11 『恐れと抗い』
怖い。
誰か、たすけてほしい。
だから、目の前のひとに抱きすがった。
「ちょ、ちょっとユウ!離して――」
その言葉で我に返り、ラトと共に雷光がほとばしった先に顔を向ける。
黒い塊があった。
それは人の形をしていた。
「うあ……」
「魔術師がいる! ユウくん、逃げて!」
ラトは俺を跳ね飛ばすように起き上がると、そのまままた姿を消してしまった。
自分はといえば、起き上がることすらできず人型の黒いモノに釘付けになっている。
焦げ臭さと、かいだことのない臭い。これが、さっきのディーラーだというのか。
「そこのボウズ、さっさと立て! 次が来るぞ、死にてえのか!」
ジャンドとかいうおっさんの声。
そうだ。ユークは彼が助けていたはずだ。
「ユウははなれて! わたし、この人を助ける!」
声とともに黒いモノの傍らに駆け込んでくるユーク。
痛いだろうに、素手で土を掻いて円陣を描き始める。
そんな奴を助けられるのか。助ける必要があるのか。
だが、そんな疑問を彼女は持っていないのだろう。
ならば、俺が襲ってくるであろうディーラーをどうにかする他ない。
起き上がってユークのそばに立ち、あたりを見回して叫ぶ。
「こいつの仲間、近くにいるんだろ! 聞こえてるか、あんた味方をやったんだぞ!」
雷を落としたのはきっと魔法使いだ。ディーラーの仲間に魔法使いがいる。
ユークのような?違う。呪文のような言葉が聞こえた。
あれが必要なのだ。そして聞こえてからも実際に発動するまではタイムラグがある。
また詠唱されたら、ラトやおっさんのようにユークを抱きかかえて飛びずさればいいのだ。
本当にそうか?けれど、さっきはそれで生き残れた。
「どいつもこいつも……俺ぁ逃げるぞ、知らねえからな!」
おっさんが離れていく。一方ディーラーの仲間の姿はまだ見えない。
なぜ味方を巻き込んだのか。それほど非情なのか。
彼が動けないと知らず、避けさせるつもりで放ったのだろうか?
ユークのほうはといえば、陣を描き終え治療に集中しているらしい。
その表情は明るくない。うまくいっていないのか。
「あんたらが狙ってる子がそっちの仲間を治してるんだぞ! 出て来いよ!」
叫んではみるが、出て来いと言われて出てくる敵はいない。
しかし襲い掛かってもこないというのは不可解だ。さっきこいつは仲間を呼んでいたはずなのに。
もしやラトがどうにかしているのか、あるいは代わりに襲われてしまっているのか。
「見つけたよ! 思ったより近くに隠れてた。ほらっ、きりきり歩けー!」
腕を肩に担ぎ、その主の何者かを引きずる様にしてラトが現れた。
背負うがごとく引き連れているのは金髪の少年だ。
昨日会ったディーラーよりもさらに年若い。中学生、あるいは小学生にすら見える。
彼が雷を呼んだ魔法使いだとでもいうのか。
『エール・アラマン……』
「させるかいっ!」
俺たちの姿を認めるやいなや再び呪文を唱えだす少年の口に、思い切りこぶしを突っ込むラト。
容赦がない。とはいえ自由にさせては次黒こげになるのは俺たちだ。
よくやってくれた、と思いながら彼女に手を振る。
手を振り返そうとしたラトは突然、電池が切れた玩具のように倒れた。
「この女、ビケルヴィルの運び屋か」
背負われていた少年のそのまた後ろに、男が立っていた。
横たわるラトの腕には、ユークにはめられたものと同じ金の輪がある。
「散々手こずらせた標的がオマケに手に入るとはな」
男はこちらに向き直り歩いてくる。
そうだ、ディーラーは二人の名前を呼んでいた。残りの敵は魔法使いだけではなかったのだ。
背格好はここに来て最初に会った二人に近い。いかにも仕事人という風貌のスポーツ刈り頭だ。
「その子に何をした!」
「オド、手を出すなよ。俺まで巻き込まれたらかなわん」
「じゃああんたがラルドって奴か!? もう一度言うぞ、ユークはあんたの仲間を治してるんだよ!」
「聞こえねえよ、バケモンの眷属が……」
ナイフを取り出して構えるが、男は既に大きく踏み出して目の前まで迫っていた。
すねに激しい痛み。
横倒しに地面に叩きつけられ、視界は空の青で埋まる。
強烈な足払いを食らったのだ。
「『やめて』! こっちに『こないで』!」
ユークがこっちに気付いてくれた。これでもう安心できる。
……そのはずだった。
男は動きを止めてくれない。
「……待て、よ! その子は、治療をしてるんだぞ!」
起き上がれない。奴を止めなければ。
手に持ったものを投げつける。
ナイフ投げなんて技術は持ってない。握りを持ったまま腕を振りかぶっただけだ。
当然あたるはずもなく、カランと音を立ててあさっての方向に転がる。
「素人が……」
戻って来い!
