閑話 ≪泡沫の夢≫
いま思えば当初の予定より出番の少ないクレアさんのお話。
懐かしい声が、聞こえた気がした。
◆ ◆ ◆
『ねーねー、クレアー。何で隠れてるのさ』
『だ、だって……しらないひとだし、その……』
これは何時のことだったか、とクレアはその光景を眼下に眺めながら、宙を揺蕩い纏まらない思考を回す。
眼下には幼き日のクレアが、幼少期に過ごした家のリビングで、物陰に隠れるように身を潜めている。
祖父は交友関係が広かったのか多種多様な友人が度々訪れており、この日も来客があった。村自体が周囲から隠れているようなものであった関係もあって人見知りが激しいクレアはその度に部屋へ引っ込んでいたのだが、この時は部屋へと戻るのが遅れ、咄嗟に物陰へと隠れたらしい。
そのすぐ近くでは、テーブルを挟んでソファに座った男女が苦笑しながら話をしている。当時のクレアは声を潜め隠れているつもりであったが、その声はしっかりと届いており、隠れたクレアに気付いた上で話をしているようであった。
『さて、ではうちの偉大なる精霊様の話の続きだがね』
『その割には崇めている口調には聞こえないな』
男女の片割れ、初老に達した男が告げると、対するまだ年若い、当時のクレアの母辺りの年頃の女が笑いながら返す。歳は離れていたが、その掛け合いは確かな信頼関係を感じさせた。
『まあ、そう言うな。崇め奉らないと私のおやつが取られてしまうのでな』
『おっと、それは重要事項だな』
そう言ってくつくつと笑い合う。幼き日のクレアが隣を見ると、友人たる彼女は「むー」と頬を膨れさせていた。
『先程見させてもらったよ。精霊の核という物は初めて見たが、あそこまで綺麗に歪んでいるとはね。恐らくは宝具とやらに組み込んだためかな。始めは歪みにも気付かなかったくらいだ。もう元の形なんて分からんよ』
『既に骨董品の類だし仕方がないだろう。制作から数百年は立っている。核はともかく、宝具がもう駄目なことは予想していた。それが核にどう影響するかは、正直考えたくも無かったが』
その話は、幼いクレアがすべて理解するには少しばかり難しい話だった。だが、それがどうやら隣に座る友人に関する話であり、さらにあまり良い類の物ではないと察し、不安げに揺れる瞳で彼女を見る。
そんなクレアに、彼女は苦笑気味に微笑みかけた。
『もー、そんな顔しないの』
『だって、すきな。ぐあいよくならないの?』
『“すきな”じゃなくて“スクィナ”だってば』
『……すきな?』
『……もう、スーとかでいいよ、おちびさん』
『むぅ』
物陰で微笑ましいやり取りをする2人を視界の端に収めながら、大人2人は笑みを噛み締め話を続けた。
その様子を上空から眺める現在のクレアは、懐かしい光景に涙が出そうな気持ちになる。とは言え、実際はどこか現実味がなく、感情が表情へ表れることは無かった。不思議な感覚である。
眼下の出来事の舞台である木造の家は、忌まわしき死神の襲来と共に壊されている。今は無き故郷を想っていると、眼下で物音と子供の悲鳴が聞こえた。視線を下へと戻すと、クレアとスクィナが団子になって物陰から転がり出るところだった。
隠れていたことがばれてしまい、ばつが悪そうに顔を背ける幼き日のクレアと何故か自慢げな笑みを浮かべるスクィナ。クレアは祖父である男と何事か言葉を交わし、一転笑顔でその膝の上に飛び乗った。
『さて、スクィナ君の話だが……』
『おいおい、クレアの前で話すのか?』
膝に乗った孫娘の頭を撫でつつ、対面の女性の言葉に苦言を呈するふり(・・)をするが、対する女の表情は柔らかなものだ。完全に男の目論見を理解している顔だった。
『問題ないよ。既に対処済みで、無事解決している。なあ?』
『へ? あ、うん。さっきボクの核になんか取り付けてさ、その途端に体調が良くなったんだ!』
『む、そうなのか?』
周囲を飛びまわるスクィナに、男は厳つく繕っていた表情を和らげて問う。精霊の少女はそれに笑顔で頷くと、男に抱きついたままのクレアに近づいた。
『くーれあ! だから、もう大丈夫だよ?』
『ほんと? もうぐあいいいの?』
『うん!』
