20 『使役魔術師』
川の水の冷たさが肌に突き刺さる。
帰り道は体を震わせながら、そしてオドのおしゃべりに耳を塞ぎながらの道中になった。
「あーっ! ユウ、帰ってきた! ねえ、どうしよう! ラト姉が大変なの!」
「うおあっ! た、ただいま。ラトが?」
そして詰所で俺を出迎えたのは、ユークの叫び声と体当たりだった。
こっちにだってベルナードの言付けやらオドのことやら、伝えなきゃいけないことは山ほどある。
いったい今度はなんだっていうんだ。
「ラトが……出奔した」
「はあ!? しゅっほん……て、つまり家出したってこと?」
搾り出すように答えたのはイストリトだった。
怒りを抑えるかのように腕組みをしながらも、その顔は青白い。
「先生と二人でお話したあと、飛び出して行っちゃったの……。あっという間に見えなくなっちゃったから、どっちへ行ったかも分からなくって……ジャンドが探しに行ってくれてるの」
「でも、ユークなら追いかけられるじゃないか。昨日みたいに陣?を敷いてさ」
「あっ、そっか!」
音を立てて手をあわせるユーク。おっさん気の毒だな、気付いてなかったのかよ!
あいかわらず自分の力に無頓着な子だ。
「ご主人さまはそんなことができるのですね。ぼくたちはそういう魔術は教えてもらえませんでした。来る日も来る日も目標を雷公女や始炎帝で焦がすばかりで。それにしてもラトさん、心配ですね。何故出て行ってしまわれたんですか?」
「え!? しゃべってるの、オド、あなたなの?」
「そうなんだ。川にベルナードが……ユークの治したあいつが来て、こいつを正気づかせたんだ」
ユークは目を丸くして進み出、オドの肩を掴んだ。
隣のイストリトもまた唖然としている。
そりゃあそうだ。丸一日一言も発さなかった小さな同行者がマイペースに雄弁を振るっているのだから。
「はい。ベルさんのおかげで自由の身です。そうだ、挨拶をしなきゃいけません。はじめまして、ユークレートさま。ぼくの新しいご主人さまは、あなたです」
「ご、ご主人様? やめて、ユークでいいよう」
「それじゃあ、ラルドさんのようにユークさんとお呼びしますね。なんでもご命令ください。ぼくたち使役魔術師はそれが役目ですから」
「使役魔術師ね……。風追、君やオドの話も聞きたい。ラトのことは一旦置こう。私もやつも頭を冷やす必要がある」
そうして立ち話は打ち切られた。
ユークの力を使えば、ラトにはいつでも追いつける。慌てることはない。
それに頭を冷やす必要があるのはイストリトだけじゃない。いったんお互い言いたい事を出し切る必要がありそうだ。
「えっとまずは……ユークが帰ったあと、川にベルナードが来たんだ。ラルドから伝言があるってさ」
広間に腰を下ろし、いざ説明を始める。
ベルナードとの出会いやラルドからの伝言をユークたちに話す間も、オドの口からはたびたび長台詞が飛び出した。
聞かされる彼女たちは辟易していたものの、俺としては不足ない解説がありがたくもある。
放っておくととりとめなく話し続けるのに気をつけさえすれば。
「……ベルナードが、わたしにありがとうって? よかった、元気になって。でも、どうしてケンカなんてしたの?」
「それはですね」
「オド!! ……そういやお前、腹減ってないか。昨日何も食べてないじゃないか。パンが少しあんだけど」
「わあ、本当ですか! いただきます! ありがとうございます、カゼオイさん」
宿を借りた家の住人からもらったものだ。これで今日の朝食は抜きになるが、致し方ない。
「そうか。ラルドは我々の要請を受け、ベルナードは旅に。そしてオドは我々の元へ……か。殊勝と言うべきか、ずいぶん素直に動いてくれたものだ」
「でも、先生にガントロウデへ来いって。さもなくば知り合いをどうにかするって……これ、やっぱり復讐は諦めてないってことだよな」
「私としては好都合だ。青歴院まで君たちと同行するわけにはいかない。かといって、今更診療所に戻ろうとも思えん」
「そんな! 先生、行ったらラルドに殺されちゃう!」
「……ちょっと待った。院までいっしょに行けない? どういうこと?」
イストリトが一度引き受けた役目を途中で投げ出す人物だとは思えない。
何か不都合でもあるのだろうか。
