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白の魔女は湖畔にて待つ  作者: セネカ
1 彷徨と知遇
27/54

16 『雨の中で』


「ユーク、もうどっこも痛くないって。離してくれよ」

「だめ。おなかのとこ、まだ青いもん」


 そこはラトに蹴っ飛ばされてできた青あざだ。

 彼女はといえば俺を抱いての村への凱旋がよほど心地よかったらしく、先ほどまで大はしゃぎだった。

 が、その傷の話になるとバツが悪そうに小さくなっている。

 髪も雨に濡れくすんで、緋色が黒くにじんでいた。

 もっともびしょびしょの服であんまり胸を張られると目の毒だ。しばらくそうしていてほしい。


「ごめん、あたしが失敗したから……。あいつ、剣持ってんのにいきなり殴ってくるなんて」

「失敗じゃないって、俺はこうして助かってんだし。むしろ間に合ってくれて感謝してるよ、ほんと」

「ユウくんにかっこいいとこ見せようと思ってたのになあ」


 まず俺が厘軍の前に立って目を引く。

 次にニクスに好き勝手喋らせ、森の現状を報せる。

 最後に、ユークが魔法で実際に厘軍の足を止める。

 もし敵が武器を抜いたらラトがすっ飛んできて、浮遊魔法で持ち運びのしやすくなった俺を抱えて逃げる。

 そういう手はずだった。


 けれど、実際はそう完璧にはいかなかった。

 雨を降らし過ぎたのを除けば、厘軍を退かせられたのは作戦通り。

 そこからの敵将の奇襲と早業は予想外だった。

 彼が素直に抜剣していたのならばラトは悠々間に合っただろう。

 しかしやってきたのは拳撃だった。それも振り向きざまの。

 驚いたラトのスタートが遅れ、俺に向かってスライディングを決めるしかなかったらしい。

 それでも土壇場で思いついた作戦としては大成功だ。

 ラトに劣らず、俺もはしゃぎたい気持はある。


「ねえジャンド、兵隊って剣振りまわしてるだけじゃなくて、殴る蹴るもやんの?」

「……今しがた殴る蹴るされたのは俺で、やったのはお前さんなんだがね」


 ジャンドと呼ばれたおっさんは、番台で堂々と酒瓶らしきものを煽りながらつぶやいた。

 ここはラトの村、ビケルヴィルの旧兵士詰め所だという。

 村と呼ばれる場所にあるとは思えないほど広く、まるで公民館だ。

 今しがた一戦交えた厘国の拠点に腰を落ち着けているというのは奇妙な感覚だった。


「なんか言った?」

「いーえ、なんも。オヒメサマ」

「ラト姉、ジャンドがここに入れてくれなかったら、二人ともカゼひいてたんだよ?もっと優しくしてあげて」


 俺を抱えて村に戻ったラトを見たジャンドの第一声はこうだった。


「ラト……お前の脚力は馬並み、乳は牛並みと思っちゃあいたが、人を乗せるようになったのか? ついに前脚までバカ力に……いてえ!」


 言っちゃいけないことしか言ってないのは、俺にだって分かる。

 

