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白の魔女は湖畔にて待つ  作者: セネカ
1 彷徨と知遇
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15 『厘軍惑退作戦』


 ユークから借りたフード付きのローブをいそいそと着込んでいると、ふと風を感じた。

 イストリトのまとう衣が再び静かにはためきはじめたのだ。

 浮遊魔法で軽くなった体を、足でふんばりを効かせ支える。


「……来たな。この数は厘軍だ。間違いない」

「それじゃみんな、言ったとおりに。ユーク、派手なのを頼む」

「うん! 思いっきりいくからね!」

「ユウくん、思ったよりイタズラっ子なんだなー。でもワクワクする。あいつらに一芝居打つなんて!」


 声をかけあい、それぞれの位置につくため解散する。

 俺は進軍の途上に立ちふさがり、一時でも厘軍を止めねばならない。

 操縦しやすくなった体で丘を滑り降り、先ほどまで見下ろしていた待機地点に向かう。


 それにしても、作戦を話してからラトのテンションが妙に高いのはなぜだろう。

 普段から厘軍と付き合いでもあるんだろうか?

 

「祐よ。我輩にも言うべきことがあろう」

「……頼りにしてるよ。おまえにかかってる」


 杖の声が発されたのは、ユークではなく俺の手の中からだ。

 こいつが頼りなのは本当だ。厘軍に信じてもらわねばならない。俺が強大な力を持つ魔術師だと。

 

「よかろう。凡夫を操るなど、ただ舌のひとつで用は足ると知れ」


 お前に舌はないけどな。

 ともかく、ニクスにやる気があるようでよかった。

 これで上手くいく。きっと上手くいく。


 本当に?


 心の内でその疑問が首をもたげた瞬間、寒気のような感覚が全身を襲った。

 思わず身をすくませてしまう。

 鼓動がひどく大きく聞こえる。心音が呼吸を急かす。

 必死でそれを押しとどめ、杖を持たない手を胸に当て息を大きく吸う。吐く。それを繰り返す。

 口の中が乾いていく。


「震えておるな」

「……しょうがないだろ」


 ニクスの声が聞こえるまで、あたりから音が消えていることに気付かなかった。

 地平線にはもう大勢の人間の輪郭が見える。

 既に厘軍は間近に迫っているのだ。

 かすかな地揺れのようなものと、足音が聞こえだす。

 まだ、一人一人の顔はわからない。


「彼奴らが貴様を見つけるにはまだ時があろう。せいぜいその間、震えを抑えておくがよい。今ここにいるのは、甫国当代最強の魔術師なのだから」

「いや、ただの甫国の魔術師でいいんだけど」


 なんでいちいち設定を盛るのかなこいつは。

 

「虚言の真髄とはすなわち大きく出ることよ。お嬢の魔法を凡百の魔術師に使わせるというのか?」

「……自己紹介はお前に任せる」


 悔しいけれど、考えあっての発言だったようだ。

 そこまで考えが及ばなかった。ラトはああ言ったけれど、俺は冗談で言うウソですら得意とはいえない。

 本当に大軍を、その将を騙しおおせることなんて、できるのか?


「祐よ、何を押し黙っておる? 以前にも教えたはず。愚者の沈思黙考ほど無意味な行いはないと。縮こまり口を閉ざしたところで、貴様にできるのは不安を大きくすることだけだ」

「何を話せってのさ」


 またも痛いところを突かれてしまう。

 イストリトもラトも、それにユークも俺たちが口火を切るのを待っている。

 もはや決めたことをやるしか選択肢がないというのに、俺はひたすら不安がっているだけだった。


「皆まで言わねばならんか? その武者震いが止まるまで我輩が付き合ってやるということだ。身に余る光栄であろうが」


 しゃべってないと死ぬのかお前は。

 とはいえこのまま待ち受けていても、また不安に飲み込まれていくだけだ。

 お言葉に甘えさせてもらうべきかもしれない。


「だったらさ、魔法のこと教えてくれよ。演技のヒントになるかもしれないだろ」


 甘えついでに、先ほどお預けにされた魔法の講義を請うことにした。

 

