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君の手のひらで踊りたい。  作者: 田邑綾馬
第Ⅲ章 転

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第三十六話 full moon

 カオス達と別れた人間3人は、飛鳥を通じて百合との面会を強く求め、喫茶店『アンチクトン』にて、久しぶりに顔を合わせることとなった。ソファ席に人間3人が横並びに座り、テーブルを挟み、百合は椅子に腰かける。

 人工的な光が必要ない、窓から差し込む月明かりで十分な夜だった。


 人間3人の面持ちは、以前と違っていた。なにか心に決めたような、揺らぎのない瞳をしている。

 ここが一つの潮時、そう判断した百合は、月を一瞬視界に入れるとすぐ3人の人間達に視線を戻し、静かに語り始めた。


「アマテラスには人間の恋人がいた。その恋人を、人間に殺された」


 きっかけは、ツクヨミを始めとする多くの神の父であるイザナギが、国造りに携わる家に産まれたことだった。正しくは、産まれることにした、であるが。

 当時はもう人間同士で上と下を作り、争いや略奪が相次ぎ、戦乱の世が始まっていた。貴族や武家はともかく、民の命や生活は軽んじられ、その状況を改善したいと考えていたイザナギは帝になるべく、国を運営する立場にある家の子として産まれる選択を取ったのだ。


 しかし、イザナギの思う通りに事は進まなかった。国や人間のために行動すればするほど、その崇高な行いと優秀さをやっかみ、邪魔する者が現れ、有らぬ噂や罪をでっち上げられ、たちまちイザナギの立場は危うくなっていった。彼を信じ守る人間は多くいたが、声が大きいだけの小狡い奴らの策略によって正義も大義もかき消されてしまう。


 それでも、イザナギは人間を赦した。一度や二度ではない、何度も何度も深い御心で赦し、人間達の過ちを正そうとまい進した。


 イザナギのその信念と並々ならぬ努力に誰より心動かされたのが、アマテラスの恋人。彼はアマテラスから神の存在を知らされていたので、アマテラスの父・イザナギの正体も理解していた。


 この星で起きているいさかいなど神には関係のないことだ。人間がどれほど辛い状況に置かれていたって見ない振りをすればいい、見捨てたっていい。それなのに、しなくてもいい苦労をして人間生活を営み、謂れ無き罪で裁かれ、不遇な目に合わされてなお人間のため生きようとするイザナギを敬愛する彼は、とにかくイザナギを救い出したかったのだ。


 けれど結果、イザナギを救う手立てはことごとく妨害され、それどころか彼自身が命を失う羽目となってしまう。アマテラスは身も世もないほど嘆き悲しみ、怒り狂い、人間達を憎んだ。


 最愛の娘の嘆きようを目の当たりにし、イザナギは自身の行いが本当に正しかったのか、自問自答した。悩み、イザナギは以下のような答えを導き出した。


「”人間は滅ぶべき生き物である”、イザナギは人間を呪うことにした」


 人間3人が息を飲むのが分かった。緊張、動揺、衝撃。それから、罪悪感と悲痛。たとえ自身が犯した罪でないとしても、同じ人間がやった行いに申し訳なさを感じているようだ。実直な人間達である。こういう人間達を、イザナギは救いたかったはずなのに。


「イザナギの呪いは残酷だった。ゆっくりじわじわ苦しみながら、一人が死ねば、また違う誰かに呪いが発現し、その者が死ねばまた違う者が。そうやって着実に、確実に、流行り病のように人が死んでいく。時間を掛けて、この病に打ち勝てるのではないかと希望を抱かせるほどの緩慢さで、一気に根絶やしにせず、国造りに携わる知識層からじっくり絶やそうというのがいかにもイザナギらしい。上に立つべき者が消えれば、人間社会は荒れて混乱に陥り、国も人もやがて必ず死に絶える」


 そこまで話したところで、佐藤が大きなティーポットを持って近づいてきた。それをテーブルに置いて、「自分は2階にいます」とだけ告げ、一礼して厨房裏に消えていく。


「・・・2階?」


 佐藤の背中を目で追いながら、乃愛が尋ねる。その質問にはカウンター席に座る水村蛍が答えた。


「2階は住居になっているんだよ。塩田家に行くまで、未来君はそこに住んでた」


 ああ、なるほど。乃愛は納得し、店に入ってすぐ出され、手つかずだった紅茶カップに視線を落とす。もう熱の失われたそれは、飲むべきタイミングをすっかり過ぎてしまっているが、それでも口元まで運ぶと芳醇な葡萄の香りが鼻を掠め、カラカラだった喉を優しく潤してくれる。


 乃愛がカップにソーサーを戻すのを見計らって、百合は再び語り出した。


「イザナギは、アマテラスによって黄泉に送られたそうだ。最も愛する子供のために人を呪い、結果その子供に奈落に落とされたのだから、皮肉な話だ。それでも、イザナギの呪いは残り続け、人々を殺していった。なんとかせねばならないと、少数の神々が集まり、会議が行われた」

「アマテラスは人を赦したんですか」


 久しぶりに声を発した朝市の声はしゃがれ、上擦っている。けれどそんなことは気にせず、真っ直ぐな瞳を百合に向け、続く言葉を待っている。しかし、首をふるりと横へ振った百合を見て、朝市は端正な顔を悲しみに歪ませる。


「あいつにとって、あの一件は赦す赦さないの問題ではないのだろう。関係ない者まで死ぬのは違う、そう思っただけで。ただ理解できないのは、その解決策だ。一人の人間にイザナギの呪いとなる穢れを集中させて、その者に繰り返し死んでもらおうと考えるなんて、あいつらしくもない」

