延命治療
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──延命治療
間違いなく情報軍の撤退による大きな衝撃を受けたのはディザータだ。
モリの口からはそのことが事実として語られる。
「俺はスマホの目覚ましの音が嫌いだが、その音より嫌いな音ができた。『撤退』って言葉の響きだ。『撤退』『撤退』『撤退』、クソッタレの『撤退』! クソ『撤退』!」
彼が叫んだものだからすぐに刑務官がやってきた。
私は大丈夫だ、問題はないと言うようにジェスチャーで刑務官に示し、モリに話を続けるように求めた。
「ああ。そう、情報軍は撤退した。俺たちは呆然となったよ。『これからどうなるんだ?』ってな。俺たちは安穏とホワイト・ピークをやり取りできてたのは、情報軍が俺たちに力を貸してくれていたからだ」
輸送の支援や捜査情報の漏洩、そして法的加護。
ディザータは1日でビジネスに必要なそれら全てを失ったとモリ。
「俺は撤退を急ぐ七尾を呼び止めた。『七尾。これからも俺たちのビジネスはあんたらにとって必要だよな?』って。そうするとやつは爬虫類みたいな冷たい目をしてこういった。『七尾とはどこの誰だ?』と」
そのときは背筋にぞわりと寒気がしたとモリ。
私も日本情報軍に何度も七尾一郎大佐という人物について問い合わせたが、彼らは決まって『そんな人間は情報軍にいない』と返すのだ。
七尾一郎という人間はキメラ作戦が終わったと同時に消えたのである。
「俺たちはどうしたらいいのかを決めなければならなかった。まだ密輸ルートは生きてる。情報軍がいなくなったからって明日明後日に俺たち全員が逮捕されるわけじゃない。だから、今は落ち着いてビジネスを続けようとそう決めた」
幸いにして彼らは情報軍抜きでもホワイト・ピーク取引そのものは続けられる仕組みを作っていた。
ルナリエンのアルフヘイム株式会社、ディザータとブリガンテ、そしてワンのネットワークは情報軍が抜けても部分的に機能する。
だからソフィエルもワンもそこまで大慌てはしなかったのだ。
「俺たちは以前と変わらないように振る舞い、足元を見られないようにした。ソフィエルは信用ならねえ女だ。俺たちが弱ったとみれば、ますます利益を奪いに来ただろう。刑務所の中や軍隊と同じように舐められたら負けって世界だ」
モリは忌々しげに続ける。
「しかし、いつまでも強気じゃいられなかった。厚労省のマトリも麻薬取締局も俺たちを追求し始めたからだ。俺たちはまるでピラニアの生簀に入れらたようなありさまだったよ」
獰猛な肉食魚の群れが食らいつくように次々にディザータ関係の施設や団体に捜査が入ってきたとモリ。
「スマホは鳴りっぱなしだった。『売人がマトリにゲロった』『取引相手が麻薬取締局に拘束された』『倉庫に警察が捜査令状を持ってきている』とかメッセージがピコピコと着信し続ける。破滅の音が一気に響いてきやがった」
そう語るモリはげっそりとした表情を浮かべて当時の様子を思い出していた。
「ボスからも『モリ。いいか、どうにか今のこのクソッタレな事態を収めないと銃殺だ』って脅迫のメッセージが来ててな。本当に俺は明日殺されるんじゃなかろうかと酒と眠剤がなきゃ夜も眠れなかったぜ」
モリは突然ディザータのメンバーに拘束されて、その場で処刑命令が読み上げらて自分が銃殺される悪夢で何度も目が覚めたと言う。
「俺は撤退を考えた。だが、一連の捜査でディザータに与えた打撃を考えると、俺のそのミスは今ある金を上納しただけでは許されないんじゃないかと思えた。だから、もう少し稼いで誠意を見せるために俺たちの撤退のスケジュールは延期された」
異世界に投資した分は取り戻しているし、各地にマネーロンダリングした末に貯めた金も数千万ドルはあったが、それでもモリは異世界にとどまってビジネスを続けることを選んだのだった。
「俺たちは稼げるだけ稼ぐためにかなり荒っぽいこともした。金を収めない売人は苛性ソーダ漬けにしてやった。もちろん死体をだぜ? 『ブレイキング・バッド』でやってたみたいにな」
そう言って僅かにくすくすと笑うモリ。
私はどこに笑う要素があったのか分からず、モリに話を続けさせる。
「売人どもには上納金を倍にしろと言った。そうでなきゃホワイト・ピークは売らないと。ほとんどの売人はジャンキーだからホワイト・ピークのために言うことを聞いたが、一部のヤクザなんかが突っかかってきたからちょっとした殺し合いもやった。連中の幹部がマニラをうろうろしていたところを後ろからハチの巣にしてやった。連中はお返しとばかりに東京でうちのメンバーの腹にドスを刺しやがったが」
と、ここでモリが周囲を見渡す。
「今でもそのヤクザはディザータを目の敵にしているらしい。この刑務所にはメンバーはいないって話だが、油断はできない。日本の刑務所はアメリカより安全みたいだが、それでもリスクっつーものはある」