「ともに赴けば、君たちはネクロマンサーの肝入りとみなされる。君たちのためにならない」
「どういう意味だよ、先生は仮にも、戦争を終わらせた英雄みたいなもんなんだろ?」
すると、パンに夢中になっていたオドが突然顔を上げる。
「紅衣の死霊術士イストリトさんですね。お噂はぼくも聞き及んでいます。厘兵の死体を集めた屍小隊で奮戦されたそうですね。ガントロウデでは改良した屍たちに式陣転写を行わせ、甫兵の死体をもその場で蘇らせ戦列に加えたとか。陣はどうしても転写のたび劣化しますから、どんどん人の動きはできなくなっていったようですけれど」
屍兵自身が死者に蘇生を施し、新たな生ける屍を作り出す。そしてそれが繰り返される。
それがラルドの故郷で起き、世間でイストリトの仕業と思われていることだというのか。
「……そうだ。それが紅衣の所業かと、厘兵たちから罵られた。あれから6年、私があの診療所に篭るうち、世間ではそう語られていた。だが私は、ガントロウデにはいなかった! 何者かが……私に名声と汚名とを押し付けたということらしい」
「なら、それをラルドに教えてあげなきゃ! もっとわるい人がいるんだって!」
しかしイストリトはその言葉に首を振る。
「はじめに死者を起き上がらせた責は私にある。はじめに式陣を描かなければ、かの地の悲劇もなかったはずなのだから」
「……だから、ガントロウデに行くっていうのか」
「ああ。もっともみすみす死ぬ気もない。ラルドと私の仇は同じ相手だ。話を聞かん相手ではないことも分かっている。ともに追えないか説得してみるさ」
「先生……」
心細そうなユークを尻目にイストリトは居住いを正すと、改まった口調で続ける。
「さて、話を戻そう。実は同じようなことをラトにも話したんだ。私は行けない、お前は院に戻れ、と。やつはそこで保護を受けるべきだ。腕の法具のこともある」
「本人、青歴院の名前も聞きたくないってくらい嫌がってたけどな」
「それでも必要なことだ。少なくとも腕輪を外すのは急務となる。不意にディーラーに見つかれば意のままにされてしまう恐れがある。オドの例のように」
「たしかに、使役符は制御輪を媒介にしています。心得のある方の目に入れば危険かもしれないです」
目くばせを受け、オドがその意を汲んで解説を入れる。
もはや阿吽の呼吸だった。この二人、早くも打ち解けている。
「それならすぐに追いかけたほうが」
「ああ。だが急いて仕損じるのも避けたい。オド、君の話をもう少し聞かせてくれ」
「わたしもオドのこと、もっと教えて欲しいな。ねえ、ラルドと会う前はどうしてたの?」
「ヴァーサさまのもとで、魔術の勉強をしたりほかの使役魔術師と競ったりしていました。うんと頑張れば、ほめてもらえて、外でお仕事ができるんです」
聞いた名前が出てきた。
ユークを攫う命令を出した張本人、ヴァーサ。甫国の隠密を束ねる人物……と聞いている。
そいつがこの少年を教育したということらしい。奇妙なつながりだ。
「その仕事がディーラーに仕えることだった、と。使役魔術師とは何か聞いてもいいかな」
「はい。お答えします。使役魔術師はご主人さまのために魔術を使います。人を殺したり、脅かしたりする『奪う』魔術です。そうしたくなくても、ご主人さまの命令は聞かなければいけません」
「わたしはそんなことさせない。絶対に!」
「うれしいです。……だけど困ります。ぼく、『奪う』ことでしかお役に立てません。ご主人さまになにも『与える』ことができなくなってしまいます」
不思議な言い回しをするオドに、俺たちは首をかしげた。
常に端的だった言葉の中に、突然比喩のような表現が飛び出てきたのだ。
ユークなどぽかんと口を空けてしまっている。
「奪う、与える、とは? 君たちの特別な用語なのか?」
「ぼくたちがヴァーサさまにはじめて教えていただいたことです。ひとがひとにすることは、すべて『奪う』こと『与える』ことのどちらかだと。こうもおっしゃいました」
そう言い置くと、オドは芝居がかった声色を発する。
「私はあなたたちからすべてを奪った。けれどそのかわり、これからすべてを与えるわ。まずは『奪う』方法を教えてあげる。『奪う』力があれば、『与える』こともできる。ひるがえせば、奪えない者は何もできないの。だって、そうでしょう? 何も持っていなければ、『与える』ことなんてできないんだから。あなたたちは『奪う』ことで、主人に何かを与えられるようになりなさい」
