18 『ねらわれた杖』
「ユーちゃん、髪さらっさらのつやつや! あたしさ、すぐバサバサになるし、伸ばすとうっとーしいから、こーいうことできないんだよね」
「ラト姉、い、いたい……」
「ああ、ごめんごめん。……それでユウくん、仕度はすんだのかね」
こちらへ向けられたラトの言葉はトゲトゲしい。
ユークの髪をいじりながら出す猫なで声とは大違いだ。
俺はといえば、ボディバッグの横に並べられた雑貨に悪戦苦闘していた。
「いやさ、色々用意してくれたのはありがたいけど……多くない? これ」
俺たちが墓参りをしている間に、ラトは詰所に戻っていた。
彼女の帰りが遅れたのは、村の家々を巡っていたからだ。
俺たちのために、旅の必需品を分けてくれと頼んで回ってくれたらしい。
それでここに戻ってみたら誰もいないのだから、怒るのも当然だった。
「ふうん。せっかくお願いしてきたのに、そういうこと言うんだぁ……。よし、みつあみ完成っ。ほらどうユウくん? かわいくない? ん~、でもちょっと野暮ったいかな。それじゃ、もっかい最初から!」
「ええー!? 次ので終わりだって言ってたの、に! あう、ラト姉、ひっぱんないで……」
「ユーちゃん、ここんとこもうちょっと伸ばせる? こっちはもうちょっと短く。うん、そうそう。なんて便利なあたま! オルミスの床屋さんに紹介したらすっごく喜ばれそう……」
誰かが機嫌を悪くしているのに耐えられないのか、ユークは真っ先に彼女に謝ろうとした。
そのときとっ捕まってこうなったのだ。
文字通りに猫かわいがりされ、おもちゃにされている。
あのきれいな髪をいじるのが目的じゃ、代わりようもない。ごめん。
「ほどほどにしておけよ、ラト。それにしても風追、君の鞄はずいぶん機能性が高いな。だが、旅具を収めるには容量が小さい」
「困ったらユークに預けるよ。それより先生、戻って来れたんだ」
「あまり歓迎されなかったのさ。……そうだ、これも伝えねばならなかった。ユークレート、厘軍に犠牲者は出ていない。安心してくれ」
「ほんと!? よかった……」
イストリトの耳打ちを聞き、ユークは嬉しそうにする。
その間にも、ラトはアップにさせてみたり、サイドテールを作ってみたりと遊ぶ手を休めない。
もともと作戦でのイストリトの役割は、しくじったりやりすぎた場合のアフターケアだ。
けれど俺たちは両方やらかした。
俺のほうはラトがカバーしてくれたけど、あの雨量はどうにもならない。
なので、イストリトは厘軍兵の救助に向かっていてくれた。
ユークにそう聞いたときは本末転倒にならないかと思ったけど、いらない心配だったようだ。
「もう一つ……こちらはよい報せとは言えん。厘軍の目的は首都から消えた宝杖の捜索だった」
「宝杖……、って、まさか」
「ああ。ニクス殿に違いない」
「……こいつ?」
まさかだろ。
ユークはぽかんとして、また小さくなった杖を取り出し見つめている。
「首都ってそんなに近いのか? ユークがニクスを喚び出したのは一昨日だ。だいたいなんでものが森にあるって分かるんだよ」
「エッカードほどではないが、我が国の魔術師も捨てたものではない。都に魔門の痕跡があれば特定は容易かろう」
なんでちょっと誇らしげに言うかな!
