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第一話 ≪交易都市エレフセリア≫




 夏も終わりに近づいたが、太陽は未だに燦々と輝き続けており、風が絶えないイリオスの過ごしやすい気候を以ってしても暑い日が続いていた。

 そんな日差しが天幕から差し込む石畳の大通りでは、法令によって定められた範囲であれば誰もが物を持ち寄って販売することが出来る。そのお蔭か、通りの両端は所狭しと並んだ出店で埋め尽くされ、掘り出し物を求めた人で溢れていた。

 そんな中で、ここにいる大多数と同じように掘り出し物を探す親友の背中を眺め、オクタヴィオ・フローリオは溜息を()いた。

 歳は15で、鈍い金の髪に空を映し込んだかのような蒼の瞳を持つ少年だ。その容姿は道行く女性が思わず振り返るほど端整で凛々しいものだが、現在その顔にはそれを打ち消す程の呆れと疲労が浮かんでいる。


「……カイト。まだかい?」

「いやおい親父、これにそこまでの値段は―――っと、悪いオクト。もうちょい待って!」


 声を掛けられた、座り込んで店主と交渉していた黒髪の少年は一旦言葉を中断してオクタヴィオへと叫び返し、再び店主への説得を開始する。

 そんな様子を眺め、オクタヴィオは今までの経験則から「これはまだまだかかりそうだ」と察し、額に浮かんだ汗玉を袖口で拭い、通りの中央に並木とともに設置してある長椅子へと座り込んだ。


 エレフセリアは交易都市という名を取っているだけあって、商売に関する規定が他の都市よりも比較的緩い。このエイナ通りがその最たる例で、“蚤の市”と呼ばれる形態のこの市場は、簡単な許可を得るだけで誰もが出店を開くことが可能で、自分の要らない物を持ち寄って販売し、他の誰かの売り出すものを購入することが出来る。

 1年前から始まったこの市場は好評で、連日人に溢れ、盛況でない日は無いという程だ。

 この市場を利用して不当に一儲けしようとする人物や、税から逃れようとする悪徳商人を規制するのには手間取ったようだが、この盛況さを見れば施政者の努力も報われたと見て良いのではないか、とオクタヴィオは何となく考えた。

 そして、そのまま背もたれに身体を預け、天幕の合間から差し込む陽光に目を細め、最も、と1つ溜息を吐く。


 ―――この市場を考えた人はただ自分に都合が良いようなところを作りたかっただけみたいだけど。


 雲1つ無い空模様とは裏腹に、オクタヴィオが何とも言えない微妙な気持ちを抱えていると、交渉が上手く行ったのか、ほくほくとした表情で親友が帰ってきた。

 その背後では店主の男性が真っ白になっているように見えたが、気のせいだろうとオクタヴィオは視線を逸らした。余計な気苦労は背負わないに限る、というのはここ数年で覚えたことだ。


「いやー、良い買い物だったわ」

「……で、こんなに時間をかけて何を買ったのさ」

「おお、これだよ。ミスリル銀さ」


 ほれ、と親友―――カイトは銀色の金属の塊を取り出した。金属は曇りなく鏡のような光沢を放っており、陽光を反射してキラキラと輝いている。

 それを見て、へぇ、とオクタヴィオは驚きを露わにする。


「こんなところにミスリル? しかも結構な大きさだね」

「ああ。質はあんまり良くないみたいだけどな」

「ちなみに幾ら?」

「12万ユルド」

「……ミスリルだと考えたら安いけど、そんなぽんと出す金額でもないよね?」


 ちなみにエレフセリアの物価だと、1食1000ユルドもあれば十分で、そこそこ良い宿でも1泊1万ユルド前後だ。つまり、12万ユルドとは不自由なく1週間生活できる金額を軽く超える額であった。

 ミスリル銀とは、マナの溜まりとなっている場所で採れる金属で、マナによって金属の性質が変化しているためか、魔術の触媒や魔導具の素材として好まれる金属である。そして、その特徴や産出量の少なさからかつては(・・・・)他の金属と比べて高価な位置に存在した。