俺とユークはさらに首をひねることになった。だがイストリトにはぴんと来たらしい。
「下衆め! 攫った少年たちに過ぎた破壊魔術を与え、あまつさえそれを誉めそやし自らの尖兵としたわけか。……オド。君たちの仲間に、『奪う』ことを拒否した者はいたか」
「はい。けれど、もういません。ヴァーサさまが、何もできない子がどうなるか教えてあげなさいといって――」
「いや。もう結構。嫌な質問をした」
「……ですから、何もできないのはいやです。ご主人さま、おねがいです」
喉の奥から何かがこみあげるようだった。
さっきのパンはオドに渡してよかったと思う。
使役魔術師の候補たちは……そうすることを拒否した仲間を、その手で殺さなければならなかっのだ。
そうせねば、自らが焼かれることになる。そう脅されて。
「なに、それ!!」
ユークは怒りに声を上げた。
拳を硬く握りしめ、肩はわなわなと震えている。
「わたし、ヴァーサって人、ぜったい許さない。それとオド! やっぱり、あなたに命令する。ヴァーサの言ったことなんて、ぜんぶ忘れちゃいなさい!」
「えっ……」
「だって、そんなのウソだもの。わたしはお父様に教えてもらった。ひとにあげたって、減らないものがあるって。思いやりだよ。あなたのことが大事だって、心配だって、好きだって思う気持ち。ヴァーサにはそれがないんだ。だからそんなことが言えたの、できたの!」
「おい、落ち着けって。オドに言っても仕方ない」
ユークはこれまで見たことないほど興奮した様子でまくしたてた。
立ち上がってそばに寄り、どうどうとなだめる。
「ごめんなさい。でも、もう信じちゃダメ。それに、オドが奪うことしかできないなんてウソだよ。だってあなたは優しいもの。ベルとユウのケンカ、止めてくれたんだよね。それって、二人が傷ついてほしくないからでしょう?」
「……べつに。バカだなあって思っただけです」
ぷいと横を向いてつぶやくのが憎たらしい。このやろう。
「もう、照れないで! ね、わたしの最初で最後の命令、聞いてくれるよね」
「はい。よろこんで。けれど、ぼくはこれからどうしたらいいかわかりません」
「お友達になろう! わたしとオド、ちょっと似てると思う。ひとに頼まれて魔法を使って、それで悲しいことがあったけど、今はこうして自由なの。そう思わない?」
「……ぼくはたくさん『奪って』きました。命令で。それでもですか」
「わたしもね、同じ。ううん、もっと酷いかもしれない。あなたと違って、わたしは自分で選んだんだから……。そんなことしたくなかった。だけど、まわりの人たちを守るために、わたしはたくさん……殺したの」
いつか湖畔でニクスが言っていたことだ。
それでも、ユーク本人の口からその言葉を聞くのはショックだった。
むろん、彼女ならたやすいことなのだろう。
動揺したのはオドも同じらしい。うつむいていた顔を上げ、弁解するように両手をさまよわせる。
「ごめんなさい、ぼくなんかのために、言いたくもないことを」
「いいの。わたしのこと、もっと知ってほしいから。わたしもあなたのことをもっと知りたい。だから、お友達になりましょう?」
ずるいぞオド。ユークにこんなこと言ってもらったことない。
そう思うと気付いたら口が動いていた。
「俺も混ぜろよ。ユークと違って共通点なんかないけどさ、仲良くやれないわけじゃないだろ。ベルとだって上手くやってたみたいじゃんか」
ずいと迫る俺たち二人に気圧されたのか、オドはすこし身を引く。
それから何か考えるように少しうつむくと、ふたたび顔を上げて答えた。
「でも、わかりません。どうしたらお二人のお友達というものになれるのですか?」
「そんなの! 友達だ、って思ってくれてたらいいんだよ。それだけ。簡単でしょう?」
オドはきょとんとした顔のままうなずく。
「……あくまで友達だかんな。共通点があったって、ユークとお前は友達。いいな」
「わかりました。大事な人とは違うのですね」
「な……」
「? ユウ、なんのこと?」
ただ釘を刺すだけのつもりが、こいつ、覚えていやがった!
