第十六話 ≪親善の儀、当日≫
時は進み、帝国との親善の儀、その当日となった。
例年は式典など行われず、事前に話し合われている条約更新の内容を確認し、少々の会談を行って終了なのだが、今年に限って“式典”という祭りが行われるため、イリオス中の人々が朝から―――気合が入った者は前日から―――アヴリオに集まり、その開催を今か今かと待っていた。
“式典”とは言うが、言ってしまえば皇族が訪れることに託け、「互いの友好を願って」という名目でイリオス側が勝手にお祭り騒ぎをしているだけである。帝国側もイリオス国民の前でのスピーチを行うなど、政治的な駆け引きが存在しない訳ではないのだが。
そんな式典の当日の朝早くに、オクタヴィオは商業区画アークイラの大通りに面するとある喫茶店へと訪れていた。そして、窓際の席に座ったオクタヴィオは痛む頭を誤魔化し、必死に考えを巡らせていた。
喉が訴える渇きに従って目の前に置かれた紅茶のティーカップに手を伸ばすが、持ち上げた感触は軽く、覗き見るとカップは既に空だった。
「じゃ、そう言う訳で。オクト、よろしくね」
「よろしくお願いしますね。オクタヴィオ様」
目の前に座るのは、へらへらとした笑みを浮かべた金髪蒼眼の中年男性と、隣の男とは異なり、優雅な笑みを浮かべた赤髪金眼の美少女である。
その2人からさも当然のように「よろしく」と言われ、オクタヴィオは自身に拒否権が無いことを悟った。
―――どうしてこんなことになったんだろ。
状況が既に手遅れであることを突きつけられ、オクタヴィオは思わず引きつった笑みを浮かべ、静かに肩を落とした。
事の始まりは今朝まで遡る。気合を入れて親善の儀の当日に臨んだオクタヴィオだったが、式典のために事前にエレフセリアからやって来ていた父、エドアルドに急遽呼び出されたのである。
その時点で若干嫌な予感を感じてはいたが、流石に無視するわけにもいかず、呼び出された際に父に言われた通り制服に着替え、恐る恐る指定された喫茶店へと向かった。指定された喫茶店は立地もよく知名度もある人気店だったが、時刻はまだ早朝の時間帯であり、今日は休日と言うこともあって出勤前に朝食を求めて訪れる客もおらず、要するに空席が目立っていた。
いらっしゃいませ、と頭を下げる店員に会釈して店内を見回すと、窓際の日当たりの良い席に父と見知らぬ少女が隣り合って座っているの発見し、少々疑問に思いながらも近づく。
ある程度近づいたところでこちらに気が付いたのか、エドアルドはオクタヴィオへと声を上げた。
「ああ、オクト。朝早くから悪いね」
「だったらもう少し時間を遅くして欲しかったけど」
「いやぁ、なかなか時間の調整が難しくて。ま、座りなよ」
悪びれずに笑いながら向かいの席を示すエドアルドに従い、渋々と言った体でオクタヴィオは席に着いた。
客が少なく暇なのか、すぐさま注文を取りに来た店員を見て、オクタヴィオはメニューを軽く掲げてエドアルドに視線を送る。そんなオクタヴィオにエドアルドは苦笑し、頷いて返す。
「えと、じゃあ一番高い朝食のセットで」
「容赦ないねオクタヴィオさん。カイト君の影響かな」
「それはちょっと嫌だなぁ。あ、店員さん。さっきの無しで、このサンドイッチと紅茶のセットください」
一礼して戻って行った店員を送った後、さて、とオクタヴィオは話を切り出す。
「何で呼び出したのかも聞きたいけど、取りあえずそちらの方の紹介をしてもらっていい?」
オクタヴィオが示したのは、エドアルドの隣に座っていた、オクタヴィオと同じ金髪蒼眼の少女である。典型的なイリオス人の特徴を持つ少女だが、父とどのような関係なのか見当もつかない。
オクタヴィオをこの場に呼び、かつ制服指定をされたということは変な関係ではなく、どこぞのご令嬢の可能性もあり得る。だが、いくら歳の割に若く見られる父でも、オクタヴィオよりも年下にしか見えない少女を連れているのは如何なものか。
「ああ、彼女はアンジェ。イリオスには短期間だけど勉強に来ていてね。僕の仕事の関係で知り合ったんだ」
「あれ、イリオスの人じゃないの?」
「ん? ああ、そうだよ。彼女はイリオス人じゃない」
すると、アンジェと紹介された少女は、胸に手を当て口を開く。
「初めまして、オクタヴィオ様。アンジェと申します」
「あ、これはどうもご丁寧に。オクタヴィオ・フローリオと申します」
双方が頭を下げたところで、店員が頼んだ料理を持って来る。それを受け取り、再び店員が戻って行ったところで、さて、と今度はエドアルドが口を開く。
「それじゃ、本題に移ろうか」
そう言って、エドアルドは懐から鶏の卵程度の大きさの物体を取り出す。コトッ、と木のテーブルに置かれたそれは、金の身体に緑の装飾がされ、銀の傘が付いていた。小さくとも高額そうな一品で、喫茶店のテーブルの上でどこか場違いな雰囲気を醸し出している。
