ? 朝なんてあんなに騒がしかったのにさ」
「ぼく、役立たずでした。ご主人さまが危険なときに、なんにもお役に立てませんでした……」
「んなこと気にしてたのかよ。俺に似たようなもんだって。ユークが気付いてくれなきゃどうしようもなかった」
「そうですね。カゼオイさんも叫んでただけでした。ちょっと気が楽になりました。ありがとうございます」
そう言い残すと、オドもまた二人を追った。
可愛くないこいつ!