 銀と呼ばれるのはその見た目が通常の金属である銀に酷似しているためであり、ミスリル銀と通常の銀は似ているだけで全くの別物である。


「最近イストリアの研究者が人工的にミスリルを作る技術を開発したって聞くし、その類かもな」

「ああ、質は悪くてお金は掛かるけど、ってやつね」


 かつては、と言うのは、驚くべきことにマナのもたらす金属の変異を解析し、人工的にミスリル銀を作り出す技術が生み出されたからだ。とは言え、その費用は莫大な上に作り出せるミスリル銀は粗悪品で、それならば商店に足を運んだ方が多少は安く質の良いミスリル銀が手に入るという始末であった。


 だが、そもそも産出量が限られているミスリル銀を人工的に生み出せるのは革新的であり、高品質のミスリル銀やもっと希少価値の高い魔導金属を生み出すための研究は精力的に進められている。その過程で作られた大量のミスリル銀が市場に流出しているのだ。

 よって、質が悪めのミスリル銀の価格は急落し、逆に質の良いミスリル銀は高騰するという現象が発生したのであった。


「まあ首都に戻ったらリリアの工房に持ち込んで何とかしてもらえばいいさ」

「低めの純度を素人に買わせるつもりが逆に買い叩かれたってところか……ご愁傷様だね」


 ミスリル銀を腰のポーチに仕舞いこむカイトの隣で、オクタヴィオは先程の白くなった店主に若干の憐憫の念を抱いた

 それに加えて、オクタヴィオは職人でも弟子でもないカイトに何だかんだで無理難題を叩きつけられたり、工房を荒らされたりしているとある職人を思い浮かべ、心のうちで合掌をした。


「さて、買い物も済んだし帰るか。フローリオ卿も待ってるだろうしな」

「必要な物ならもう随分前に買い終わってるじゃないか、まったく」


 買い物が終わった後も目敏く買い叩けそうなものを見つけては交渉に移る、という悪癖を発揮しまくったカイトに苦言を呈し、オクタヴィオは本日何度目かの溜息を吐いた。

 その様子に流石に悪いと思っていたのか、痛いところを付かれた、とばかりにカイトは身体を仰け反らせた。


「ま、まあ勘弁してくれよ。全部逃すと次いつ買えるか分からない物だったんだよ。後でこの前作った魔導具の試作品やるからさ」

「別にいいけど、この前みたいな爆発はごめんだよ?」


 両手を合わせて拝んでくる親友に、オクタヴィオはやれやれと苦笑した。


 つまるところ、オクタヴィオの親友であるこの少年は“魔導具師”であった。

魔導具とは(マナ)を導く道具。簡単に言えばあらかじめ術式を組み込んでおくことで、万物の根源たるマナを流すことによって、手間を省略して魔術を行使することが出来る便利な道具の事だ。

 元々は魔術を上手く使えなかったり、術式の構成が甘かったり遅かったりする初心者用の補助道具、という程度の認識だったのだが、その認識はここ数十年で覆りつつある。

 何せ、この都市を丸ごと包み込む“大結界”は、そんな魔導具(その規模は戦略兵器と言っても過言ではないが)による賜物だからだ。凄腕の魔術師が10人集まっても出来ないことを、莫大なマナと大規模な装置が必要とはいえ魔導具1つで行っているというのだから、その認識が改まるのは自然な流れだろう。

 さらに、家庭用の安価な生活魔導具も次々に開発されており、最早魔導具は人々の生活に無くてはならない物となっている。


 そんな魔導具を生み出す魔導具師たるカイトは、オクタヴィオの数年来の親友である。元はオクタヴィオの父であるエドアルド・フローリオに雇われた私兵であるが、今ではオクタヴィオとその兄に続く3人目の息子のような扱いをされている。