「……魔導具?」
「うん、正解」
オクタヴィオの疑問に答えたエドアルドは、そのまま手を伸ばして銀の傘を押し込む。すると、カチッ、という音を発して小さな魔術式が起動する。その直後、オクタヴィオは周囲の様子が少し変わったことに気付いた。何が、とは言えないし、意識しなければ気付かない程度だが、どこかがおかしいことを感覚が教えてくる。
「何だろ、これ。歪みというか……何か変な感じ」
「気付いた? 簡単に言うと認識阻害だね。周囲に僕たちが話してる内容を分からなくする魔導具だよ。原理はよく知らないけど、声を乱すらしい。これの周囲で行われた会話は、聞こえても認識できないんだ。便利でしょ?」
「……へぇ」
意識したつもりは無かったが、オクタヴィオの声色が一段下がる。珍しい効果を持つ魔導具に興味もあったが、それよりも先程から何となく感じていた嫌な予感が明確な形となってオクタヴィオに突きつけられたことが問題だ。説明された魔導具の効果は、これから周囲に聞かれてはいけないような話をすると言っているようなものだった。
警戒するオクタヴィオに苦笑し、エドアルドは再び懐から何かを取り出し、テーブルに置いた。
それは、フレームに小さなマナ結晶がはめ込まれた、銀縁の眼鏡だった。
「これは?」
「まあ、掛けてみなよ」
恐る恐る手を伸ばし、品の良さそうな眼鏡に触れる。そこで一度エドアルドへと視線を向けるが、エドアルドはオクタヴィオを見ていつも通りへらへらと笑っていた。過去にカイトに「フローリオ卿はキツネみてぇだな」と言われた笑みである。父は要職の官僚にしては比較的年若く、加えて顔立ちも若々しく、笑みを浮かべる姿は初見の人ならば好青年と思わなくもない。だが、エドアルドの実際を知っている人々が見れば、「また何か企んでるな」と思わずにはいられない、そんな笑みである。
オクタヴィオの父であるエドアルド・フローリオは外交を担当する外務局上がりのエリート官僚で、現在は交易都市エルフセリアの市長を務めるイリオスの最重要人物の1人である。政治家としての経験はベテラン官僚には数歩劣るが、他者の心理分析に優れ、優秀な部下の引き抜きや事前の根回しを得意とする交渉の達人である。その腕前は、アヴリオ市長を務める軍人気質なベテラン官僚をして「奴は政治家として優秀だが、詐欺師としても優秀に違いない」と言わしめるほどである。
「いつも通り」へらへらと笑う父を見て色々と諦めたオクタヴィオは、大人しく指示に従い、銀縁の眼鏡を掛ける。
すると、目の前の光景にある変化が訪れた。
「…………へ?」
喫茶店の様子は変わりなく、向かい側で笑みを浮かべる父も変わりない。その笑みがどこか面白がるようなものに変わった気はするが、特に気にする必要はないだろう。
変化したのは、その隣に座る少女である。それまでは金髪蒼眼にありふれた顔立ちのごく普通なイリオス人であった彼女であるが、眼鏡をかけた瞬間、その相貌は全く異なるものへと変化したのだ。
金の髪は燃え盛る炎のような緋色に、蒼の瞳は黄金のような金色に。顔立ちも一変し、一瞬前は一般的なイリオス人の特徴を踏まえた顔であったはずが、今では気品を纏う令嬢へと変化を遂げた。
そして、緋色の髪に金の瞳という組み合わせはイリオスではあまり見ることが無い。というよりも、世界中でも稀である。その理由は簡単で、緋色の髪に金の瞳の組み合わせは帝国皇帝の象徴であり、その血族しか持たない希少なものだからである。
呆然とした様子のオクタヴィオに、少女は先程とは違う美貌で、先程と同じように微笑みかける。
「改めて、自己紹介いたしますね」
その言葉に、あ、声は同じなんだ、と何故かそんなことを思った。他に思うこともあるだろうに、驚きの余り思考が麻痺してしまったらしい。
「イフェスティオ帝国第三皇女、アンジェリカ・グラナティス・イフェスティオと申します。以後、お見知りおきを」
根っからの小市民意識を持つオクタヴィオの思考がしばらく停止したのは、無理ないことだろう。返せた反応は、上ずって聞き取り難い「……え?」という少々無礼な返答だった。
混乱する頭で何とか再度自己紹介を返した後、庶民が利用する喫茶店にれっきとした皇族、それもイリオスとは比べ物にならないほどの超大国の皇女が居るというのは何とも場違いな気がするなぁ、と。未だ思考が麻痺したままのオクタヴィオはそんなことを思い浮かべた。
そうして、辛うじて引きつった笑みを浮かべるオクタヴィオに、アンジェリカは優雅に微笑んで見せた。
数分後、麻痺から回復したオクタヴィオは、全ての元凶であると思しきエドアルドへと声を掛けた。
「で、どういうこと?」
