9 『ラトお姉さん』
イストリトとその夫は不迷の森へ、俺たちはラトの村へと出発した。
ラトは最後まで送り出すのを渋ったが、最終的にディアマンドに放り投げられたのだった。
先生は俺が受け止めるのを期待したらしいけど、実際はラトに押しつぶされただけだ。
「ふたりとも、大丈夫……?」
「や、ごめんねほんと……せんせー! ひどすぎます!」
「頼むから、降りてから文句言ってくれ……」
重い、と半分口から出かかったがどうにか抑えこんだ。
俺から降りると、彼女は手を差し伸べて助け起こしてくれる。
側面に縫い目のあるスパッツから伸びる脚がつい目に入ってしまうが、どうにか視線を上に向けることができた。
「よっと。ユウ、だったっけ。ありがとね、トリト先生の説教止めてくれて。あの調子だと日が暮れるまで続いてたかも」
そういえば、きちんとした自己紹介もしていない。
歩きながらお互いのことを教えあうことにする。
「今更だけど、俺は風追祐。なんて言ったらいいのかな……魔法がないとこから来た」
「わたしはユークレート。慧国の……ううん、ずっと昔の魔法使い」
「……どっちも想像つかないけど、トリト先生のお客さんなんだよね。とにかくよろしく」
ラトからすれば、俺たちの名乗りは荒唐無稽としか映らないだろう。
それでも一笑に付されないのはおそらくイストリトのおかげだ。
改めて、彼女との出会いが僥倖だったことを思い知る。
「あたしはビケルヴィルのラト。ってわかんないか、ビケルヴィルはあたしの村の名前ね」
「これからそこへ向かうんだったよな」
「そ。だけど迂回しなきゃだから、いったん丘に登るよ。あそこからなら厘軍も見れるかもしれないし」
ラトは一旦足をとめると適当な木の棒を拾って、地面に絵を描いて説明してくれる。
描かれた村、丘、森を線で結ぶとちょうど直角三角形を作っていて、丘は直角の位置にあった。
先生の診療所は森と丘の間に位置していたらしい。
「それで、その魔法使いさんと異邦人さんは村へ行ったらどうすんの?」
「セイレキインに行って、わたしの国のこと、調べるの。先生がね、そこでならきっと分かるって」
「げ、青歴院!?」
その名前を聞いて、苦い顔を見せるラト。
何かいやな思い出でもあるのだろうか。
「どうかしたのか?」
「あー、いや、それなら、村まで行ったらお別れかな……。ところで、行き方ってわかってる?」
「……きいてない」
「今朝、今後の予定やら話すつもりだったもんな」
ユークも俺もラトに首を向ける。
俺たちにはさまれた彼女は一瞥ずつくれると、自分を指さした。
「あたしのせい? じゃ、じゃあ教えてあげる! 村から街道をずっと北に行って、宿場を一つと街一つ超えるとオルミスって港街があるんだ。そっから船で一週間くらいかな」
「海を超えるのか。詳しいな」
「あ、はは……ちょっとね」
その笑いはずいぶん乾いている。
よっぽど青歴院について触れられたくないのだろうか。
「ラトはセイレキインの――」
「ね!それよりさ、二人って年いくつ?」
「いきなりなんだよ」
本当にいきなりだった。
でもそういえば、ユークの年齢は聞いていない。
外見からすると中学生くらいだけど、案外俺の何倍も生きているのかもしれない。魔法使いだし。
ラトのほうは並んで歩くと俺と同じくらいの身長で、ひょっとしたら年上なのかなと薄々思っていた。
「いいから教えてよ!あたし18。ユウは?」
「17だけど……急になんだよ」
「わたしは14。でも、いまから数えたらいくつだろ……」
時間を超えた分は加算しなくていいと思うよ。
でも見た目どおりの年齢で、ちょっと安心している俺がいる。
「ってことは、あたしが一番年上じゃん! お姉さんって呼んでもらわないとだ!」
「……んじゃこれからラト姉って呼ぶよ」
目を閉じひじを突き出した手を胸元に置いて得意がっている。
一体何言ってるんだコイツは。そんな奇行を演じてまで青歴院のことに突っ込まれたくないのか。
合わせてやったものの、ずっとこのテンションに付き合い続ける自信はないぞ。
「……ラトお姉さま?」
「ラト姉で。ぜひともラト姉で。よし! あたしはユウくんとユーちゃんって呼ぶからね!」
やめてくれ。ユークの天然ボケで少しは挫けてくれ、頼むから。
収拾がつかなくなる前に、少し気になっていた疑問を投げてやる。
「あのさラト姉、イストリト先生とはどういう知り合いなんだ?」
「ん。あたしは運び屋なんだ。先生はそのお得意様。食べ物とか服届けたり、ときどき問診が要る患者さんを知らせにいったりね」
「電話とか……いや、直接話す以外に連絡手段とか、ないのか?」
運び屋といっても、俺が思い浮かべるようなアングラなものではないらしい。
いわば個人で宅配を仕事にしているようなものか。
「そういうのは村にはない。先生ならできるのかもしれないけど、きっとやってないと思う。ディアマンドさんのことがあるしね」
「……知ってるんだな」
「まあね。ユウくんも知ってるんだ。あの人とそんな直ぐに仲良くなれるなんて……あ、ひょっとしてユーちゃんのこと?」
イストリトが言語魔法のことでどれほど興奮していたか話すと、ラトは肩をすくめる。
それでも実際にユークが浮いて見せたり、髪の長さを変えたり、ラトの幅広のブラウスのシミを抜き出してやったりすると声を上げて驚いていた。
「わたしの魔法、今はだれも使えないんだって」
「あたしたちが魔法っていったら、全部戦争で使うもんだからね。先生の治療だって、それは同じわけだし。その点、ユーちゃんの魔法ってすごいよ!」
「うん!ありがとう、ラト姉」
「ま、あたしもその点じゃちょっと自信があるんだけど」
その言葉を残すと、ラトは一瞬にして目の前から消えた。
「こっちこっち! どうよ、見えなかったっしょ」
声は頭上から聞こえてくる。見上げると、巨木の枝に立ち手を振っているラトがいた。
このいわゆる一本松みたいなでっかい木に差し掛かったからその話題振ったんじゃなかろうな。
「ラトも魔法使いだったのか?」
「あたしも先生に会うまで、ただの特技だと思ってたんだけどね。でも陣だの呪文だのは知らないし、知りたくもないから勉強してない」
「それじゃ、ラト姉わたしといっしょだ!」
「あ、ユーちゃんも勉強ギライ? よし、それじゃあお姉さんと一緒に木登りをしよう!」
「うん!」
なんでそうなるんだよ!
