13 『強くなりたい』
ラト、イストリトとディアマンド、俺、そしてユークは一列に並んで森と村とを見下ろす丘を歩いている。
なぜだかディーラー一味の魔術師、オドもこちらに紛れ込んでいた。
「使役される魔術師、か……。見逃すわけにはいかん。この子は青歴院に送らせてもらおう」
彼の処遇についてイストリトがそう言ったとき、ラルドが反発しなかったのには驚いた。
こちとら怪我人で手一杯でガキの面倒まで見る甲斐性はねえ、などと口にしていたが、俺たちにだって余裕があるというわけではない。
情はないのだろうか。それとも、情があるゆえに引き渡したのだろうか。
「わたしはユークレート。あなたと同じ魔法使いだよ。ねえ、オドはどうしてあの人たちと一緒に居たの?」
ユークが幾度も同じように問いかけるが、オドは口を開こうとすらしなかった、
輝くほどの金髪とは対照的に、彼の目はうつろで表情から感情が見えてこない。
「ユーちゃん、そいつ何も話す気ないみたい。あたしも口に手ぇつっこんだりしたからさ、ひとこと言っとこうと思ったんだけど」
彼は主人であるラルドにユークについていけと指示され、黙々とそれに従っていた。
後ろ歩きで彼に構うユークはもう二度ほど転びかけ、その度魔法でふわりと持ち直している。
器用なのやらどんくさいのやら分からない。
「……ん? そういえばさ、ラトも気を失ってなかったか? こいつの口を封じた後」
「あー……これこれ」
そう言いながら掲げられた右腕には、ユークと同じ金色の輪がはまっている。
「あたしだけじゃなくてさ……ほら、こいつにも」
緋色の髪を跳ねさせてオドに駆け寄り、ローブに隠れた彼の左腕を引っ張って見せ付けてくる。
そこにもやはり、同じ金の腕輪があった。
たいした抵抗もしない彼は、ラトの胸に腕を押し付けられてもどこ吹く風といった様子だ。
「ラルドから扱い方を聞き出した。魔術師を制御するための法具らしい。力を段階的に抑制・反転させ、最も強力な状態では先刻のラトのように完全に意識を失う。現在はラトのものは無効化、オドは力の履行のみを封じてある」
イストリトがすかさず解説を入れてくれる。
魔法使いを従わせるための道具ということか。
自分の首を絞めるようなものをわざわざ作った魔法使いがいるということらしい。
「……ユークのは?」
「奴の使った二本の秘号は吐かせたが、ユークレートのものを知る手段はない。……秘号とは、法具一つ一つにつけられる銘のようなものだ。この腕輪を操作するにはそれが必要になる」
パスワードが分からない、とでも言い換えられるだろうか。
でも疑問はそれだけじゃない。
「どうしてこの子はなんともないんだ?」
「わからん。ユークレートがこの腕輪で抑制される以上の力を秘めている……、としか考えられん」
「あたしのは無効化してるって言われても、なんかずっと右が重く感じるよー……。こんなのを二つもつけといて、なんでユーちゃんはピンピンしてるのさ?」
わざとらしく右肩をユークに持たせかけ、ラトは不満を漏らしている。
思えば、彼女の力による結界は不迷の森の時間を何十年も、あるいは何百年も塞き止めていたのだった。
このちっぽけな腕輪二つに収まりきらないのも不思議ではないのかもしれない。
「ラト姉、おもい……」
しかし、当の本人はといえばそんな規格外の力など全く感じさせない。
気の抜けた声を上げながら、ラトから預けられた体重をそのまま俺に持たせかけようとしてくる。
けれど悪い気はしない。
最初に会ったときと比べれば、彼女とじゃれ合うのにもずいぶん慣れたものだ。
とはいえ文句の一つも言うべきかと口を開きかけると、ユークはいきなり俺から飛びのいた。
「ユ、ユーク?」
一気に心細くなって思わず呼びかけてしまう。情けなくも声は震えていた。
