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君の手のひらで踊りたい。  作者: 田邑綾馬
第Ⅲ章 転

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三上栞の人生(二)

 翌々日訪れたデパートで、栞はローマ字が並ぶゴム版キーホルダーを3つ買った。『MIKI』『MIO』『MIRAI』のネームキーホルダーだ。頭文字が全員『M』で探す手間が省けた。

 そのキーホルダーを美紀に握らせ、指でなぞらせる。


「MIKI、だよ」

「よくわかんない」

「そうだね、でも触っていたら分かるようになる」

「分かるようになんてならないよ」

「なるよ。”見る”って、目で見るだけじゃないの。手、耳、肌で分かるようになるし、見られるようになる」

「そんなのウソ。目で見なきゃ、分からないよ」

「今すぐは無理でも、美紀ちゃんならいつか必ず見えるようになる。その時見えたものを大切にしてね。守ってあげてね」


 その日、美紀と未央と仲良く手を繋ぎながら家に帰り、姉妹を寝かせた後、今度は栞と友加里の姉妹の会話が始まった。


「栞ちゃんは本当に誰かいい人いないの?」

「急に何?いないよ」

「うーん、嘘くさい。じゃあ、うちの旦那の同僚と会ってみたい?すらっとした良い男よ。ほら、うちの会社、お給料もそこそこ良いのよ」

「やだ」

「わあ、即答」

「私にはやらなきゃいけないことがたくさんあるの」

「なによ、たくさんって」

「んー、まずは新聞社に入って真実を知りたい」

「女でそれは難しいわよ。栞ちゃんがいじめられるの嫌よ」

「あはは、大丈夫だよ。私、上手くやれるから」

「あなたが器用なのは知っているけれど」

「本当に大丈夫だよ、友加里ちゃん。神様がきっと見ててくれるから」

「神様?驚いた、らしくないこと言うのね」

「そう?まあ、美紀のこともそんなに心配しないで。きっと全て上手くいくから」


 現実はそんなに甘くないのに、栞が言うと本当に全てが上手くいくように思えてくるから不思議だ。

 幼い頃から、栞は有限実行。そしておそらく不言実行した事柄も多くあったろうと友加里は思った。これからも妹は世間の荒波を上手く乗りこなし、ますます素晴らしい人間になっいく。自分は姉としてその輝きを見続けていけるのだろうと信じて疑わなかった。


 しかし、現実はやはり甘くはなかった。

 3年後、栞が死んだ。とあるビルの非常階段から落下死したのだ。大学を卒業し、アルバイトをしていた新聞社に入社して3年目の出来事だった。


 そのビルには、栞のいた部署が取材を重ねていた対象の企業が入居しており、栞自身も複数回そこを訪れていたことが分かった。

 取材対象の闇に踏み込み過ぎた栞を抹殺するため、事故か自殺に見せかけて殺害したのではないかとの憶測も立ったが、証拠らしい証拠も見つからず、警察は事故あるいは自殺と結論付けた。

 友加里を始めとする栞の家族と友人達は事件だと必死に訴えた。あのしっかり者の栞が非常階段から足を踏み外して落ちるなんてあり得ない。自殺なんてもっと無い、自ら死を選ぶ理由があの子にはない。そう訴えたけれど、聞き入れられることはなかった。


 ほぼ同時期、友加里には他に対応しなければならない事柄があった。こちらは吉報だった。美紀の角膜移植手術が決まったのだ。角膜は新鮮さが重要、知らせがあってすぐ行われた手術は無事成功し、美紀の視力は戻った。


「しーちゃんは?なんで来ないの?」


 いつまで経っても見舞いに来ない栞に、美紀は頬を膨らませる。栞に話したいことが美紀にはたくさんあるのだ。

 栞に会えるのを楽しみにしている我が子に、友加里は本当のことを言えなかった。栞は仕事で海外へ行ったと偽り、生活が落ち着くまで真実を秘密にしておいた。自分自身、まだ妹の死を受け入れられず、気持ちの整理がつかない状態なのだ。取り乱さず話ができる自信がない。


 それでも、いつまでも秘密にはしておけない。

 その日、松下家は美紀と未央の悲痛な泣き声が覆った。美紀の瞳からも大粒の涙が次から次へと零れた。強く目をすってはいけないからと、ハンカチに顔を押し付けて、「なんで、どうして、しーちゃん、みき、見えるようになったのに」と、涙声を振り絞る。未央も顔を真っ赤にして大泣きだ。そんな2人を抱きしめて、友加里も同じように泣いた。

 親子でひとしきり泣いた後、友加里は美紀と未央に尋ねた。


「美紀と未央は、しーちゃんに恋人がいたか知ってる?」

「・・・知らない」


 姉妹は顔を見合わせたあと、正直にそう答えた。恋人、という単語の意味は知っているが、栞にそういった対象がいたかどうかは本当に知らない。栞が男性を連れて歩いているところすら見たことがない。


 友加里がまだ幼い姉妹になぜそういった質問をしたかと言うと、恋人を作る気すらないと宣言していた栞に、秘密の恋人の影を感じたから。栞のアパートから、妹の唯一の収集物である香水がごっそり消えていたのだ。他の荷物や家電製品・貴金属は手付かずだったので泥棒ではないだろう。じゃあ誰が栞の香水を持ち去ったのか。その人物は栞からアパートの合鍵を渡されているほどの間柄。合鍵を持つ友人?いや、恋人の方が自然だ。

 栞には、秘密の恋人がいる。その人が形見として栞の香水を持ち去った?それは別にいい。栞だって香水を持ち出されたくらいで怒らないだろう。友加里が秘密の恋人を探したい理由は、栞の死の真相を知っているかもしれないと思ったからだ。


 葬儀中、それらしい男性を探したが、男女問わず友人の多かった栞の参列者から秘密の恋人を見つけることは叶わなかった。栞と仲の良かった友人達に尋ねてみるが、収穫はなかった。友人達は判を押したように「栞を好き男は多かったけど、断っていたみたいです。恋人はいなかったと思いますよ」と証言した。


 久しぶりに訪れた栞のアパート。誰も住んでいない部屋の匂いがした。埃っぽくて、湿気があって、冷たい空気が充満したそこに栞の影も形もない。秘密の恋人の気配も感じられない。

 必要最低限の物だけが置かれたこの部屋は、あんなにもお洒落で、洗練された雰囲気を纏い、最先端の情報を追っていた美しい栞が暮らしていたにしてはあまりにも簡素で、不釣り合い。まるで、いつ出て行ってもいいようにあつらえられた仮住まいのようで。


 ――栞は、私の知らない場所へ行ったんだ。それは死後の世界や天国じゃない、新たな命へと移ったのだ。新たな場所で、あの子はこれまで通り、戦い続けるのだろう。


 そう自分に言い聞かせた友加里は、栞のアパートを引き払うことにした。このアパートに、栞はもう二度と帰らないのだから。

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