よい報せどころかとんだバッドニュースだ。
俺たち、厘国にとっちゃ窃盗の容疑者ってことじゃないか。
それにしても、当の本人はやけに静かだ。
普段のやかましさはどこへやら、大人しくユークに握られている。
「ねえ、ニクス。あなた、どこにいたか覚えてない?」
「エフェン・キープの宝物庫でお嬢と別れ、休眠状態に入ったのがもっとも新しい記憶にございます。祐のことで呼び出された後を別とすれば」
「宝杖は数十年以上、首都の象徴たる大ゲルトルート像の手に収まっていたはずだ。不甲斐なくも、私はニクス殿をそれとは見抜けなかった」
このおしゃべり杖が国の象徴の一部……アメリカの自由の像がたいまつを掲げるように、こいつを構えていたのか。
それがなくなったのなら大事だ。俺たち、大軍に追い掛け回されることになるんじゃないか。
「もっとも、悲観的になる必要はない。風追が落とした際、ニクス殿は厘軍に回収された。ユークレートが再び喚び戻したということは、今頃彼らは紛失したと考え大騒ぎになっているはずだ」
「我輩を象徴とするとは、なかなかの審美眼だ。だが我輩には道具としての主人がある。美術品としての価値を認めるにやぶさかではないが、お嬢を裏切ることはできん」
「……ねえラト姉、そろそろやめてよう。先生のお話聞けなくなっちゃう」
杖の忠誠心もむなしく、主人はマイペースのままだ。
彼女は犬のように体をふるわせ、ラトが驚いた一瞬の隙をついて抜け出てくる。
そしてそのまま俺の陰に隠れた。おびえ過ぎだろう。
「ああっ! ユーちゃ~ん」
「だからほどほどにしておけと……いや、ともかく、しばらくニクス殿を目立たぬようにしておくべきだろう」
「ああ、だから静かだったのか。向こうで分かってるはずだもんな」
「容疑は我輩の騙ったヨルムンガンドという架空の甫国魔術師にかけられた。我々が気にやむ必要はない」
「なら、どうしてあんなに静かだったの? 中身、なくなっちゃったかと思った」
「その容疑者の声は我輩のものである故。これより衆目の中ではお嬢に知恵を授けられまい」
「……俺はいいのかい?」
ジャンドの声は炊事場から聞こえてきた。
そちらからは、既に肉の焼けるよい香りがしはじめている。
手持ち無沙汰になったラトは手伝うよー、とそちらへ歩いていった。
「お嬢を敵に回したくないのではなかったか?」
「へいへい。ま、薪の恩もあることだ。せいぜいご馳走いたしますよっと」
なんでも、ラトによれば突然の豪雨で村中の薪の備蓄が湿ってしまったらしい。
そこでユークが例の「魔法使いの秘密の倉庫」の木材を配って回ったのだ。
その見返りで旅の雑貨はタダになったし、全員分の晩飯の食材ももらえた。
「青歴院でも大量の蔵書を保管するのに魔法を用いる者はいるが、ユークレートほど気軽にはいかない……。改めて、私の想像の外にある力だと思い知らされた」
「いいのかな。雨、降らせたのわたしなのに」
ユークは肩を落とす。
髪までしんなりとして見えるのは、ラトにさんざん弄られたからだけではないだろう。
取り返しのつかないことをしたわけじゃない。ただ物々交換をしただけだ。
それでも気に病んでしまうのがこの子だ。
「騙し取ったんでもないし、湿った薪は干せばまた使えるよ。貰えるものはありがたく貰っとこう」
「……うん。でも、わたしも薪がからっぽになっちゃった。明日、どこかで集めてこなきゃ」
「俺も手伝うよ。全部任せっきりってわけにいかないからな。そうだ、水ももうずいぶん使ったろ?」
「そうだった! 水場も見つけなきゃ。……なんだかなつかしいな。妹と冒険してた頃みたい」
旅行する上で一番かさばるものを全て請け負ってくれるのはありがたいことだ。
こんな力を持った子がもう一人いたのなら、姉妹二人旅も辛くはなかったのだろう。
でもその子はもう居ない。
代わりになれるなんて思わないけど、せめて支えてやりたい。
「ご免つかまつる。こちらは厘国碧軍所属、対魔術作戦鹿隊指揮、オズワルド少佐。ジャンド氏はおられるか」
そのとき、いきなり戸口の向こうから声がした。
厘軍と聞いて俺たちは皆ぎくりとする。
ジャンドまでもそうらしく、危うく焼き串を取り落としかけていた。
それでも俺ほどではない。一瞬にして鼓動が早まり、心臓が爆発するかと思うほどだ。
だって、この声は、あの男だ。
俺を殴り飛ばし、首を跳ねようとした厘軍の指揮官だ。
ユークが玄関へ駈けていく。さっきまで震えてたじゃないか。少しは物怖じしてくれ。
彼女が開いた扉の向こうには、やはり見覚えのある顔があった。
「ジャンドにごよう? ごめんなさい、今火の前に立ってるから……」
「左様か。ならば、こちらで待たせていただく」
「オズワルド殿!」
ユークの次に声をあげたのはイストリトだ。
この対面はまずいんじゃないか。鼓動がますます激しくなる。
荷物をしまう手はとっくに止まっている。
「貴女もいらしたか、イストリト医師。先ほどは部下が無礼を働いた。重ねてお詫び申し上げる」
「私が六年もの間、紅衣としての義務を投げ出していたのは確かです。当然の反応でしょう」
「しかしヨルムンガンドの追跡はあくまで我々の仕事。ご無理のなきよう」
「ええ。ですが彼らを青歴院へ送り届け次第、必ずお手伝いさせていただきます」
「ほう。では、この子供たちがディーラーに狙われているという」
バレてんのかよ!