そしてクレアは祖父の膝から降り立ち、満面の笑みを浮かべてスクィナとはしゃぐ。その様子を微笑ましく見守りながら、男女は会話を続けた。
『原因はぶっちゃけ分からん。だが、色々試し、マナを大気へと循環させる術式を組んで取り付けた途端に良くなったことから、マナの過剰供給が問題点だろう。核が自壊するなんて考えにくいし、恐らく核と密接につながったその宝具とやらがもう限界で、スクィナ君のマナに耐え切れないんじゃないかな』
『……ふむ、宝具の除去は可能か?』
『おや、先祖代々の守り神を解放するのかい? 隠れ住む君たちにとっては最後の切り札だろう?』
『結果的にはそうなるが、スクィナは武力ではなく我らの家族だ。家族の苦しみを取り除くためならば、何でもできるさ』
男の答えに満足そうに頷くと、「だが残念」と両手を広げソファに身を投げ出した。
『生憎わたしにその技術は無いよ。ってかあんなものを精密に扱うなんて、人間にゃ無理だと思うけど。あんたらのご先祖さまは凄まじいね』
『……そうか』
『ま、定期的にメンテくらいならしてやるよ。もしわたしが死んでも、うちの弟子がやってくれるさ』
『む、弟子を取ったのか?』
『ああ!』
見てみるか、と満面の笑みを浮かべた女性は懐からロケットを取り出し、蓋を開いて突き出す。
そこには、その当時のクレアと同じくらいの年頃の少年が映っていた。その少年は何処か目が虚ろで、男は薄気味悪い物を感じたが、そのことは敢えて無視する。
『可愛いだろう? 最近拾ったんだ!』
『その発言は流すとして……お前のような社会不適合者が弟子を取るとは、何とも言い難い悪寒がするな』
『おいおい。まったく、酷い言い草だ』
その後もつらつらと話に興じる2人を、幼き日のクレアは何となしに眺める。だが、それよりもスクィナの具合が良くなったことの方が重要で、彼女と遊ぶうちに小難しい話の内容は忘れてしまった。
そして、時は流れる。
◆ ◆ ◆
ノイズが走り、場面が切り替わる。
変わらず宙を揺蕩うクレアの眼下では、まさにあの運命が変わったあの日、6年前の死神が襲来した日が映し出されていた。
『クレア、急いで!』
『う、うん!』
森の中を走るクレアと、彼女の周囲を飛びながら襲来するガーゴイルを蹴散らすスクィナ。ガーゴイルは確かに脅威だったが、人の世に組み込まれているとはいえ腐っても精霊なスクィナにとっては鎧袖一触で、見敵必滅とばかりにマナの砲撃を叩き込んでスクラップへと変える。
クレアは未だ幼い姿であったが、先の光景の頃よりは時も進み、その背も随分と伸びていた。対するスクィナはどういう急成長をしたのか、既に成人女性の背恰好であった。とは言え、精霊であるスクィナに人間の常識は通用しないのだが。
そうして、しばらく森の中を走り村の入り口に辿り着くと、そこに待っていたのはまさに地獄と呼べる光景だった。
家屋は倒壊し、火の手が上がっている。村人は襲い掛かって来るガーゴイルに逃げ回り、中には血で赤い絨毯を作り、道に倒れ伏している者もいる。抵抗している者もいるが、多勢に無勢と言うべきか、来襲する敵の数が多すぎた。
炎や血の“赤”が、まだ幼いクレアの網膜へと容赦なく突き刺さった。
『ひっ……!』
『クレア! 見ちゃ駄目だ!』
思わず立ち竦んだクレアの頭を抱え込み、スクィナは精霊の力を行使し空を飛ぶ。地上数メートル程度ならば問題なかったが、空高く、しかもクレアを抱えての飛行のため、自ら貶めた力に蝕まれた身体が悲鳴を上げる。だが、それでも何とかクレアを守り切り、半ば倒壊しかけている屋敷へと帰り着く。
『ひどい……』
『クレア! スクィナ! 無事だったか……!』
『おじいさま!』
ひし、と祖父と抱き合うクレア。再会は果たせたが状況は未だ良くない。むしろ進行形で悪化するばかりであった。
決意を胸に秘め、スクィナは老人と向かい合う。
『オリバー、最後の手段を切るべきだ。宝具を使おう』
『……分かっておる。すまない、スクィナよ』
『いいんだ。君たち一族は家族を知らないボクに暖かな色をくれた。恩返しくらいさせてくれないと、流石に始まりと終わりの精霊としての名が廃るからね』
