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君の手のひらで踊りたい。  作者: 田邑綾馬
第Ⅲ章 転

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第三十四話 三上栞の人生

 三上みかみしおりは、三上家の次女として産まれた。三上家は一般中流家庭で、家族仲・姉妹仲ともにとても良かった。


「栞ちゃんはすごいね、もう九九を覚えたよ」

「ありがとう、友加里ゆかりちゃんは絵がとっても上手だね。学校の廊下に飾ってあるの見たよ」


 年の離れた姉妹は互いを名前で呼び合い、姉の友加里は頭のいい妹をいつも褒め、周囲に自慢していた。事実、栞は小学一年生ながら大抵の漢字を読み、九九を覚えた。好き嫌いせず何でも食べ、親の言うことはきちんと聞き、それでいて愛嬌もあったため、栞は三上家のみならず町の人気者だった。


 三上家始まって以来の秀才の栞は、その地域で一番の進学校へ通い、日本で一番偏差値の高い大学へ進学した。その頃にはもう姉の友加里は東京へ出て、会社の同僚と結婚し、三上友加里から松下友加里になっていた。結婚2周年目で長女・美紀みきを身ごもり、その2年後にはもうひとりが松下家へ仲間入り。次女は美央みおと名付けられた。


「姉妹だ、私達と一緒!三上家は女系なんだね」


 友加里はそう言って嬉しそうに笑った。

 大学進学のため、姉の住まいと目と鼻の先にアパートを借りた栞は、学業の傍ら子供達の面倒をみて姉を助け、美紀と未央からは「しーちゃん」と呼ばれ、とてもよく懐かれていた。


 学業、アルバイト、子守。栞は大忙しだった。が、そんな中でも栞はいつも余裕そうだった。


「ねえ、栞ちゃんは彼氏できた?」

「できないよ、そんな余裕ないよ。勉強とアルバイトで手一杯」

「大変なら、うちに来なくても大丈夫よ。自分の時間をちゃんと作ってね」

「ありがとう。私にとって美紀と未央に会うのは癒しなんだ、大切な時間なの。彼氏なんか作る方が時間の無駄」


 言い切る妹に、姉の心中は複雑だった。可愛くて、優秀で、優しい自慢の妹は贔屓目抜きで異性からモテていた。普通、この年頃の女子は恋愛話で盛り上がるはずなのに、栞はあまり興味がなさそうで、一線引いているように友加里の目には映った。決して男性不信・男性嫌いと言うわけではないはずだが、恋人を作りたがらないのはいささか不自然である。こんなにも上手に子供達の面倒を見るのだから、栞はさぞ良い母親になるだろうに。


 そんな疑問を持ちつつも幸せな日々が続いていたある日、松下家に突如不幸が襲った。長女・美紀が下校中、交通事故に巻き込まれてしまったのだ。ガラス片が目に入り、角膜を傷つけ、視力を大きく失った。

 身体の傷はすぐ癒えたが、美紀の心の傷は深かった。人とお喋りしたり、絵を描くのが大好きだった女の子は事故以降、人と会うのを嫌がり、部屋に籠るようになってしまったのだ。


「美紀、お散歩に行こうよ」

「やだ」

「大丈夫、しーちゃんがずっとそばにいるよ」

「やだ」

「しーちゃんが手を握っててあげる」

「・・・やだ」

「お外の風は気持ちいいよ。しーちゃんが抱っこしてあげるから」


 そうやって何度も栞に語り掛けたが、最初にうちは拒否し続けた。無理もない、これまで当たり前に見えていたものが見えなくなり、恐怖心でいっぱいだろう。

 その気持ちは栞にも痛いほど理解できた。過去、視力が極端に低い身体で生まれついたこともあるし、前世では右腕と左足が無かった。身体不自由と言うハンデがどれほどの苦労か、栞には誰よりよく分かる。