 濡羽色の髪と朱の瞳はイリオスでは見ることが出来ないもので、本人曰く大陸の辺境の出身らしい。その珍しい容姿が目につきやすいことや本人の性格、また本人が治そうともしない体質(トラブルメーカー)もあり、“自由の街(裏通りの治安は悪め)”の異名を持つ交易都市エレフセリアでは、トラブルに巻き込まれる、または引き起こすことも多かった。


 肝心の技師としての腕だが、普段の飄々とした態度とは異なり魔導具が関わると目を輝かせて真面目に取り組んでいるためか、オクタヴィオから見てもその腕前は歳の割に、というか一般的な魔導具師と比べても卓越したものを持っていた。ただし、その独創的な発想から生み出される魔導具はどうにも理解の範疇を越えているものが多いのであった。


「爆発?」

「この前の“魔術反射結界”だよ。最初は凄いと思ったけど、結局失敗の上爆発したしなぁ」

「ああ、あれか」


 数日前に「データを取るから手伝ってくれ」と言われて渡された魔導具の事を思い出し、オクタヴィオは苦笑する。

 そして、苦笑で済んでいる自分の寛大過ぎる心を、驚きと共に諦めにも近い気持ちで受け入れた。もちろんそうなったのは目の前の親友(カイト)のせいである。


「うーん、まぁあれは仕方がない。現状の素材じゃあれが限界だ。術式に見合ってないから過稼動で壊れるとは思ってたけど、まさか爆発するとは思ってなかったし」

「壊れる前提だったら止めればいいのに」

「データ取りたかったし。それに念のため防護の魔導具渡してただろ?」

「身を守る結界の起動のために身を守る魔導具を使うって言うのもなかなか皮肉が効いてるよね……怪我は無かったけどさ」

「まあ、俺が使っても意味ねぇし。勘弁してくれ」

「自分で作ったくせに」


 そうしてはあ、とオクタヴィオは溜息を吐いた。「幸せが逃げるぞ」という言葉に「誰のせいだよ」と返すのは2人にとって既にお約束(テンプレート)だ。

 とは言え、オクタヴィオにとってカイトの腕が確かなのは間違いない。彼の製作した魔導具は知己のある魔術師からも絶大な評価を得ており、信頼のおける商人や鍛冶師を通して一般に売られているし、オクタヴィオ自身が命を預ける剣もカイトによって魔導処理が施された魔導剣だ。

 結局のところ、普段から迷惑と共にだがカイトの魔導具の恩恵を受け取っているオクタヴィオは、たまには彼の実験に付き合ってやるのも(やぶさ)かではなかったりする。


 ―――まあ、被害を受けるのは勘弁したいけど。


 既に寛容さはやんちゃな子供を見守る親の域にまで達しているオクタヴィオであった。


 閑話休題(それはともかく)


 目的を済ませ石畳の通りを歩く2人の話題は、次第に今後の、それもすぐ先に迫ったことへと移っていった。


「にしても、長期休暇もこれで終わりか」

「君はほんと楽しんでたよね。主に材料集めで」

「そりゃな。何てったってここは“交易都市”だぜ? 普通じゃお目に掛かれない物がゴロゴロあるからな!」


 そう言ってカイトは大きく伸びをして笑う。

 だが、すぐに腕を降ろして項垂れた。


「……あと1週間もしないで“学院”に戻るとか信じらんねぇ」

「信じるも信じないも事実でしょ」


 項垂れたカイトにオクタヴィオは素気無く返した。


「信じる者は(すく)われる、って言うだろ?」

「それで足元(すく)われちゃ意味無いでしょ」

「おお、敬遠なる女神様の使徒になんてことを」

「だったらせめて普段の礼拝くらい真面目にしなよ。怒られても知らないからね」

「へいへい」


 相変わらずな笑みを浮かべるカイトを目線で促して、オクタヴィオは少し歩くペースを上げた。


 “学院”。正式名称を“イリオス国立首都上級学院”と言い、イリオスに存在する学校の中でも最高峰の設備と人員が集められた教育機関である。首都アヴリオの中心区に程近い場所に存在し、身分を問わず試験に合格した将来を担う有能な者が知識、技術を学ぶ学校である。

