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白の魔女は湖畔にて待つ  作者: セネカ
1 彷徨と知遇
18/54

8 『危機の報せ』



 ふいに体が軽くなる。

 イストリトが片手で猫でも持つように、俺の上にいる女の子をつまみあげたのだ。

 その形相があくまで平静としているのがひるがえって恐ろしい。


「彼は私の患者だ。おまえは玄関から入ってこれんのか」

「トリト先生、おろしてください! 緊急事態なんですよ!」

「だからとて窓から忍び込み寝込みを襲ってもよいという道理にはならん!」

 

 女医は侵入者を吊り上げたままその耳元で怒鳴りつけると、戸口へと引き返していく。

 いったいどういう腕力と握力をしているのか。

 

「……不愉快な思いをさせたな、風追。こやつへの折檻は任せろ」

「や、その……お手柔らかに」


 片手で掴みあげられてあの剣幕で怒鳴られるだけで十分お仕置になってる気がするのでほどほどにしてやってほしい。

 いったい二人はどういう関係なのだろう。

 閉じられたドアの向こうからの怒声を聞きながらそんなことを思っていると。またも腹部に衝撃がやってくる。

 けれど、さっきと比べるとずいぶん軽いものだった。


「……何してるんだ、ユーク」

「……えっと、なんとなく?」


 なんとと言うべきか、今度は俺の上にユークが跨っていた。

 彼女は今朝もいつの間にかショートヘアになっていて、一瞬ちがう女の子に見えてどきりとする。


 そしてなぜだか、お互い唖然としてしまっていた。

 いや俺はそりゃ驚くけど、なんでわざわざ乗ってきた君がぽかんとしてるかな!?

 どうにか体を起こしてユークをベッドから降ろしてやると、彼女は口をとがらせて言う。


「むー。ユウ、さっきの子にはやられっぱなしだったのに」

「はは……ユークは軽いから」


 どうにか軽口で返すことに成功する。していてくれ。

 実際のところ、さっきの女の子を持ち上げてやるには度胸も腕力も足りないだろう。

 っていうか俺ユークの腰掴んじゃったよ。一度お姫様抱っこしてるとはいえ自分の遠慮のなさに驚きが隠せない。


「あの子、だれ? 先生の知り合いなのかな」

「聞いてみよう。とりあえず、顔とか洗わせてもらわないと」


 よし、あっちに興味が移ってくれた。

 俺がユークにされるがままだったらどうする気だったのか、という疑問は、二日着通した服と一緒に脱ぎ捨ててしまうことにする。




 イストリトにいろいろ聞いて、俺とユークは朝の仕度を済ませた。

 入院患者用だという簡素な服を借り、それに着替える。再びロングヘアに戻ったユークのほうは例の魔法使いの倉庫に同じ服が何着も入っているのだとか。便利なものだ。


 それが終わっても未だにイストリトによる例の女の子への説教は続けられており、正座した彼女の傍らにはディアマンドが控えている。

 こっちにも正座ってあるんだな。


「先生、この子たしか、すぐ伝えたいことがあるって」

「そ、そう! よくぞ言ってくれました、知らない人!」

「……言ってみろ、ラト」


 見ているうちに気の毒になったので、彼女の味方をすることにする。

 俺たちは食卓に座りなおして、じっくり言い分を聞いてみることにした。

 俺とユークで女の子をはさんで座り、向かいの席にはイストリトがつく。


 しかしこの謎の侵入者の持ってきた報せは興奮に色どられていて、正直なところ理解しづらい。

 ただよくよく聞いてみると、その内容は思ったよりもずっと深刻なようだった。


「だから、厘軍の兵隊がこっちに向かってるんですよ! きっとトリト先生を狙ってるんだって!」

「繰り返すが、私は追われる身になった覚えがない」

「だって他に考えようがないじゃん! ディアマンドさんが危ないよ!」


 ラトと呼ばれた女の子は両手を振り回して主張を続けた。

 あまりに元気よく動くので緋色の肩までのハネ毛と大きな胸が上下に揺れている。

 視線がユークに気付かれていませんように。


「イストリト女史。この小娘の言、信ずるに足るか?」

「うわ、今しゃべったの誰!? あなたじゃないよね……? その杖? またまたご冗談を」


 誰、と言われ詰め寄られたユークが杖をちょいちょいと指差す。

 イストリトのリアクションが薄かったぶん、なんだか新鮮な反応だ。


「この娘は無意味な嘘を申すほど愚かではありませんが……ラト、私を謀って利があるなどとは思うなよ?」

「ない! ないって! やましいところなんてないってば! あたし本当に、トリト先生が心配で来たんですよう」

「……うん。ラト、嘘は言ってないと思う」


 耳をそばだてたユークが言うならそうなのだろう。

 だとすれば、軍がやってくるなどまったくもっていいニュースではない。

 ユークを狙っているのがサファドの仲間だけだとは限らないのだ。


「何が目的か知らんが、我輩は軍などと鉢合わせたくはない。お嬢が見つかれば必ずや面倒事となろう」

「うう、ほんとに杖がしゃべってるの……?」

「俺もそう思う。先生、どっか逃げ場所ってないのかな」

「ただの斥候や調査の可能性もある以上、下手に動くほうが危険やもしれん。ラト、兵どもをいつどこで見たか言ってみろ」


 ラトはこくりと頷くと、幾分か落ち着いたのか朗々と説明をはじめた。


「昨晩、村の近くで野営してる兵がいました。何だろうと思ってテントの陰に隠れて聞き耳立ててたら、明朝不迷(まよわず)の森目指して出発だって! きっとトリト先生のことだって思って、居ても立ってもいられなくって……そのままここまで走ってきちゃいました」