いや、考えてみれば彼らがここに撤退してくるのは当然だ。
イストリトが俺たちのことを話していても不思議はない。
ジャンドが適当にでっちあげた設定と同じであることを祈りながら、あたりさわりのない言葉を選ぶ。
「……そうなんです。イストリト先生にはずいぶん助けられました」
あの杖の口癖は間違っていないようで、一旦言葉を吐き出してしまうとずいぶん楽になった。
あとはユークがうかつなことを言わないことを祈るしかない。
「ねえ、オズワルドはジャンドになんの用事なの?」
呼び捨てー!
「……失礼、オズワルド殿。あまり世間に触れてこなかった娘なのです」
「なに、構いはしない。二人とも、青歴院でよく学ばれるがよろしい」
「き、肝にめいじます」
とはいえ、俺も人のことが言えた義理ではない。
返答の重さがおかしい。
「ラぁト、お前、皿運びもしねえのか? 手伝いに来たんだかジャマにしにきたんだか……」
悪態をつきながら、ジャンドが豪快に焼いた肉のカタマリやらを載せた大皿を運んでくる。
ここまでこのおっさんが頼もしく見えたのは初めてだ。
とっとと用件とやらを済まさせて、こいつを帰らせてくれ。
ラトはといえば、奥で縮こまっているらしい。本当に筋金入りの軍隊ギライだな。
「よぉオズ、相変わらず辛気臭いツラをしてやがる」
「お互い変わりないようで何より。長居をするつもりはない、安心されよ。用件は二つ。まず、貴方はヨルムンガンドという名に聞き覚えは」
「悪いが、風の噂にすらないね。もう一つは?」
「部下の幾人かをこちらで休ませたい。体調を崩した者がいる。そちらに手間はかけん」
ジャンドは大きく溜め息をついた。オズワルドの方も同意するかのように首を振り、話にならないという手振りをする。
「勝手にすりゃあいいさ。もともとあんたらの家なんだ。しかし、天下の厘軍もヘタレっちまったもんだな。10年もせずその腐りようか」
「そう言ってくれるな。魔術師との交戦自体、はじめての者も多いのだ。協力、感謝する」
「待ちな。ヨルムンガンドとやらがどんな野郎か、聞かせてくれてもいいじゃねえか」
なんで引き止めるかなあ!
「恐るべき魔術師だ。地を割り、海を作って見せた。カスバでもない土地でだ」
「土木工事が得意なのかい」
「平野にたった一人で待ち伏せ、我々を撤退させた。油断もあったが、同様の魔法は記憶にない。陣も術もなく、独自の履行を行ってみせたのだ。甫国所属と名乗ったが怪しいものだ。あの豪雨では火薬が湿気てしまうはず。甫軍と相性が悪過ぎる」
俺たちの期待通りの受け取り方をしてくれていて、思わず心の中でカッツポーズを作る。
仮にヨルムンガンドが甫国の魔術師だと頭から信じられていたら、俺たちが戦争のきっかけを作ったことになりかねない。
そうならぬよう甫国に不利な状況を作れとイストリトから助言があり、ああいう作戦になったのだ。
あとは、不迷の森に甫兵がいることも信じてくれれば完璧だ。
「だから一人で待ち伏せてたんじゃあねえのか」
「奴は我らに、本国へ伝えるよう言ってきた。不迷の森は甫国が占領したと」
「ああ、そいつぁマジネタかもしれねえな。昨晩森へ入ったが、いくらか怪しい気配があった。陣を築かれてるってんなら辻褄が合う」
「……情報と協力、感謝する」
「もう行くのかい。会心の焼き上がりなんだがな」
オズワルドは軽口に答えず、振り向くと軽く手を上げて詰所を後にした。
なんというか、オフだと少しキザったらしい男だ。
ジャンドとはタメ口をきく仲らしいがどういう関係なのか。
そしてこのおっさん、一体どうして味方をしてくれたのだろう?