 6年制で、入学する歳は多少のバラつきはあるが、大体10代前半から20歳前後にかけての学生たちが“学院”で学ぶ。また、イリオスが技術の最先端を進んでいるということもあり、“留学”という制度を使い同盟国から学びに来る学生もいる。


 “学院”が学術都市イストリアではなく首都にある理由もここにある。首脳陣は、云わばお客様である留学生たちを学術都市の変人、もとい研究者たちに任せることを危惧したのだ。そもそも、イストリアの研究者は悪名高き彼の“魔導王”の例に習い、国際事情など気にもせずに自身の興味のあることに対して猛進している者が大多数であるため、まともな講義が行われないならまだしも、最悪己が気に入ったからと言う理由で部外秘の技術すら流布しかねない。よって、“学院”の教員は政府の審査を通過した者のみが務めている。

 そんな“学院”は、世界でも有数の恵まれた環境を持つのだが。


「あそこだとなぁ。自由に魔導具作らせてくれないし」

「それは君が前に研究棟の一部を吹っ飛ばしたからでしょ。それにどうせ寮で隠れて作ってるくせに」

「あんなところじゃ精々スーパーオクタヴィオ号の整備しかできないさ」

「……その名前まだ使ってたの?」


 そう言ってオクタヴィオが目を向けたのはカイトの左手。その手は1枚の木の板を持っていた。とは言え、ただの木の板ではない。反りの入った流線型の木の板に、魔導具がゴテゴテと備え付けられたボードである。

 スーパーオクタヴィオ号というのはカイトが冗談で付けた名前、愛称であり、この木板の正式名称は“スカイボード”という。スカイボードは今イリアスの一部で注目を浴びているスポーツ用魔導具であり、ローラーボードの空中版とも言うべきものだ。飛行魔術によって滑るように空を飛ぶことが出来るのである。


 空を飛ぶ魔術はいくつか存在する。局所的に空気抵抗を操って足場にしたり、引力を操って上空へと“落ちる”など、低難易度のものからほぼ不可能なものまで様々だ。その中でもスカイボードは抵抗操作と速度増加を併用して採用している。超加速によって空気のレールを伝って飛び上がり、滑空するのである。

 登場した始めはそのコンセプトや発想が注目されたのだが、飛行魔術を併用して採用したせいで恐ろしく高難度な魔術と体捌きのコントロールが要求されるようになってしまい、また、その飛行形式も癖があり、自身に飛行魔術を掛ける方がまだ簡単という完全にお遊び用の代物として扱われていた。だが、カイトはこのスカイボードが大のお気に入りで、改造どころか1から自作したものを愛用している。


「えー、良い名前だろ。スーパー以下略号」

「だったらせめて略さないであげて」


 適当な会話をしながらも歩いていると、オクタヴィオは歩く先で何やら人だかりが出来ていることに気付いた。


「ねぇカイト。あれは―――って」


 その人だかりが何なのかを隣を歩いていたカイトに聞こうとしたオクタヴィオだったが、そこに既にその姿は無く、前を見るとスカイボードで人の頭上をスイスイと進む相方の姿があった。


「……まったく、野次馬根性丸出しじゃないか」


 だから騒動に巻き込まれるんだよ、と確信にも近い思いを浮かべる。

 苦笑して、オクタヴィオは先を進む相方の背を追って人混みへと潜っていった。



 ◆ ◆ ◆



「おっと、失礼するよっと」


 危うくボードを他人の頭にぶつけるところを身体の軸を移すことで躱し、騒ぎが見える位置まで進む。好奇心が抑えきれていない顔で騒ぎの方向を眺め、よく見える位置まで来たところで静止した。


