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顔のない男

……………………


 ──顔のない男



 ネプティスで掴みかけた希望は儚いものだった。

 知識の宝庫であるネプティスならば、ルナリエンを発展させる術があるとそう信じていたリリエルの希望は砕かれようとしていた。


「それでも私は諦めきれず、何か方法はないかとあらゆる大学の人間に質問した。私たちが主食として食べられる植物が無理ならば、せめてホワイト・ピーク以外の価値ある植物を、それもダメならば鉱石などはどうかとね」


「その結果は?」


「どれもダメだった。主食とならない植物でも育てるのは難しいと言われ、鉱石に関しては現地を調査しなければ何とも言えないと言われた。そして言うまでもなく今はルナリエンに人間の学者が招ける状態ではなかった」


 ルナリエンは寒冷地であり、同時に山岳地帯だ。

 気温は常に低く、天気は気まぐれで水はあったりなかったり。

 その環境はアフガニスタンの山岳地帯に似ている。

 本来ならば草木ですらろくに生えない場所に辛うじて精霊の力で森が形成されているだけなのだ。


 地質学調査を行いたいという学者はいたが、ルナリエンの場所が魔族の土地に位置していることを知るとどの学者もすぐに諦めたとリリエル。


「ネプティスへの遠征は我々にとって惨めな結果になろうとしていた。そんなときだ。再びステュアートが接触してきた。彼は『どうだったか? 何かホワイト・ピークを手放せそうな手段は見つかったか?』と尋ね私は首を横に振った。それを聞いたステュアートに驚いた様子はなかった。彼はどこまでも平然としていた。恐らく最初からある程度予見していたのだろう」


 そして、彼はリリエルにとってもルナリエン自治領にとってもターニングポイントになる人物を彼女に紹介したのだ。


「彼は解決手段を提供できるかもしれないと言った。私は思わず『どんな植物だ?』と尋ねたが彼はしたり顔で首を横に振った。『リリエル、私が提供するのは植物ではない。だが、エルフを救う手段ではある』とね」


 そういったのちにリリエルは一度沈黙した。


「お茶入れよう。少し休みたい」


 リリエルはそう言って一度話をやめてお茶を入れ始めた。

 そのとき私は初めて魔法を見た。

 彼女の指先に炎が灯り、それが竈に火をつけたのだ。


「凄いですね。それが魔法ですか?」


「ああ。しかし、この程度ならばそこらの人間でも使えるよ?」


 私はリリエルの言葉に驚いた。

 魔法なんてものはエルフぐらいにしか使えないと思っていたからだ。


「クラウゼ。君も使えるのか?」


「いや。私はてんで才能がないので」


 クラウゼは私をがっかりさせてしまったかなというような顔をしていた。

 だが、私は魔法の取材をしに来たわけではないと思いなおし、再びリリエルが語り始めるのを待つ。

 彼女は沸かしたお湯で私とクラウゼにもお茶を入れてくれた。

 お茶は桃の風味がする甘いものだった。


「皮肉だろう」


 リリエルが不意にそういう。


「あの呪われたようなルナリエン自治領から数歩出れば、こうして豊かな農場でこんな美味しいお茶の茶葉すら栽培できるんだ」


「このお茶もこの村で……?」


「ああ」


 本当にルナリエン自治領の目と鼻の先の、魔族にかつて奪われた地には健全に生きていく術がある。

 それがどれだけ彼女の心を押しつぶしているのか、私には想像できない。


 リリエルはお茶を口にしながら続きを語る。


「ステュアートが私に紹介したのはある軍人だ」


「人類国家の?」


 私の問いにふとリリエルは私の顔をじっと見つめた。何かを確かめるようにじっと私の顔を見つめるのだ。


「君は日本の出身だろうか?」


「え、ええ」


 そう問われた理由が分からず、私は慌てて頷いた。


「それならば君は知っているだろう。日本情報軍という組織と七尾一郎大佐という人物について。ステュアートが紹介した男は少なくともそう名乗っていた。そして、私たちをキメラ作戦に巻き込んだんだ」