まさか何かまずいことをしてしまったのか。嫌われてしまったのだろうか。
ユークは何故だか頬を赤く染めていて、しばらくあたりをきょろきょろと見回した。
それからラトの方に向き直ったと思うと、耳打ちをしはじめる。
「ん……ん? なに? ……そっか」
たぶん、今の俺はひどく険しい顔でラトを睨んでいるのだと思う。
ユークの内緒話を受ける顔がしだいに引きつっていくから分かる。
「せ、せんせー! あたし、そういえばジャンドにキノコ採って来いって言われてたんだった! ちょっとユーちゃんと一緒に小遣い稼ぎしてくるね!」
ラトはそう言うが早いが、ユークを抱え上げて駆け出していった。
当然、彼女の俊足は捉えようもない。
けれども追わないわけにはいかなかった。
「待てよ! それなら俺も手伝……ぐぇっ」
言いながら駆け出そうとすると、またもやカエルのようなうめき声を上げるハメになった。
ディアマンドの巨大な左手が襟首をつまんでいたのだ。
逃れようともがきかけたとき、呆れたようなイストリトの声が聞こえてくる。
「風追。女子があのように人目を避けたがる理由、本当に分からないか?」
……あー。ああ。なるほど。そういうことか。
俺が必死で木登りしてるとき、二人仲良く水飲んで休憩してたもんな。
何か粗相をしたというわけではないらしいことが分かって、安心するやら必死さが恥ずかしいやらで、力を抜いてうなだれてしまう。
「いつ襲われるとも知れんのに暢気なものだとは思うが、ラトがついていれば逃げるには困るまい」
「じゃあ俺たちも休憩? まだ村って遠いのか?」
そう聞きながら顔を上げると、のそのそと前を歩く金髪の少年がいる。
オドだ。
ユークたちが走り去っていったほうへ向かおうとする彼は、俺と同じようにディアマンドの右手に捕らえられる。
「こいつ、まだユークについてく気かよ!」
「……気の毒だが、抑制をかける他ない。ファゾルド・アンゼスト」
イストリトは左腕にかけられたオドの腕輪に触れ、そう唱えた。
先刻見たラトと同じく、彼は電源を落とされたがごとく崩れ落ちる。
すると主に命じられたのかディアマンドがオドを横たえ、俺を解放してくれた。
「扱いを教えておく。オドの腕輪の秘号はファゾルド。古い愚王の名だが……今はいいな。最大抑制は今のアンゼスト。術の抑制はライゼスト。解放はガルメネイド」
「アンゼスト、ライゼスト、ガルメネイド」
「覚えておくように。ラトの腕輪のものも教えておこうか」
ああ、それはありがたい。ラトの秘号を知っていれば――知ってしまったら――何を考えているんだ俺は!
あまりに自然な調子で問われたので思わず頷いてしまうところだった。
真顔で何を言っているんだこの人は!。
この場にユークがいなくて本当によかった。
「……先生、そういう冗談言う人?」
「ふふふ、気を悪くするな。教えたところで君なら悪用もするまい。ユークレートを失望させるわけにはいかないだろうから」
「知ってることそのものが後ろめたいだろ……。それになんでここでユークが出て来るんだよ」
強がりで返してはみたものの、これは失敗だった。
無視でもなんでも決め込んでしまえばよかったのだ。
「君はユークレートから離れられない。だから、彼女に見捨てられるわけにはいかない。彼女を好いているからでも、魔法の契約があるからでもない。身寄りも力もない君がここで生きていくためには、彼女の傍にいるしかないからだ」
「な……なんだよ、それ」
「策があると言ったこと。あれは虚勢だろう。君は彼女を手放すわけにはいかなかった」
嘘がばれていた。だからといって、ここまで言われる筋合いはない!
俺が彼女の言うとおりの人間だとすれば、まるで自分のことしか考えていないようじゃないか!
