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君の手のひらで踊りたい。  作者: 田邑綾馬
第Ⅲ章 転

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第三十五話 MONSTER

 残暑厳しいその日、神々と歌舞伎を観劇するため、俺と乃愛のあ朝市あさいちは東銀座駅に降り立った。縁のない駅、土地、目的地。若干迷いながら歩みを進めている。

 朝市は参加を嫌がったが連帯責任だと強引に引っ張って来た。さっきから大きいため息を何度も吐いていて鬱陶しいが、気持ちは分かるので指摘しないでおいてやった。


 道すがら、昨日の夜から世間を騒がせているニュースについて乃愛が触れた。俺達兄妹にも関連する話題でもある。


「あの飛行機で起こったこと、報道されてるね」

「機長の殺人自殺未遂、そりゃニュースになるよ。マジで2人危なかったな」

「俺はその件が隠蔽されなかったことに驚いてる。副機長の証言だの機内録音だの、証拠はいくらでもあったんだろうが、航空会社としては公にしたくなかったろうに。業績や株価にかなり影響するぞ」


 事実、その航空会社のフライトは軒並みキャンセルが相次いでいると言う。当然である。それでも、隠さず真実を世間に公表し、謝罪し、再発防止に努めると会見をした彼らを俺は責める気にならなかった。

 俺の脳裏に浮かぶのは、百合ゆり月人つきひとと名乗る神の顔。彼がいたからこそ、俺はこんな菩薩のような心持ちでいられるのだ。彼への恩に報いるため、重い足を引きずり、歩みを進める。


 ブブッ。

 ジーンズの後ろポケットにあるスマホが震えた。


「あ、カオスさんたちもう中入ってるってよ」


 俺がそう言うと、乃愛と朝市はあからさまに嫌そうな顔をした。いやいや、今更だ。もう後には引けないところまで来てしまったんだ、色々な意味で。


 会場ロビーのソファに座る彼らは絵になっていた。モシュネとリオネルはいつものラフな格好とは違い、ジャケットを羽織って正装している。カオスはピンクのフリルドレス、クマのポシェット、一段とラブリーな衣装だ。演者や劇場に対するリスペクトがあるからこそ特別な服装をしてきたのだろう。それに比べて、俺と朝市はTシャツにジーンズ、乃愛も普段使いのワンピースという出で立ち。早々に居心地の悪さを覚え、帰りたくなった。


「君たち、まだ若いのにお洒落とかしないの?」


 ズバリ、モシュネに言われてしまう。案にダサいと言われたようなもの、各々ショックを受けているとリオネルがすかさずフォローに入ってくれた。


「まあ、今の時代は多種多様な洋服が安価に手に入りますから、一周回ってシンプルに落ち着きますよね」

「うむ。しかし服はただの裸隠しじゃないぞ、気に入った物を着ると心も明るくなる。よし、歌舞伎を見た後は君たちに洋服を見繕ってあげよう。若者は遠慮するな」


 愛らしい笑みを浮かべ、クマのポシェットから黒いカードを取り出し、こちらに見せつけてくる。カオスはかなりのお金持ちのようだが、見た目年齢はせいぜい5、6才の幼女なのを自覚してそのカードは仕舞ってほしい。

 

 暢気な妹は、座席に向かう途中も躊躇なく神との会話を楽しんでいる。ついさっきまであんなに憂鬱そうにしていたのに、切り替えの早い奴である。


「カオスさんってお金持ちなんですか?」

「まあそれなりにな。土地や建物をいくつか所有している。レストランやカフェのオーナーもやっているぞ、表には出ないが」

「え、かっこよ!」

「ちなみに僕もやってるよ~、古本屋」

「古本屋いいですね。兄達が輸入物の商売してるんで取引させてくださいよ」

「いいよ~」


 すっかり打ち解けているではないか。俺と朝市は、乃愛のコミュ力の高さと鈍感さを羨ましそうに見つめる。(決して混ざりたいわけではない。)


「――あの、本当にすみません、ご迷惑でしたよね」


 カオス達の後を着いて歩いていると、リオネルが申し訳なさそうにそう言ってきた。俺は慌てて否定した。憂鬱なイベントではあったが、迷惑かと問われるとそこまでではない。それにリオネルが悪いわけでもない。


「気にしないでください。俺も歌舞伎を見てみたかったですし。と言うか、リオネルさん、この短期間で日本語上手になりましたね」

「ああ、神は多言語の習得が早いんですよ。神の特徴みたいなものですね。はは、ずるいですよね」

「へえ、それはすごい。確かにずるいですね。リオネルさんは何の神様なんですか?」


 朝市がそう尋ねると、彼はなぜか口ごもる。目も泳ぐ。言いにくいことを聞いてしまったかと、朝市も不安そうだ。

 質問に答えたのは前方を歩くモシュネだった。


「愛だよ、愛」

「あい?」


 モシュネも日本語で喋っている。彼の言う「あい」が「愛」だと分かるまでに数秒かかった。勝手ながら、穏やかで控えめなリオネルはてっきり自然を司る神だと想像していたから。樹木とか、花とか、あるいは風とか。


「リオは愛を司っている。誰が誰を愛してるとか、そういうのもすぐ分かっちゃう。恋の矢を放って恋愛成就も出来ちゃうからお願いしたら?――あ、そうだ、良い事思い付いた!」


 いざ会場に入り、押さえた一等席の座席にもうすぐ着くというところで、モシュネがこんな提案をしてきた。無邪気さを孕む弾んだ声だ。


「サトウミライって神からイコイへの愛情を取り去ればいい。そうしたら彼女の味方をしなくなって、イコイの目的とやらを話すかもしれないよ」


 カオスを除き、一同揃って顔をしかめた。この神はなんて残酷な仕打ちを平然と言ってのけるのか。感情を操作するのは一番やっちゃいけないやつだろう。

 リオネルはさすが愛を司る神であるからか、いつもは腰が低く彼らに逆らわない姿勢を貫いていたのに、モシュネの発言に対する嫌悪が俺からも見て取れる。露骨に不快そうにし、ため息まで吐いている。


 各々の席に座る。もう会場のほとんどの座席は埋まっていて、人々の話し声が波のようにうねって聞こえる。その喧騒の中で、リオネルの声がやけにはっきりとこの耳に届いた。


「・・・簡単に言わないでください。抜いたら死ぬ矢もあるんです。刺さったその矢が、血となり骨となりその者を支えていることもあるんです」


 3色の縦縞模様の幕がスライドしていくのを目で追いながら、なるほど、それが愛というものなのかと、しみじみ思った。

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