 それから二人してタオルを借り、暖炉で冷えた体を温めていると、ユークとオドを抱えたディアマンドがやってきた。

 イストリトも追っ付けやってくるらしい。

 しばらく彼女はびしょぬれの物言わぬ大男と金髪の少年の体を拭いてやっていたが、俺の頬に青タンを見つけると離してくれなくなったのだった。


 ところで、くっつかれて分かったけどユークは髪も衣服もほとんど雨に濡れていない。

 これも魔法使いの特権なのだろうか。ずるい。

 決してやましい理由ではなく、一人だけ濡れてないなんてずるい。


「お嬢ちゃんは優しいなあ。ラトも昔はこんなんだったんだけどなあ……」

「適当なこと言わないでっての! そう大して変わっちゃいないでしょうが」

「昔からこんなんだったらあんまりにも救いがな……いや、手が出るのもよくないが脚はもっとよくねえ!」


 いちいちラトを挑発し、その度痛めつけられるジャンド。

 このおっさん、まさかボディタッチの機会を増やしてあわよくば胸に触ろうとか考えてるんじゃなかろうな。

 こんな男に宿舎の管理を任していて大丈夫か、厘軍。


「で、俺らが拳闘の稽古をするかって? 嫌んなるほどさせられたさ。思い出したくもねえ」

「俺らって、ジャンド……さんって軍人なん……ですか」

「元だよ、元。そのよしみでこのハコを独り占めできてるわけさ。それとボウズ、敬えねえなら呼び捨てにしてくれや」

「そうそう。仕事らしい仕事もしない、たまに外出たと思えばつまみ漁ってるだけのオヤジだよ? 敬語使う必要なんてないって」

「オヤジはよせ。これでも家庭に憧れがあるんだぜ。かわいい娘がお前だなんて想像もしたく」

「だぁれが、娘かっ!」


 何か話す度にこの調子じゃあ、落ち着いて体を休められそうにない。

 もうこのおっさんを相手にするのはよそう。


「ユーク、雨はいつ止むんだ? さっきよりマシにはなってるけど」

「……ごめん。わかんない……。雨を降らすのはね、昔お願いされたの。その時もやりすぎちゃって、みんなにすっごく怒られて……気をつけたつもりだったのに。厘軍のひと、大丈夫かな……」


 ユークは泣きださんばかりに答えたと思うと、俺から離れてうずくまってしまった。

 何気なく振った話題がとんだ地雷を踏み込んだらしい。

 ……っていうかんなことジャンドの前で言ったらマズいだろ!?


「……おう。ずいぶん小振りになってるぜ」


 詰め所の外からジャンドの声が聞こえてきた。

 娘発言にキレたラトによって詰所の外に放り出され転がされていたのだ。

 そのおかげで肝心なところは聞かれてないらしい。思わず胸をなでおろす。


「このまま畑でも見てくらあ。さっきのひでえ雨じゃあ、俺の大事なお豆ちゃん畑の土が流されっちまってるかもしれねえ。ラト、留守番頼むぜ」

「ジャンドのじゃなくて、村長さんたちのでしょ……。あたしも手伝う。ユウくん、ユーちゃんとここのこと、お願いね」

「お願いって、どうすりゃいいんだか」

「留守じゃねえならなんでも構わねえさ。雨宿りしたい奴がいたら入れてやってくれや」


 雑だ。そんなのでいいのか。

 それにしても、さっきまであんなに怒っていたラトはもうけろりとしている。

 このどつき漫才は日常茶飯事なのか。


 二人を見送ってしまうと、暖炉のある広間は俺とユーク、それと物静かな二人だけになる。

 俺かユークが喋っていないと、静寂が続いてしまうわけだ。

 

「もう止むってさ、ユーク。大丈夫だよ、あいつらみんな強そうだったし」

「でも……」


 ユークは体育座りの姿勢から顔を上げるが、顔は浮かないままだ。

 俺だって誰一人犠牲者は出てない、と請け負えはしない。けれど、ほかに言いようがない。


「いざとなったら先生がなんとかしてくれるさ。ユーク一人でなんでもこなさなきゃいけないわけじゃないだろ?」

「……うん。ね、ユウ。昔、マルカがおんなじこと言ってくれたんだ。姉さん一人で全部やらなきゃいけないわけじゃない、私もいるよって」

「……俺は結局人任せだけどな」

「ううん、ぜんぜん違うよ! ユウが兵士さんたちの前に立って、ニクスがしゃべりだしたとき、私すっごくドキドキした。私がやらなきゃ、失敗したらどうしよう、って。だけどね、もうひとつ。今度は一人じゃないんだ、って思ったの」

「どういうこと?」


 ユークは組んだ腕を解き、身振りをまじえて話し始めた。

 マルカというのはたしか、彼女の妹のことだったか。

 つまり、彼女の言う昔というのはほんとうに遠い過去のことだ。

 ユークのように時の止まった場所にいるのでもなければ、今はきっと……。


「わたしやマルカにお願いをする人たちは、こうしろ、って言ってそれっきりだもの。ユウみたく一緒に考えたり、前に立ってなんてくれなかった」


 考えながら、と言いながら首をかしげ、前に立つ、と言いながら俺の前にやってくる。

 そして俺の右手を取り、両手で握ってこう言った。


「だからね、ドキドキもしたけど、なんだかすごく嬉しかった。雨のほうはちょっと失敗しちゃったけど、地面をへこませるの、けっこう上手くいったでしょ? きっと、ユウのおかげ」

「……どう、いたしまして」


 満面の笑顔で直球をぶつけられては、もはやこの言葉しかない。

 実際のところ俺はただ口ぱくぱくやって、杖ぶんぶん振り回して、殴られたってだけだ。

 そのギャップの恥ずかしさと照れで、みるみる頬が熱くなるのを感じる。


「ユウの手、あったかい。……ほっぺ赤いよ。やっぱりカゼひいてない?」

「暖炉のせいだろ」


 その言い訳が効いたかどうかは分からない。

 けれど、彼女の手が冷たかったのはたしかだ。

 少し心配になって、こちらも空いた手を添える。合わせた手を握り合う形になった。


「えへへ……あの子とも、しばらくこんなことしてないよ。二人で話をしたのだって、ずいぶん前だもの。マルカとわたしは交代で『おやくめ』してたから、お互い遠慮しちゃったのかな」

