6 『医師イストリト』
「まず改めて、私の理想の男性像について話そうか」
「……何言っちゃってるんですか?」
俺の突っ込みも半聞きに、イストリトは俺の腕、胸、腹、果てはふくらはぎ、ふとももまでべたべたと触ってくる。
あまりの事態に、声を出すことも抵抗することすらできず固まっていた。まるで夕食前までの状態に戻ったようだ。
「ふむ。やはり私の理想像とは程遠い。異界の男とはみなそうなのか?」
「つまり、筋肉が足りないとおっしゃる……?」
「そうとも。しかしいくらなんでも細過ぎるぞ、君は。日常の労働に支障はないのか?」
大きなお世話だ。
「……俺の話より、ディアマンドさんの話を聞きたいんですけど」
「そう急くな。話を暗くせんための工夫だよ」
「じゃあもう代わりに話しますけど、ディアマンドさんは先生の理想の男だったと」
「ああ。私自身、青歴院にいた頃から魔法の研鑽と同時に肉体も鍛錬していたんだ。同じ志の者は多くはなかったが」
イストリトは語りながらも片足でバランスを取ったり、ストレッチのような動きをしたりと忙しい。
運動も大事なのは分かるが、そもそも魔法が使えるのだから体を鍛える必要はないだろうと思ってしまう。
そりゃあ頭脳労働っぽい職場でお仲間はいなかろう。
「青歴院を出た後、私は厘国の軍医となった。ディアマンドともそこで出会った」
「……軍医になった理由って」
「皆まで言うな。きっかけとはそんなものだ」
けれどいま彼女が目を伏せたのは、屈伸をしていたからだけではあるまい。
そんなものと言われれば、そんなものなのかな。
「紅衣であったのもあいまって、私はそこそこ重宝された」
「待った。いまわかんない単語が」
「これは失礼。紅衣とは、青歴院に貢献した者に下賜される法具だ。転じて、それを着用する者のことも差す。着用した者は、エッカードの力を借りて魔法を行使できる」
それってなんかおかしくないか。
「エッカードは傍観者じゃないんですか? それじゃ、紅衣が歴史を変えちゃいますよね」
「彼は記録がしたいだけらしい。紅衣にはエッカードの目としての働きもあるからな。彼が傍観者でいようとしているならば、そもそも断章を人の目には触れさせないはずだ」
詳しく聞くと、ユークとは少し違うタイプの魔法使いのようだ。
あくまで自分のために力を使う人物らしい。
とはいえ、そちらの方が自然ではある。
「すみません、脱線させました。ディアマンドさんとはどう出合ったんですか?」
「彼が私の常連だったというだけだ。彼は常に最前線で戦い、傷ばかり作ってくる男だった。……だが、彼ほど長く通い続けた者もいなかった。皆すぐに、私の手では届かないところに行ってしまうから」
「……こっちの戦場って、魔術師がいるんですよね」
正直なところ、ユークのような魔法使いが敵にいたらどれほどの大軍でも無意味に等しいように思える。
想像もつかないほど、多くの兵士が死んだのだろう。
「いるとも。嘆かわしいことに、紅衣までもが魔法戦術師としてカスバに立つことがある」
「カスバ……は、魔法の城塞、でしたっけ」
「よく勉強しているな。詰まるところ、我々にとっての戦争とはカスバの取り合いだ。カスバを多く持つ国は単純に強い。人為的に一から作ろうとすれば数十年はかかる。奪い取るのが最も手早いというわけだ」
でも、そこから魔法を撃ちあうだけでは奪い取ることはできないはずだ。
となると、軍隊の役割は――。
「もしかして、人の軍はカスバを占領するためにあるんですか」
「ああ。歩兵は炎が、雷が、死の呪いが飛び来る戦場をすり抜けカスバへ突撃するのが役割だ。最も殺すのは魔術師だが、最も殺されるのは歩兵というわけさ。私は人を焼く側にはなりたくなかった。それが結果的に最も多くの兵を助ける方法だとしても」
いつの間にか、イストリトは立ち運動をやめていた。腕を組んでうつむいている。
その方法を選んでしまったのが……ユークなんだろうか。
お互いにすっかり黙りこんでしまう。切り出したのはやけに明るい調子の彼女だった。
「ディアマンドの話に戻そうか。彼が陣に戻るときは、怪我人や死体を背負っているのが常だった。一度に三人を抱えてきたときは流石に驚いたよ。そのうち助けられたのは一人きりだったが」