 反応が薄いながらも、少しずつ美紀は栞の問いかけに応じ、自室の外、庭、近所の公園とだんだん活動範囲を増やしていった。


「――美紀ちゃんの様子はどう?」


 栞の自宅アパートにて、紅茶を注ぎながら佐藤さとう未来みらいは言った。


「うーん、落ち着いてきてはいる。庭に出たり、夕方に散歩に行ってくれるようになってきた」

「手術はできそう?」

「角膜移植が必要みたい」

「・・・角膜か」

「移植移植いつになるか想像も付かないから、まずは生活に慣れさせないと。盲学校へ編入することになると思う。姉も美紀も戸惑っているけれど、こればかりは仕方ない」


 佐藤が淹れた紅茶を口へ運びながら、彼が手作りしたというシュークリームに目線を落とす。最初作ってきた時は不格好に崩れていたり、よく膨らまなかったり、お世辞にも上出来と言い難かったが、今はすっかりプロ級の仕上がりだ。頬張ると、バニラビーンズの豊潤な香りが広がり、クリームのもったりした舌触りが満足感を与えてくれる。生地もサクッとした部分と、クリームを纏って柔らかくなっている部分のコントラストがまたいい。要するに、美味しい。


 栞は頬を綻ばせ、佐藤を褒めた。「腕を上げたね。すごくおいしいよ」と。続けて「お菓子作りにはまったの?」と聞くと、佐藤は一瞬フリーズし、信じられないものを見るような目で栞を凝視しながらこう言った。


「あなたが食べたいって言ったんでしょ。洋菓子が常に食べれる環境にいたいなぁって。牛乳や小麦粉、砂糖が豊富に手に入る時代が来たら僕が作ってあげるって約束したでしょ」

「え、いつ?」

「430年ほど前」

「そんな前のこと覚えてるの?」

「覚えてないの?」

「この時代まで来るのにどれほどの出来事が起こって、どれほど苦労したと思う?いつなにを喋ったかなんて覚えてないよ。いちいち覚えてたら生きていけない。未来だってそうでしょ?未来って名前なんだから、過去じゃなくて明日を見ないと」

「この名前はあなたが付けたんだよ。それも忘れちゃった?」

「それくらい覚えてるよ。あの時、変な名前付けられてたもんね」


 2人が出会った当時、佐藤未来には別の名前があった。人間の親から付けられた、名乗るのもはばかられるような適当すぎる名前。だから、その親から逃げ出し、当時の栞と、栞の家族と暮らすようになってから改名をした。新たな名は栞が付けてくれた。さすがにこの件は栞も覚えていたようである。


 栞の言う通り、この時代まで来るのに大変苦労した。昔は生まれついた家でその後の人生がほぼ確定するため、「いい家に生まれつきますように」と祈りながら死んだものである。今でいう親ガチャ、というやつだ。そして意外にも、8割方は善良な人間が住む家に生まれた。これは単純に栞の運が良いというより、この世の8割はまともな人間で出来ている、ということだと栞は解釈している。そうでなければこの地球はとっくに滅んでいるだろうし、それでも2割のせいで争いは無くならないのだろうとも。


 もうかれこれ500年近く繋がりを絶たずにいる栞と佐藤だが、常に同じ時間を過ごしてきたわけではない。例えば、前世の橋本優子の人生でも、優子から連絡が来るまで接触は控えたし、同じ家で暮らすようなことはせず時折会う友人関係のまま終わった。佐藤としては書生として橋本家へ入り込むことも考えていたが、優子がそれを望まなかったからやめた。今回も栞がそれを望まないから、中途半端な半同棲状態で我慢している。


 橋本家の家業を半ば乗っ取る形で優子が牛耳ったことも、自ら命を絶ったことも、今現在も橋本家の元書生と連絡を取りつつ家業を継続されていることも全て承知しているが、彼女がしたいことなのだからと目を瞑った。本音は、危険な行為は控えて欲しい、幸せな人生を過ごしてほしい。

 そんな佐藤の切実な願いも空しく、今回の人生も波瀾万丈な方向へと舵を切ったようだ。


「新聞社でアルバイトすることになったの」


 ああ、情報収集のためだな、とすぐ分かった。露骨に嫌な顔をしてしまう佐藤の両頬に手を当て、むにゅっと優しくプレスする。佐藤はなされるがまま。ちょこっと突き出た唇に栞が口付けても、そのままじっと動かない。こうやっていつも栞は佐藤の不満や不安をうやむやにしてしまう。


「・・・今度は長生きしてください」

「未来もね。私が死んだからって、未来まで死ぬ必要ないんだから」

「はい」

「あ、美紀達を連れて今度デパート行くから何か買ってきてあげる。リクエストある?」

「特に何も」

「無欲だね」

「一緒にいる時間が増える方が嬉しいです」

「考えとく。あ、次はプリン作ってほしいな」

「うん、分かった。カラメル無しでね」

「そう、無しで」


 栞は昔から苦いものが嫌いだ。

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