「模糊極まる問いをする。されどその意気は買ってやろう。……そうさな、魔法使いが大軍を迎え撃つに、式陣の一つも敷いておらんということはあるまい」

「ユークがやってたようなのか。あれを描けば魔法を使える?」

「そうもいかん。魔法に至る手段のうち、陣術は容易な部類に入る。とはいえ、素養のみで操れるほどではない。それでも魔術師らしくは見えよう」

「ハッタリのアドバイスを聞いたんじゃねえよ!」


 思わずため息が出る。このホラ吹き杖に相談したのが間違いだったか。

 いや、一つ気になる言葉があった。


「……ところで魔法に至るってなんだ? 魔法陣は魔法じゃないってことか?」

「陣術とは魔術の一つ。そして魔術とは、すなわち魔法を喚び起こす方途をいう」

「なら魔法ってなんなんだ?」


 いまいち要領を得ないので、ずばり一番聞きたいことをぶつけてやった。

 

「その粗野極まりない問いに答えよというなら答えよう。一昼夜で済まされるものではないぞ」

「そこをなんとか一言でどうにかしてくれ。洽覧深識ってやつなんだろ?」


 息遣いなんてこの杖からは感じないけど、なんだか今ため息をつかれたような気がした。

 そりゃ自分でも乱暴な質問だとは思う。

 でも今どんな状況か忘れてるんじゃないだろうな。


「……貴様に飲み下せる言葉を使えば、魔法とは異界より降る力。ゆえに、何かを喚びだすは魔法の本質と言えよう。貴様にもそれが可能であるように」

「異界ってなんだよ」

「異界は異界。あるいは貴様のいた土地も含まれるのやもしれん。現世ではないすべての場所ということだ」


 つまり、魔法っていうのはフィクションで言う召喚術みたいなものなのか?


「ってことは、俺もそうやって呼ばれたのか?」

「自明であろうが。もっとも今述べたのはほんの一側面に過ぎん。すべてを理解したとなど自惚れるでないぞ」


 回答をもらう度疑問が増えていく。

 陣術のほかにはどんな魔術があるのか。それに拠らなければ、魔法は喚び起こせないのか。

 気軽に感知魔法とか浮遊魔法と呼んでいたものも、手順を踏んで行われていたのか。


「……さて、そろそろ我輩らの出番のようだぞ」

「わかってるって」


 わかってなかった。

 地平線に霞んでいたはずの厘軍の姿は、もはや一人一人が見分けられるほどだ。

 軍勢の先頭集団は足を止め、こちらを観察している。

 逃げ道はどこにもなくなった。

 もう、決めたことをやるしかない。

 いや、ずっと前からそうだったんだ。覚悟ができていなかっただけのことで。

 覚悟を決める?口で言ったところで、心の中に唱えたところで、それはひどく頼りなげに響いてしまうだろう。


 だから、何かを叫ぶ代わりに杖を構える。ユークの真似だ。

 握る腕を突き出し、杖頭を軍に向ける。ほかは棒立ちのままだ。

 この脱力ぶりが、逆に大物らしさを醸しだしてくれる……といいな!


「魔術師だと……」

「甫国の手の者か?」

「見ろ、杖が!」

 

 兵たちのどよめきが聞こえてくる。今のところはいい反応だ。だが杖がどうかしたのか?

