お兄ちゃん、お兄ちゃん、好き、好き〜♪
痛むわき腹を我慢しながら、授業を聞く。
ホームルーム、一限、二限、三限、四限と終わり、昼休憩のチャイムが鳴った。
教室を後にし、食堂へと向かう。
階段を一階降り、中庭を通り食堂棟へと着く。
食券を買い、並んでメニューを受け取り、入り口近くの席を探す。
ちょうど二つ並びの席が空いたテーブルを見つける。
向かいも空いているで広い。
そこにトレイを置き、席に着く。
水を一口飲む。
静かなのはここまでだった。
「お兄ちゃん、大好き」
理香がタックル気味に背中から抱きつく。
「お兄ちゃんのにおい、好き好き」
そのまま背中に頬ずりを始める理香に、箸を止める。
まとわりつく理香を、ため息混じりに引きはがす。
「食べてる時は邪魔すんなって、何回言ったら分かるかなあ」
「だってお兄ちゃんが大好きだもん」
理香は悪びれず、真っ直な瞳で答えになっていない答えを返す。
自分への好意に、人は抵抗できない。
言葉に詰まったままのお兄ちゃんを尻目に、理香はお兄ちゃんの隣に座り、持参の弁当を広げる。
小さな風呂敷が開かれ、小さなお弁当箱を現れる。
そこには、魔法少女のキャラクターが描かれていた。
「お兄ちゃん、あーん」
弁当箱からサンドイッチを取り出し、お兄ちゃんに差し出す。
「いいから、黙って食え」
「はーい。お兄ちゃん、照れちゃってカワイイ」
理香は素直にお兄ちゃんに従い、黙々と弁当を食べ始める。
食堂の雑踏の中、二人は無言で箸を進める。
お兄ちゃんは雑にかき込み、理香は小さくサンドイッチをちぎり、小さなお口に放り込んでいく。
ちなみに、この理香が、唐子の言うオレの女である。
その関係性は従姉妹なのだが、唐子にしてみれば、理香に悪い虫が付くのが気に入らないのだ。
それが理香が主体的に好意を寄せる相手だとしても、お母さん、お姉さん、保護者きどりの唐子には気にくわないのであった。
その唐子は昼休憩は部活の昼練習が忙しく、ここ食堂には現れない。
一通り食べ終わり、お兄ちゃんは一息をついた。
「お兄ちゃん」
それを待っていたかのような絶妙なタイミングで、理香が声をかける。
不意に呼ばれたお兄ちゃんは、気を抜いたまま振り向く。
間近に迫る理香の顔。
隙だらけのお兄ちゃんは、唇を逸らすのが精一杯の抵抗だった。
頬に柔らかな感触が伝わる。
「ちょ、おまえ」
「うふふ。お兄ちゃん、照れちゃってカワイイ。キスなんて今時五年生でもしてるよ」
理香がいたずらげに笑う。
少女の理香から女の顔が垣間見えた。
お兄ちゃんの鼓動が激しく跳ねる。
「ちょ、おまえ、なんちゅうことを」
「理香がキスするのは、お兄ちゃんだけだからね。誰とでもしないよ」
ドラマで見たのか、何に影響されたのかは分からないが、とにかく理香の女性的な台詞に、お兄ちゃんの鼓動がまた跳ね上がった。
「なあに、お兄ちゃん」
狼狽するお兄ちゃんを、理香は不思議そうに見つめる。
無垢な瞳の輝きに、心臓の鼓動が高まっていくを自覚する。
脈も速く、何だか熱くなってきた。
全面的な自分への好意に、人は飲み込まれる。
「お兄ちゃん、熱でもあるの? なんだかお顔が赤いよ」
自分を映し出すその瞳に、不意に衝動が走る。
その強さに呼吸を忘れ、その強さを身体がもてあます。
激しく、熱く、強く、壊れるくらいに、今すぐ抱きしめたい。
息が詰まり喉が乾く。
全身の筋肉に力が入る。
輝く瞳、柔らかそうな頬、先ほど振れた唇に、透き通るような肌、弾力ある質感。
自分よりは頭二つは小さい華奢な身体。
抱きしめたい、抱きしめたい、抱きしめたい。
身体を巡る血液が衝動にたぎる。
ここが食堂でなければ、人前でなければ、理香と二人きりであれば。
自分が自分でなくなるような、自分の中にもう一人の自分がいるような、この先どうなるのか、お兄ちゃんは安定を失っていた。
だが、幸いにもここは学校の食堂だ。
多数の同校性達が食事する雑踏の中だ。
正気を失うには、日常的すぎる。
お兄ちゃんは、下っ腹に力を入れる。
呼吸を少し止めた後、息を吐く。
丹田で、衝動の暴発を抑え込む。
「なあに、お兄ちゃん?」
真剣な顔に、理香はからかうような小悪魔的な笑みをこぼす。
からかわれている、そんなことは分かっているのに。
頭では理解しても本能では理解できず、恭一お兄ちゃんはもがき苦しむ。
いっそのこと、この場で、快楽を満たし尽くせば良い。
衝動が自制心をすり抜け、鎌首をもたげる。
苦しむ必要なんてないのです。
相手が大好きと言っているのです。
その気持ちに答えなくて、なんの男でしょうか?