まるで普通の少女のような笑みを浮かべ、スクィナは言った。
祖父の腕に包まれたクレアは、友人の見たことも無い表情に思わず見惚れる。そして、直ぐにその言葉の意味を察して叫んだ。
『だ、だめだよスー! そんなことをしたらスーが!』
『いいんだって。クレア、泣かないで』
『だって、だってぇ!』
溢れ出た涙を指で優しく拭き取り、スクィナは笑う。
『もう、せっかく可愛い顔なのに』
『だって、スーが……スーがいなくなっちゃうなんてやだよぉ』
『ボクは居なくならないよ。まー、うん。ちょっとの間会えなくなっちゃうかもしれないけどね』
苦笑を浮かべ、スクィナはクレアの頭を撫でる。姿形を自由に変えられるスクィナだが、一番安定するのは今の大きさ、成人女性のサイズである。クレアの成長によって日々刻々とその差は縮まっているが、クレアに合わせて縮んでいた幼少期と比べれば身長差は如何ともし難い。
だが、不変たる精霊のスクィナにしてみれば、日々成長するクレアはまさに“希望”であった。彼女を守るためならなんだって出来る。偽りなくそう思った。
『でも、また会えるよ』
『……ほんと?』
『ほんとだとも』
『……うそじゃない?』
『ボクが嘘ついたことがあった?』
『…………この前クレアのお菓子たべたのにうそついた』
『うぐっ! あ、あれは……』
急所を抉る一言に狼狽えるが、その様子にようやくクレアが笑みを見せる。例え涙と混じって泣き笑いの、決して美しい表情ではなかったとしても、それはスクィナの決意を強固にさせる尊いものだった。
『ふふん、クレアがバーサの言うことをちゃんと聞いて、それからボクの名前をちゃんと呼べるようになったら、また会えるかもね』
『むぅ、スーのいじわる』
『何とでも言えー……っと』
背後から向かって来たガーゴイルを手刀の一太刀で両断する。すると、その先には群を成して向かってくる夥しい数の“黒”と、それを率いるかのように位置する、ひとつの“白”だった。
『ここももう危ないかな。オリバー、核は?』
『今アルとリリーが取りに行っている。もう直ぐだと思うが……』
『とうさまとかあさまが!?』
声を上げるクレアの肩に手を置き、スクィナは祝詞を紡ぐ。
『クレア・ミラ・アルヒテロス。君に祝福をあげる』
疑問符を浮かべるクレアに苦笑し、スクィナは手の内に光球を生み出し、それをクレアの胸元へと押し込んだ。
ぼんやりと熱くなる胸を抑え、幼いクレアはスクィナに揺れる瞳を向ける。
『さあクレア、ボクは大丈夫だから。行って!』
『う、うん。スー、約束だからね! ぜったいまた会おうね!』
『うん。約束だよー!』
そうして、クレアは屋敷へと入っていく。緊急用の脱出口は昔から教え込まれており、近所の住民や御付のバーサとともに脱出していく。
その後のことは、あまり覚えていない。元々事態はクレアのキャパシティの限界に迫っていたのが、後に何とか逃げ出してきた重傷の祖父を見たことでラインを越えてしまったのだ。
覚えているのは、祖父によってもたらされたのは最悪な情報。父と母が死に、スクィナの核が敵の手に渡ってしまったというあまりに残酷な現実だった。
◆ ◆ ◆
『お爺様、失礼します』
場面は再び切り替わり、ごく最近のものへと移る。
大分成長し、現在とほとんど変わらない姿のクレアが、帝国領の片隅の、隠れ住んでいる住居の祖父の部屋へと入る。
寝たきりの祖父はクレアの言葉には反応せず、ただ窓の外を眺めていた。
『お爺様』
ベッドの傍の椅子に座り、クレアはもう一度呼びかける。
『アンジェリカ様の提案、受けようと思います』
『…………そうか』
『はい』
掠れた返答に、しっかりと頷いた。
“あの日”から瞬く間に数年の月日が経ったが、その傷は癒えることは無かった。生き残った村人たちは皆散り散りとなり、クレアたちと関わりがあるのはもう片手で数えるほどだ。
また、娘夫婦や村人を目の前で亡くし、先祖代々の付き合いである精霊すらも失い、それでも生き残ってしまった祖父は大きすぎる傷を負った。時が経つにつれ、気力は衰えて行くばかりであった。