 キメラ作戦。それがリリエルたちを狂わせたものだった。



 * * * *



 七尾一郎大佐という人間を探し出すのには苦労した。

 日本情報軍に問い合わせても『そんな人間はいない』の一点張りであり、私は可能な限りの伝手を使って彼を探した。

 だが、恐ろしいことに彼の方から私に接触があった。それはリリエルへのインタビューから私が七尾一郎を探し始めて2か月後のことだった。


 彼は私のメールアドレスにこう伝言を残した。


『全てを匿名にする条件で取材に応じる。覚悟が出来たらこの場所まで』


 覚悟という言葉に私は若干の緊張を覚えた。

 それは何への覚悟だというのだろうか。

 謎めいた情報将校である七尾に会うことへの覚悟か、それとも私がこれから恐ろしい事実を知ると言うことへの覚悟か。


 私はいざというときの遺言を残した。

 この取材中に行方不明になったら、それは事故ではなく事件であり、日本情報軍が関与しているという遺言だ。


 日本情報軍──。

 世界が対テロ戦争に邁進する2010年代後半にアメリカ情報軍が設置されたのに回れ右して日本でも設置された新しいタイプの軍隊だ。

 あるジャーナリストはこれを『スパイの顔をした軍隊』と呼んでいるが、それはまだいい評価である。

 彼らはスパイであり、扇動者であり、監視者であり、暗殺者でもあるのだから。

 私はこれからそのことを知ることになる。


 覚悟を決めた私は指定された場所に向かう。

 この場所についても匿名を条件にされていたので記載しない。

 ただ寂れたマンションの一室だった。

 家具は椅子とテーブルが置かれ、それ以外は何もない部屋。

 そこで七尾は私を待っていた。


 初めて彼を見て思った印象は『全く特徴がない』というものであった。

 よくあるアジア系の顔立ちで数日すれば忘れてしまいそうな、そんな顔だった。

 それは薬物犯罪に手を染める極悪人にも、ジェームズ・ボンドのように活躍する凄腕のスパイにも見えなかった。

 ただその分厚く大きな手は間違いなく軍人のそれだ。

 そんな顔のない男は僅かに笑って私を出迎えた。


「君のようなジャーナリストが私を探すのはまだ早いと思っていたよ」


 感心するような、あるいは皮肉るような口ぶりで彼はそう言った。


「話を聞いたのは、リリエルからだろう」


「ええ」


 七尾は私の言葉にかけらも驚いていないのは明白だった。

 全くリアクションがなく、彼はまるで『ニワトリは卵から生まれる』と言われたかのように興味がなさそうだった。


「別に喋っても問題はないよ。君が異世界に渡航したこととも異世界で誰にあったかも我々は把握している。ただ地球側の取材に関してはもう少し慎重になるべきだったかな。我々の中にはあれを快く思わなかった人間もいる」


 ぞっとするような冷たい声で七尾は私にそう告げ、爬虫類のように感情のない目で私を見つめた。

 彼らは全てを知っていた。

 私が異世界に渡航した理由も、クラウゼを案内人に雇ったことも、リリエルにインタビューしたことも全て。


「さて……。では、君は当然ながら君は我々の作戦について探っているわけか」


「はい。あなたがリリエルをキメラ作戦に巻き込んだと彼女から聞きました」


「それは正確ではないね」


 そう私が言うのに七尾はすぐにそれを否定した。


「いいかね。我々が彼らに巻き込まれてあの土地で作戦を始めたんだ」


 このことを理解するには当時の情勢を理解する必要があると彼は語り始めた。


「異世界への接触は全く予期しないものだった。我々はある日唐突に異世界というものを押し付けられたのだ」


 私もそのことは知っている。

 異世界との接触は2030年の春のこと。

 何の前触れもなく突然我々は房総半島の先端に異世界に繋がる扉を与えられた。


「では、エルネスト・レポートについては?」


 どういうわけかインタビュアーであるはずの私の方が七尾から尋問されるように質問を受けた。

 私は知っていると答えた。

 それは国連人権理事会の調査員であるエルネスト・サンド博士が発表した魔族連合軍に関する報告書だ。


「ジャーナリストを名乗るならば当然だね。あれの内容は君たちジャーナリストがセンセーショナルに取り上げたのだから。異世界は暗黒時代だとか、魔族は人食いの対話不能の化け物だとか」


 確かに私もジャーナリストという職業上、彼の非難を浴びる対象なのだろう。

 エルネスト・レポートは世界各国のジャーナリストたちにとって美味しいネタだったのである。

 そこには魔族が支配地域の種族を拷問して処刑していることや劣悪な環境に人類国家の捕虜を閉じ込めているなど、読者や視聴者にとってインパクトのある内容がてんこ盛りだったのだから。

 私もそれについて記事を書き、なかなかのPVが付いたことに満足したひとりだ。


「あれはまさにヒステリーだったよ。民衆は怒り狂い、魔族を倒せと叫ぶ。政治家も戦争に参加して魔族連合軍を打倒せよと威勢のいいことを言う。だが、私に言わせればエルネスト・レポートには問題があった」


 深いため息を吐いたのちに、七尾は続けた。


「確かに魔族は拷問し、処刑し、捕虜を虐待した。だが、この地球でも同じことをやっている連中を私は両手の指で数えきれないほど知っているし、魔族全員が狂ったナチスの収容所にいそうなサディストではないことも知っている」


「魔族にも良識があると?」


「そうだ。エルネスト・レポートは地球旅行に来た宇宙人がアウシュヴィッツ、スレブレニツァ、キガリのジェノサイドツアーコースののちに『これが地球人なのだ』と報告するようなものだ。君は我々人類が全員虐殺者であると認めるかね?」


 私はそう問われて押し黙るしかなかった。

 ジャーナリストとして事実を伝えているつもりだったが、我々は物事の一側面だけを切り取っていることを知っていた。


……………………

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