「その眼鏡かい? それは彼女の変装魔術を中和する機能があって、それを掛けてる人はありのままの姿を見ることが出来るんだよ」
「正確には、わたくしの認識阻害魔術の対象にならない仕掛けがしてあるので、結果本来の姿が見える、と言う仕組みですよ」
「ちなみにこの顔は僕の部下の1人でね。普通に成人している立派な女性だけど、ちょっとばかし行き過ぎな童顔だから顔を借りさせてもらったんだ」
「いや、説明はありがたいんですけど、そうではなくて」
ははは、ふふふ、と笑い合うエドアルドとアンジェリカに制止をかけ、眉間を押さえたオクタヴィオは再び疑問を口にする。
「何でここに……えー、皇女様がいらっしゃるのですか?」
「アンジェ、で結構ですよ、オクタヴィオ様。知らぬ仲でもありませんでしょう?」
「知らぬ仲でない? え、ちょっと分からないことが多すぎて混乱してきた……」
再び発せられたアンジェリカの言葉に、オクタヴィオは必死に記憶を探るが、それらしい記憶は思いつかない。
だが、よくよく考え、もう一度アンジェリカを見ていると、その姿からはどこかで会ったかのような既視感を覚える。
すると、容量限界のオクタヴィオに、目を伏せたアンジェリカが語りかけた。
「……覚えていらっしゃらないのですか。昔のこととはいえ、少々寂しいですね」
「え、いや、あの、その。す、すみません……」
罪悪感から肩身が狭くなったオクタヴィオだったが、対するアンジェリカは堪えきれぬとばかりにふふふ、と笑い声を漏らす。あれ、と疑問符を浮かべたオクタヴィオが顔を上げると、そこには悲しげな表情を彼方に消し去った、微笑むアンジェリカがいた。
「冗談ですよ、オクタヴィオ様。わたくしたちが出会ったのは12年前。当時3歳の頃です。わたくしも、エドアルド様や執事の爺やに聞くまで覚えておりませんでしたもの」
「まったく、オクトはせっかちだなぁ」
「…………ああ、はい。そうですか」
ジクジクと胃が痛む感覚がしたが、オクタヴィオはひとつ息を吐くことで何とか平常心を保つ。
相も変わらずははは、と笑うエドアルドがひたすら癇に障ったが、全く進んでいない話を進めるため、オクタヴィオは頭痛を無視して口を開いた。
「それで、僕を呼んだ理由は?」
「ああ、実はアンジェはイリオスの文化に興味があるらしく、アヴリオを案内することになったんだ。ただ、僕はそれなりに忙しいし、それならってことでオクトにお願いしようと思って。オクトは普段こっちで生活してるし、適任でしょ」
なるほど、そう来たか。オクタヴィオは予想とは違う搦め手が来たことに、どう対処すべきか頭を回転させる。いや、一昨日ダガーに言われた時にも考えたが、そう簡単に皇女に会わせるのはどうなんだとも思うが。
とにかく、エドアルドの注文は大国の皇女の案内役を務め、加えて皇女が疑問に思ったことに対して的確な答えを返せ、と言うことである。もちろん、何か粗相があれば国際問題に発展しかねない。アンジェリカの様子は友好的なものであるし、多少の粗相程度なら問題なさそうにも見えるが、どちらにせよ胃が痛むことに違いは無い。
「オクタヴィオ様のことはよく聞いておりますわ。貴方なら問題ないだろうと帝国側も納得しています」
覚えのない信頼に足元が揺らつく思いだが、それでもオクタヴィオは反論の言葉を口にする。見たところ帝国の人間はアンジェリカひとりで、エスコートですら自信が無いのに、大国の姫君を万難から守るなど、そんなこと到底出来るとは思えない。
「ぼ、僕が同行するのは言いにしても、他に帝国側の人は? 姫様1人だと流石にまずいんじゃない?」
「心配しなくていいよ。オクトが思いつきそうなこともそうでないことも、全部議論して承認させた後だから。対策はしてるから、オクトは気にせず案内に注力すれば大丈夫だよ」
「はい。わたくしも帝国の姫としてでなく、ただのアンジェとしてイリオスを見学したかったのです。フローリオ市長の提案は渡りに船でした」
「いやぁ、そう言ってもらえると企画した甲斐があるね」
笑い合う2人を前にして、とうとうオクタヴィオは抵抗する気力を失った。エドアルドとアンジェリカに告げられた言葉によって完全に逃げ道が無いことを察したのだ。しかも、どうやらこれは前々から計画されたことであるらしい。
どうやら今朝の嫌な予感が的のど真ん中を射抜いたことを認めざるを得なかった。
「じゃ、そう言う訳で。オクト、よろしくね」
「よろしくお願いしますね。オクタヴィオ様」
笑みを浮かべる2人を前にして、オクタヴィオはどうすることも出来ず、ただ曖昧な笑みを浮かべて頷くしかなかった。
今日は何かが起きると覚悟して寮を出てきた訳だが、その波乱の幕開けはどうも予想の斜め上から飛び込んできた出来事なのであった。