クレア自身は両親や村の知り合い、そして最愛の友人ともう会えないと言うことが上手く想像出来なかったが、長い年月をかけてようやく現実を飲み込み、ただそれでも、と行き場の無い思いを募らせる日々だった。
そして、多くの人が集まる帝都に行けば何かが変わるかもと考え、帝立学校へ入学するためにあらゆる学問を勉強していたある日、帝国皇家から使者が訪れた。その日から、止まっていたクレアの時は動き出したのだ。
『イリオスまでバーサさんが行くことは難しいですが、港町のポートルートまでは共に来てもらうことになりました。その間、お爺様のお世話はユーリさんのお母様にお任せ―――』
『クレア』
『は、はい! どうしました?』
この頃は日がな一日外の様子を眺めて終わり、話しかけても反応こそするものの、自身から何かを言おうとはしてこなかった祖父である。その呼びかけにクレアは思わず驚きの声を上げてしまう。
『イリオスには、わしの古い友人の弟子がいるはずだ。なんでも魔導具師をしているらしい。きっと力になってくれるはずだ』
『わ、分かりました』
クレアの頭には祖父の友人として訪れた数々の人物の顔が過ぎるが、特に思い当たるものは無く、続く祖父の話へと集中する。
『今、スクィナがどうなっているか分からん。だが、奴の言う通りであれば、その者は対精霊の切り札を持つ。打倒はもちろん、どんな病であろうと治せるはずだ』
『ほ、本当ですか!?』
『ああ。しかし、それは彼の特異体質に由来する。もし会えたとしても、探るのは止めた方が良いだろう』
その後も、祖父と孫の話は続く。それを後ろで聞きながら、半透明の現在のクレアはふよふよと浮きながら、纏まらぬ思考をする。
この時のクレアは、半年後に待ち受けているはちゃめちゃな日々なんて想像してすらいなかった。もし、今のわたしを知ったら何と言うでしょう、と考えてみるが、答えは出ない。
―――当たり前だ、とクレアは思う。なぜなら、一番大切なものがまだ取り返せていない。それ以外の答えなど、今はまだ必要ない。
彼らと過ごす日々は楽しい。出来れば、今後もずっと続いて行けばいいと願ってしまうほどに。だが、そのためにはやらなくてはいけないことがある。
ピシリ、と画面が割れるかのように、周囲の光景にひびが入る。ひびは徐々に大きくなって亀裂となり、やがて、このぬるま湯のような夢から飛び出す出口となった。
部屋の変調は観測者であるクレアにしか影響しないらしく、話す2人は別段反応しない。そのことに我が夢ながら良く出来ているな、と少々場違いな感想を覚えるクレアだった。
『―――それで、その方の名前は?』
『確か、カイトという名だったはずだ。歳は恐らくクレアと同じほどだろう』
『まだ若い方なのですね』
『会ったことは無いが、実力に関しては問題ないだろう。何せ師が師だ』
祖父の言葉に何とも神妙な顔をして頷く過去の自分に、現在のクレアは苦笑し、そういえばこんなこともあったなぁ、と思い起こす。この時はどんな怪物が相手なのかと気を張ったものだ。だが、実際のカイトは日々好きなように生きる快楽主義者である。いや、脅威度は怪物のようなものではあるが、過度に構える必要はない。
師匠の話は、この時は何のことか分からず、祖父も「分からぬならそれでいい」と教えてはくれなかったが、今では予想はついている。確証こそない物の、恐らくは当たりだろう。
―――まったく、とんでもない人に出会ってしまったものです。クレアは密かに笑みを噛み締めた。
意識は既にはっきりとしていた。話を続ける2人に背を向け、クレアは出口へと向かって歩き出す。
その背に、懐かしい祖父の声が届いた。
『気を張るのは良い。だが、自分を大事にな。身体に気を付けるのだぞ』
その声に反応して振り返ると、祖父は過去のクレアと手を握り合っていた。自分に対して語りかけた訳ではなさそうだが、思わず勘違いしそうなほど優しげなその声色に、ふと笑みが零れる。
「十分、分かってますよ」
『スクィナを、わしらの大切な家族を頼む、クレア』
「……分かってますよ」
呟くように口にする。そして、漲る気力を焔に変えて、瞳に日輪を灯してクレアは歩く。もう、振り返りはしなかった。
やがて、クレアは眩い光に包まれた。