「……俺が保身のためだけにユークについてるって、そう言いたいんですか?」
口が勝手に動いた。声色が怒りに震えるのを隠すこともできない。
語気に圧されたのか、イストリトは目を伏せる。
「ディーラーに狙われたとき、俺は死にかけてでも彼女を助けたいと思って動いてきました。それだけじゃ、俺がそんな人間じゃあないって、証明になりませんか?」
思ったよりも冷静な言葉が続けられた。
しかしそれとは裏腹に鼓動は早まり、呼吸が荒くなっていく。
気付けば両腕を握り締め、イストリトに飛び掛らんばかりに腕を構えている自分がいた。
「そこなんだ。先刻君が受けた傷は致命傷だ。私やユークレートが近くにいなければ、君は死んでいた。……あのような傷はそう受けるものではない。敵が手錬だったのもあるが、死ぬ気で立ち向かった証だろう。何故、戦のない土地で生きてきた君にそんなことができる? それほどまでに君のユークへの想いは強いのか?」
早口の、自問自答するかのような語調。
俺はわけがわからないままに彼女を睨み続けていた。
けれど女医はうつむいたままつぶやき続けるだけで、こちらに向けて話しているのかどうかすら分からない。
突然、イストリトはすっくとこちらに向き直った。
そして俺の両肩に手を置いたかと思うと、熱っぽく話し始める。
「私の考えるところ、いま君は居場所か、さもなくば死に場所を求めている。少なからず誰もが求めるものだ。が、君は……自ら死に寄り添おうとし過ぎている。ネクロマンサーなどと呼ばれる身で言うのも憚られるが、悲しいことだ。ひどく」
「一体、何が言いたいんだ!」
わけがわからなかった。
肩にかけられた彼女の手を振りほどこうとするも、力負けしていてどうにもならない。押しつぶされるかと思うほど力が込められていた。
突然こちらを責めるようなことを言ったかと思えば、置いてけぼりにして思案。
そしてまたいきなり説教じみたことを言ってくるのだからたまらない。
あんた一体何なんだ、何が言いたいんだ!
「風追祐。私は君に助けられた人間として思う。君の生きる動機が何者かに寄って立ち、殉ずることだけで終わらなければいいと。そしてそのために、強くあってほしいと願う」
そこまで言われて、ようやく気付いた。
この人は俺を心配していたんだ。
ユークがいなければ、俺はこの世界でどうしようもない。
それは否定しようもない事実だ。
イストリトに挑発されて、はじめてそう思い至った。
サファドに襲われたとき、どうして俺はユークを置いて逃げなかったのか?
殺されるよりも、ひとりでわけのわからない世界に放り出されるほうがよほど恐ろしい。
これが、俺が彼に立ち向かえた何よりの理由だったんだ。
ラルドの時だって同じだ。
俺は恐怖に立ち向かったんじゃなく、ひとりになる恐怖から逃げるために命を投げ出したんだ。
「強く……なりたいよ。言われるまでもなく」
けれど今は違う。違うと信じたい。違うと言えるようになりたい。
「そうか」
イストリトはうなずくと口の端で笑ってみせ、俺の肩から手を離した。
必死で出した答えのつもりだったのに、ずいぶんと反応は薄い。
「……それだけかよ」
「強くなりたい、それは結構。だが、そのために君はどうする?」
彼女は笑みを浮かべたまま、しかし強い口調でそう問うてきた。
はっとするが、答えは何も出てこない。
だから、小さな子供のような返事をするしかなかった。
「どうすれば、いい?」
「頼ってくれればいいさ。たとえば私を。あるいはユークレートを、そしてニクス殿を」
イストリトはいつもの調子に戻って、右手を差し伸べてきた。
俺はその手を握り返す。
「もう一回言う。強くなりたい。その方法を教えてくれ」
「確かに請け負った。偉丈夫と呼ぶに相応しい男に仕上げると約束しよう。とはいえ――まず君は傷を治しきらねばな。一晩休んでからだ」
「……こんなこと言わせて、そりゃないよ」
とんだ肩透かしにがっくりとくる。
彼女の手を握ったままわざとらしくうなだれてやると、しっかりしろとばかりに居住まいを正された。
「悪かった。いい機会だと思ったのだ」
「いいよ。今夜から早速訓練だとか言われても困るし」
まだじんじんとする腕をひらひらと振って、気にしていないと伝える。
二人が用を足して戻ってきたのは、そのすぐ後だった。