 脇に目をやると、ニクスは今までのバトンサイズではなく、はじめて見たときのように長大に伸びていた。

 なるほど、憎いことをしてくれる。これでなかなか格好がついたかもしれない。


「……まずはよし。挨拶といこう」


 手の中から聞こえてくるかすかな声に促されるまで、次にやることが抜け落ちていた。

 あわてて杖を横薙ぎに振りぬく。打ち合わせどおりの動きだ。そして返す腕で天を突くように掲げる。

 しかし、まだ何も起こらない。


「何ゆえ我らが進路に立つ。貴様は何者か」


 軍勢から男がひとり進み出で、問いかけてきた。

 厳格な声色には、わずかに戸惑いの色がある。

 帯びている剣、鎧兜にはわずかな装飾が施されていた。指揮官なのだろうか。


「我は使者。名をヨルムンガンド。なに、目的などというほどのものはない。ただ一つ、事をお伝えに参ったまで」


 杖が大音声を発するのに合わせ、口をぱくぱくと動かす。

 実際話しているわけでもないのに胸が詰まっていくのは、人任せのやりきれなさだろうか。

 モニターの向こうのステージで笑顔を放つ歌手たちの苦労が忍ばれる。

 いや、収録とはいえ彼らは自分自身の声で勝負しているのだ。

 そう思うと自分が情けなくて、余計に心細くなった。


「勿体をつけられる状況と思うか。このまま進軍し、貴様を踏み潰すこともできるのだぞ」

「そうされるがよかろう。できるものなら」


 ニクスが啖呵を切った。ここだ。

 再び杖を掲げ、そして思い切り地面に突き立てる。

 刹那、男の背後に控えていた軍勢は――一瞬にして見えなくなった。


「な……」


 絶句する指揮官。

 男の背後には大穴が空いていた。まるで、形のない隕石がその痕跡だけを残していったかのようだ。

 その奥底では兵たちが折り重なって倒れ、うめき声を上げている。

 もちろん、これはユークの仕業だ。

 大地を陥没させたのだ。


「さて。これでゆるりと仕事ができる」

「何が望みだ。これほどの力を持つ魔術師が、なぜ供も連れずにいる」


 意外にも男はすぐに立ち返り、ニクスへの……俺への詰問を再開する。

 驚きはないのか。いや、声はたしかに逸っている。


「リーンベダ王国に告ぐ。貴国が不迷(まよわず)の森と呼ぶかの土地は、栄えあるホバール帝政新国の一部となった。よって、貴公らの立ち入りは許されん」

「……貴様の言葉、宣戦布告と受け取るぞ」

「そう取ってもらわねば困る。本国に伝えるがいい。何のために貴公を残したと?」

「ぐ……!総員立て直せ!応戦は考えるな、撤退せよ!」


 指揮官はこちらに背を向け、穴の中の兵たちに撤退を命ずる。

 しかし、彼らの多くは腰を抜かしたままらしい。動けるようになった者も、穴の傾斜に悪戦苦闘している。


「……ああ、退くならば急がせたほうがよい。なにも全員生き残ってもらう必要はないのだから」


 ぽつぽつとフードを打つ音が聞こえる。

 雨だ。思わず見上げてしまう。

 先ほどまで晴れ間が広がっていたはずなのに、空は暗雲で閉ざされている。

 

「見よ」


 俺のうかつな動きに、ニクスがアドリブを効かせてくれた。

 あわてて口パクを合わせ、再び杖を振り上げる。 

 男もまた、空を見上げた。


「これも、貴様のしわざだと――」


 男の声は、雨音に打ち消された。

 いや、雨音などという生ぬるいものではない。

 滝の中に放り込まれたのかと思うほどの音と圧力が俺たちを襲っていた。

 それでも、俺たち二人はまだマシだ。

 いくらユークの作り出したクレーターが広くとも、この雨量ではすぐに満たされてしまうだろう。

 轟音の向こうから、兵士たちの怒声と悲鳴がかすかに聞こえてくる。


「さて、指揮官どの。帰り道はお分かりか? あるいは我の助力が必要かな?」

「それには及ばん」


 男の背に投げかけられた嘲りは、突き刺さるような声で応じられる。

 それは怒りを孕んだ断固とした口調で、思わず後ずさりしかけた。

 これほどの力の見せつけられてなお、恐れず憤りを示すことができるものなのか。


「撤退を命じはしたが……私の進む道はこちらだ」

「え」


 抑えきれず、間抜けな声が出てしまう。

 振り向いた男の顔が、なぜか目の前にあった。

 けれど、すぐさまそれは遠ざかっていった。

 俺は殴り飛ばされたのだ。文字通り。

 浮遊魔法で軽くなっている体に大したダメージはない。

 もちろん痛いは痛いけれど、食いしばれば声は出さずに済んだ。

 羽虫が人間にはたかれたときはこういう気分なのだろうか。

 ばしゃ、ばしゃと音を立てながら、数メートル離れた地面にバウンドした。


「ぐあぁー!がっ!」


 ニクスが殴られて一回、地面に落ちて一回、俺の代わりに苦悶の声を上げた。

 だが、どこか喜色というか、馬鹿にしたような響きがある。

 指揮官にもそう聞こえたのか、彼は怪訝な顔をしながら抜剣した。


「……妙な手ごたえだ。これも魔法だとでもいうのか」


 男が豪雨の中をつかつかと近づいてくる。あと数歩もすれば俺の首に刃が届くだろう。

 あと五歩程度。引き際だ。手はずどおりになってくれることを祈る。

 四歩。まだか。

 三歩。上手くいかなかったか。殴られるなんて想定外だ。雨も予想以上で、視界も悪い。

 二歩。もはや立ち上がって逃げるべきか。けれどそれももう遅い。滑って転ぶのが関の山だ。

 一歩。男が長剣を振りかぶったのが見えた。


 その瞬間、俺は空へと打ち上げられた。

 豪雨の弾丸に魔法で軽くなった体を晒したわけで、すぐに撃ち落されかける。

 けれど地面に叩きつけられはしなかった。


「いよいしょおー!」

 

 いずこかから現れた赤い稲妻――ラトが跳び、俺を受け止めたのだ。

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