「そういうこと、あるよな」


 からっぽな相槌を打つ。だって俺はそんな経験ない。

 兄弟姉妹もいなければ、とくべつ仲の良い友達だってない。ほかにどうしろって言うんだ。

 それが災いしたのか、ユークがおずおずと手を引っ込め、ふたたび姿勢を三角にする。


「わたし、妹のこと、分かってるって思ってた。でも、そうじゃなかった。今はあの子を見つけて、どうして、って言いたい」

「だから……青歴院に行きたいんだな」

「うん。お父様やマルカのこと、知ってる人に会いたい。……もしあの子に会えなくても、何も見つからなくても、いいの。もう、いっぱい泣いたから。でもせめて、あの後みんながどうなったのか知りたい。知らなくちゃいけないと思うの」


 姿勢は同じでも、さきほどまでの弱々しさは薄れていた。

 俺をしっかりと見据えて、決意を話してくれるユーク。

 感心するほかなかった。

 俺は、この子を守る以外に……ここですべきことを見つけられるだろうか。


「……強いな、ユークは」

「ユウがいるから、だよ。もちろん、ユウのお願いだって忘れてないからね!」


 首をかしげて微笑むユークの目の端に、わずかに光るものがある。

 それはだんだんと量を増して、彼女の頬へと垂れていった。


「あれ、なんで、どうして……。ニクスと、泣かないって、約束したのに」


 たしかに、あの杖はいつだかそんなことを言っていた。

 ユークの声に嗚咽が混じり、呼吸が浅くなっていく。

 猫の手で涙をぬぐう彼女に、俺が言えることといえばこんな程度のものだ。


「ユーク、難しいかもしんないけど、一度息を思い切り吐いて、それからゆっくり吸うんだ。あと、ニクスはここにいない。……殴られたときに落としたんだ。だからさ、別に我慢することないよ」


 どうにか安心させたくて、彼女の後ろに回り肩に手を置く。

 するとこくこくと頷きながら、言ったとおりに呼吸を整えだしてくれた。

 布に覆われていない肩からユークの息遣いがそのまま伝わってくる。

 強く触れれば壊れてしまいそうな小さな体だ。

 それなのに、想像もつかないほど多くのものごとを背負ってきたのだと思うと、こっちまで涙が出そうになる。

 

「はぁー……。すぅー……。……ねえユウ、そのまま、そこにいて。泣いてるとこ、見てほしくない」

「ん、そうする。それともう一つ。慣れてきたら、息を吸って、いったんちょっと止めるんだ。それからまた、ゆっくり吐き出す。こんなふうに」


 ユークの後ろに座り、大げさに呼吸する。

 聞こえるのは、俺たちの吐息だけ。そういう時間がしばらく続いた。

 しばらくしてすっかり落ち着いたらしいユークは、俺に体重を持たせ掛けてくる。

 心地よい重みだった。


「だいぶ落ち着いた?」

「うん。ユウ、すごいね。すっかりおさまっちゃった。まるで魔法みたい」

「慣れてるんだ。俺さ、昔、緊張するとよく泣き出してた。こうするといいって、教えてもらっ――」


 そのとき、何かが倒れるような、がたん、という音が部屋中に響いた。

 驚いたユークが振り向き、顔を見合わせる。

 上から聞こえたような気がした。

 二階は宿舎だと聞いたから、誰かが泊まっているのだろうか。

 

「誰かいるのかな? ユウ、あいさつしにいこう!」

「そういうとこ、物怖じしないよな……」


 言うが早いかいきなり立ち上がって駆け出すユークに、あわててついていく。

 階段を上りきった先には、いくつものベッドと仕切りが並んでいた。

 けれど、なぜだか人影が床に倒れていた。

 先を行くユークがそれに駆け寄って声をかける。


「ねえ、だいじょうぶ? ……え!? なんで、どうして!?」

「……うるっさいな。オレ、謹慎なんだろ? 大人しくしてんだからほっとけよ……」


 ベッドから転がり落ちたのか、床に横たわっていたのはサファド。

 森を出てはじめて出会った、ディーラーの少年だった。

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