『うつくしいもの』
(これは夢だ。だから死んでしまっても目が覚めるだけで、ぼくはなんともない)
努めてそう念じるほど、今が現実だという確信が痛みとともに深まっていく。
ぼくは東京の映画館にいたはずなのに、気付けばどこかもわからない森にいた。
それなのに何故か、これが夢だ、などと自分に言い聞かせようとはしなかった。
今ならばその理由が分かる。
恐れていたのだ。これが現実だ、と自覚してしまうことを。
ぼくはこれから死ぬのだ。
背後に立つ男が、倒れたぼくの背を踏む。
首のうしろに刺さった何かが引き抜かれ、つられて視界が上に動く。
どうやらぼくの頭は、走馬灯の再生を放棄したらしい。
目の前の光景を焼き付けるために。
そこにいたのは、白銀の細やかな花々に包まれた女の子だった。
いや、白いものは花弁ではない。それは彼女のたっぷりとした髪だ。
その子が首をかしげると、花園は波打つように揺れる。
けれど、ぼくに最も強い印象を与えたのは白銀の髪ではなく、彼女の物憂げな顔だった。
その触れれば手折れてしまいそうな手足、曲線を見せない清楚な衣、そして丸めの輪郭はとびきり可憐ではあるものの、女性としての美しさには結びつかない。
にもかかわらず、彼女は間違いなく美しかった。
もしもぼくが今言葉をつむげるなら、口から出ているのは「かわいい」ではなく「きれいだ」であるはずだ。
そうさせているのは、初雪のような白さと、気力なく放られた双の手、そして何よりも、あらゆるものに倦んでしまったかのような表情だった。
こんなうつくしいものを眺めながら逝けるなら、やはり今日は幸運な一日だったのだ。
大した未練があるわけでもなければ、死にたがったこともないわけじゃない。
どうしようもない人生が続いて最後にようやく死がやってくるよりも、よほどいい。
……一つだけ未練があるとすれば、彼女の笑顔を見られなかったことか。
少女の美しさには、何一つ付け加えようがない。
この女の子に笑って欲しいと願うのは、あるいは芸術の破壊ですらあるのかもしれない。
それでも、彼女がこんな顔をしなくても済むようになれば、それ以上のことはない。
はじめて会うはずのひとに、ぼくはなぜだかそう思った。
この子の笑顔が見てみたかった。
ちょっとだけ悔しいかな、と思いながら、ぼくは自分が消えていくのをただ待ち続けた。
しかしそのときは、ついに訪れなかった。