欲望の悪魔が囁く。
お兄ちゃんは、甘美な誘惑に揺れ動く。
今度は逆に、理性の天使が反論する。
てか、好きって言ってもライクじゃねえ? ラブじゃなくてライクな。
そこを勘違いするなんざ、安っすい男だぜ。
そう。
今はまだライクなだけです。
理香さん、彼女も揺れているのです。
貴方の押しでライクをラブにするのです。
そうかなあ。
近所のええ兄ちゃんに対するライクなだけの気がするが。
ええい、彼女から好きと言って誘っているのです。
女性に恥をかかせる気ですか?
おまえら、そんなに仲良いなら付き合っちゃえよ。
でその気になるのは男だけ。
元々そんな気なら女の方から告ってます。
ですから、理香さんがははっきり大好きと言っています。
告白しています。
だからその大好きがライクなんだって。
やんのかコラ、あーん!!
いつでもやったんぞコラ、あーん!!
悪魔と天使の論争が堂々巡りし、ついに黙示録を始め出す。
「どうしたの、お兄ちゃん。考え事?」
頬に柔らかな感触。
気が付くと、心配そうな、寂しそうな表情で、理香が顔をのぞき込んできていた。
柔らかな頬の感触は、理香の両手だった。
いつの間にか間近に迫り、お兄ちゃんの顔を両手で挟み込んでいた。
不意の出来事に咄嗟にお兄ちゃんはビビってしまう。
我知らず顔を下げてしまった。
理香はその拒絶に、目の色を曇らせる。
今にも降り出しそうな雨雲の瞳に、うっすら雨が浮かぶ。
身体が勝手に動く。
正確には、心が身体を勝手に操作した。
我知らず手を伸ばし、そこに優しく触れる。
その温かな感触に、理香は顔をほころばせた。
「えへへ。お兄ちゃん、ありがとう」
頭に置かれたお兄ちゃんの手に、理香は自分の小さな手を重ねる。
目の色の雨雲は一瞬で吹き飛び、天晴れな青空へと変化する。
無邪気な笑顔で、また真正面から宣言する。
「お兄ちゃん。やっぱり、大、大、大好き」
理香はまたその大好きな胸に飛び込んだ。
お兄ちゃんに抱きつく理香を遠巻きに見ながら、同校生達が呟く。
「ちょっと何なのあれ?」
「お兄ちゃん君と理香ちゃんでしょ。
知らないの?
食堂じゃ有名なバカップルよ」
「違うわよ。
わたしが言ってんのは、なんで高等部の食堂に初等部がいるかってこと?」
「アハ、ほんとに知らないんだ。
あの小さいのが理香ちゃんで、高等部の一年よ」
「高等部の一年?」
「良いリアクションで嬉しいわ。
一言で言うと、飛び級ね。
実年齢は十一歳ぐらいだけど、あんたより数学はできそうよ」
「わたしより数学ができないおまえが言うか?」
「良いツッコミをありがとう」
学生都市第三学園高等部の昼休憩が、こうしてまた、いつものように幕を閉じた。