「だから、困るって言ってるじゃないですか!」


 (まば)らな人混みの中心では何やら口論が発生しており、それが騒ぎの原因のようだった。

 口論をしているのは出店で商品を販売している若い―――幼いと言っても過言ではない程度の売り子の少女と、客であるらしい2人組の男の片割れだ。男たちは腰や背中に剣を吊るしていることから傭兵や何でも屋のような戦闘家業の者と推測でき、特に少女と口論をしている男は屈強な体格な上に凄むとなかなかに迫力がある相貌だった。逆に言えば、それと真っ向から相対している少女は相当に肝っ玉が据わっているらしい。


「あの魔導具は売れないんです!」

「あァん? じゃあ何で店に出してんだよ! 店に出してるっつーことはオキャクサマに売るってことと同じだろうが!」

「おいおいラルフ、人も集まって来たしその辺にしとけよ」

「うっせー! 黙ってろ!!」


 後ろに控えていた柔和そうな仲間の言葉を一蹴し、男―――ラルフは再び少女に喰って掛かる。手を上げないほどの理性は残っているのか暴力行為は行われていないが、凄むラルフの凶悪な顔つきもあり、場はいつ暴発してもおかしくない雰囲気となっていた。

 そんな様子を見守るカイトを始めとした野次馬だが、心配そうな表情はあるものの、内心大事になるとは思っていなかった。何せ、これだけ野次馬が集まっている中で暴力沙汰に踏み切るのは相当周りが見えていないと不可能だ。その上、イリアスの法整備は世界屈指であり、一番治安が悪いと評判のエレフセリアでさえ平均的な国家の首都と同等以上の治安が保たれている。市街警備隊による犯罪者の検挙率も高く、人々は悪漢から襲われる心配を基本しなくていい。しかも、裏通りならまだしもエイナ通りはメインストリートに近い位置付けで人通りも多い。犯罪者の末路が良いものではないことは誰もが知っているため、犯罪に発展することは無いだろうと思っているのである。

 とは言え、流れ者が犯罪を起こすことは間々あるため、この男もその類だろうな、とカイトは推測した。


 それよりも、と口論から目を離し、売り子の少女が立つ店の奥に目を向けた。

 カイトが考えるのは先程の少女の言葉に出てきた魔導具についてだ。売る人を選んでいるのか単に売る気が無いのかは分からないが、他国に比べて魔導具で溢れているこの国での秘蔵の一品である。魔導具師の道を歩む者として、気にならない訳がない。


「これは使用者を選ぶ物と聞いています! お引き取りください!」

「んだとゴラァ! 俺の実力が不足してるって言いてぇのか!!」

「少なくともわたしはあなたでは駄目だと判断しました!」


 そんな言い方は駄目だろうに、と苦笑する。いくら口論で激情しているせいだとは言え、少女の言は完全に相手の男への礼を欠いている。少女の年齢を考えれば肝っ玉こそ十二分だろうが、それだけでは商人失格である。エイナ通りは誰でも許可を取らずに店を開けるため、少女が商人だとは限らないのだが。

 また、それと同時に少女の言葉を受けて魔導具に対する期待をさらに深めた。

 善は急げ。彼の中に存在するいくつもの格言のうちの1つに従い、目を輝かせたカイトは口論の場へと近づいて行った。

 そして、それを見て溜息を吐くのはようやく人混みを抜けて前に出てきたオクタヴィオである。


(ああもう、あの馬鹿。どうせ魔導具を見に行ったんだろうけど今行って場をややこしくする必要ないのに……)


 口論は聞こえていたので状況は何となく把握している。立場的に見過ごせないか、とオクタヴィオも口論の場へと渋々足を向けた。


 一方、少女と口論をしているラルフはいい加減我慢の限界を迎えていた。元々熱しやすく冷めやすい性格であるラルフではあるが、自分よりも遥かに小さい子供の言葉を真に受けて口論をするなんてことは稀にしかない(稀にあることはこの男の性格を如実に表している)。