「お優しい方でしたからね、アマテラスは。それほど瑞穂の死が堪えたんでしょう」


 人間達には背を向ける形でカウンターに腰かけている珊瑚は、慕う気持ちが滲む声音でしみじみ呟く。その背はひどく寂しげだ。

 瑞穂、という初耳の名に乃愛が反応する。


「みずほ?」

「アマテラスの恋人の名だ。僕は会ったことはないが、アマテラスとは違ってしっかり者で思慮深い男だったと聞いている」

「そんな、アマテラスがしっかりしてなくて思慮が浅いみたいな言い方して」

「事実だろう。通常なら場所や物に閉じ込めるべきものを人間に押し付けるなど、正気の沙汰じゃない」


 呆れた口調の水村を、いつも以上に強い言葉で制するので、百合の扱いに慣れた彼もいささか驚いたように目を丸くする。人間3人も思わず身を竦めた。


「相手は、罪のない赤ん坊、しかも自分の子の子孫だぞ。アマテラスが何を考えているのか僕には分からない」


 どうやら人間の身体に宿れば、神と人間の間にも子供は産まれるようだ。おそらく産まれた人間に神のDNAが組み込まれたり、特殊能力が発症したりといったこともないのだろう。ただ、肉体の遺伝子だけが受け継がれるだけで。


 つまり、塩田憩はアマテラスと恋人・瑞穂の子孫で、そのせいで生贄に選ばれてしまったわけである。せっかくやんごとなき高貴な一族の人間として生を受けたのに、待ち受けていたのは永い永い生き地獄。


「時代が違えばこの国の姫だったし、もしかしたら王だったかもしれない。それでも、誰よりこの国のために頑張って生きてきた。それは事実だし、真実だし、現実。憩ちゃんには何の称号も与えられないし、あなた達以外の人間が知ることは永遠にないけれど」


 そして、真実を知るたった3人の記憶も、いずれは消される運命にある。憩の正体を知る人間は結局、誰一人いないのだ。

 珊瑚の悲しみに濡れた告白に沈黙し、各々物思いに耽る中、昴は拳を固く握り、怒りに震えていた。けれどとうとう口から本音が漏れる。


「なんで、神様なのに、人間を助けるどころか苦しめるんですか。殺すなら、そのイザナギって神と瑞穂さんを苦しめた奴だけでいいでしょ。人間に復讐したいんだとしても、一人に押し付けないで、平等に苦しめたらよかったのに、そうしたら塩田だって、」


 滲む視界にいる百合は変わらず美しかった。こうして人間に責められても、彼は怒るでもなく、反論するでもなく、かと言って謝罪するでも、慰めるでもなく、昴をじっと見つめ返すだけ。言い訳も弁明もしない、そう言いたいのだろう。

 変わって水村が日本に住まう神の総意を主張した。


「憩ちゃんには申し訳ないことをしたと思っています。知らなかったというのは言い訳にならない、この一件は日本に住まう全ての神に責任がある。出来得る償いはしたい」

「償い、一体どんな?神様が土下座して謝るんですか?金を払いますか?今更ですよそんなの。何をしたって塩田の気は治まらない。それが分かっているからこうやってコソコソ人間に聞き回っているんですよね?復讐されるって思っているからですよね?」


 呼吸を忘れたように、珍しく興奮した様子で捲し立てる昴がそこで一呼吸し、「佐藤さんは、」と話題の方向性を急転回させる。


「佐藤さんは、知っている組だったんですか?知っていて、知らないふりをして塩田のそばにいたんですか」

「・・・ああ。自分も、生まれ変わりを繰り返している人間だとうそぶいていたようだ」

「最低ですね」

「そうだな。ずっと身分を偽り、嘘を吐き続けてきた。だから、あいつは憩さんを追って死ぬかもしれない」

「え」

「自決に追い込む。人間が神を殺す方法があるとするなら、それしかない。非効率で不確かではあるが。実際、憩さんの一件に関わったとされる5柱のうち3柱は自決している」


 百合も憩に対して強い自責の念があるからか、人間に暴露するにはかなりリスクのある発言をする。が、当の人間達は神を殺す方法はどうでもいいらしく、大して驚きもしない。それどころか、死すら生ぬるいと昴は言い切る。


「そんなの、あり得ない」

「なにがだ?」

「佐藤さんが死んだくらいで、塩田の復讐心が癒えるはずありません。他の神もそうです。勝手に塩田を生贄にして、勝手に後悔して死んだだけ。塩田の目的は、佐藤さんを自決へ追い込むことじゃない。そんな程度のことじゃない」

「確かにお兄ちゃんの言う通り、それが目的なんて簡単すぎる。憩ちゃんの目的は佐藤さんを自決に追い込むことじゃない。他にある。私、ずっと考えていたんですけど、なぜ今この時代に神様の涙を呑むことにしたのか、そこが重要な気がするんです。憩ちゃんならもっと昔でも出来たはず。だからきっと、過去でも未来でもなく、今この時代である理由が必ずある」


 暗に仲間の命を軽んじる発言をされているわけで、神である以上人間からこういった雑な扱いをされるのも初な百合は意図せず固まってしまうが、本件の非は全面的に神側にあるので叱責はやめておいた。それに、3柱が自決を選んだのは彼らの選択であって、そこにいなかった自分が口出ししていいことではない、とも。


 しかし乃愛の指摘通り、なぜあの日、憩は神の涙を呑むことにしかのか、その点はきっと彼女の目的に直結しているのだろう。知っておかなければならない。けれど解明は難しい。証拠となる記憶は、神自らが抹消してしまったから。

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