食後には、詰所にどかどかと兵たちが乗り込んできた。
彼らに二階の宿舎を占領されてしまったため、いくつかの民家に別れて宿をとらせてもらう。
ユークが薪を配ったおかげか、どの家も親切にしてくれた。
それにしても、焼きたての鳥らしき肉の美味かったこと。
昼飯抜きで歩きづめだったのもあるが、ラトに取り分が減ったと文句を言われるほど食べてしまった。
イストリトには血を作らねばなと笑われた。やっぱり、体が足りないものを求めていたんだろうか。
さすがにベッドとはいかなかったが、一昨日の夜のように藁の上に厚い麻布をかぶせて床につく。
明日もまた歩きだ。ゆっくり休んで英気を養わねば。
……そういえば、今夜はひさびさの一人寝だ。
ラトとユークはセットで別の家へ、イストリトは物言わぬ二人とともに宿舎に残った。
たった二晩しか経っていないのが信じられない。
それほどユークといるのが当たり前になっていたのだ。
そのとき、近くの雨戸がコンコンと叩かれた。もしやユークだろうか。
「よお。一人じゃあ寂しいんじゃねえかと思って、添い寝に来てやったぜ」
「……帰って」
「そう言うなや。さすがに添い寝ってのは冗談だ。ちょっくら歩かねえか、腹ごなしもしたいとこだろ」
「でも、夜は危険なんだろ」
「そうでもねえよ、夜は俺の時間さ。トリトちゃんから聞いたろ、夜廻りだって」
言われるがままに連れ出され、またしばらく後ろをついて歩く。
正直言って、腹一杯なせいで眠気が強い。疲労もある。
どうしてこのおっさんが散歩なんぞに誘ってきたのか。
疑問は浮かぶが、想像力は働かない。
「さあて、もういいか。じゃあボウズ、悪いが消えてもらうぜ」
「なっ!?」
「……あのな、こんな口上で殺りにくるバカはそういねえぞ。だいたい、今日会ったばかりの人間にどうしてそうホイホイついて来られるかね」
心臓に悪い冗談を、しかも二連発はやめてくれ。
眠気が一気に飛んでしまった。
あたりは暗く、離れた人家の明かりを頼るしかない。
周囲は畑らしかった。
「でもさ、あんたずいぶん俺たちによくしてくれるじゃんか」
「そういう奴こそ疑えって言ってんだ。同じことをラトにも散々言い聞かせてるんだがな、さっぱり効きゃあしねえ。ジャンドはそんなことする人じゃないって一辺倒だ」
「あってるじゃんか」
ジャンドはまた一つ大きなため息をつき、農地を囲む杭に座り込む。。
ただ今度のものは、呆れよりも疲労の色のほうが強い。
このおっさんも苦労しているらしい。
「困るんだよ、あいつにここに居座られると。サファドを見て分かったろう。ここは危険分子どもが集まる。わざとそうしてんだよ、カスバになるだの、根拠地になるだのはエサだ。スパイどもを集めて、他所に行かないようにしてんだ。蜘蛛の巣なんだよ、ここは」
「……あんたこそ、んなこと俺に教えていいのかよ」
「ためしに俺を裏切ってみやがれ。それこそお前らに明日はねえ。……ああ、んなこたぁいいんだ。一つお前に聞きたいことがある」
「なんだよ、急に改まって」
「若い娘に嫌われるにゃあどうすりゃいいと思う? ラトの奴、俺が何を言おうが何をやろうが殴る蹴るだけで、離れていきゃあしねえ」
「あれ、嫌われるためにやってたのかよ」
ただのセクハラ親父じゃなかったのか。
本当に涙ぐましい苦労をしていた。
「宿がなくなりゃ、あいつもオルミスあたりに寝床を見つけるだろう。本音を言やあ、青歴院に戻るのが一番なんだろうがな」
「やっぱり、青歴院にいたのか」
「詳しくは本人から聞くんだな。女の秘密ってのは知っちまうとつまんねえ」
「そういうこと気にするから好かれるんじゃないのか?」
「……かわいくねえガキだ。助言が思いつかねえなら、とっとと戻って寝ろ。……送ってやる」
今が夜だったのを忘れていたのか、バツが悪そうに付け加えるジャンド。
その後は、お互い無言のまま別れた。
ラトは青歴院行きをずいぶん渋っていた。
けれど、彼女が俺たちと一緒に来れるなら、それ以上のことはないんじゃないか。
ふたたび寝床に入る頃には、そう思い始めていた。