高校生になりました
季節は巡って夏となった。
いつも通りの朝。定時に起き上がってご飯を食べた後、歯磨きして制服に着替える。ここまで擁した時間は30分以上。
鏡の前で髪を整えてから、二階へ上がる。
「お兄ちゃん、準備できたよー」
返事はない。
それもその筈、お兄ちゃんはベッドで安らかに眠っている。
小学校に交通事故に遭ってから、お兄ちゃんは眠ったまま起き上がることはない。
話し掛けても応えてくれないけど、私は通学前に必ず話し掛けるのが日課だ。
「今日はどんな夢を見てるかな? 私はね、お兄ちゃんと異世界にいたんだよ」
お兄ちゃんがいなかったら、何も出来なかっただろうな。ブラコンが病んじゃって大変だったけど、お兄ちゃんと一緒にいれて楽しかったから良しとする。
でも、最後の自殺は何だったのだろう。そんなに嫌気がさしていたのだろうか。
「真相は本人のみぞ知るってね」
異世界のことを話していたら、遅刻寸前の時間帯に迫った。
「じゃあ行くね。あんまり幸平さんたちを待たせるといけないから」
握った手はまだ温かかった。
あの自殺行為は現実じゃなくて良かった。
階段を下りて鞄を持ち、玄関を出る。
「おはよう、凜ちゃん。今日も良い天気ね」
2つ上の高校三年生。真田幸平さん。
黒髪の綺麗な美人さんで優しい女性だ。一途で未だに初恋を引きずっている。
「おはようございます、幸平さん」
「早くしないと遅刻するよ?」
「すみません。兄と話してたら、時間を忘れちゃって」
「まだ眠ったまま?」
「はい。可愛い寝顔です」
「そっか。なら、今日も訪問していい?」
「はい。いいですよ」
笑顔で応じる。お兄ちゃんの寝顔はいつだって可愛いから、ただの自慢です。というか、幸平さんはいつも来てるよね。
歩いて学校へ向かいながら、私は別のことを考える。
兄と関わりが深かった3人だが、先ずは彩華さんについて述べたい。彼女は白雪ちゃんと一緒に自由に野鳥を観察している。
桜さんだけど、苑馬って人に口説かれて困ってるみたい。でも、満更じゃなさそう。
玲さんなんだけど、あの人はアイドル活動で忙しいみたい。可愛いし歌も上手だから、売れるんだろうね。ギャップもスゴい。
「何だか全て夢だったみたい」
「確かに。氷雨ってあんなに残念だったかな」
「お兄ちゃんと一緒にいれて楽しかったから、そんなこと全く思わなかった」
「あれが本当なのかもね。あんなに楽しそうにしているのが」
小さい頃を思い返してみれば、お兄ちゃんが笑ったところなんて一度もなかった。
「お兄ちゃん、一体何がしたくて自殺行為に走ったのかな」
「簡単よ」
「何が?」
気になる。
「あの時の事故、本当は凜ちゃんが巻き込まれるハズだった。それを書き換えたかったんじゃないか」
「お兄ちゃんが?」
「アイツは詰まるところ凜ちゃんが好きだったの。他の誰でもない貴方を」
「でも、私とお兄ちゃんは」
「いいじゃない。唯一の肉親は貴方であって私でもなければ、氷雨と貴方の両親じゃない。助けたいと考えるのは必然よ」
「……でも、それで自分が目を覚まさなくなるのはダメじゃない」
全然ハッピーエンドにならない。
「世の中、全てが上手くいくとは限らないでしょ? 誰かを助けるには、対価を支払わなければならない」
「そんなのヒドいよ」
「現実を見なさい。現に凜ちゃんは生きててアイツを眠ったままよ。それにどの道……アイツは眠ったままになってたから」
幸平さんが見せた悲しい表情に黙って俯いた。お兄ちゃんは私が死んだら、卒倒して眠ったままになっていたのは訊いていた。
結局、結末が同じだから私を助けたのだろう。
だけど、そうであったとしても。
「自分を犠牲にするなんて間違ってる」
