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君の手のひらで踊りたい。  作者: 田邑綾馬
第Ⅰ章 起

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倉田朝市の話(二)

 卒業後、大手家電量販店に就職したものの一年経たず辞め、同時に樹達との関りを断った。それからは、建設現場の作業員、スーパーの店員、商業施設の警備員、リフォーム業者の営業など、色んな仕事を転々とする日々。


 始まりはリフォーム業者の営業だった。あ、これは過剰請求だ。すぐ理解したが、素知らぬ顔で仕事をした。この世はそういうものなのだ、大人になるとはこういうことだ、と自分に言い聞かせて。

「お前は見た目がいいからこの仕事向いてるよ。それかホストとかどうだ。いやお前愛想ねえもんな、無理か」

 上司は下品に笑ってそんなことを言ってきた。あんたに俺の何が分かるというんだ。喉まで出かかった言葉をどうにか飲み込み、愛想笑いをした。笑いたくないのに笑う。人生で、この時が一番惨めな瞬間だった。(まあホストは無理だろうと自覚しているが。)


 しかし現実として営業成績はそれなりに良かったためか、上司の紹介で別会社に移るよう指示され、素直に従った。従う方が楽だったからだ。その会社ではついに詐欺まがいではなく、思い切りちゃんとした詐欺行為をする破目になった。無価値な商品を価値があるとうそぶいて高額な金銭を騙し取る、立派な詐欺行為だ。

 金銭を騙し取る相手は、金を持った高齢者がほとんどだった。罪悪感と嫌悪感を引き連れて始めた行為だったが、次第に正常な感覚はどんどん薄れ、麻痺していく。犯罪行為を行うという非日常が、日常になっていく。『やりたくないが強制されているから仕方ない』『幸せそうな人間から少し金を盗っても許される』『俺だって苦しんでいる』などと言い訳しているとそれが真実に姿を変えていくから不思議だ。けれどそんな状態でも正常な感覚が少しは残っていたようで、このままいけば破滅するぞと、頭の中で警鐘は常に鳴り続けていた。


 いつかやってくるその時がすぐ背後まで迫っているのを確かに感じるのに、逃げ出せない。力では到底敵わない何かに足をからめ取られ、動けない。けれどある日唐突に、この足は顔も知らぬ男の強い力によって再び動き出すことになる。


 その日、俺は新宿区にあるファミリーレストランでご婦人に投資の説明をしていた。もちろん投資先は架空の会社だ。ご婦人は投資に前向きで、正式に契約を交わしたいと言うのでさっそくテーブルに書類を広げるが、なんとそのタイミングで店内を駆け回っていた子供が俺達のテーブルに勢いよくぶつかってきた。幸い子供に怪我はなかったが、衝撃でこぼれたアイスコーヒーに浸された書類は使い物にならず、契約はまた日を改めることに。契約の意思を見せてくれているし、また後日でも大丈夫だろう。そう考え、ご婦人とは店内で別れた。

 彼女の姿が完全に視界に消えてから、ようやく一息ついて、だらしなくソファにもたれかかったその時、背後から男の声がした。


「それ、詐欺ですよね?」


 店内はこんなにも賑わっているのに、この耳にはっきり聞こえる。他の誰かにではなく、これは俺に向けられた台詞だ。瞬間、肌が泡立つ。まずい。周囲の人に聞かれていたんだ。バレた。どうして、気を付けていたはずなのに。恐ろしくて、後ろを振り向けない。

 こちらの返答を待たず、男は続ける。


「これが初めてではないのでしょうけど、やめた方がいいです。あなたの人生はこれからですよ。そんなつまらないことで無駄する必要はない。自首すれば、初犯で執行猶予が付くと思います。ご家族もご友人も悲しまれますよ」


 知った風に、ペラペラと。苛立つが、上手い釈明は浮かばない。元々口が回る方じゃないのに、詐欺行為が出来てしまっていたのは、この容姿とマニュアルがあったから。この状況ではそれらも意味を成さない。周囲にバレた時の対処法の記載もクソマニュアルにあったはずだが、さっぱり思い出せない。


 通路を挟んだ向こうのテーブルでは家族連れが食事をしていて、子供の誕生日なのか、店員がロウソクの刺さったケーキを運んでくる。店内には誕生日を祝う曲が流れ始めた。

 ハッピーバースデートーユー、ハッピーバースデートーユー。

 笑顔の祖父母と両親、目を輝かせる女の子、兄らしきもう一人の子供が女の子の頭を優しく撫でている。まるでお手本のようなあの家族を、店内にいる全員が祝福している。俺を除いて。