「……すごい男だったんですね」
「全く、そうとしか表現しようがない。私はといえば、紅衣の力を尽くしても多くの患者を取りこぼしていた。それを慰めてくれたのも彼だった。交際もそこそこに、すぐさま想いを伝えたよ」
そのへんで思い悩んだりは確かにしなさそうな人だ。
「戦時下で結婚を急ぐのはそう珍しいことじゃない。私は彼に受け入れられ、皆に祝福もされた。だが全ては矢のように過ぎて、私たちはまたすぐただの軍医と歩兵に戻らざるを得なかった」
死亡フラグが立つ暇もなかったというわけですねとは、到底言えない。
というか通じないだろう。
「さて、私は青歴院で人体についての理解を深めていた。それを活かし失った四肢の修復が可能なことが私のウリだったし、時には損傷の激しい遺体を魔法で修復してから遺族へ返すこともあった」
「彼らは喜んでくれたよ。まるで眠っているように穏やかな死に顔だと。何のことはない、私は均整のとれた肉体が崩れていく様を見たくなかっただけだ。遺族のことなど頭になかった」
「そうだとしても……」
あまりに自罰的な口調に思わず口が出てしまう。けれど、そこからは言葉を続けられなかった。
彼女は一瞬だけ微笑むと、また静かな口調に戻る。
「ああ。だが、それに目をつけた上官がいた。私が修復した死体を、人形として使えるのではないかと」
「えっと……質問いいかな。ゴーレムなんてものがあるなら、それそのものを使えばいいんじゃ?」
「詳しくは学術的な話になるが、戦闘に耐えるものはきみの友人やエッカード本人にしか作れないだろう。硬質化も駆動機関も魔法で補わなければならないのだから」
「でも、死体を戦わせるなんて」
「私も、到底承服できないと断った。だが、それを聞きつけた兵たちが言うのだ。自分が死んだら、それを直して人形にしてくれと。最前線で盾として使ってくれと」
「…………」
絶句するほかなかった。
戦場とは、そんなことを望んでしまうほどのものなのだろうか。
「翌日、ディアマンドが抱えて帰ってきたのはその言いだしっぺだったよ。私は紅衣の力を借りて、修復した彼の全身に強力な式陣を描いた。その翌日も同じようなことをした。そのまた次の日も」
イストリトはここまで一息で話してみせた。つらい部分に入ってきたのだろう。
押し黙って、水を差さないようにする。
「出来上がったのは、屍のみで出来上がった小隊だった。彼らに訓練は必要なかった。私が彼らの操作に習熟することだけが必要だった。呪わしいことに、彼らの肉体を支配する喜びが心中にはあった。良心には、彼ら自身が望んだことだと言い訳をした」
「遺体の修復、保全はお手の物になっていた。そんな私にディアマンドは何も言わず、変わらず戦友を拾ってくるだけだった」
「屍小隊の初陣の日が来た。式陣をすべて消してしまわない限り、屍小隊は働き続ける。腕がちぎれ飛んでも、その腕が這って魔術師の目を潰す。脚が根元からもげたとしても、隣の屍と肩を組んで走り続ける。戦闘が終われば、形の残ったものは自ら私の元へ帰って修復を待つ」
「屍小隊は快進撃を続けた。日に日に構成員が増えたのもあって、もとの隊から切り離され、単独で任務を行うことすらあった」
「彼らに命令を下し、カスバに篭る魔術師を殺させる。私はそれを正しいことだと思っていた。間違いなく、最も兵士の犠牲の少ないやり方だからだ」
「だが今なら分かる。私は自分で手を下すのが恐ろしかっただけだ。今ですら、君を傷つけるのをディアマンドの仕事にしてしまった」
「屍小隊が最後の戦果を挙げた日、つまりその戦争最後の戦闘で……ディアマンドは戦死した」
「屍小隊を突出させるため、私は前線にいた。屍たちを盾として矢避けにするのが常だったが、その日は攻撃に傾倒しすぎたらしい。私はいつの間にか気を失っていた。気が付いた時、私は焼け焦げた屍たちに守られ、その下にいた。ディアマンドもその中にいた」
「国へ帰ると、私は死霊術士という名で呼ばれるようになっていた。馬鹿を言わないでほしかった。人の霊などというものが存在するのなら、誰よりそれに会いたいのは私のはずなのに」
「修復した屍たちは遺族のもとへ返され、ディアマンドだけが私の手元に残った。そして、私はディアマンドを今の彼にしてしまった。彼が生前、私に何も言っていなかったのにもかかわらずだ!」