「質問。凜ちゃんが見ず知らずの人間と氷雨のどちらかを助けたいとします。でも、そうした場合、凜ちゃんは代わりに死ぬことになります。どっちを助ける?」
「そんなの……」
「私は氷雨を助けるわ。だって何で見ず知らずの他人のために命を捨てなきゃならないの。そう考えるのは当たり前で、氷雨は凜ちゃんの兄であり、大好きな人なの。命懸けで助けるのは当たり前じゃない」
「それは……」
「おとなしく感謝して学校着いたわよ」
遅刻だった。
ラブレターの波に呑まれたのもあるし、丁寧に拾い上げてまとめたのもある。
溜め息を吐きながら席に座る。
「重役出勤ご苦労さん」
「皮肉はやめて」
隣の席の井上夏樹くん。毎度のように皮肉をかましてきては、笑って受け流す。
でも、時たまドキッとするようなカッコいいことを間近で喋るもんだから、端正な顔立ちが近くに迫って心臓に悪い。
「重役になると大変だぞ。給料も大して増えないし、責任ばかり重くなる」
「私は重役になんかならないわ。寿退社と玉の輿を狙う」
「頑張るねー。そういう人って30歳過ぎたあたりでやっと結婚できるってさ」
「ハゲろ」
「そこの2人、うるさい!」
チョークを投げられて額に当てられ、涙目で井上くんを睨む。彼もチョークを額に命中されていた。
「どっかの誰かさんが騒ぐから」
「アンタもね」
クラスのヤツらがニヤニヤと見つめる中、私は顔を赤くして井上くんを睨み返した。
その日も通常通りに学校が終わる。
別に井上くんが好きなワケないんだから、勘違いしちゃダメなんだからね!
幸平さんと一緒に帰り、二階のお兄ちゃんの部屋へ行く。
「こんにちは、氷雨。相変わらず気持ちよく寝てるね」
「死んでるか生きてるか分かんないね」
「いつまで眠ってるのかな」
「分かんない」
幸平さんは油性ペンを使って顔に落書きを始める。毎日やっていては、消しているのは私だ。
「今日はどんなのにしようかな。……そうだ、凜ちゃんに好きな人が出来た記念にヒゲを書こう」
「いきなり何言い出すのさ! 私に好きな人なんていないんだからねっ!」
「あら、同じクラスの井上夏樹くんだったかな? 彼は違うんだ」
「違います!」
「ただのイケメンじゃなくて、ちょっと特殊な性格の人が好きなんでしょ? ストライクじゃん」
「あんな変化球な人じゃないから! それにまだ……付き合ってもないし」
「おやおや」
ニヤニヤと口元に手を当てて横目で見つめる。
「それにそういう浮ついた話でもしないと、話題が少ないじゃない」
「だからって井上くんのことを話題にしないでよ!」
「私、自分が恋愛するより他人でしかも凜ちゃんの恋愛を見学するのが好きなの」
「何このストーカー! 早く何とかしないと!」
「いいじゃない。私は応援してるから、凜ちゃんと井上くんの恋愛を、ね。氷雨もそうでしょう、ねー」
恥ずかしくて悶死しそうだ。こんな苦行を強いるとは、神様は相当な暇人なのかな。
「もーやめてよ。彼とはそういう関係じゃないし、何より私にそんな暇はありません」
「別にいいのよ。氷雨の面倒は私が見るから、貴方は自分の幸せのために邁進しなさい」
幸平さんはどうして……。
「私のためにそこまでしなくても……」
「私のことは気にしないで。氷雨以外の人間とくっつきたくないし、それに氷雨は凜ちゃんの幸せを選んだのだから応援するのがお姉さんの勤めよ」
さすがにここまで言われちゃうと、頑張るしかない。
「お兄ちゃん、絶対に幸せになるからね」
お兄ちゃんが目覚めることはなかった。
完結です。
長い間、応援していただきありがとうございました。
次回は日常の青春を題材にして、学校生活を描きたいと思います。