「……さて、友好も深まったことだ。そろそろ行動の時間だろう。私はラトを追う準備をする。君達も態勢が整ったら外へ来てくれ」
唐突にそう提案するイストリト。
明らかな狼狽を見せた俺を見かねたのだろうか。だとしたらありがたい話だ。
「そ、それじゃ俺先生を手伝ってくるよ」
そう言って、逃げるように彼女を追い外へ飛び出した。
待っていた彼女は、既に真紅の衣に身を包んでいた。
毎度出し入れしているが、出しっぱなしで不都合でもあるのだろうか。
「来たな。ひとつ聞かせてくれ。ユークレートの転移術……転移魔法と言うべきか。私はそれを体験していない。どのようなものだった?」
「えっ……と、陣はたしかこんなんだった。そこに入って、ユークが『開け』って言ったら目が回るような間隔がして……気付いたら景色が変わってた」
「これが転移陣? 効果範囲を限定する以上の権能が見当たらない……。魔門の開閉すら言語のみで行っているというのか、あの子は……?」
「いや、これをそのまま参考にされても困る!」
女医は口を押さえ、恐れるような声色でつぶやく。
俺のうろ覚えの魔法陣をそのまま使っていたなどと思われたらユークに悪い。
「ユウ、待ってよ! あっ、陣を描いておいてくれたの? でもちょっと小さいよ。今日は人数も多いし、ディアマンドもいっしょに入るんだから、もっと大きく描かなきゃ!」
「ユークさんの陣術、勉強させていただきます」
「ユウ、それにオドも手伝ってくれないかな。ちょうど見本があるし、これを大きく描くだけでいいから」
……どうやら陣に間違いはなかったらしい。
ユークの無邪気な指示を聞きながら手足を動かし、巨大な魔法陣を完成させていく。
「陣術とは、こう和気藹々と行われるものだったろうか。チョークで描くでもなく紋術を用いるでもなく、土に直接枝棒で刻むのは陣と呼べるのか。君たちを見ていると、真円を精緻に描こうと手を白に染めた日々が虚ろなものに思えてくるよ……」
夫を傍らにしたイストリトが小声で何やら言っているが聞こえないことにする。
そういえば、何故彼女は紅衣を装備しているのだろう。
「先生も何か魔法使うのか? さっきの話じゃこの陣、ユークしか使えないっぽかったけど」
「……ああ。今回はラトのいる場所に転移するという話だったな。あの娘の位置が特定できない以上、街中につながる恐れもある。騒ぎが起きないよう姿を見せないようにせねばなるまい」
なるほど。いわばステルス魔法をかけてくれるってわけだ。
「そっか。たしかに、急いでるからってパン屋さんに直接飛んだとき、飛び上がるほど驚かれちゃったっけ。先生はすごいな、いろんなところに気が付いて。それに、そんな魔法わたしには使えないし」
「いや、毎度驚嘆させらているのは私のほうだ……。さて、では始めようか」
イストリトが言葉を切ると、彼女の真紅のマントがはためく。
そして果てしなく伸びたかと思うと、今度は主人を中心に横へと広がり始め、しまいには俺たち皆を包み込んでしまった。
ただただ驚いていると、しだいに視界の赤色は透けるように薄れもとの景色へと戻っていく。
「終わったぞ。転移からしばらくは私から離れないでくれ。あまり隠蔽性の高い術ではない。いったん人気のないところへ移ってから行動開始としよう」
「わかった。それじゃユーク、頼んだ」
「転移術、たのしみです。ぼくもいつか、皆さんを送り出せるようになりたいです」
「うん! それじゃあ……ラト姉のところへ、『開け』!!」
この感覚に襲われるのは三度目か。まだ慣れたとは言えない。
視界が回転し――ちょっと待て。
なんだ、この、浮遊感は。
どさどさどさ、と音を立てて、俺たちは固い床に転がった。
暗くてよく見えないが、どうやらディアマンドの上に落着してしまったらしい。
俺も誰かに乗っかられている。軽いから、ユークかオドだろう。
「うわ、ごめ――」
思わず口を開きかけたのをイストリトに咎められたらしい。口に手をかぶされた。
一つうなずくとようやく解放される。
(……オド、怪我はないか。私の下になったのは君だろう、すまない)
(へいきです。慣れていますから)
(ユウ、だいじょぶ? ごめんなさい、わたし、また失敗したみたい……)
(いいって。壁の中とかじゃないだけいいさ)
あたりを見回すが、まだ闇に慣れない目には壁掛けのランタン程度しか映らない。
俺たちは窓のない室内にいるらしかった。
こんなところにラトがいるのか?
(状況が掴めん。ラトは確かにここに?)
(ダメだね、わたし……ラト姉はここにいないみたい。集中できてなかったのかな)
(いや、魔門は成立していた。察するに、何者かが妨害を――)
そのとき、暗い部屋にコツコツと階段を下りるかのような音が響いた。
続けて、男の声が聞こえてくる。ひどく早口で神経質そうな口調だ。
「……面倒極まりない。なぜ僕の仕事を増やすんだ? そも、なぜ厘国の厚顔どもの後始末を僕がしなきゃいけない? お前はその答えをくれるのか、ヨルムンガンドとやら」
言葉はそこで途切れた。次の瞬間、眩しい光に目をやられる。
誰だ、一体何者なんだ。
厘国の人間でもないのにヨルムンガンドを……つまりニクスを追っている?
一体どうして、どうやってユークの邪魔をしたんだ。
しかし、「どうやって」の疑問はすぐに解けた。
ふたたび目を開けると、あたりは明るくなっていた。
そして視界には紅色の上衣を羽織った痩せぎすの男が立っている。
こいつは……紅衣だ。
イストリトと同じく、青歴院の力ある魔術師。
それが敵に回ったのだ。