そう念じると、手元にナイフがある。
今度はもう少し冷静に、確か刃の側を持って、回転を計算して当てればいいはず。
いきなり本番でそんなことができるか!
カラン。もう一度だ、来い!
カラン。
「満足に扱えもしねえガキがいくつ獲物を持ってやがる……てめえの主人に穴でも空けるつもりか!」
戻って来い!カラン。
男は振り返り、こちらを先に始末することにしたらしい。
来てくれ。できれば刃物で。
「大人しくしてりゃあ生かしておいたもんをよ……!」
こちらがもう武器を持っていないのを確認すると、奴もナイフを取り出し一度に距離をつめてくる。
側頭部にヒジ打ちをもらう。
またも派手に倒される。けれどどうにか気を失わずに済んだ!
ぐったりした姿を晒してやると、前髪をつかまれ吊り上げられる。
「『やめて』! ユウにひどいことしないで!」
男は止まらない。止まってくれない。
戻って来いと念じると、ぶら下がった右腕の先にナイフがやってくる。
それを奴のわき腹に突き立てるのと、俺の首に刃が入ってくるのは同時だった。
「ぐぇ、が……!」
「ユウ!!」
カエルがつぶれたときのような声が出てしまう。
なのに、こちらのナイフは相手の装備にさえぎられて深く刺さってはいない。
けれどここからだ。相手の方も思わぬ反撃に驚いたらしくこっちも致命傷ではないらしい。
まだ思考が回っているのだから。
おまえの武器は貰った。そう念じた。
「てめえ、どこから……!?」
俺の首に刺さっていたものが右腕にある。それをしゃにむに相手にぶつける。
おまえも来い、と鞄の中のナイフに向かって念じる。左手にそれがある。
そして左腕を振りかぶったとき、男の顔が急に遠ざかっていった。投げ飛ばされたのだ。
またも地面に叩きつけられる。尻も痛いが、捕まれていた髪のあたりの痛みの方がひどかった。
「こいつもバケモンの仲間か……!」
背とわき腹からナイフを生やした男は未だにぴんぴんしている。
昨日やりあったサファドは俺と同じくあっというまに気絶したというのに、どういうタフネスをしているのだ。
こちらはといえば、首にあいた穴から何もかもが流れ出していっている。
思考も視界ももはや七割がたぼやけていて、わけのわからない興奮から、指一本たりとも動かしたくない怠惰へと流されようとしている。
次に打つ手が何も思いつかない。
「オド! こいつを焼け。ワッパにもう持ち合わせがねえ。終わったら治療を――」
男がそう叫ぶのを見た。けれど彼は言い終われなかった。
何者かが飛来し、そのままそいつを蹴り飛ばしたからだ。
「お互い無事ではないらしいな、風追」
倒れ伏した男の代わりにそこに立っていたのは、赤い衣を羽織った人物だった。
その声はイストリトのものに聞こえた。
意識はそこで途切れた。