彼女はこちらのあいづちを待たずに言いきった。
気遣って声を出さなかったはずなのに、今は空気の重さで口が開けないかのようだ。
しばらくして、イストリトはつぶやく。
「……私は、どこで間違ったのだろうな。軍医になったことだろうか。屍小隊を作ったことだろうか。それとも、ディアマンドを、人形にしてしまったことだろうか」
そう言ったきり、彼女は深くうなだれてしまう。
かける言葉が、どう探しても見つかりそうにない。
つられて下を向いていた首をふと上げると、ユークがディアマンドを伴って炊事場へやってきていた。
「イストリト先生」
「ユーク?どうかしたのか」
まるで助け舟でも見つけたかのようにユークに話しかけてしまう自分を情けなく思う。
しかし、その口から飛び出たのはとんでもない言葉だった。
「信じてもらえないかもしれないけど、わたし、ディアマンドと少しだけお話できたんだ」
「……冗談はよしてくれ。それはただの人形だ。私がディアマンドと呼んでいるだけの」
イストリトは後ずさりする。まるでユークの発する言葉から逃げようとするように。
「わたしが先生をふっ飛ばしちゃって、ディアマンドがこっちを向いたとき……叫び声みたいなものが聞こえたの。それからも、声は聞こえ続けてた。はじめは誰のものかも分からなかったけど、二人きりになってようやく気付けたの」
「やめてくれ。頼む。そんなもの、聞きたくはないんだ……」
ユークはゆっくりと、しゃがみこんでしまった女のもとへと歩いていく。
「聞いてくれなきゃダメ。……言うよ。ディアマンドは、ずっと繰り返してたの。『イストリト、悔やまないでくれ。謝らないでくれ。きみはするべきことをした。傷をつくったとき、野戦病院できみに怒鳴られるのが好きだった。いつも怒ってるみたいにせかせか歩いて、きびきび仕事をするきみが好きだった。だから、おれがいなくなってもそうしてくれると嬉しい。きみがもし、まだおれのことを好きならば。イストリト……』」
「やめて、くれ……」
イストリトは耳を塞ごうとしているのか、それも叶わないのか、ただ両手で頭を抱えてうずくまる。
「いなくなった人のこえなんて、聞こえたことなかったから驚いちゃった。……ディアマンドとお話できたっていうのとは、たしかに違うかもしれない。だけど、これがディアマンドが遺したかった言葉なのは、きっと間違いないよ」
「お嬢の集中状態は、高位の言語魔法を行使するときに近かった。真なる言語魔法の本体は、現世の音ではなく異界に発せられた波紋であるという。我輩が思うに、お嬢はそれを――」
「……こんなときくらい『黙ってて』よ……」
ニクスが黙らされると、キッチンはしばらく静寂に包まれた。
すっかり外野になってしまった俺も、ただ下を向いているしかない。
数十秒して突然イストリトは立ち上がり、ユークの肩を掴んで言った。
「……ユーク。今晩、ニクス殿を借りてもかまわんか」
「え? え? なんでこんなのを?」
「考えてみたのだ。かつての私なら、君たちと出会ってどうしたか。これほどの知遇は滅多に得られるものではない。君にも改めてゆっくり話を聞きたいが、今日はもう遅いからな。子供は寝る時間だ」
いきなり何を言い出すのか。杖に一体何の用事があるというんだ。
「ニクスから話を聞こうっていうんですか? こいつ、話し出したら止まりませんよ。いちいち嫌味ったらしいし、偉そうだし、教師に向いてるとはとても」
「私はエッカードから学んだんだ。断言するが、彼より師範に向いていない人間は居ない」
そんな奴が世界中の魔法使いを教育してていいのか?
ユークは戸惑いながらも、バトンの大きさになった杖を差し出していた。
「えっと、どうぞ。返してくれなくてもいいよ」
「む?ずいぶん静かなようだが」
「あ、忘れるところだった。『話していい』よ」
「そうですとも。我が意の尊重なぞ無用でしょうとも。我輩は道具でしかありません故」
「スネてんじゃねえよ……」
俺とユークはイストリトによって寝室に押し込められた。健康な肉体は十分な睡眠から形作られるとのことらしい。
二人で顔を見合わせて、食卓からわずかに漏れてくる議論に文句を言ってやる。
それから、それぞれに用意された寝床に転がった。