声を落としてモリはそう語った。
「まあ、そういう荒っぽいことが起き続けてな。そうなるとますますサツどもの包囲の手は狭まる。それから逃れて儲けるためにはさらに暴力が振るわれる。そういう悪循環が生じちまっていた」
お手上げというように手を上げるモリ。
「俺は平和主義者ってわけじゃないが、暴力に頼らなきゃ儲けられないってのは嫌いだ。暴力ってのは野蛮で金がかかるものだからな。誰も死なずに儲けられれば文句なしだ。誰にとっても。だろ?」
「では、あなたは暴力の連鎖を止めようとした?」
「一応は。だが、下っ端は感情的になってた。ヤクザが俺たちの仲間を1人刺したなら、ヤクザを10人殺すってな。一度そうなると俺でもそれを抑えるのは難しい」
暴力は連鎖するって点でも最悪だとモリは他人事のように言った。
私がのちに調べたところ確かにマニラでの暴力団幹部銃撃事件は起きていた。
犯行はディザータのものとは特定されておらず、犯人は未だに捕まっていないとも。
しかし、この事件から2日後に今度は日本の歌舞伎町で男が暴力団関係者にとって刺されていた。
刺された男は警視庁の発表によれば『外国籍の犯罪グループ』とされ、病院で治療を受けたのちにアメリカに強制送還されている。
このふたつの事件から連鎖するように暴力事件が続く。
繁華街での発砲事件と切りつけ事件。暴力団事務所での爆破騒ぎ。東京湾から見つかった暴力団関係者19名の他殺死体。山林で見つかった『外国籍の犯罪グループ』のばらばら死体。
SNSにもマニラの事件以降、東京などのアジアの大都市の治安が悪くなったという書き込みが多く見られるようになった。
だが、SNSでもディーブウェブでもその殺害の現場を押さえた動画などは全て非公開になっていた。
犯行の多くは白昼堂々と行われたにもかかわらず、だ。
それがモリの証言通り、ホワイト・ピークを巡る殺し合いだったのだろう。
「俺たちは暴力が段々歯止めが利かなくなっていることに気づいた。というのも、それを示していたのは帳簿の数字だ。俺たちが抗争に使う武器弾薬や鉄砲玉の人件費、弁護士費用などなどのせいで収益が圧迫され始めていた」
金のために暴力を振るっていたのにこれでは本末転倒だとモリ。
「俺たちは暴力に頼らないでいいように取引先との関係改善を進めた。相手を宥めて、脅して口八丁手八丁で抗争を何とか休戦に持っていった。もちろんわだかまりは残ったが、相手だって抗争で金が消えるのは嫌なはずだ。俺たちは握手しなおして、再び金稼ぎに邁進することにした」
しかし、とモリ。
「ついに異世界側にマトリと麻薬取締局が乗り込んできた。まずは米軍基地に麻薬取締局が入ってきて米軍基地が封されたと思ったら、基地内にいた俺たちの協力者数名があっという間に逮捕されちまった」
それからは米軍基地を拠点にマトリや麻薬取締局は活動し始めたと言う。
「まずはネプティス周辺にがんがん無人航空機を飛ばすようになってな。俺たちのネプティスの拠点はあらかた見つけられちまったと思う。ただラッキーなのはネプティスが未だホワイト・ピークを非合法とせず、マトリや麻薬取締局が国内で勝手に警察活動を行うのを許さなかったことだ」
だから、ネプティスの拠点はその時点では取り押さえられなかったと彼は振り返る。
「それにさらにラッキーだったのはマトリや麻薬取締局が持ち込んだ無人航空機はホワイト・ピークのあるルナリエンまで航続距離のあるものじゃなかった。せいぜいネプティスも周りを飛ぶことができるくらいだ」
じゃあどうするかとモリは続ける。
「ネプティス以外に拠点を移し、そこにルナリエンからホワイト・ピークを運び、さらにそこから地球にホワイト・ピークを持ち込むんだよ」
私はそこで疑問に思った。
厚労省や麻薬取締局はなぜ異世界と地球を繋ぐゲートに検問を敷かなかったのかということだ。
私はそのことをモリに尋ねた。
「ゲートは公海と同じ扱いを受けていた。つまりは無法地帯だ。そこでヤクを運んでいようと日本のマトリやアメリカの麻薬取締局に取り締まる権利なんてねえよ。それにそのときゲートはすでに多くの異世界に進出した企業が利用していて、大渋滞だったしな」
だから酒気帯び運転を取り締まるように検問を敷くことはできなかったとモリ。
「俺たちのビジネスはとりあえずは延命された。マトリと麻薬取締局を完全に躱せたとは言えなかったが、いきなり破綻するようなことは避けられた。だが……」
モリが僅かな怒りと苛立ちを見せて続ける。
「俺たちはルナリエンのためになることをしてきた。アルフヘイム株式会社を立てて、立派な社屋も建造し、工場だって作った。そして何より連中が戦うために必要だった武器を与えてやった。だろ?」
私に同意を求めるようにそう言うモリ。
「だが、やつらは俺たちを裏切った。それも酷くだ」
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