 だが、イリオスに渡って来る直前に受けた依頼にて、依頼主に散々舐められた態度を取られたことで虫の居所が悪かったのだ。相棒であるユーリスが取り成していなかったら依頼主だろうと王族貴族だろうと殴っていた自信のあるラルフである。そのイラつきは相当なもので、1日経った今でさえも思い出すだけで怒りが再燃するほどだ。そして、実際に些細なことで再燃し、少女との口論へ発展してしまっている。

 少女の方も普段は丁寧な対応なのだが、敬愛する祖父に一時とは言え任された店にガラの悪そうな男がやって来たことで少々空回ってしまっているのだ(その相方の優しげな風貌の男は目に入っていない)。所用で店を空けている彼女の祖父が居たならば話は変わっただろうが、双方にとって運が悪かったとしか言えないだろう。


 口論は坂を転げ落ちるような勢いで熱を増していき、遂に堪忍袋の緒の切れたラルフが右腕を振り上げた。


「テメェ―――」

「はいそこまで」


 だが、握られた拳が少女へと振り下ろされることは無かった。後ろから伸びた手がラルフの右腕を止めたのである。

 すぐさま掴まれた手を振り解いて拳を構えながら振り返るラルフだが、突如背中に衝撃を受けてつんのめる。一歩下がっていた相棒であるユーリスが背中を蹴り飛ばしたのだ。


「何すんだテメェ!」

「やり過ぎなんだよ。もっと周りを見ろって」


 溜息をつくユーリスに対し、顔を(しか)めるラルフ。自覚はあったが止まれなかったのが、今のやり取りで熱が冷めたようだ。

 チッ、と1つ舌を打ってそっぽを向く相棒に苦笑して、ユーリスはラルフの拳を止めたオクタヴィオへと振り返る。


「相棒が迷惑をかけたね。すまなかった」

「いえ、何か問題があっては困るのはこちらも同じなので。何も無くてよかったです」

「腕は良いんだが馬鹿で短気で短慮で喧嘩っ早い奴でね。しっかり教育しておくよ」

「おいコラ」

「あ、あはは……」


 艶のある茶色の髪を靡かせ、爽やかな笑顔でさらっと相棒を罵倒するユーリスに、オクタヴィオは苦笑するしかなかった。

 集まっていた群衆も口論も収まった様子を受けて散り散りになっていき、ユーリスと話しながらもオクタヴィオは心底ほっとしていた。


「しかし、ラルフの腕を止めるなんて、意外と鍛えているのかな?」


 その瞬間、オクタヴィオにはキラッとユーリスの目が光ったように感じた。そして、その言葉に応じてラルフも「ほう」とオクタヴィオを見やる。

 あ、駄目だこの人もまともそうに見えて戦闘狂だ。

 オクタヴィオは曖昧な笑みを浮かべて若干後ずさりつつも救いを探す。主にカイトのせいで日々トラブルに巻き込まれていることで、面倒事は極力避けるスタンスなのだ。

 すると、横合いから再び口論が聞こえてきた。


「嫌ですあなたみたいなひょろい人にお爺様のお宝を売るなんて! こっちのでいいじゃないですか!」

「はあ!? ふざけんなそれただの魔導ストーブじゃねぇか! この夏真っ盛りの中で何て物売りつけようとしてんだ! つーかひょろくねぇし細マッチョなんですー! 売る気ないならちょっと回路を見せて欲しいんだって。それだけで理解出来るから!」

「なっ!? あなたみたいな人にお爺様の貴重なお宝が理解出来るとかふざけないでください!! 一昨日来やがれですこのもやし!!」

「んだと!!」

「何ですか!!」


 そこには、先程までラルフと口論をしていた少女と自分の親友(カイト)が大人げなく口論を繰り広げている光景があった。


「……何してんのさ」


 精根尽き果てた、とばかりに肩を落とすオクタヴィオに、ユーリスが慰めるようにその肩を軽く叩いた。


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