「夜駆けをしたと!? ……ラト、おまえは命がいらんのか!!」

「ちょ、ちょっと待った! 言い争ってる場合じゃないだろ、この子は無事なんだし」


 さっきとは違い、イストリトの剣幕は凄まじかった。ラトがすっかり怯えていたので助け舟を出してやる。

 こんな叱り方をするのは彼女の身を案ずるゆえなのだろうか。

 それだけこの子を大切に思っているらしい。

 

「……今問題なのは、君たちの安全だったな。ここから動かず隠れるというわけにはいかないか?ユーク、君の魔法で役に立つものは?」

「女史、お嬢には期待せんほうがよいよ」

「先生はわたしに聞いてるの! えっと、その軍の人たちを見つけて、帰ってってお願いする……とか……」

「え! この子、そんなに偉い人なの? うわ、あたし肩とか掴んじゃったけど」

「うん、ユーク、無理するな」


 そもそも隠れてないじゃんそれ。

 言語魔法一辺倒だなほんと。あれだけ便利なら無理もないとは思うけども。


「……独創的な意見ではあるが、今回は採用を見送ろう」

「お嬢、小娘の言に従い、ここを離れるべきでしょう。おい小娘、我々は土地に不案内故、手引を頼む」

「小娘小娘って、やめてよ! あたしはラト! それが人にモノ頼む態度!? だいいち、あたしはトリト先生のためにここに来たんだから!」

「ご、ごめんなさい! ……ちょっとニクス、『黙ってて』」


 ラトはニクスの言葉に立ち上がり、ユークの持った杖を指差して怒りながら名乗ってみせる。

 と思えば、その声に怯えてしまったユークにあなたに言ったんじゃないんだよ、などと慌てて取り繕ったりなだめたりと忙しい。

 そんな女子二人を尻目に、イストリトはため息をついてから提案した。


「……厘軍の出発が今朝なら、時間は十分ある。まず不迷(まよわず)の森へ行ってみよう。彼らの目的が確かめられるかもしれん」

「先生、その森ってもしかして、あっちの方の」


 と、ユークが俺を引きずってやってきた道側を指差して聞いてみる。


「……そうか、君たちは不迷(まよわず)の森の中からやってきたのだったな」

「うそ!? どこから入ったって入ったところからしか出られないんだよ?」

「マルカの結界、外から見るとそんな風なんだ! ……じゃあわたし、名所を壊しちゃったのかな」

「結界? こわした!? あ、いや、名所とかじゃなくてむしろちょっと厄介な場所だったってだけだから……」


 またもやユークが自責の念にかられてしまった!

 どうやらフォローはラトに任せられそうなので、自分は肝心な情報を伝えることにする。


「ディーラーがそこにいるかもしれないんだ。俺たちは行けない」

「ならば、森へは私とディアマンドで行こう」

「「ダメだよ!!」」


 見事にハモってみせた二人は驚いてお互い顔を見合わせている。

 ラトのほうが先に立ち直り、先生に食って掛かった。


「ダメ……ですよ! あたし何のためにここに来たのかわかんないじゃない!」

「長居はせん。鉢合わせするとしたらディーラーだ。奴らに遅れをとるほど腐ったつもりはない」

「それでもやっぱりダメだよ! わたしたちのために、先生が危ない目に遭うなんて……」

「少しは大人を信用して欲しいものだが、それほどまで言うなら……そうだな、またニクス殿を借り受けるとしよう」


 またあいつを?そんなに気に入ったのだろうか。

 それに確か、ユークから離れたらただの杖になってしまうんじゃなかったか。

 だいいち、役に立つのかすら疑問だ。


「女史の意見であれば、聞くもやぶさかではない。お嬢、力の充填をお頼み申し上げる」

「……あたしにもそのくらい丁寧にお願いしなさいよ」

「えー……。先生、どうしても? 絶対ぜったい、ユウみたくケガしたらダメだよ?」


 ユークは両手でイストリトの手を取ると、乞い願わんばかりに握り締めた。

 思わずちょっと羨ましくなってしまう自分がいる。

 女医は少し驚いたような顔をするものの、すぐに表情を引き締めてこう言ってのける。


「ああ、絶対に。約束しよう、ユーク」


 先生、その返しちょっとカッコよすぎませんか。ユークにこういうこと言ってみたいのは俺なのに。

 でも、ディーラーなど物の数でもないと言わんばかりの強さは俺にはない。

 到底そんな資格は持てそうになかった。


「それじゃ、ニクスに力を込めてくるから……その、えっと、覗かないでね」

「あ、ああ」


 どこかの昔話のようなことを言うと、杖を手に取ったユークは寝室に引き返してしまった。

 いったい隠れて何をやるというのだろう。


「ではラト、おまえはこの二人を案内して村へ戻れ。隠密は得意分野だろう」

「まあ、いいけど……トリト先生、ホント、気をつけてよ?」

「おまえこそ、その能をはじめて人のために使う機会が来たんだ。気張れよ」

「いっつもみんなの役に立ってます! あたしは!」


 しばらくしてユークが戻ると、ニクスの杖頭に飾られた宝石がいつもより更に輝きを増しているように見えた。

 一体部屋で何が行われていたのだろう。

 それが気になって、今夜は眠れそうにない。


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