一日一好
目が覚める。 時計を見て、カーテンを開けて。 日差しのまぶしさに、今日の始まりを感じた。
新聞を読む父の前に座り、目の前の朝食を食べる。 母はキッチンでバタバタと忙しそうだ。
父は今日も家族のために仕事をする。 母は家族のために家事をする。 一日一善、これが私の両親のそれぞれの善なんだろう。
「私は、何すればいいのかな」
鏡の前に立ち、ピンと跳ねた寝癖をいじりながら一人呟いた。 父も母も、見返りなど求めていないのだろう。 そうすることが当たり前、当然と言うように。 その行動で、誰かの何かになれている。 それじゃ私は?
空き缶を拾って、ゴミ箱へ。 …違わないけど、違う。 私は大人と子供の境目にいる。 だから、やはり。 いい事をしたら、すぐに褒めてほしい。喜んでほしい。恐らく、両親のようにはまだなれない。 毎日何かいいことをしよう! と心に決めても。 めんどくさいの一言で三日坊主で終わるだろう。
直った寝癖、髪を整えて。 目の前の私を見つめる。 誰かを喜ばせる、誰かの役に立つ。 そういうの、私にもできるのかな?
「いってきます」
玄関から、聞こえるようにそう言った。 母の「気をつけてね」という言葉。 当たり前、と感じてしまうことだけど。 こういうのでも、嬉しくなるのは確かなんだ。
「おはよ」
「………おはよう」
通学路を歩く途中、後ろから挨拶されて振り向いた。 幼馴染の、夏樹。 眠い、目の代わりに顔が訴えている。 また遅くまでネットサーフィンでもしていたのだろう。 ……私のLINEも無視して。
「悪い、昨日は寝落ちしてた」
「そーですか」
「怒ってる?」
「怒ってません」
怒ってるじゃん。 そう言いたげな顔をして、私の隣を歩く。 …見えるかな、カップルに。身長差があるからな、この前二人で出かけた時は兄妹だと思われたし。 別に夏樹は気にしてないみたいだけど、私としては自信をなくしそうになる出来事だったわけで。
「…夏樹」
「なに?」
「私たち、付き合ってるよね?」
「……絢香。 なに、昨日LINE返さなかったのそんなに嫌だった?」
「そういうことじゃ! ……もういいです」
不思議そうな顔する夏樹を気にせず、私は少し早足になる。 しかし、夏樹は何ともないように私のペースについてきた。 …悔やむのは身長差。 ちらりと、夏樹の長い足を見た。
「……見すぎ」
「…っ! ちがっ! こ、これはあの、あれを見てたの!」
「あれってなんだよ。 お前今日、ほんと変。 体調悪いなら休めよ、担任には伝えとくから」
「大丈夫、だから」
覗き込むようにこちらを見て、夏樹の顔が目と鼻の先まで近づく。 こういうの、まだ慣れない。 嬉しいけど恥ずかしい。 私は一歩引いた後、また早足で歩き出した。 夏樹はそれ以上は何も言わず、ただ私のペースに合わせて隣を歩く。
一日一善。 昨日、夏樹から返事が返ってこなくなってから一人考えてた。 寂しくなった、不安になった。 それだけ好きなのだと、自覚した。 夏樹は何も言わなくても、まるで私の考えが分かるように。 タイミング良く、私の側にいてくれる。 それで嬉しくなる私はなんて単純で…… 夏樹一筋なんだろうと思った。
意識してか、無意識なのか。 夏樹は毎日、私の心を嬉しくさせる。 つまり、一日一善。私のためだけの…… なんて思って顔が真っ赤になった。 そして同時に。
(私、夏樹の喜ぶことしてるかな?)
なんて考えが現れた。 そう考えて、喜ばせる方法を色々考えた。
毎日手を繋いで登下校…… いや夏樹はそういうイチャイチャは苦手だと言ってた。 毎日、き、キスを…… 考えただけで無理だと分かる。私はそんな度胸ある人間じゃない。
手作りのお弁当… 毎日朝起こす… 朝食を作る…… 服を洗って………
(わ、私は奥さんか!)
巡り巡って。 一番出来そうなことを閃いて。 今日の朝、会ったら実行しようとしていたけれど…… 無理みたいです。
す き
口元を小さく動かして。音のない言葉を呟いた。 横目に夏樹を見れば欠伸をしてる。 ばれてない、なんて思う自分はバカだ。 伝えようとした思いを、ばれてないなんて…… はぁ。
(朝から好き、なんて…… 恥ずかしすぎる!)
ため息は、少し気の早い秋の風に流されていった。
…………続く?