 ふいに、昴の台詞が蘇った。

 ――「普通に両親が揃っていて、それなりに裕福で、環境にも恵まれているからお前とは分かり合えない」

 ――「こっちとそっちで、俺達には溝がある」

 店内の通路を挟んで、あっちとこっち。「溝」が、今まさに目視できる。手を伸ばせば届きそうな距離にいるのに、あっちはあまりにも遠い。対岸の距離の遠さに呆然として、頑張ってもたどり着けないと絶望して、諦めて、全てがどうでもよくなる。投げ出したくなる。別に捕まってももいいや、人生どうでもいいや。


「・・・俺は施設育ちなので家族はいません。俺が6歳の時、家族として迎え入れようとしてくれた夫妻はいましたけどね。6歳の誕生日も、ああやって祝ってくれた。好ましい人達でした。この夫婦の子供になれたらと、心から願った。でも結局、俺が彼らの息子になる日は来ませんでした」

「なぜ?」

「夫妻に、実の子供が出来たからです」


 あの夫妻は、本気で俺を自分達の子供にしようとしてくれていたのだと思う。けれどまだ養子縁組前で、互いの相性を確かめ合う期間中での妊娠だった。

 そうして、毎週会いに来てくれていた夫妻と、俺の淡い期待は煙のように跡形もなくあっけなく消えた。あの夫妻は別に悪人じゃない、どこにでもいる善人だ。実の子が欲しい気持ち、実の子の方が可愛いのは当然だ。意地になって俺を引き取って、平等に愛されず放っておかれるよりずっとマシだった。もちろん、俺だって悪くない。これもまた、『ご縁が無かった』というやつなのだろう。


「そうでしたか。家族はいなくても、ご友人は?」


 男からの「ご友人は?」に面食らう。少しは俺を憐れめよ。


「・・・どうでしょう。もう4年近く連絡を取ってないし」

「心配していますよ。連絡してみてください、きっと迎え入れてくれますから」


 男はあまり抑揚のない喋り方をする。声音から察するにまだ若い。ちらりと横目で窺うと、黒い髪と立て襟のシャツが見えた。勝手にサラリーマンと予想したが今日は土曜日で、ここはオフィス街から離れたファミレスで、休憩に選ぶに相応しいとは言えない。待ち合わせとも思えないし、ただの休日の暇潰しだろうか。

 警戒しつつ身を乗り出して男の手元を見ると、持っているスマートフォンではなく本だった。それも洋書だ。こんな混む時間帯のファミレスで、ボックス席に一人陣取って洋書を読む男は、昼間から詐欺を働く俺と同じくらい迷惑な客だと思う。


 ――「心配していますよ。連絡してみてください、きっと迎え入れてくれますから」

 こいつはおそらくお節介な性分なのだろう。詐欺なんて馬鹿な行いをしている馬鹿な若者を見ていられなかっただけなのかもしれない。

 所詮、俺みたいな下っ端はすぐ捕まる。金を集めるだけ集めさせて、捕まれば尻尾を切る。また次の若者を探して、詐欺を教え、金を集めさせ、捕まればしっぽを切る。それの繰り返し。切られたくなければ、切られる前に、こちら側から切るしかないのだ。

 でも、今更遅すぎる。俺は罪を犯した。悪意を持って人を不幸にした。どうやって償えばいいのか、馬鹿な俺には分からない。今の俺の状況を知って、友人達はなんと思うだろう。失望するに決まっている。恥ずかしい。情けない。消えてしまいたい。


「遅くありません。あなたはまだ、間に合います」


 今まさに俺が求めていた台詞を残して、男は会計へ向かって歩き出した。こちらを一度も振り向かず去っていったため、顔を拝むことは叶わなかった。黒い髪、白いシャツと黒のスラックスを着用。身長は180センチ弱の細身の体系。持ち物は読んでいた本のみ。後ろ姿から得られる男の情報はそれくらい。


 どっと疲れる数分間だったが、得たものは疲労感だけではない。俺はとある決意して、男に続いて会計へ。すると、会計担当の店員がレシートと共に白い箱を渡してきた。


「レシートのお返しと、あとこちらが、先ほどお会計を済まされたお客様から渡すよう頼まれたケーキになります」

「え?」

「ホールケーキです。ご友人とどうぞ、と仰っていました」


 笑顔の店員から渡されたのは、白い箱に収まったショートケーキ。それもホール。ホールケーキってこんなに大きくて重いのか。これじゃ電車に乗って移動するの大変だなぁ。でも、良い土産が出来た。

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