と突っ込むヒマもなく、ユークはすいすいと幹を枝を手繰ってラトに追いついていってしまう。
それ絶対あの軽くなるやつ使ってるだろ!ズルいぞ!
「へえ、お姫様だーみたいなこと聞いてたから、もっとどんくさいのかと思ってた」
「妹はそうなの。いつもわたしがケガさせちゃって、お父様に怒られてたな」
「あらら。ま、元気があってよろしい! ユーくんもおいで!」
「おいでと言われても、どこから手をつけたらいいかすら分かんないって」
だいたい、木登りなんて一度だってしたことがない。
そもそも登れる木がないし、あったとして誰一人してないし、させてもくれなかっただろう。
「なに、やったことない? お貴族様かっての! とにかく枝とか、掴んでみなー!」
「ユウ、がんばれー! ケガだったらわたしも治せるからー!」
ケガする前提で話されてるし!
魔法が使えないのはもとより、もともと持っていた荷物にサファドから拝借した装備まで着けていて重量にハンディがある。
それでも、挑戦せずやりすごすことなんてできそうになかった。
まず一番低い枝に右手をついて、どうにか体を持ち上げる。
次に左足をかけられそうな節を探し左腕を次の枝へと伸ばすと、足が地上から完全に離れてしまう。
そして幹に腹をこすりつけるようにして体を預け、やっと最初に手をかけた枝に足を降ろすことができた。
すでに両手のひらが痛い。木の皮ってこんなにささくれだっているものなのか。
「そうそう、あとはその繰り返しだから! 下見ちゃダメだよ、上向いて! 慣れないうちは手と足一緒に動かさないよーに!」
「……ラト姉、どうしてわたしたちこんなことしてるの?」
「んー。あんまり先を急いでも先生置いてけぼりにしちゃうしね。こうやって高いところから見渡せば軍隊やディーラーが居ても見つけられるじゃない?」
何も考えていなかったわけではないらしい。
でもだったらラト一人で登ればいいではないか。
心の中で悪態をつきながら、次に手足をかけられそうな部分を探す。
「あとトリト先生がユウくんのこと……あ、これ内緒ね?」
内緒話の手の形を作って、ユークの耳元でこそこそ話すラト。
秘密にされても、おおよそ内容が分かってしまうのが辛い。そんなに心配されてたのか、俺は。
「ゆ、ユウー! ケガしないでー! 無理だと思ったら降りてもいいんだからねー!」
「今更降りても同じだっつの!」
一体何を吹き込まれたのやら、さっきと真逆のことを叫ぶユーク。
でもむしろ、そんなことを言われてしまうとやってやろうじゃないかという気がしてくる。
本腰を入れて木に挑むことにした。
「ねぇ、トリト先生ってかわいい呼び方ね」
「普段ならそう呼ぶと怒られるんだけどね。認めてないって。ほかの事でいっぱい怒られてたから、今日は呼び放題だった!」
「でも、イストリト先生が怒るのもわかるわ。真夜中に走ってくるなんて……」
「……夜ってさ、そんなに危ないのか? さっきの魔法があったら、誰かに襲われたりすることもなさそうだけど」
地上から3メートルくらいは離れたはずだ。休憩ついでに、ひとつ質問をしてみる。
ラトが夜通し走ってきたと知ったとき、イストリトは激昂といってもいい表情をしていた。
尋常じゃない怒り方だ。俺を人買いと勘違いしていたときでさえ、あそこまで険しくはなかった。
「ユウの世界は、夜はあぶなくないの?」
「そりゃ、悪い奴は暗い時のほうが動きやすいし、夜行性の危ない動物だっているけど……夜そのものが危ないってわけじゃないぞ」
「そうかあ。君のところは、夜は暗いだけなの? なんにも知らないなら、チビどもに教えるときみたくお話のほうがいいかな。じゃ、ユウくんがここまで来るのはまだまだかかりそうだから、その間に話してあげる」
ずいぶんと言ってくれたものだ。
なんとしても語り終えるまでに登りきってやる、そう意気込んで次の枝に手をかけた。
「むかーし、フィンっていう女の子がいてね……」