『闇の寓話』
むかしむかし、世界は火に包まれていました。
それが燃え尽きてしまうと、灰で覆われた大地だけが残りました。
そこに生きるのは、はじめ火蜥蜴だけでした。
彼らは五十年育ったトネリコの木ほどもある大きさで、赤黒いうろこと小さな二つの目、くちばしのように尖ったあごを持ち、長いとはいえない四つの足で地上を這いずり回っていました。
しかしあるとき、そこに人間がやってきました。
火蜥蜴は新しくやってきたごちそうが大好きになりました。
それまでは、灰を食べて生きていくしかなかったからです。
ですから、火蜥蜴は起きている昼のあいだじゅう、人間を探し回りました。
人間もただ食べられているだけではありません。
昼間は灰にまぎれておとなしくしているだけですが、夜は彼らの時間になりました。
彼らは火を灯すことで夜に働き、灰から物を掘りおこして村をつくり上げていきました。
とある日、昼間のこと。フィンフルフェトという娘が、灰の丘のかげに隠れ潜んでいました。
昨晩遅くまで働いていて、隠れ家まで帰り損ねてしまったのでした。
震えながら小さくなっていると、なんとも運のわるいことに丘の反対側から火蜥蜴がくちばしを覗かせているではありませんか。
フィンフルフェトは恐れ、声をあげるのも忘れてすくみ縮こまってしまいます。
しかし火蜥蜴は彼女に気付きもしませんでした。
なぜなら、彼らは目がひどく悪かったのです。
丘の落とす暗がりの中にいるフィンフルフェトは、まったく見えていないようでした。
「こっちだ、バケモノ!」
火蜥蜴は声のしたほうに大きなあごを向けると、そちらへ全速力で這っていきました。
その声は、フィンフルフェトの友達のウィルベトのものでした。
彼女は友人が心配でたまらなくなりましたが、おなじくらい火蜥蜴が恐ろしくて、結局なにをすることもできないまま、そのまま夜を待ちました。
その後、彼女は村でウィルベトを探し回りました。
ようやく友人を見つけると、フィンフルフェトは感謝よりも心配よりも、怒りをあらわにして言いました。
「どうしてあんな危ないことをしたの、ウィル!」
「だいじょうぶだよ、フィン。ちゃんとトカゲは撒いて来たから。ボクの足の早さ、知ってるだろ?」
たしかに、ウィルベトはこれまで何度も火蜥蜴のおとりになることで人々を助けています。
だからといって、そんな幸運がいつまでも続くとは思えませんでした。
フィンフルフェトは考えました。どうすれば友人を守れるのかと。
わたしたちを苦しめているのは火蜥蜴だ。火蜥蜴は昼にだけ動いて、暗くなるとおとなしくしている。
そして、あいつは暗がりにいるわたしに気付かなかった。
つまり、夜の暗さを昼に持ち込めばよいのだ。
しかし、フィンフルフェトの試みはうまくいきませんでした。
夜ごとさまざまな方法を試すものの、水がめの中にも、灰袋の中にも、夜をためこむことはできません。
ある日そうしているうちに空が白みはじめたとき、彼女は大きなため息をついてしまいます。
そのとき、はいた息がほんの少しだけ暗く見えることに気付きました。
そうか、わたしの中に溜め込めばよかったのだ。簡単なことじゃないか。
けれど、普通に息をするだけでは全て吐き出してしまうだけだ。
ということは、夜を食べてしまえばよい。それがわたしのやるべきことだ。
「フィン、やっと見つけた。ボク、ずっと探してたんだよ。もう夜が明けちゃう」
「ごめんなさい、ウィル。夢中になっていたの」
フィンフルフェトは毎夜出かけていき、ひたすら口に何か運び続けているのがうわさになっていました。
ウィルベトはそんな友人が心配になって、宵の内から探し周り明け方近くにようやく見つけたのでした。
「見て、太陽がのぼってきた。でもへんだな、どうしてこんなに暗いんだろう?」
「……ウィル! わたしできたのよ! 朝に、夜を持ち込めたんだわ!」
友人の言葉にウィルベトは顔をしかめます。しかしよく目をこらすと、彼女の周りだけが夜のような暗さで包まれているではありませんか。
ウィルベトの持つ灯火を近づけると、まるで水に押される油のように暗がりが避けていきます。
「フィン、きみはずっとこのために?」
「そうよ。昼間に夜があれば、あなたも危ない思いをしなくてすむでしょう?」
フィンフルフェトは、その暗がりを闇と名付けました。
はじめ、彼女は人気者になりました。
なぜならその周りにいれば火蜥蜴に襲われる心配もなく、安心して眠ることができたからです。
しかしあるとき、フィンフルフェトの闇の中から知り合いが出てこない、という人が現れました。
それから人々は彼女を遠ざけるようになってしまいました。
「フィン、あんな噂を気にすることはないよ。そいつはそこにいるじゃないか。ただ出て行きたくないだけさ!」
「いや、ウィル、出て行って!この人は、わたしの闇に食べられてしまったの。だから、出て行くことができないの。わたしは夜に食べるということを教えてしまったのよ!」
ウィルベトには、友人の話があまり理解できませんでした。
それでも自分が近くにいると、彼女が悲しむことはわかりました。
その日からは闇の外から大声で友人と話すことが日課になりました。
何日かして、ウィルベトは友人を包む暗がりがとても大きくなっていることに気付きました。
「いったいどうしたんだ、フィン! これじゃあ、きみに声が届かない!」
「まだ届いているわ、ウィル! 心配しないで。わたしの闇に、火蜥蜴を食べてもらったの。こいつらがいなくなれば、みんな助かるわよね?もっともっと食べさせるつもり。一緒に働けなくても、みんなの役に立てるから」
「やめて! きみと話せなくなるのはいやだ!」
「ウィル、ありがとう。最後まで、わたしの友達でいてくれて。さようなら!」
それからも、フィンフルフェトは火蜥蜴を飲み込み続けました。
彼女を包む闇はふくらみ続け、昼間ならばどこにいてもすぐ分かるほどでした。
更に月日がたつと、いまや人間の時間は夜ではなく昼間になっていました。
なぜなら、夜はフィンフルフェトがどこにいるのか分かりません。その闇に包み込まれれば帰ってはこられないと、みなが信じていました
人々は彼女を闇の魔女と呼びましたが、ウィルベトの前でだけはみな口を閉じました。
ある夜、とんでもないことが話し合われていました。
夜ごと、人が消えている。
火蜥蜴のつぎは、われわれというわけだ。
闇が腹を満たすまで食われてやる義理はない。
夜は決して火を絶やすな。決して灯火の届かない場所へは行くな。
そしていつの日か、われわれで闇の魔女を倒すのだ。
それを聞くやいなや、ウィルベトはすぐさま友人のもとへと走り出しました。
ウィルベトにだけは、夜でもフィンフルフェトがどこにいるか分かったのです。
灯火を手に闇の中に飛び込み、彼女と思しき人影の腕をとってこう叫びました。
「見つけた、フィン! ボクと来てくれ! きみをここから離れたところに連れて行く、誰にもきみが見つけられないところに!」
答える声はありませんでした。そのかわり、灯火の明かりが消えてしまっていました。
ウィルベトは暗闇の中をさ迷い歩き、小さな帆船に影と共に乗り込みました。
風と波を操り、彼女をはるか南の島へと送るつもりなのでした。
ウィルベトがそれを成し遂げたのかどうか、誰も知りません。
ただひとつ言えるのは、今では夜の闇のすべてが食べることを心得ている、ということです。